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オーバーロード:前編 作者:丸山くがね
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侵入者-6


 突如襲ってきたグール4体を退治し、一息ついたヘッケランたち『フォーサイト』の足元。そこに魔法陣が広がった。次の瞬間、そこから起こった回避不可能な蒼白い光に包まれて、気がついたら視界に飛び込んでくる風景は一変していた。

「なんだ?」

 ヘッケランは呆けたように呟きをもらし、慌てて周囲を見渡す。現状の把握も重要なことだが、仲間たちの安否の方がより重要だ。見渡し、すぐに仲間たちの確認は取れる。
 イミーナ、アルシェ、ロバーデイク。
『フォーサイト』の面々は先ほどの魔法陣に入り込んだ隊列を守ったまま、誰一人欠けることなく揃っていた。互いの安全を確認し、安堵の息をつくより早く、4人は周囲を油断無く見渡す。

 そこは薄暗い通路が一直線に続いていた。通路は広く高い。それは巨人でも歩けるようなそんな建築形式だ。通路に掲げられた松明の炎の揺らめきが陰影を作り、影が踊るように動く。通路の伸びた先、そこには落ちた巨大な格子戸がある。格子戸の空いた隙間からは、白色光にも似た魔法的な明かりが入り込んでいた。通路の反対を見るとかなり奥まで進んでいるようで、途中に幾つも扉があるのが松明の明かりに照らされ分かる。
 全体的に静まり返り、聞こえるのは松明がはぜる音ぐらいなものだ。

 取りあえず即座に襲ってきそうなモンスターはいない。そう判断しながらも、視線のみは注意深く周囲を走らせる。

「ここがどこだか分からないけど、今までとは雰囲気がまるで違うわね」

 確かにさきほどの墳墓とはまるで違う。こちらの方が文明の匂いがするというべきか。フォーサイトの面々が周囲を見渡し、ここが何処なのか把握しようとする中にあって、アルシェの態度だけが少しばかり違っていた。

「――ここは……」

 その言葉に含まれた感情を機敏に感じ取り、ヘッケランはアルシェに尋ねる。

「知ってるのか?」
「――似た場所を知っている。帝国の闘技場」
「ああ、言われてみればそうですね」

 ロバーデイクが同意の声を上げた。ヘッケランとイミーナも声までは上げないまでも、同意の印として頭を縦に振る。
 闘技場でモンスターや獣と戦う。それはワーカーであればさほど珍しくは無い仕事だ。普通の戦闘では満足の出来ない観衆を楽しませるために、ワーカーが雇われることはよくあるのだ。そう、時にはワーカー同士が戦う事だってある。
 フォーサイトの面々も闘技場でモンスターと戦ったことは昔あった。そのときの光景――待合室から通路を通り闘技場に出る、その途中の通路とこの場所は、確かに雰囲気やその他で類似しているところがある。

「なら、奥は闘技場ですね」

 ロバーデイクが格子戸の方を指差す。

「だろうな。ここに転移したってことは……そういうことだろうな」

 闘技場に出て来いという意味だろう。そこで待つのは何かまでは想像もつかないが。

「――危険。転移の罠なんか聞いたことが無い。いまだ未知の魔法を使うことができる存在がいるのか、もしくはかなり進んだ魔法技術を持つ者がいるのか。どちらにしてもこの墳墓を根城にしている存在を敵にするのは危険」

 魔法技術に関する知識は殆ど無い者だって、転移という魔法がどれほど高位なのかは知っている。そんなものを罠のように発動させるとなると、それを仕掛けた者の魔法に関する知識がどれほど優れたものか想像がつく。そうではなく未知の――アルシェすら知らない魔法による移動を行ったとしたら、完全に相手の実力の予測が出来ない。
 つまりはどちらにせよ敵対するということは、危険極まりない博打のような行為だ。

 しかしながら土足で入り込んだ者に対し、好意的に対応してくれる者は少ない。いやいないと言い切ってもおかしくは無い。ナザリック大地下墳墓に入り込んだ瞬間、ヘッケランたちの運命は半分決まったようなものだ。願わくは、墳墓に仕掛けられた罠が、現在住む者たちが仕掛けたもので無いことだ。昔の罠をそのまま使っているというなら、まだ生き残れる可能性が出来るのだから。

「――もしかすると500年前の遺跡なのかもしれない」
「ああ。昔、進んだ魔法技術があったっていう奴ですか」
「大陸を支配し、直ぐに滅びた国。現在は首都のみが残るという?」
「――8欲王。この世界に魔法を広めたといわれる存在。あの時代のものであればもしかすると……」

 フォーサイトの面々は顔を見合わせ、息を吐く。このままここで揉めていても仕方が無い。結論を出す必要がある。

「……向こうを調べてみますか?」
「行くまでも無いでしょ。どうせ封鎖されてると思うけどね」
「道は1つしかないな。勝者には生を与えてくれる興行主がいることを祈るだけと」

 ヘッケランの言葉が方針を固める。
 ヘッケランを先頭にロバーデイク、イミーナ、アルシェと続く。
 格子戸に近づくと勢い良く上に持ち上がった。それを潜り抜けたフォーサイトの視界に映るものは、何層にもなっている客席が中央の空間を取り囲む場所。

 まさに闘技場だ。
 長径188メートル、短径156メートルの楕円形で、高さは48メートル。帝国の闘技場と比べても遜色が無い。いやもしかしたらこちらの方が上かもしれない作りだ。様々な箇所に《コンティニュアル・ライト/永続光》の魔法が掛かり、その白い光を周囲に放っていた。
 そのため真昼のごとく周囲が見渡せる。
 客席を見たフォーサイトの面々は驚き、口ごもる。

 無数の客席には無数の土くれ。ゴーレムといわれる人形が座っていたためだ。

 ゴーレムとは主人の命令を受け、忠実に動く魔法的な手段によって生み出される無生物のことだ。食事も睡眠も疲労も、そして老化さえしないそれは、門番や警備兵や労働者として非常に重宝されるものである。製作するのは非常に時間と費用が掛かるために、命令を入力する前であれば、最も弱いものでもかなりの高額での売買となるものだ。
 ワーカーとして名の知れているヘッケランたちでさえ、ゴーレムを買うとなると結構大変だろう。それだけ高額が付くものなのだ。
 それがこの闘技場にいたっては、無数に並んでいる。その光景はこの闘技場を保有する者が、どれだけの金を持つか、そしてどれだけ寂しいものなのかを意味する記号のようにヘッケランたちには思われたのだ。

