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王都-6


 ガゼフとは別れ、汗を持ってきたタオルを濡らして拭い、汗の臭いがしなくなったクライムが次に向かった先は、大広間とはまるで違った場所だ。
 多くの人間がザワザワという声が少し離れた場所から聞こえてくる。
 さきほどクライムがいた大広間に匹敵する部屋には、多くの人間が長椅子に座り、歓談している。その暖かい雰囲気に混じって、食欲をそそる良い香りが漂ってくる。
 食堂である。

 ガヤガヤという音を抜けるように食堂を突っ切り、クライムは幾人もが並ぶ列の後ろに着く。
 幾つも重なって並んでいる容器をクライムも、前に並ぶ者と同じように取る。木のお盆に木のシチュー器。そして木のコップである。
 順番に食事を貰っていく。
 大き目の蒸かし芋が2つ、固めの黒パン、そしてホワイトシチューという食事だ。
 それらが木の盆の上に盛られ、良い香りが漂う。クライムは胃が急激に刺激されるのを感じながら、食堂を見渡す。

 ガヤガヤと騒がしく兵士達が食事をしながら談話をしている。今度の休日はどうするとか、食事の話、家族の話、たいしたことの無い任務の話などの、一般的な日常会話が殆どだ。

 そんな中、クライムは開いている席を見つけ、そちらに向かう。
 そして長椅子をまたぐように腰掛けた。両脇に兵士が座り、互いに友人だろう人物達とおしゃべりを楽しんでいる。クライムが座ろうとも、近くに座っている兵士は一瞥をするだけで即座に興味をなくしたように視線を離す。

 それは傍から見ると異様な雰囲気である。
 まるでクライムの周りだけ凪が起こっているようだった。
 周囲は楽しげな会話が続いているが、クライムに話しかけようとする気配を見せるものは誰一人としていない。確かに見知らぬ人間に話しかける者はそうはいないだろう。しかし同じ兵士という、同じ職場の人間であり、時には命を助け合う関係と考えればこの対応はいささか異様だ。
 まるでクライムという人物がいないような、そんな空気であるような対応だ。クライム自身、誰とも話そうという雰囲気を見せることない。自分の置かれている立場を充分に理解しているからだ。


 このロ・レンテ城を警備する兵士は単なる兵士ではない。
 王国の兵士は一般的に兵士として取り立てられた平民だ。しかしながら王族に近く、王国の様々な重要情報に近いこの場所を守るものが単なる平民であって良いはずがない。
 そのため、ロ・レンテ城を警備する兵士は貴族による推薦のあった、身分のはっきりした平民が選ばれるということになっている。
 もしこの場所で兵士が何かした場合は推薦した貴族が責任を取るという形であり、害をなそうとする者を食い止めるという目的だ。

 ただこの結果、あるものが生まれる。
 それは『派閥』である。
 人間が数人いれば生まれるという派閥が兵士内でも当然あるのだ。これは考えるまでも無く当然だと理解できるだろう。
 推薦する貴族が元々どこかの派閥に所属しているのだ。その貴族によって選ばれた兵士も、当たり前のように取り込まれることとなる。逆らうような者は元々選ばれるわけが無いので、派閥に所属しないような例外はほぼいないといっても過言ではない。

 確かに推薦した貴族が何処の派閥とも組んでいないという場合は考えられる。しかしながら現在は大きな意味では王派閥と、それに対する貴族派閥という2つに分かれて睨み合っている状況。この2つの巨大派閥の前で蝙蝠のように飛びかうほどの政略に長けた貴族は存在していない。

 そのため先ほども述べたように、例外はほぼいないような状況となるわけだ。そう――ほぼ、である。
 ――そんな派閥が遠慮してしまうような存在はやはりいるのだ。

 それがクライムである。
 クライム自身の境遇や置かれている立場から考えれば、当然王の派閥に所属するのが当たり前だ。しかしながら王女たるラナーに近く、兵士というより私兵のような立場が組み込まれるという行為を抑止する。
 強い権力を持つわけではないが、王族に近い立場の存在。さらには身分不確かな、貴族という自らの立ち位置からすると、眉を顰めてしまうような存在。

