魔女が愛した一輪の華
1000年以上生きているという魔女の元を、1人の少年が訪れました。きらびやかな服を身に纏い、人形のような顔立ちの少年は、城から抜け出してきた王子でした。
金髪に青目で、宝石のあしらわれた装飾品を身につけた王子は、むしろよく無事に森までたどり着いたなと思えるほど無防備です。
王子といっても、母親が娼婦だったため、城の中ではいつも独りぼっちで、他の異母兄弟からいじめられておりました。すべてが嫌で、魔女の元を訪れました。
一生をあんな城の中で過ごすのなら、いっそ魔女に食われてもいい。そんな気持ちだったのです。
森の奥深くにある小屋の戸を叩きます。
1000年も生きているのだから、それはもう化け物のような恐ろしい魔女が出てくるのだと覚悟をしていました。
ところが、戸を開けてひょこりと顔を覗かせたのは意外や意外、まだ年端もいかぬ少女だったのです。肩のあたりで外跳ねした赤髪に、黒曜石のような目。
藍色のローブを羽織っています。
少年は自分より、少し年上の少女を見てびっくり。
こんな若い女の子が、1000年も生きている魔女なはずがない。少年はそう決め付け、少女に問いかけます。
「ここに魔女はおりませんか。1000年生きていると言われている……」
少女は、何だそんなことかとでも言いたげに、くるりと少年に背を向けてしまいます。
少女から返ってきた言葉は、これまた少年を驚かすもの。
「それなら私のことだけど。言っておくが、私は不老長寿なだけで、不死ではない。不老不死になれる人間なんて、いないの」
今まで、数多の人間が魔女の元を訪れては、不老不死の秘薬を求めたのです。そんなことが続けば、魔女とて人の子。うんざりもするでしょう。
戸を閉められそうになって、慌てて少年は食い下がります。
「お願いします、どうか僕をあの狭いお城から助けて!」
小屋の中は、見た目より案外広いものでした。少年は身分を明かして、名乗りました。少女も、面倒くさそうな顔で名乗ります。
「僕はリオナと言います。この国の王子です」
「私はイロ。助けて、っていうのは?」
「母さんが娼婦で、城では異母兄弟からいじめしか受けていません。ここに魔女がいるって聞いて、食われてもいい、そう思って来ました。でも僕、綺麗な景色が見たいんです。目に焼き付いて離れないような、綺麗な景色が」
少年の口から、いつの間にか涙と一緒に本音がボロボロこぼれ落ちておりました。
少女はそれを黙って聞くと、いきなりバタバタと荷物を纏め始めました。そして、にっと歯を見せていたずらっ子のように笑います。
「見に行こうぜ、目に焼き付いて離れない景色」
その日から、リオナとイロの旅が始まりました。
初めて見る露店や街にリオナはびっくり、ドキドキしっぱなし。
旅に出て、初めて見たのは街のシンボルである時計塔から見る朝日でした。
次に、海へ沈んで行く夕焼けを見ました。
虹の橋という、実際に渡れる虹も見ましたし、砂漠の夜に広がる星空も見ました。雄大な自然も見てきました。
時にリオナとイロは喧嘩もしました。2人とも、人付き合いの苦手な人間なので、仲直りするにも時間がかかりましたが、その分喧嘩する前より絆が深まりました。
珍しくイロが熱を出した時は、リオナが一生懸命看病しました。一晩中付きっきりで、そんなリオナのことが、イロはいとおしかったのです。
リオナが旅の途中で怪我をした時には、イロが跡1つ残さず治してみせました。
流石は1000年は生きている魔女なだけあります。
歳月が過ぎるのは早いもので、イロよりも小さかったリオナは、すっかり大きくなってイロの背も越しました。
イロは、そんなリオナが眩しく、大好きなのです。
ですが、イロほどの大魔女が、普通の人間に恋しても、叶わないことぐらい誰だってわかります。一緒に旅をしているのに、リオナは成長するけどイロは出会った頃と変わらないまま。
リオナが成人を迎えたら、旅を止めよう。イロはそう心に決めました。
青年になったリオナは、変わらず少女のままのイロに微笑みかけます。その度に、胸が締め付けられるように苦しくなるのです。
「イロ、飲まないか」
「あっ、リオナ。君まだ成人していないでしょう。気が早いよ」
怒ると肩をすくめるだけで、反省の色は見えません。まぁ、どっちみちリオナが成人するのは明日で、あと1時間ほどで日付も変わるので、フライングしてもいいだろうと判断しました。
仕方ないなぁ、とリオナの隣に腰かけます。
しばし無言で飲んでいると、ポツリとリオナが言葉を漏らしました。
「俺、イロが好きだ」
「えーー」
「イロから、俺はたくさんの色をもらった。水色、白色、橙色、青色、黒色、黄色、緑色、茶色。城にいた頃は、全然気がつかなかった色。いや、気づこうとしなかった色たち。イロ、どうか俺と一緒になってくれないか」