 互いの顔を見合わせ、静まり返った闘技場にヘッケランたちはその身を入れる。

「外?」

 イミーナの声に反応し、空を見上げてみるとそこに浮かんでいるのは夜空だった。周囲の明かりが強いため、星々の輝きが邪魔されて見通すことが出来ないが、それでも闘技場の上に広がるのが夜空だというのは間違いが無い。

「外に転移したってことか?」
「――なら、飛行の魔法で逃げれば――」
「とあ!」

 貴賓席があると思われるテラスのような場所。その場所から跳躍する影が1つ。
 6階だての建物に匹敵する高さから飛び降りた影は、中空で一回転をすると羽根でもはえているように軽やかに大地に舞い降りる。そこに魔法の働きは無い。単純な肉体能力での技巧だ。盗賊でもあるイミーナが驚くほどの見事な動きだった。
 足を軽く曲げるだけで衝撃を完全に受け殺したその影は、自慢げな表情を見せた。

 そこに降り立ったのは1人のダークエルフの少女だ。
 金の絹のような髪から突き出した長い耳をピクピクと動かし、太陽のようなという言葉が似合いそうな満面の笑みを浮かべている。
 上下共に皮鎧の上から漆黒と真紅の竜鱗を貼り付けたぴっちりとした軽装鎧を纏い、さらにその上に白地に金糸の入ったベスト。胸地には何らかの紋様が入っていた。
 その色の違う瞳を見た、イミーナが驚きの声を上げる。

「お――」
「挑戦者入ってきました!」

 ダークエルフのその明るい声に合わせ、どんどんと闘技場が揺れるような音がする。
 周囲を見渡せば、今まで一切動いていなかったゴーレムたちが、足を踏み鳴らしているところだった。

「挑戦者はナザリック大地下墳墓に侵入した命知らずの愚か者達4人! そして、それに対戦するのはこのナザリック大地下墳墓の主、偉大にして至高なる死の王。アインズ・ウール・ゴウン様!」

 ダークエルフの言葉に反応し、向かいの扉が開く。扉が完全に開ききり、薄暗い通路から闘技場へと姿を見せる者。それは一言で表すなら骸骨である。
 ほぼ白骨化した頭部。ただ、その空虚な眼窟には意志たる赤い炎が灯っている。
 漆黒に輝き、金と紫色の紋様が入ったかなり高価そうなフルプレートメイルを纏い、右手には抜き身の剣をぶら下げていた。

 どんどんという足踏みが止まると、拍手へと変わった。
 それはまさに王者を迎え入れるものだ。

 周囲のゴーレムたちによって生じる、鳴り止まない万雷の拍手の中、骸骨のような存在がゆっくりと入ってくる。その手に持つ武器や装備で、これから行われることは一目瞭然だ。

「――申し訳ない」

 アルシェが呟く。

「――私の所為でこんなことになった」

 これから行われる戦闘は恐らくはフォーサイト始まって以来の激戦だろう。もしかすると死者が出るかもしれないほどの。そしてそんな状況に追い込まれたのも、元をただせばアルシェの借金が原因だ。アレがなければこんな情報の足りない墳墓に来るという仕事は降りただろう。
 つまりはアルシェの所為で仲間が死ぬかもしれないのだ。

「気にするな」
「ですね。皆で決めて選んだ仕事です。あなただけの所為ではないですよ」
「そーいうことよ」

 ヘッケランとロバーデイクが笑いかけ、イミーナが最後にアルシェの頭を撫で回す。

「さて、まずは無理だとは思うが対話してみるか」

 アインズは闘技場に入り、剣を持たない手を振るう。それは何かを払うような動作にも似ていた。
 静寂が舞い降りる。全てのゴーレムの拍手が一瞬で止み、耳に痛いほどの静寂が戻ったのだ。ゆっくりと歩いてくるアインズに向き直ると、ヘッケランは真剣な声を出す。

「まずは謝罪をさせていただきたい――」
「……アインズ・ウール・ゴウンです」
「――アインズ・ウール・ゴウン殿」

 アインズは立ち止まると、剣を肩に乗せ、その先を待つように顎をしゃくる。

「この墳墓にあなたに無断で入り込んだことに関して謝罪させていただきたいと思います。不法侵入したことを許してもらえるのなら、それに相応しいだけの謝罪金として金銭をお支払いしたい」

 暫しの沈黙が流れる。それからふうっとアインズはため息をついた。無論、アンデッドたるアインズに呼吸をする必要は無い。そのためそういう行為を行ったというだけではある。

「ナザリックに許可なく土足で入り込んだ者に対し、無事に帰したことは私達が占拠して以来一度も無い。例えお前達が勘違いしてようが、知らなかっただろうが関係は無い。その命を持って愚かさを償え」

 それだけ言うとアインズは剣を肩から下ろし、戦闘体勢に移行しようと動き出す。

「もし許可があったとしたら?」

 ぴたりとまるで凍りついたようにアインズの動きが止まる。そこから感じられるのは強い動揺だ。ヘッケランは自分の何気ない言葉がそれほどの影響を与えたことに内心驚くが、それは表情には出さない。確実に敵対しかないだろうと思われた道に、わき道が突如現れたのだ。これを利用しない手は無い。

「……何?」

 消え去るような小さな声でアインズが尋ね返す。

「もし許可があったとしたら?」
「……馬鹿な……いや……可能性は無いわけではない? ならば何故……ここに……」

 動揺からか、アインズは頭を振りつつ思考の海に飛び込む。
 ヘッケランも必死に頭を回す。一体、どんな風に話を持っていけば最も生き残れる可能性が高いかを。

「……誰が許可を出した?」
「あなたがご存知じゃないんですか、彼を」
「彼……?」
「名前までは言っていませんでした。ですがなかなか大きな化け物の外見をしていましたよ」
「大きい? それは……」

 ヘッケランはこの危険な綱渡りのゴールが何処になるのか、必死に考える。
 アインズは怪しんでいるが、真実かも知れない――真実だと思いたいという2つの葛藤の間に挟まって動けないような状況だ。だからこそ踏み込んで質問をしてこないのだろう。