 それは王派閥からすれば取り込めば扱いに困りかねないが、そのままにしておけば普通に自分達に協力してくれる存在。対立貴族派閥からすれば取り込めばかなりのメリットがあるが、巨大な危険を同時に持ち合わせるような存在となる。

 確かに王派閥として考えるなら、違和感のある結論なのかもしれない。
 ただ、派閥と言っても無数の貴族からなる集まりだ。その全てが一枚板であるわけが無い。派閥というのはあくまでの思考の方向性やメリットを考えて纏まるものだ。ならば王派閥にだってクライム――身分不確かな平民――の存在を忌避する者もいれば、対立貴族派閥の中にはクライムを中に引き込みたい者だって当然いる。
 共通して言えることだが、クライム1人のために派閥が割れるような行為を行う馬鹿がいるだろうか?
 そんなわけで相手の手に渡るのは避けたいが、だからといって自分たちの懐にも入れたくない。そういう人物としての評価を両派閥から得るに至っているのだ。


 クライムはそんな対応に、別に気にもせずに食事を始める。
 蒸かした芋をナイフで2つに分ける。割れた部分から湯気がぼんやりと上がる芋を、クライムはフォークで突き刺すと口に運ぶ。

「ほふ、ほふ」

 ちょっと熱いがこれぐらいが丁度良い。熱を口の中で冷ましつつ、クライムは芋を噛み砕く。結構振られた塩は普通であればしょっぱく感じるかもしれないが、クライムのように訓練で大量に汗をかいた者にはちょうど良い味にしか思えなかった。
 白く濁ったシチューにスプーンを入れ、具と一緒に掬い取る。薄い肉の切れ端や、にんじん、キャベツといったものと一緒に食べていれば美味しいために直ぐになくなってしまう。ただ、全部の汁を飲んでしまわないのは兵士の基本だ。
 パンを割ると、それを汁に浸した。噛み応えのある硬いパンもこうすれば柔らかく食べることが出来る。
 ふやけたパンをしゃぶるようにクライムは口に入れた。

 10分立たずに朝食は終わりだ。
 芋が大きかったため、おなかは充分に膨れている。

「さて」

 席を立とうとしたクライムにたまたま通りかかった兵士の一人がぶつかる。
 ガゼフとの訓練で痛めていた箇所に肘が入り、クライムは無表情ながらも痛みを堪え、動きを止める。
 ぶつかった兵士は何も言わずにそのまま歩きすぎる。空気に当たったとしても何か言うだろうか。周囲の兵士達も当然何も言わない。
 その光景を見ている幾人かが多少眉を顰めるが、それでも何かを言おうとするものはいなかった。

 痛みが通り過ぎ、息を長く吐き捨てたクライムは食器を持って歩き出す。
 その表情には何の感情も浮かんではいない。さきほどの激突もなんとも思ってないようなそんな素振りだ。いや、実際になんとも思ってないのだろう。
 この程度の嫌がらせは日常茶飯事だ。兵士がぶつかってきたが、熱いシチューが食器の中に入っていたときにやられなかったのは幸運だったと思う程度の出来事なのだ、クライムにとっては。
 足を出されて転ばされかける。たまたまぶつかって来る。

 ――だからどうした。
 クライムは平然と歩を進める。相手だってこれ以上のことは出来ない。特に食堂という人の目が多い場所では。

 クライムは胸を張り続ける。目を前に向け、俯いたりはしない。
 己が変なところを見せるのは、それは自らの主人であるラナーに迷惑をかけることなのだ。自らの後ろにはラナーという自らが絶対の忠誠を捧げる女性の評判が掛かっているのだから。



 白色のフルプレートメイルを身につけ、武装を完璧に整えたクライムはヴァランシア宮殿に足を踏み入れる。

 ヴァランシア宮殿は大きく分けて3つの建物から成り立っているのだが、そのうちの1つ。王族の住居として使われる、最も大きな建物に入る。
 先ほどまでクライムがいた場所とは違い、光を多く取り入れるように設計された宮殿はクライムには非常に眩しく映る。
 広く清潔な廊下には時折フルプレートメイルを着用し、不動の姿勢を保つ騎士がいる。宮殿警備の騎士だ。