嬉しくて、思わず涙がこぼれそうになりました。イロがリオナを想っていたと同時に、リオナもまたイロのことを想っていたーーその事実が、たまらなく嬉しくて。
ですが、ぐっとこらえます。生きる歳月が違う2人が一緒になっても、リオナが幸せになれない。そう思ったからです。
「なぁ、俺の本当の名前教えてやるよ。イロにだけ、特別」
「本当の、名前……?」
「ハナって言うんだ。この国じゃ珍しいけど、母さんがいたとこでは当たり前のように使ってた字。こう書くんだ」
リオナが、指を動かすと、そこに光の線が灯り、「華」という文字が浮かび上がります。
この国では使わない文字ですが、文字通り色んな世界を渡り歩いてきたイロには、見覚えのある文字でした。
イロと旅をしていく中で、リオナ……華は、魔法の力に目覚めました。しかし、イロほどの魔力はなく、普通の魔法使いとして生きていくだけでしょう。
魔女の中でも、1000年以上生きた者は珍しく、故に人々は恐れを込めてイロのことを大魔女と呼んでいたのです。
華が、気恥ずかしそうに頬を掻きます。
「母さんがつけてくれたんだ。赤ん坊の俺を、母さんが女と間違えて……。でも、嫌いじゃない。むしろ、こっちの名前のほうが呼ばれると心がぽかぽかして嬉しい」
だから、と華は続けます。
「これからも俺の隣にいて、華って呼んでほしい」
敵わないな、とイロは降参しました。でも、このまま素直に負けを認めるほど、可愛い性格ではありません。
華にすり寄って、頬に口づけしました。思わぬイロの行動に、月明かりの下でもわかるほど、華は真っ赤っか。
華を見て、満足そうにお酒を飲むイロなのでした。
「華ぁー! 早く早くっ」
髭が生え、ガタイのいい40代後半のおじさんが、10代前半ぐらいの少女に「華」なんて可愛らしい名前で呼ばれているのには、やや違和感がありますが、当の本人が幸せそうなのでよしとしましょう。
華が成人を迎え、25歳の時にイロへプロポーズしました。2人だけの、ささやかな式を挙げました。
国々を回り、色んな美しい景色をイロに見せてもらった華は定職に就き、恩返しのようにイロと穏やかな生活をしておりました。
夫婦になった2人は今、丘をのぼっています。端から見れば父親と娘ですが、2人は気にしません。
丘を勢いよく駆けていくイロは、変わらず10代前半の姿のままです。華は、自分が年を取ることがこんなにも恐ろしいことだと、イロと出会って初めて気がつきました。
愛した人を置いて自分が死ぬことの恐怖。ですが、置いていくほうより、置いていかれるほうがつらい。そう考えると、華はイロの前で笑顔を見せることしかできないのです。
「ついた!」
イロの元気な声に、華は顔を上げます。そこには、サクラと呼ばれる花が咲き誇っていました。
何でも、イロが魔法で異世界へ行った時に、土産として持ってきたものを植えたそうで。いつ植えたのかはわかりませんが、立派な木に育っています。
ピョンピョン跳ねて、一生懸命落ちてくる花びらを掴もうとするイロ。魔法を使えば一発で取れるのに、それをしないイロが華は好きなのです。
ひょい、と落ちてくる花びらを取ってイロに渡せば、複雑な顔をします。
「こういうのはね、自分の手で取らないと意味ないの! ……もらうけど。ありがとう」
少し意地を張っているイロも、華は好きです。何か贈り物をすると、驚き、嬉しそうにしながらも、口では少しだけ文句を言うのです。
素直になりきれない自分に悩んでいる姿も、どうしようもなく好きなのです。
日溜まりのような穏やかな2人の生活に、終わりを告げる時がきます。
「イロ。俺は幸せだったよ」
医者から、華が手の尽くしようのないほど進行してしまっている病にかかっていると聞いたのは、残酷にもイロが華からプロポーズされた記念日でした。
どうしてもっと早く自分が気がつかなかったのか、イロは激しく己を責めましたが、華は病で動かしにくい体で、イロを優しく抱き締めます。
謝り続けるイロを宥め、華は穏やかに言います。
「プロポーズした時に、言っただろう。俺はイロからたくさんの色をもらったって。だから、恩返し」
ベッドの上で、華が何かを唱えると、部屋中に色とりどりの花が。
少しの間しか見られない幻術ですが、イロは華の優しさに涙をこぼします。
「ありがとう、それからーーーーごめん」
花の幻術が消えた時、華が静かに息を引き取りました。
床に、一輪の花が。幻術ではなく、本物の花です。
そこには、華の字でしっかりと書かれた文字が残っていました。
「強く生きろ」
***
とある村に、1人で暮らしている名もない魔女がおりました。魔女の家には、常に色とりどりの花が植えてあります。
薬草作りに詳しい魔女は、いつも髪に一輪の花のかんざしをさしていました。
魔女は、いつしか「華の魔女」と呼ばれるようになるのでした。
おしまい。