「どんな外見だ、言ってみろ」
「……てかてかしていましたね」
「てかてか……?」

 再び考え出すアインズにヘッケランはまた危ない状況を切り抜けられたことに、内心で安堵の息を吐く。

「どんなことを言っていた?」
「ナザリック大地下墳墓にいるアインズによろしく頼むといっていましたね」
「……アインズ?」

 ピタリと動きが止まる。ヘッケランは不味いことを言ったかと表情を引き締める。

「……アインズによろしくと言ったんだな?」
「ええ」
「くはははははは!」

 ヘッケランの答えを聞いて、アインズは高らかに笑う。それは気持ちの良いものではない。ドロドロとした熱を発する激しいものだ。

「……愚か者だ。俺は愚か者だ。こんな馬鹿どもに騙される、俺は最も馬鹿だ!」

 ピタリと動きをアインズは止め、ヘッケランたちを見据える。眼窟の中に宿る、真紅の炎ごとき揺らめきがどす黒い輝きに染まりだす。物理的な圧力すら伴うような視線を受け、ヘッケランたちは一歩後退する。

 そこにあるのは憤怒。
 先ほどまで絶対者と、自らを非常な高みにおいていた者が、激怒のあまりにヘッケランたちと同等のところまで降りてきていた。

 イグノニックに水をかけるという言葉がある。
 イグノニックとは乾燥地帯の草原に生息する、毛の長くふわふわした4足の魔獣だ。頭部には鋭い角を生やし、体長は牛と同等。美味い肉が取れることでも知られている。
 そんな魔獣だが温厚で戦いを好まないおとなしい性格のため、この魔獣を狙っての狩猟はよくあることだ。しかし、そんな魔獣が飼育されないのには理由がある。
 それは水をかけると異常なまでに暴れだすのだ。
 その獰猛さは自らの体躯の数倍にもなる魔獣ですら襲い掛かるほど。
 さらには水を吸った毛は鋼鉄以上の硬度となる。まるで鉄の塊が桁外れの速度で、鋭い角で刺し殺さんとぶつかって行く。そんな戦闘方法を取るのだ。

 イグノニックに水をかける。それは大人しく容易い相手をこちらからわざと激怒させ凶暴化させるという、つまりは馬鹿な行為の例えだ。
 そして今のヘッケランたちにこれ以上相応しい言葉はないだろう。

「クゥ、クズがぁあああああああ!! この俺がぁ!! 俺と仲間達が、共ににぃぃぃいいいいい!! 共にぃい作り上げた俺達の、俺達のナザリックに土足で入り込みぃい!」

 激しい怒りが抑えきれずに言葉に詰まる。アインズはまるで深呼吸をするように肩を動かし、激しく言葉を続ける。

「さらにわぁあ! 友の、俺のもっ、最も大切な仲間の名を騙ろうとするぅう! 糞がぁああ!! 許せるものかぁああああ!!」

 アインズが激しい口調で叫ぶ。その怒りは何処までも収まる様子を見せないほどのもの。
 しかし、ふと急激に静まり返った。
 それはぶつんと何かが切れるような変貌。その急な変わりようは対峙するヘッケランたちですら、異様に感じさせるのに充分だった。

「……激しい感情もまた抑圧されるか」

 まるで他人事のようにアインズは言葉を紡いだ。話している意味が理解できないヘッケランたちに、アインズは微笑みすら浮かべるような穏やかな態度で話しかける。

「この身になってからというもの苦痛や感情というものが、ある程度の域に達すると抑圧されるのだ。例えば右腕を失った状態でお前達は戦闘できるか? 激しい苦痛に襲われ、戦闘行為が一切取れない可能性もある、そうだな? しかし私は違う。右腕を失ったとしても問題なく戦闘行動を取れるだろう。それはある一定以上の痛みを感じないためだ。腕を切断された痛みが、せいぜい腕を軽く打った程度の痛みで抑えられるというのかな? それが感情にも言えるんだ。激しい怒りは押さえ込まれ、すぐに冷静さを取り戻す。とはいえ……抑えられた結果の弱い怒りは長く持続するのだがな」

 アインズはそれだけ言うと話は終わりだといわんばかりの態度を示す。それは持っていた剣を強く握り締め、足幅を少し広めに取る――戦闘姿勢だ。

「アウラ」
「はい、アインズ様」

 今まで静かに様子を伺っていた少女が口を開く。ヘッケランたちに向ける視線には敵意の色が見えた。つまりはあの少女も掛かってくるのかと、ヘッケランたちはダークエルフの少女に対しても構える。

「では予定通り下がっていろ。後片付けのみ頼む」
「畏まりました」

 アウラは後ろに下がり、アインズのみが対峙する。

「さて、はじめようか」


 アインズという戦士と対峙し、ヘッケランが最初に思ったことは目の前の敵が戦士や剣士ではないと言うことだ。どちらかと言えば魔獣のような、その優れた肉体能力で押してくる敵に感じられた。
 それは無造作な立ち方であり、身構えからだ。いうなら素人の雰囲気なのだ。しかし相対し感じる重圧は強大。人間大の体躯が膨れ上がり、圧し掛かってくるようだった。
 こういった存在を敵に回した場合、恐ろしいのは一気に畳み掛けて来た場合だ。

「来ないのか? なら行くぞ?」

 その言葉と共にアインズが踏み込む。そして大上段からの大振りの攻撃。
 破壊力はあるが、その分隙だらけのはずの攻撃はアインズという桁外れの肉体能力を持つものが行えば、それはもはや最強の一撃となる。

 ――受けるのは危険。
 高速で迫る剣を感じ取りながら、瞬時にヘッケランは判断する。受ければその破壊力と正面から競いあうこととなる。その場合、肉体能力の差で絶対に押し切られるだろう。
 ならば取る手段は1つ――。

 ギャリと剣が削られるよう嫌な音を残し、アインズの振るった剣は大地に振り下ろされる。
 ――受け流しである。
 たとえどれほどの力が込められていても、受け流せられるなら問題ではない。そして受け流され、大きく体勢の崩れた体がヘッケランの前にある。纏う鎧は恐らくは超一級品。ヘッケランの持つ剣では抜けない可能性がある。ならば狙うはむき出しの頭部。放つは武技――

「ダブル――スラッシュ!」

 双剣が光を走らせ、アインズの頭部に走る。

 ヘッケランの持つ武器は短い。そのために相手の懐に飛び込まなくてはなら無いというリーチの不便さを意味する。しかしながらそれはまた、相手の懐でも剣を振るえるという意味。
 逆に普通の長さの武器ではヘッケランの間合いで、剣を持って防ぐことは困難を極める。

 頭部めがけ疾走する双剣。
 普通の敵ならその一撃を食らうだろう。
 一流の敵ならかすり傷で耐え切るだろう。では――超一級の敵は?