 帝国の騎士というのは平民等から取り立てられた、専業兵士のことを指す言葉である。それに対して王国の騎士というのは貴族階級を持つ者で、兵士としての任務を行っている者を意味する言葉である。そのため兵士を纏め上げる隊長としての任務に従事している者が大半である。
 ちなみにガゼフの戦士長という地位は、騎士位の授与を反対する意見が多かったため、与えられなかった王が、苦肉の策としてガゼフに与えた地位である。それ以降、ガゼフが剣の才能があると判断し、選伐した精鋭の兵士を戦士と呼ぶようになったのだが。

 そんな者の前をクライムは頭を垂れながら通り過ぎる。騎士にもなれば大抵が礼を返す。嫌々している者が殆どだが、中には心を込める者もまたいた。


 当然のようにゴミ1つ落ちてない、それどころか埃すら落ちてないと歩く者に思わせるほど綺麗に磨かれた広い廊下をクライムは歩く。その歩運びに合わせて白色のフルプレートが鈴のような澄んだ音を立てるが、これはミスリルを混ぜて鍛えこんだことによるものだ。
 王宮で働くメイドとすれ違うのだが、その殆どがクライムを見るたび顔を顰める。
 この静かな宮殿で、騒がしい音を立てる兵士に対して向けられたものではない。身分の低い汚らわしいものを視界に入れてしまったことに対する怒りの感情を込めてのものだ。
 メイドにまでそのような態度を向けられるが、クライムの表情に感情は一切表れない。

 通常のメイドとは違い、王宮内で働くメイドは低位の貴族の娘が箔付けで来ている場合が多い。ある意味、メイドの方がクライムよりも身分が上の可能性のほうが高いのだ。
 そのため、メイドがそんな態度をするのも当然だと、クライムは考えている。それにラナーの前では身分の低いクライムにまで礼をするのだ。ならばラナーのいない場所で不快感を顕わにしたとしてもかまわないではないか。
 そういった思いがクライムの無表情さに拍手をかけ、相手にもされないと勘違いしたメイドたちがより一層の悪意を抱くという悪循環が生まれていることにクライムは完全に気付いていない。
 そういうことに気付ける性格なら、もっと上手く取り繕うことも出来るだろう。

 そんな生真面目というよりは、ある一点しか見えてないクライムとしては、ほんの一握りのメイドが示す丁寧な礼。そちら方が厄介だったりする。
 貴族の令嬢に心を込めて返されると、身分の低い出のクライムとしては、困惑して慌ててしまうためだ。

 クライムの立場というものは非常に難しいものだ。
 本来であればクライムにラナーに仕えることは出来ない。それは彼の身分から来るものだ。卑しい生まれの彼に、王族の身辺を警護するような大役は回っては来ないのが一般だ。王族の身の回りを守るのは最低でも貴族階級を持つような者と相場が決まっている。
 ただ、王国にはガゼフ・ストロノーフという王国最強の兵士と、その最精鋭とされる兵士たちという例外がある。それにも増して、王女たるラナーが強く言えば、それに対して公然と反対できる者も少ない。
 王や王子等の王族であれば意見を言うことはできるだろうが、王が認めている以上、そこに嘴を突っ込むことにメリットは無い。ラナーのように王に最も可愛がられている者を相手しても良いことは無いのだから。

 彼が個室を持っているのもその一環だ。
 クライムという存在が宮廷におけるどのような地位につけてよいのか、それがはっきりと判明しないためだ。
 通常の単なる兵士であれば個室での生活は出来ない。大部屋での集団生活となるだろう。しかしクライムは単なる兵士とは違い、ラナーの身辺警護を中心とし、ラナーに色々と雑多な命令をされる人物。
 そのため貴族という階級を重んじるものたちからすれば、どこに置いてよいのか不明な人間という厄介な対象なのだ。

 メイドたちや騎士の大半が、ちぐはぐな対応をとるのはその所為でもあった。


 やがてクライムは最もよく来る部屋の前まで到着する。
 女性の王族の部屋まで、男である彼が来るのは特例中の特例としかいえない。下手すれば王ですら止められる、ある意味王国で最も入ることのできない場所なのだから。
 クライムは無造作に扉のノブを捻る。
 ノックを忘れるという非常識極まりない行為だが、当然これは部屋の主人の意向を受けてのことだ。どれだけクライムが抵抗しても許してくれなかったのだ。
 結局折れたのはクライムだ。流石に女性に泣かれてしまっては分が悪すぎる。

