MIDNIGHT GLITTER
雑居ビルの間、地下へと下りる狭い階段の先。
両開きの扉は既に開いている。店内に流れるBGMはジャズ。
最奥にあるロフト席のソファーで、きゃはは、と黄色い声があがる。
「やだもー檜川くん!」
アルバイトの女子大学生と、ホール担当の制服を身につけた茶髪の青年が笑い合っている。
その様子に、入口すぐのカウンターでグラスを拭いていたバーテンが視線を向けて、すぐに戻す。バーテンの背後にある白黒のオープンシェルフに並ぶのは、闇夜に煌めくカットグラスと、大小さまざまな酒瓶。
「芽城さん」
そこへ、ロフトから下りてきた茶髪の青年が固い靴音を鳴らして歩み寄ってくる。接客時でもバックヤードでも見せる、変わらない満面の笑顔。手慣れた仕草でハイスツールを回して腰かけ、カウンターの下で長い脚を組む。
「自分、今日クローズまでなんで」
「そう。よろしく」
バーテンは簡潔に返して、氷とアイスピックを取り出す。青年は興味深そうにそれを眺める。
「それ、かっこいいっすよねー。オレ憧れてんスよ、バーテン」
磨きぬかれたグラスに、青年の笑顔が映りこむ。そのグラスをバーテンが手早く集める。青年が、バーテンの背後、棚の端に置かれていた未開封のボトルを指さした。
「それ、新しい酒ですね。仕入れ――」
「悪いけど、開店準備があるから」
明るい声を遮る、押し殺したような小さい声。青年はスツールから腰を浮かせて、
「あ、じゃあ、何か手伝います?」
「いいよ、大丈夫」
あっさりとした返答にきょとんとした顔をして、元通りに座りなおす。
絶え間なく作業するベスト姿の背中を、頬杖をついた青年は黙ってしばらく眺めた。左耳にぶら下げた真新しいピアスを指先でいじる。
店名のロゴ入りコースターとマッチの数を数え終えたバーテンは、不意に彼に背を向け、『STAFF ONLY』の扉を押し開けてカウンターから去っていく。スツールから立ち上がった青年も、鼻歌を歌いながらその後ろを着いていく。
「芽城さん。話すの、初めてスよね」
「そうだね」
控え室を通り抜けて、食材庫の扉を開ける。積み上げられた折りたたみコンテナの蓋を開けて、ナッツの小袋をいくつか取り出して振り返り――
遮るように立ちはだかっている青年を見上げ、わずかに眉を寄せた。
「……そこ、どいてくれる?」
「んー?」
青年は微笑んだまま、スラックスのポケットに両手を入れて、上体を左右に揺らす。
「何」
「んー?」
曖昧に呟く青年の手が、バーテンの白いウイングカラーの襟元に伸びる。
「……檜川く」
黒いタイがひらりと舞って、タイル張りの床に落ちた。清潔感のある香りがかすかに漂う。
青年の太い指がバーテンの白い喉元を滑る。バーテンは生理的な嫌悪感に顔をしかめ、持っていたナッツの袋を握り締めた。
「何す」
第一ボタンを開けて、大きく開いた襟から指を引き抜いて、青年は「ふぅん」と言った。黒い目をゆっくりと細める。
「愛想ないなーと思ってたんだけど、それ、わざとか。メジロさん。メジロちゃん?」
青年は意地悪く、にんまりと微笑んだ。
壁を隔てた先のざわめきが、やけに遠くに聞こえる。
バーテンは青年の真意を図るように見つめながら、ふぅ、と息を吐く。
「……図々しい人だとは思ってたけど、ここまで非常識だとは」
はは、と青年が笑う。
「非常識はどっちだよ」
「面倒なんだよ、分かるでしょ」
バーテンのふてくされたような声に、青年は苦笑して、まぁね、とうなずく。男女比の偏ったこの世界で、いまや女性はその性別だけで充分もてはやされる存在だ。
「ねぇ、このこと、店長は」
「知ってるよ」
「なら、別にいいんじゃない?」
青年は自身の襟足を掻きながら、ちっともそう思っていなさそうな顔で呟いた。
バーテンはその様子を見つめたあと、もう一度息を吐く。右横の戸棚を開けて、小さなリキュールの瓶をいくつか取り出す。
「仕事終わりに一杯作るとか、それくらいしかできないよ」
青年は途端に嬉しそうな顔をして、身を乗り出す。
「お、話分かるねぇ。じゃあ言ってみようかな。メジロちゃん、このこと黙ってて欲しいなら、その代わり――」
長身の青年は小柄なバーテンを壁に押し付けて、
「とりあえず、付き合おっか」
軽ーく言って、ウインク。綺麗に並んだ真っ白な歯が見える。
「……………………」
バーテンはあっけにとられて、至近距離にあるその整った顔を見上げた。キャンドルの明かりに照らされて、白目がつやつやと光って見える。
ここ数年、この格好を始めてからは見なかった目だ、とバーテンは気づく。
「…………変わってるね」
「それ、アンタが言う?」
青年は前髪を掻き上げ、心底面白そうに笑った。