「くぉっ!」

 アインズは奇怪な叫びと共に大きく跳ねのく。自らの頭部に走った剣は左手を上げることで即席の盾とする。金属音が響き、舌打ちをする無傷のアインズ。
 これでガントレット、ひいてはフルプレートメイルが一級品だということが肯定された。

「――《マジック・アロー/魔法の矢》」
「《レッサー・デクスタリティ/下級敏捷力増大》」

 アルシェの魔法が光の矢となりアインズめがけ飛ぶ。ヘッケランの敏捷力を増大させる魔法がロバーデイクから放たれる。

「児戯を!」

 それに対しアインズは見もしない。光弾を完全に無視し、ヘッケランめがけ距離を詰める。
 光の矢がアインズの体に触れる前で弾けて無効化される中、そしてアルシェが驚愕の表情を作る中、アインズは刺突による攻撃を行う。剣の伸びた先にあるのはヘッケランの胸部。
 閃光の速度で剣が伸び、胸を貫くか否かのところで、ヘッケランは体を捻る。ガリガリという音が胸で起こり、断ち切られたチェインシャツの鎖が中空を舞う。
 刹那の見切り。
 いやあまりにもアインズの攻撃が早すぎたために、回避が遅れ、刹那の見切りになってしまったという言い方が正解か。ロバーデイクの魔法の補助が無ければ、不可能だっただろう偶然の行いだ。
 切り裂かれる鎧ごと引っ張られそうになるのをヘッケランは耐え、体勢を維持すると、再び武技を発動させる。

「ダブルスラッシュ!」
「おおっ!」

 身を屈める様な無様な格好でアインズはそれを回避し、詰まった距離を離そうと後ろに下がろうとする。

「逃がす――か!」

 アインズを逃がすまいと、ヘッケランは踏み込む。そのヘッケランの顔の直ぐ横を、音と立て走りさる何か。
 それは矢だ。
 イミーナが放った矢がアインズの顔めがけ飛ぶ。

「ちっ!」

 ヘッケランの後ろから――隠れるように放たれた高速で飛来する矢。それは常人であれば回避は不可能だろう。しかしやはりというべきか、常人ならざる反射神経をもつアインズはギリギリで回避する。

「――《フラッシュ/閃光》」
「《レッサー・ストレングス/下級筋力増大》」

 アインズの前で閃光が弾ける。本来であれば視野を奪われるそれも、アインズにとっては何の意味ももたらさない。ただ、わずらわしさを感じる程度。

「邪魔を!」

 筋力が増大したヘッケランに距離を詰められ、舌打ちをするアインズ。

「――《リーンフォース・アーマー/鎧強化》」
「《アンチイービル・プロテクション/対悪防御》」

 アルシェとロバーデイクの魔法がヘッケランの守りを固める。
 ヘッケランの攻撃を避け、剣で弾き、反撃をしようしたアインズの顔面を狙って再び矢が飛ぶ。

「くそ! また邪魔を!」

 矢をガントレットで払いのけるが、その動きが止まったところに、ヘッケランの攻撃が再び走る。そしてアルシェとロバーデイクの魔法がヘッケランをどんどんと強めていく。


 アインズは強い。
 その人間では到底及ばない肉体能力。魔法に対する耐性。そして纏う一級品の鎧。戦士として欲しいものは全て持っているといえるだろう。
 しかしながら弱点もある。それは強大な肉体能力を保有するものによく見られる、技術というものが無いということだ。いうなら野生の獣だ。全ての攻撃が大振りだし、次の攻撃を考えたものではない。さらにフェイントというものをほぼしてこない愚直な攻撃だ。
 確かに全ての攻撃が一撃必殺という戦士が憧れるようなものであり、人間とは桁が違う。だが、どこに来るというのが分かっていればまだ対処の仕様がある。

 無論、そうだからといっても全てがギリギリの瀬戸際での攻防だ。もし振り降ろされる剣の角度を誤って受け流せば、剣を破壊され、致命的な傷を受けるだろう。薙いでくる剣の間合いと速度をほんの少しでも読み違えれば、真っ二つになっているだろう。
 今まで投げたコインの出目が全て表を出してきたような幸運。それに守られているにしか過ぎない。しかし、それをなしているのはたった1つのこと。それはチームワークである。死地を共に潜り抜け、互いの行動すら把握するだけの仲になったからこそ出来る、1つの――フォーサイトという生き物ごとき行動。

 つまりフォーサイトとして存在するなら、決して敗北は無いということ。

 ヘッケランは僅かに頬に浮かぶ笑みをかき消す。
 少しずつだが剣が届くようになってきた。いまだアインズは無傷である。ただ、その一級品の鎧に、剣はかすりつつある。このまま順調に、緊張感を切らさずに行けば、必ずアインズに致命的な傷を与えることは可能だ。
 そう確信し、双剣を振るう。

「――――!」

 アインズは一閃を転がるように避け、頭部を狙った剣撃を、ガントレットを嵌めた手で弾く。飛来した矢は剣で弾く。アルシェとロバーデイクの魔法がヘッケランを更に強化する。

「くそ!」

 アインズは怒号と共に、剣を破れかぶれのように大きく振るう。無論、人間では到底出すことの出来ない速度でだ。それを避けたことでヘッケランの攻撃が一瞬だけ止むと、後ろに走り距離を取る。
 ヘッケランは追撃をしようかと考え、荒くなりつつあった呼吸を整えることを選択する。アンデッドであるアインズはどれだけ行動しても疲労することが無いが、人間であるヘッケランたちは徐々に疲労していく。持久戦になったら不利なのだ。休めるときに休むのが正しい。

「どうしてだ?」

 距離を取ったアインズは、不思議そうに呟いた。

「何故、こいつらは死なない?」
「はぁ?」

 死ぬことが確定のようなアインズの言葉。確かにアインズの戦闘能力は高い。だが、それでも当たり前のように言われればヘッケランでなくとも腹が立つだろう。

「コキュートス!」

 その言葉に反応したのは貴賓席。そこからアウラと同じように――だが、まるで違う異形が舞い降りた。
 それは白銀の塊である。周囲にある無数の明かりを反射し、きらきらと輝く。
 そんな2.5メートルほどの巨体は、二足歩行の昆虫を思わせた。悪魔が歪めきった蟷螂と蟻の融合体がいたとしたらこんな感じだろうか。全身を包む白銀に輝く硬質そうな外骨格には冷気が纏わり付き、ダイアモンドダストのようなきらめきが無数に起こっていた。
 跪こうとするコキュートスをアインズは止める。