 しかしドアをノックもせずに押し開けるということは、クライムに強いストレスを与えるのも事実だ。絶対にこんなこと許されるはずが無い。そう思いながら開けるのだから当然だろう。

 扉を開けようとして、かすかに開いた扉から流れ出てくる、激しい熱を持った言葉の応酬にクライムは手を止める。
 聞こえてくる声は2つ。両方女性のものであり、2つともよく知っているものだ。
 片方の声の持ち主が扉の外とはいえ、クライムに気づいていないのはよほど熱中しているからだろう。ならばその熱意を冷ましたくは無い。そのためクライムはそのまま部屋の中の声に耳をすませる。盗み聞きをしているという罪悪感が生まれるが、それでもこの熱意ある話を中断してしまう方が罪悪感を覚えるだろうと思ってだ。

「――ら言ってるでしょ。まず、基本的に人間は目先のメリットを重視するものだって」
「うーん……」
「……ティエールの言っている順繰りに他の作物を育てるって言う計画。……そんなことで実りが良くなるとは到底思えないけど……結果が出るのはいつ頃になるの?」
「大体、6年ぐらいは必要だと試算は出ています」
「ならばその6年間、別の作物を育てることによって金銭的にマイナスにはどれぐらいなるの?」
「作物の種類にもよりますけど……通常時を1とするなら0.8ぐらい……0.2の損失になると思っています。ただ、6年後以降はずっと0.3の収穫増は見込める予定です。牧草栽培による家畜の飼育も軌道に乗ればもっと上は目指せるでしょうね」
「……それだけ聞くと誰もが飛びつくような話に聞こえるけど、その6年間続く0.2の損失が許せないでしょうね」
「……その0.2の損失は無利子無担保で国が貸し出して、取れるようになったら回収という方法を取れば問題ないと思うのですが……。収穫量が増えない場合は……回収しないとかして。何より収穫が増加すれば4年で支払える計算になりますし」
「難しいでしょうね」
「どうして?」
「だから言ったでしょ。人間は目先のメリットを重視する――安定志向の者が多いの。確実に6年で1.3になるといわれても、迷うのは当然よ」
「よく……分からないわ。実験している畑の様子は順調なのですけど……」
「実験が上手くいっているかもしれないけど、絶対は無いわけでしょ」
「……確かにありとあらゆる状況下を想定した上での実験ではないから、絶対とはいえないわ。その土地や気候、そういったものを全て考慮するとかなり大規模に実験を行わなくてはならなくなるし……」
「ならば難しいわ。先の0.3の収穫量の増加が最低か平均かは不明だけど、説得力が無くなる。とすると充分なメリットを約束できるものにしないと。目先のメリットを約束した上で」
「なら6年間の0.2は無償で提供するという方法では?」
「対立する貴族派閥が喜ぶでしょね。王の力が弱くなるって」
「でも、6年後からそれだけの物が取れるようになれば、国力も増大するわけなのですから……」
「すると、対立する貴族の力も増大する。そして王の力は1.2だけ下がると。王の派閥を構成する貴族達が絶対に認めるわけが無いわ」
「ならば商人の皆さんにお願いして……」
「あなたが言っているのは大きな商人でしょ? そういう商人だって色々と対立があるし、下手に王の派閥に協力したらもう1つの派閥の仕事が上手くいかなくなったりするでしょうね」
「難しいわね……アルベイン」
「……根回しというのが上手くないからあなたの政策は抜け落ちが多すぎるのよ。まぁ……大きな2つの派閥が出来てしまっている段階で、難易度は非常に高いって理解は出来るのだけれど。……王の直轄地だけで行うのは?」
「兄たちが許さないでしょうね」
「ああ、あのバ……叡智をあなたのために母親のお腹の中に置いてきてくれた方々」
「…………別に母親まで一緒じゃないのですけど」
「あら。なら王の方にかしら。しっかし、王家も一枚板じゃないとか痛すぎるわ……」

