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エリザベートの世界
千春は重い気持ちでパンプスを履いた。
マンションのドアを開けると公園の銀杏がハラハラと舞い落ちて、地面を黄色いカーペットのように覆いつくしている。 千春はしゃがんで黄金色の木の葉を一枚つまみあげ、銀杏と同じ黄色い手帳を取りだして丁寧に挟みこんだ。
バス停に立ちながらエリザベートの何も映していない瞳の色を思い出してブルッと身体を震わせた。
千春にとってエリザベートは水没したテラそのものだった。 虚しくて哀しい空っぽのテラ…
バスが到着して中に乗り込むと乗客は千春だけだった。 いくつかのバス停を過ぎ、竜崎メンタルクリニックの看板が見えてきた。
入り口でクリーム色のコートを着たマリアがこちらに気付いて手を振っている。
「寒かったでしょ?中で待っててくれればよかったのに」

「うん、そう思ったんだけどアーネストもそろそろ来る頃だとおもって来てみたの」
エリザベートが待っているのは他の誰でもないアーネストなのだから。
マリアは心の中でそう呟いた。
「あっほら来たわよ!アーネストこっちよ」千春を見てアーネストは満面の笑顔を浮かべた。
「千春さん!遅くなってごめんね。寒いでしょ早く入ろう」
アーネストは千春の手をとりさっさと歩き出した。
マリアは膨れっ面でアーネストの反対の手を握りしめた。
竜崎メンタルクリニックの院長室のドアをノックすると中から「どうぞお入りください」と返事がかえってきた。
「カノンおばさんこんにちは」
カノンはアーネストが入って行くと、まるで花が咲いたように明るい笑顔で彼らを迎えた。
「いらっしゃい、久しぶりね千春。今日はみんなが来てくれてエリザベートも喜ぶわ。さあ行きましょう」
クリニックの壁は柔らかいピンク色で、アロマなのかローズマリーの爽やかな香りがほんのりと漂っている。 カノンはドアノブに手をかけると中の住人に声をかけた。
「エリザベート、入るわよ」
エリザベートは車椅子に乗り、ふかふかの膝掛けが足元を包んでいた。
エリザベートはぽっかりと瞳を開けたまま何の反応も示さない。
マリアはアーネストの肩を叩いた。
「エリザベートさん、こんにちは!今日は千春さんも連れてきましたよ」
アーネストはエリザベートの小さな手をそっと撫でた。
「我王……」
まるで人形のようだったエリザベートに突然魂が戻ってきたようだ。
「ずっと独りで寂しかったよ…」
アーネストはエリザベートの背中をさすってやり「独りじゃないよ。僕もいるし、みんなもいる…エリザベートさんは独りじゃないんだ。大丈夫、大丈夫だよ」と囁いた。
エリザベートは安心した笑みを浮かべ、瞳を閉じた。
「エリザベートの時間は止まったままなのね。17歳、私達が一番輝いていたあの頃の…」マリアがそう言うとカノンは静かにうなずいた。
千春はそんなエリザベートが少しだけ羨ましく感じた。
エリザベートの世界では我王もカインも、そして実もみんな生きてる。エリザベート…あなたに戻って来て欲しいと思うのは私達のわがままなのかしらね?このままあなたは幻のテラの住人でいた方が幸せなのかしら…?
千春の物思いを察したのかカノンが千春の肩を優しく抱き締めた。


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