 アインズをはるかに勝るような異形の存在。それの登場に、フォーサイトの面々は戦慄する。アインズ1人でもこの有様なのに、これ以上増えた場合、勝算は無いに等しいから。

「……聞かせろ、コキュートス。何でこいつらは生きているんだ?」

 だが、そんなフォーサイトの面々を無視し、アインズは現れた異形――コキュートスと話す。

「私は33レベルの戦士に匹敵する能力を有しているはずだ。それから考えればこいつらを容易く殺したとしてもおかしくは無いはずだな、コキュートス。それなのに未だ殺しきれていない。それもたった1人もだ。何故だ、コキュートス。お前が推測したこいつらのレベルが実は外れていたのか? いくら私の単純な肉体戦闘能力を確かめるため、殆どの装備を外しているとはいえども、これは無いだろう?」
「彼ラノ能力的ナ面ハ、私ノ予測ノ範疇カラハ外レテハオリマセン」
「では、なんだ? 何故殺せない?」
「ソレハ経験ノ差デス。アインズ様ノ能力ナラ確カニ彼ラヲ容易ク殺セルデショウ。デスガ、全テヲ使イコナシテイルワケデハナイタメデス。全力ヲ出シ切レテナイ以上、彼ラヲ容易ク殺スコトハ出来ナイカト」
「持っている全ての能力を使いこなせてないから?」
「左様デス」
「なるほど……経験というものはスキルには無いものだからか。ふむ……なるほど、ならば私の成長計画と矛盾は生じないか。データとして存在しながらも経験が無いということは、逆説的には経験は積み上げることが出来るということ。なるほど……経験か」

 幾度となく頷き、満足したようなそぶりを見せたアインズは、再びフォーサイトと向き直った。
 その雰囲気の変化を感じ取り、ヘッケランは嫌な予感を覚える。

 いくつもの死線をくぐったことによって鍛えられた直感が騒ぎ立てるのだ。危険だと。

「鎧を脱ぐ」

 アインズは独り言のように呟く。
 それに対するフォーサイトの面々の思いは『何をこいつは言ってるんだ』、それだけだ。

 フルプレートメイルというのは着脱に非常に時間のかかる代物である。誰かの手助けが会ったとしても3分は掛かる。それを1人で脱ぐというならもっと時間が掛かるだろう。大体、戦士が自らの体を守る鎧を脱ぐということにメリットがあるのだろうか。
 剣を抜いた者がいる前で鎧を脱ぐという考えが信じられず、フォーサイトの面々は呆れたようにアインズを見つめる。いや半分以上馬鹿にしていると言っても良い。攻撃を仕掛けないのは、ヘッケランが動こうと微かに腕を動かした瞬間、コキュートスが同じように腕を動かしたからだ。
 それは牽制である。
 そちらが動くなら、こちらも動く。そういう意志を見せられてなお、動くことはできない。

 だからアインズが鎧を脱ぎだす、愚かな光景を黙って見つめるということで、無言の内に行動方針を固める。敵の前でのんびり鎧を脱ぐ者をあざ笑ってやればいい。そう考え、フォーサイトの面々が浮かべていた光景は容易く覆された。

 アインズは無造作に手を振った。――その瞬間、鎧から黒い蒸気が噴きあがる。
 そして起こった出来事にヘッケランたちが驚くよりも早く、アインズの鎧は完全に消え去っていた。そう、それはまるで鎧が蒸気を固めて作っていたかのような、そんな光景だった。
 全身が晒される。
 黒い長ズボンは仕立ての良いもので、銀糸を使って脇に奇妙な紋様が描かれていた。それに対して上半身は裸である。
 頭部と腕部は完全に骨だけとなっている。肋骨部分には肉のこそぎ落ちた皮のみが、こびり付くようについていた。その下、腹部はがらんどうで背骨が見える。そんな肋骨の終わるぐらいのところ。その奥――心臓にしては下すぎる位置に、脈動する赤黒い球体が入り込んでいた。
 動くたびに首から下げた金のシンボルをぶら下げたネックレスが揺れる。

「……な、なにが?」
「嘘。魔法で作っていた?」
「そういう特殊能力を保有する魔法の鎧じゃないの?」

 口々に騒ぎ立てるヘッケランたちを無視し、アインズは剣を放り投げた。投げ出された剣は、闘技場の大地に転がり、鈍い輝きを放つ。
 それを目にし、再び、ヘッケランたちは大口を開けた。
 剣を捨てる――それは敗北を受け入れたものがする行為。ただ、アインズの態度にはどこにも敗北の色は無いし、敗北したと認める状況でもなかったはずだ。
 そのためヘッケランはアインズが何を考えているのか分からず、困惑する。しかしながらいつまでもアインズの行動を伺っているわけにもいかないだろう。そのため、覚悟を決めて尋ねることとする。

「……何を?」

 それに対してアインズは薄く笑った。そしてゆっくりと腕を広げる。それは信者を受け入れる天使のような、わが子を抱きしめる母親のような、そんな優しく抱きしめるような腕の開き方で。

「何をしようというのか分からないか? ならば言葉にしてやろう」

 アインズはニンマリと哂う。

「遊んでやる。掛かって来い、ニンゲンども――」


 空気が変わった――。
 先ほどまでのアインズとは雰囲気がまるで変わっている。本来であれば武器――装備品を放棄すれば、その分弱体化するはずだ。しかしながら目の前にいるアインズは先ほどよりも強大な存在になったようにヘッケランには感じられた。そう、まるで一回り以上体格が大きくなったような、そんな威圧感に襲われる。
 剣を放棄することで自信をみなぎらす存在。
 それから考えられる答えは2つぐらいなもの。1つはモンクのような自らの肉体を武器とするもの。しかしながらそれにしてはさきほどの戦い方――回避の仕方が慣れたものではなかった。
 そうなるともう1つの可能性――

「――スペルキャスター?!」

 ここへ来て初めてアルシェは思い至る。目の前の存在、アインズ・ウール・ゴウン。それは魔法使いなのではないかと。

 その想像が浮かばなかった理由は簡単だ。誰が自らのチーム最強であり、歴戦の強者であるヘッケランと対等に戦う魔法使いをイメージできるものか。魔法使いは戦士よりも肉体的な面で脆弱なのは至極当然なのだ。体を鍛える時間があるなら、魔法を磨く時間に費やすのものなのだから。そのため戦士と対等に戦える魔法使いは存在しない。
 それが――世界の常識。
 そんな常識を覆す存在。そんなものが目の前にいると誰にわかるだろうか。

 そのため、アルシェの声にあるのは否定して欲しい、拒絶して欲しいという哀願の思いだ。もし肯定された場合その態度にあるのは、アインズは戦士としての自分よりも、魔法使いとしての自分に自信を持っているということになる。
 それがどんな意味を持つか。それは言うまでも無いだろう。