 部屋の中は静まり返り、カチャリと何かと何か、陶器と陶器がぶつかり合った際に起こるような小さな音さえも、クライムの元まで届く。

「――それと、そろそろ入って良いわよ」
「……え?」

 中からの声にクライムの心臓がどきりと1つ飛び跳ねる。気付いていたのかという驚愕と、やはりかという納得の思いを擁きつつ、クライムは扉をゆっくりと開く。

「――失礼します」

 ペコリと頭を下げ、それから上げたクライムの視界には非常に見慣れた光景が飛び込む。
 王女であるラナーの私室ともすれば、部屋の主を除けばクライムが最も知っている。豪華ではあるが、派手ではない――そんな部屋の、窓の近くに置かれたテーブルには2人の女性。
 そこに座っているのは金髪の2人の淑女だ。両者ともドレスを纏っているが非常に似合っている。
 1人は当然自らの主人でもあるラナーだ。
 そしてその向かいに座った――金髪の髪を器用に巻いた、かつらでも被っているような変な髪形をしている女性。彼女の紫色の瞳はアメジストを思わせ、唇は健康そうなピンク色に輝いていた。
 その外見的な美貌はラナーには劣るものの、ラナーとは違った魅力に溢れている。ラナーが宝石の輝きとするなら、彼女は命の輝きとも言うべきか。

 その女性こそラキュース・アルベイン・フィア・アインドラ。
 薄いピンク色を主としたドレス姿からは想像もつかないが、彼女こそ王国に2つあるA+冒険者パーティー――その片方のリーダーを勤める女性であり、自らの主人のラナーの最も親しい友人だ。
 年齢にして19歳。その若さで偉業を幾つも成し遂げ、A+という地位まで上り詰めたのはその溢れんばかりの才能のお陰であろう。
 僅かな嫉妬の感情がクライムの心の奥ににじみ出るように浮かぶ。しかしそんな醜い感情を即座に振り払う。

「おはようございます、ラナー様。アインドラ様」
「おはよう、クライム」
「おはよ」

 クライムは挨拶を終えると彼の所定の位置――ラナーの右後方に移動する。そして止められる。

「クライム。そっちじゃなくてこっち」

 ラナーの指差すところは自分の横のイスだ。
 そこでクライムは不思議に思う。円形のテーブルを囲むように並べられた椅子の数は5つ。これはいつもの数だ。ただ、紅茶の注がれたカップが合計で3つ置かれているのだ。
 ラナーの前、ラキュースの前、そしてラキュースの隣の席――ラナーが指差した席とは違うところに。

 まだ湯気が立っているところをすると、注いだばかりのように思われる。これはクライムのものだということなのか。するとそこに置かれている理由は、つまりはラキュースの横に座れという意味なのだろうか。それともたまたま退かしたとかなのだろうか。
 本日のお客人はラキュースだけと聞いていたが、王がいらっしゃったのか。ありえそうな答えを思い浮かべ、クライムは自らを納得させる。

「しかし……」
「あ、私は構わないわよ。ティエールの口調が昔に戻るのは好きだしね」
「アインドラ様……」
「前も言ったけどラキュースで良いわよ」チラリとラキュースはラナーに視線をやり「クライムは特別ね」
「……むか」

 語尾にハートマークが浮かんでいるような甘ったるいラキュースの声色に、ラナーが口でそんなことを言いながら微笑んだ。口元だけを動かした笑いを、微笑といえるならばだが。

「……冗談はおやめください」
「はいはい」
「え? 冗談なの?」

 驚いたようなラナーに対し、ラキュースはぴたりとわざとらしく動きを止めると、それからはぁと大げさなため息を吐く。

「当たり前でしょ。まぁクライムは確かに特別だけど、それはあなた『の』だから特別なのよ」
「私『の』? うふふふ」

 クネクネと体を揺らすラナーから困ったように視線を逸らしたクライムは目を見開いた。
 部屋の隅、そこに残る暗がりに溶け込むように1人の人間が膝を抱えるように座っていたのだ。黒髪が顔を半分隠しており、着ている服は黒色の体にぴったりとしたもの。
 この部屋の雰囲気にはまるで合わない女性だ。

「な?!」

 驚き、腰に下げた剣を掴むクライム。
 ラキュースという人物がいながらもあそこにいたことに気付かなかったのかと混乱が押し寄せてくるが、賊である可能性を考え、即座に臨戦態勢に移行する。
 腰を落とし、ラナーを守るように動き出すクライムの視線の先を見たラキュースがはぁとため息をつく。

「そんな格好してるからクライムが驚くのよ」

 その冷静な声に警戒や危機感というものはまるで無い。その口調に込められた意味を薄々と悟り、クライムは肩から力が抜けていくようだった。

「了解、ボス」

 意外に低い声で返事が返り、暗がりの中座っていた女性は、異様な身体能力を使って座った状態からひょいっと飛び跳ねるように立ち上がる。

「あっとクライムは知らなかったのね。うちのパーティーの1人――」
「――ティナさんよ」

 ラキュースの言葉の後を、ラナーが続ける。
 蒼の薔薇といわれる冒険者パーティーのメンバーの内、ティアとティナという女性は今まで対面したことは無かった。何でも盗賊系の役目をこなしている人物だとはクライムも聞いていたのだが――その外見を知り、なるほどと納得する。
 スラリとした肢体を全身にぴったりと密着するような服で包むその姿は、確かに盗賊系の技術を収めた者のようだったからだ。

「……これは失礼しました」

 クライムはティアという女性に深々と頭を下げる。ラキュースの知り合いであり、ラナーが知っている以上、客人であろう。そんな人物に対して臨戦態勢を取ってしまったのだ、下手すれば頭を下げる程度で済まされる問題ではない。

「む? 気にしないでいいよ」

 鷹揚に手を振り、クライムの謝罪に答えると、まるで音のしない、野生の獣を思わせる滑らかな動きでテーブルまで近寄る。それからティナはラキュースの横の椅子を動かして座る。先ほどクライムが疑問に思ったカップのある場所だ。
 コップの数からはありえないとは思うが、クライムは周囲を見渡し、もう1人のあったことも無い女性もいるのかと念を入れて探す。
 ラキュースは何故クライムが周囲を見渡したのか即座に理解したのだろう。口を開く。

「ティアは来てないわよ」
「あの娘の今日の予定は色々な情報収集のはず、うちの鬼ボスの命令で」

 鬼という言葉に反応し、恐ろしい微笑みを浮かべるラキュースから視線を逸らしつつ、クライムは尋ねる。

「そうでしたか、一度会ってみたかったのですが」
「クライム、ティナさんとティアさんは双子で髪の毛の長さも殆ど同じなのよ」
「だから片方を見ておけば問題なっしんぐ」
「そうでしたか」

 とりあえずは納得したクライムを、無遠慮な目つきでティナが眺めてくる。我慢しようかと思いながらも、もし自分の至らない点を見つめたのかとクライムは思い、思い切って尋ねることとする。

「何かございましたか?」
「大きくなりすぎ」
「……は?」

 意味が分からない。疑問詞を幾つも頭の上に浮かべたクライムに、ラキュースが詫びるように口を挟む。

「いえ、こちらのこと。気にしないでね、クライム。いや、本当に気にしないで。本当に」
「はぁ……」
「……なんのことなの? アルベイン」

 クライムは無理に承知したが、ラナーは納得がいかないように口を挟む。ラナーを見て、ラキュースが嫌な顔をした。

「ほんと、クライムのことになると……」
「あ、わたしね――」
「――黙れって。お前の姉妹を連れてこなかったのは、ラナーに変なことを教えようとするからなの。だからその辺を理解してあなたも黙ってくれない?」
「へいよー、ボス」
「……アルベイン。なんのことなの?」

 ラキュースがラナーの追求を受け、本気で引きつった顔をした。絶対教えられない事を、教えてくれと攻めてくる人間を前にした苦悶の表情も浮かんでいる。
 クライムが口を挟もうかと思ったとき、ラキュースがぐるっと視線を回して向けてくる。