 単純に多少の魔法を使うだけのでもその戦闘能力はぐんと上がる。強化系魔法をいくつか使うだけでも充分強くなれるのは、現在のヘッケランを見るだけで理解できるだろう。
 しかし、アインズの持つ自信はそんな生易しいものではない。アルシェを遥かに超える――そんな絶対的な自信に満ち満ちている。

 しかしながら、アルシェにはそれを否定するだけの理由がある。

「ようやく気づいたのか? 愚かな奴らだな。いや、私の――仲間たちのナザリックに土足で入り込むネズミだ。その程度の知恵しかなくて当然なのかな?」
「――そんなわけがない! あなたからは魔法の力を感じない!」

 アインズは不思議そうに頭を微かにかしげる。それから何かに思い至ったのか、肩をすくめた。

「お前達は魔法使いの魔力を感知することが出来るんだったな?」
「――そう! あなたからはまるで魔力を――」

 そこでアルシェは顔色を変える。ヘッケランたちはアルシェが何故、そこで言葉を止めたのか分からず、不思議そうな表情をした。そんな中、理解したのは敵対しているアインズだ。

「まるで――感じないんだろ? スペルキャスターだと言っている私の魔力が?」

 そうだ。
 その通りだ。アルシェはアインズの魔力を一切感じられない。しかし、これはアインズが神官系統の魔法を使う存在であれば、間違いではない。ただ、そうなるとアインズのスペルキャスターとしての能力は完全に未知になってしまう。

「それはそうだろうな」

 アインズはアルシェに、そしてヘッケランたちに見えるように自らの両手を広げてみせる。ガントレットを先ほどまで填めていた手は、骨しかないアンデッドらしいものだ。その10本の指にはそれぞれ指輪。それも一瞥するだけで魔法の力を込めたと理解できるようなものである。

「この指輪を取れば分かるさ。部下にも貸し出していた奴なんだがな」

 アインズはそう言いながら指輪の1つを外す。そして――

「――おげぇぇぇぇ!」

 アルシェのいる場所から嘔吐する音。殆ど液体の吐瀉物がバチャバチャと闘技場を叩く。酸味がかった匂いが辺りに漂いだす。

「なにをしたの!」

 アルシェの背中を摩ろうと走り出したイミーナが、アインズが何かをしたのかと睨みつける。それに対し、アインズは正直困惑したように、だが不快気に言う。

「何をしてるんだ、この女? 突然吐くとは、失礼にしても限度があるだろうが」
「――皆、逃げて!」

 瞳の端に涙を浮かべたアルシェが叫ぶ。

「そいつは化け――おえぇええ!」

 再び耐えられないようにアルシェが吐き出す中、ヘッケランたちは理解する。アルシェが吐いた理由を。
 アインズという前に立つ存在が何かをしたわけではない。あまりの緊張と恐怖、そしてアインズの持つ膨大な魔力に耐え切れず、アルシェが吐き出したのだ。
 つまりそれは――

「――勝てるわけが無い! 力の桁が違う! 化け物なんていう言葉で収まる存在なんかじゃない!」

 泣く子供のようなアルシェの叫び。

「ようやく気づいたということか」アインズは嘲笑う。「しかし、逃がさないがな」
「――無理無理無理!」

 発狂したように頭を振るアルシェを抱きしめるイミーナ。

「落ち着いて! ロバーデイク!」
「分かってます! 《ライオンズ・ハート/獅子ごとき心》」

 ロバーデイクの魔法が飛び、恐怖状態から和らいだアルシェが心配するイミーナから離れ、生まれたばかりの子鹿のようによたよたとした足つきで杖を構える。

「――皆、逃げるべき。あれは勝てる存在じゃない」
「……了解したぜ、アルシェ」
「ええ、よく分かりました」
「ああ。アレが凄い化け物だってね」

 既に3人ともアルシェの豹変を受け、警戒のレベルを最大限まで上げている。
 先ほどよりも更に神経を尖らせ、フォーサイトの面々はアインズを睨む。ほんの一瞬でも視線を動かすこと、それが命取りになると理解した表情で。

「しかし逃げられねぇ」
「後ろを見せるのは危険だしね」
「少しでも時間を稼げる手段を見つけないといけませんね」
「……来ないのか?」

 アインズの挑発にヘッケランは乗らない。敵の戦闘能力はアルシェの態度からして、今までで遭遇したどんな存在よりも上位だと簡単に予測がつく。勝利を考えて行動するのではなく、逃げるための時間を稼ぐように行動する。
 ならば狙いは一点。
 魔法を唱え始めた――最も魔法使いが無防備なる瞬間。
 確かにアインズは戦士としての能力にも優れている、だからこそそれに全てを賭けるしかない。無詠唱化されてしまえば終わりな、このちっぽけな可能性に。
 つがえた矢を引き絞るように、ヘッケランは体全身の力をばねの様に溜め込み始める。

「ではこちらから行くとしよう」

 アインズがゆっくりと手を動かし――

 ――今だ!
 ヘッケランという矢は放たれる。恐らくはその踏み込みはヘッケランが今まで行ってきたどんな踏み込みよりも早いだろう。蹴り上げた足によって大地が噴きあがる、そんな踏み込みだ。

 刹那。
 まるで転移したような速度で急激に目の前に迫る刃をものともせず、アインズは魔法を1つ唱えた。

《――/――》



 アインズの目の前数センチにまで迫った刃は、何に触れることなく空を斬る。そして――ヘッケランは内部から破裂した。
 吹き上がった血や肉片が、闘技場の大地に広く飛散した。

 何が起こったのか。
 ロバーデイクもイミーナもアルシェも理解できなかった。アインズという目標を失い、踏み込んだ速度を殺しきれずに、ヘッケランが飛び込むように闘技場の大地に転がってなお、理解できなかったのだ。
 大地に転がってピクリとも動かなくなっても。目に鮮やかなピンク色の肉片が遅れて地面に落ちてきたも。転倒したショックで仰向けに転がり、その頭部の失った体を晒しても。
 そう、一言も無く、チームリーダーであり頼れる男であるヘッケランが、死んだなんて理解できなかったのだ。

「ヘ、ヘッケラン?」

 イミーナの呟き。そこで初めてロバーデイクが我に返る。ヘッケランが向かった先にいたはずのアインズ。あれはどこに消えたのかと。慌てて頭を振って探すロバーデイクの視線がアインズの姿を捕らえる。そして絶句――。
 アインズがいたのは全員の後ろ。最後尾であるアルシェの背後。そこでゆっくりと手を振り上げ――その手には金属の輝き。

「ア――!」

 ロバーデイクが叫ぶより早く、アインズの手に持っていたナイフがアルシェの肩に振り下ろされる――。

「――ぎぃいい」

 突然生まれる激痛。それにアルシェは悲鳴を上げる。何が起こったのか、何で痛いのか。わけの分からないアルシェは混乱し、体をくねらせる。そして逃げる。体を竦ませ、ロバーデイクの方へ。
 走り出す瞬間、新たな苦痛が生まれるが、アルシェはかみ堪える。

「……やはり罪悪感というものはこれっぽちも感じないか……。これは人間に対する親近感がなくなったことに対するものなのか? それとも人間性の希薄化によるものか。……だが、あの娘に対する哀れみが合ったから助けに行ったわけで。とすると余裕があるときや完全に第三者に対しては、上から見下ろすという意味で慈悲をかけられるということなのかな?」

 逃げ出したアルシェを追おうとはせずに、血に濡れたナイフに指を這わせながら、ぶつぶつとアインズは呟く。
 話している意味はまるで分からないし、アインズも知ってもらおうと思って話しているのではないだろう。

 アインズのナイフに落としていた視線が動く。向けられた先にいるのは治癒の魔法を使い、アルシェを癒しているロバーデイク。

「まぁ、いいか。とりあえずお前達を掃除する方が先だ」

 アインズの手から落ちたナイフが中空で靄のように消えていく。それは先ほどの鎧のように。

「一体、何をしたんですか?」

 震える声でロバーデイクは尋ねる。
 転移の魔法を使用し、アルシェの後ろに回った。それからロバーデイクたちが混乱している間にナイフを準備する。そこまではまだ理解できる。
 第6位階の魔法すら使う化け物だと理解したうえで。

 ではヘッケランを殺したのはどうやってだ。転移の魔法を使うと同時にヘッケランを殺す魔法を使ったというのか。そんな時間は決してなかった。

「不思議か? 大したことはして無いんだがな」

 アインズは種を明かす。その生き残っている面々の心をへし折るような答えを。

「最初に第10位階魔法《タイム・ストップ/時間停止》。そして第8位階魔法《エクスプロード/破裂》をその男に」転がったヘッケランにアインズは指を向ける「それから第3位階魔法《ディメンジョナル・ムーブ/次元の移動》で後ろに回って、第7位階魔法《クリエイト・グレーター・アイテム/上位道具創造》でナイフを作っただけだ」

 大したことが無いだろ? そう続けるアインズ。
 空間が凍ったような静寂。それはロバーデイクたちが形容しがたい恐怖に襲われたため。そんな中、必死に――必死に勇気を振り絞りイミーナは尋ねる。

「……時間を止めたの? だ、第10位階魔法を使って……?」
「そうだ。時間対策は必須だぞ? お前達が70レベルになる頃には用意しておかなくてはならないものだな」

 ガチガチと歯が音を立てる。それはイミーナだけではなく、アルシェ、ロバーデイクもだ。

 嘘だ。そう叫べれば幸せだ。目の前の化け物――というよりは神の領域に立つ存在の言葉を全て否定して、耳を塞いで蹲れればどれだけ楽になれるか。

 確かにかなり強いというのは理解できていた。特にアルシェにとっては。しかしそれでもここまでの存在だとは理解できてなかったのだ。
 第10位階魔法。神すらも到達できない位階。そんなものの存在は机上の空論でしかない。8欲王が使ったとされるそれは、存在の確認がされなかったため、そうでしかなかったはずだ、今の今まで。
 そしてそれを使って時を止める。もはや詰まらない冗談のような世界だ。

 時を止められるような存在。人が決して支配することも制御することも出来ないはずの時の流れ。それを操る者を相手にどうしろというのか。剣一本持って大森林の木を全て切り倒せといわれた方がまだ出来る可能性があるではないか。
 アインズ・ウール・ゴウン。
 それは人という種では決して勝ち得ぬ存在だ。

「アルシェ! 逃げなさい」

 ロバーデイクが膝を付かないのは、未だ戦おうという勇気がわくのは仲間に対する思いからだ。

「空を見なさい! ここは恐らく外です。飛んで逃げれば逃げられる可能性もあります! あなただけでも逃げなさい! 時間を1分……いや10秒は稼いでみせます!」

 両手でメイスを握り締め――


 ――ポンとロバーデイクの肩が叩かれる。

「っあ……」

 ロバーデイクの体が動きを止める。誰が肩を叩いたか見なくても分かるために。目の前にいたはずの存在――アインズ・ウール・ゴウン。時の流れすら操作できる神ごとき存在。それがいつの間にか視界から消えているのだから。
 肩に掛かった手から冷気が流れ込んできて、氷の彫像になった。そんな気さえするほど体の自由が利かない。

「――無理だがね?」

 優しい――敵意を一片も感じさせない声がロバーデイクに投げかけられる。メイスが力無くロバーデイクの元から離れ、大地に落ちる――。

「今は何をしたか聞きたいかね?」硬直し、誰も動けない中、機嫌よくアインズは種明かしをする「無詠唱化した《タイム・ストップ/時間停止》を使っただけだとも。大したことが無いだろ? ただ、10秒も時間を稼ぐのは無理だと思うぞ?」

 さて、とアインズは呟き、戦意を失いつつある3人を眺める。

「……そうだ。いいことを考えた。誰か1人だけ逃げるチャンスを上げようじゃないか。逃げるならそこを走っていくといい。ただし逃げる者を後ろから追いかけるものがいる。逃げ切れなかったら……まぁ可哀想なことになるね。――アウラ、出口の扉を開けてあげなさい」
「了解しました」

 アインズはロバーデイクたちが入ってきた方向を指差す。アウラがとんと飛び上がると、靴がほのかな光を発し、その姿がかき消える。

「さぁ、アウラは転移して扉を開けてるだろう。行くならどうぞ。仲間を見捨てて行くといい。さて誰が逃げるのかね?」

 アインズが手を向ける。その顔に浮かんだ表情は邪悪そのもの。誰が逃げるのか、非常に楽しみにしているといわんばかりの顔だ。恐らくは仲間割れをするのを見たいのだろう。
 確かに冒険者と違い、ワーカーチームは金銭的な面での結びつきが強いチームも多い。
 しかし、フォーサイトは違う。

「……アルシェ行きなさい」
「そうよ、行きなさい」イミーナが微笑んだ。「私達は互いしかいないけど、あなたは妹さんがいるんでしょ? なら私達を見捨てていきなさい。それがあなたのすべきことよ」
「――そんなの! 私のせいで!」