「えっと……クライム、その鎧愛用してくれてるみたいね」
「ええ、素晴らしい鎧です。ありがとうございました」

 無理矢理というところを遥かに超えた話題の転換だが、クライムは客人に恥をかかせまいと同調する。
 クライムはラナーより与えられた白色のフルプレートメイルに手を這わせた。ミスリルを4分の1も使い、肉体能力の向上系魔法が込められた鎧は軽く、硬く、動きやすい。
 そんな素晴らしい鎧の製作のために、ミスリルを只で提供してくれたのがこの『蒼の薔薇』の一行だ。どれほど頭を下げても感謝の念が尽きることは無い。
 頭を下げかけたクライムをラキュースは止める。

「気にしないでいいわ。私達がミスリルの鎧を作る際の、その残りを渡しただけだから」

 残りといえども、ミスリルとなれば非常に高額な金属である。Aクラスにもなればミスリルで全身鎧を作るだけの財力を持つだろうし、Bクラスになればミスリルの武器ぐらいは持つかもしれない。それでも只で渡すという行為を行えるのは、A+ほどの実力者ぐらいだろう。

「それにティエールに頼まれたら嫌とはいえないし」
「――あの時、お金貰ってくれなかったよね。貯めていたお小遣いがあったのに……」
「……王女がお小遣いってなんか間違ってない?」
「領地からのお金は別に取ってます。クライムの鎧は私のお小遣いで買いたかったの」
「そうよね。クライムの鎧は全部自分のお金だけで作って渡したかったんだよねー」
「……そこまで分かってるなら、只でくれなくても良いのに。アルベインのばか」
「バカっていうかしら、普通……」

 むっとしたラナーとニヤニヤとした笑いを浮かべるラキュースが、喧嘩にもならない口喧嘩を行いだす。
 そんな光景を目にし、クライムは壊れそうになる無表情を硬く押し留める。
 こんな光景を――穏やかで暖かい光景を見ていられるのも全て自分を拾い上げてくれた人物のお陰だ。しかしそれを強く表に出すことは許されない。
 感謝の念だけなら出しても構わないだろうが、その奥でクライムに宿る、ラナーへの強い感情だけはみせてはいけない。

 この――恋心は

 クライムは己の感情をぎゅっと握りつぶし、無表情を強く厚いものとする。そして握りつぶした感情の代わりに、幾度も言ったことのあるセリフを口にする。

「ありがとうございます。ラナー様」

 少しだけ――毎日のように、誰よりも見つめ続けてきたクライムだからこそ分かるような、ほんの少しの寂しさを込めながらラナーは微笑むと、同じように言葉を返す。

「どういたしまして。ところでさっきの……」
「――クライムもここで話を聞いていても詰まらないでしょ! 今日ぐらい何か別のことをしたら?」
「え? ここで一緒に話を聞いていても良いと思うんですけど?」
「……あなたが集中しないから駄目よ。私だって暇がいつでもあるわけじゃないんだから」
「忙しいものね」
「ええ。A+の仕事ってそんな頻繁には無いけど、色々とやらなくちゃならないこともあるしね」

 クライムはラナーの警護という自分の仕事を思い出し、僅かに眉を顰める――とはいっても殆ど無表情ではあるのだが。
 しかしA+冒険者の2人がいるというなら、自分の警護なんか邪魔と同等というのも事実。それならば友人とのひと時を邪魔するのも悪いだろう。ラナーという女性の友人は彼女ぐらいしかいないのだから。

「そうですね。ご友人との大切なひと時をお邪魔するのは……」
「私は全然かまわな――」
「――ありがとう。そういえば何かすることあるの?」
「いえ、ラナー様に何か無いのであれば、私にはありません」
「私は……クライムと……」
「なるほど。なら少し頼んでもいいかしら?」
「ラナー様に何も無ければ喜んでさせていただきます」
「だって、どう? クライムをちょっと借りてもいい?」

 ラキュースとクライムが見れば、ラナーはティナに頭を撫でられているところだった。

「2人とも完全に私を無視している……」
「よし、よし。可哀想、可哀想」
「……何してるの?」

 不思議そうに、それでいて半眼で見るラキュースに、ラナーはぶぅっと頬を吹くらまし答える。

「2人が私を無視するから」
「……ほんと、クライムの話になると子供になるわね。まぁいいわ、クライムをちょっと借りるわね」
「え? ……えー」
「良いわよね。あなたとの話は今日中にしっかりとやっておきたいの。だから他の仲間たちへの伝言をお願いしたいのよ」
+注意+
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