 ロバーデイクはアインズに即座に攻撃する意志が無いのを見て取ると、アルシェの元に歩く。そして懐から小さな皮袋を握らせる。

「大丈夫ですよ。あのアインズという化け物を倒してあなたを追いかけますよ」
「そうよねー。そのときはあなたの奢りで一杯ね」

 イミーナも小さな皮袋を取り出すとそれを握らせる。
 それがどういう意味を持つのか。横から見ているアインズには分からないが、アルシェには分かる。ロバーデイクはヘッケランの死体の元まで行くと同じような皮袋を取り出し、それをアルシェに放った。

「一言だけ言わせて貰うが、私は最初にそのこそ泥を殺すと約束する」

 もはやアルシェが逃げることが決まりつつある中、不満げにアインズは3人に口を挟む。喧嘩も何もなく、綺麗に決めていったことが不快なのだ。そんなアインズに対し、3人はチラリと見る程度だ。いや、アルシェのみがイミーナを凝視している。
 イミーナはアルシェに対し微笑む。その透き通ったような笑みを、横から見ていたコキュートスが数度軽く頭を振った。

「……さぁ、行ってください。それと宿に預けてるお金好きにしていいですから」
「私もね」
「……じかいじた。ざぎにいってる」

 無論、3人とも信じていない。
 アインズという想像を絶する存在を倒せるなんて、これっぽちも思っていない。これが最後の別れだと知っているアルシェの言葉はもはや言葉にならず、殆ど嗚咽のようだった。アルシェは魔法を唱え始める。

「上空はモンスターがいるから逃げたとしても捕まるぞ」
「――《フライ/飛行》」

 アインズの忠告を無視し、アルシェは魔法を発動させる。そして最後に仲間を一瞥すると、無言で地表を飛行していく。

「……あぁ、そうか。走るより早いし、疲労しないからな」アインズは忘れていたというといわんばかり態度を見せる。「しかし、仲間割れもしないでよく決めたな。もっとこそ泥に相応しい見苦しい行動をするかと思っていたぞ」
「彼女が最も逃げられる可能性が高いですから」
「そうよ。外なんだから飛行の魔法を使えるあの娘こそ、最も逃げ足が速いからね」
「……外ねぇ」

 ふいっとアインズは星の浮かぶ空を眺め、ニタリと哂う。その哂いに2人は嫌な予感を覚えた。

「良い事を教え――」
「――アインズ様」
「どうした、コキュートス」

 突如口を挟んだコキュートスに、アインズは多少不快げに、されど親しみを込めて尋ねる。

「今殺セバ、彼女ノ元マデ悲鳴ガ聞コエルカトト思イマス」
「おお! コキュートスも恐ろしいことを考える。しかし実の所、飛行の魔法の移動力はかなり高いんだ。残念だが、難しいだろうな。良いアイデアを出してくれたこと感謝するぞ、コキュートス」
「アリガトウゴザイマス」
「……まぁ、確かに大声で泣いたら聞こえるかも知れんな。では、さっさとそのこそ泥を殺すか。この世にお別れを告げる覚悟は出来たか?」

 ロバーデイクがメイスを拾い上げ、アインズに近寄る。自らの直ぐ前に立つロバーデイクにアインズは薄く笑い掛ける。
 イミーナはふぅーと長く息を吐き――

「――あああああ!!」

 ――箍が外れたような叫び声と共に、イミーナが矢を引き絞る。そして――放つ。ロバーデイクがすぐ側にいるとはいえ、誤って命中させてしまうほど下手で無い。この距離なら百発百中だ。
 しかし――飛来した矢はアインズの前でまるで壁でもあるかのように弾かれる。

「無駄なことだな。だが少し……遊ぶか。《トリプレットマジック・グレーター・マジックアキュリレイション/魔法三重化・上位魔法蓄積》」

 3つの魔法陣がアインズの前に浮かび上がる。

「うぉおおおお!」

 似合わないような雄叫びを上げ、アインズの顔面にロバーデイクのメイスが叩き込まれる。何も考えない全力の一撃。アインズが回避するわけが無いという思いから、全身の力を込めた一撃だ。
 しかし、それは容易く弾かれる。メイスを握る手首に負担が跳ね返ったため激痛を感じ、ロバーデイクはメイスを落とす。アインズはそんなロバーデイクに一瞥すらしない。そんな価値すらないという態度だ。

「《トリプレットマキシマイズマジック・マジック・アロー/魔法三重最強化・魔法の矢》」

 アインズは中空に浮かんだ魔方陣の1つに魔法を込める。

「《ミドル・キュアウーンズ/中傷治癒》!」

 ロバーデイクの治癒魔法がアインズに飛ぶ。アンデッドは治癒系の魔法で逆に傷を受けるためだ。しかしそれもまた前にアルシェが使った攻撃魔法のように、まるで見えざる壁があるかのように効果を発揮しない。

「《トリプレットマキシマイズマジック・マジック・アロー/魔法三重最強化・魔法の矢》」

 完全に2人の攻撃を無視し、再び魔方陣に魔法を込めるアインズ。
 飛来した矢がアインズの顔面に突き立とうとして、やはり弾き返される。それを見たイミーナが弓を投げ捨てる。もはや飛び道具は効果が無いと判断してだ。

「《トリプレットマキシマイズマジック・マジック・アロー/魔法三重最強化・魔法の矢》」
「《マジック・ウェポン/武器魔化》」

 抜き放ったショートソードを腰に構え、突撃するイミーナにロバーデイクは魔法をかける。そして最後の魔方陣に魔法を込め終わったアインズに突き立てる。
 そして――容易く弾かれる。

 驚きながらも、内心で予測もしていたのだろう。寂しげな笑顔を浮かべたイミーナにアインズは指を突きつける。ロバーデイクが間に割り込もうとしているが、アインズの魔法の発動はそれよりはるかに早い。

「ご苦労様――《トリプレットマキシマイズマジック・マジック・アロー/魔法三重最強化・魔法の矢》そして《リリース/解放》」
「あっ……天使」

 放たれたのは魔方陣から90、アインズから30、計120本にもなる光弾。
 それが弧を描きながらタイミングよく殺到する様は、イミーナが呟いたように天使の翼のように見えた。しかし、それはそんなに慈悲のあるものではない。
 殴打。殴打。殴打。殴打――。
 頭を、胸を、腹を、腕を、足を、顔を、股間を――。

 120の光弾。それはイミーナの全身を殴打する魔法の力だ。イミーナが吹き飛んだ後も餌に群がる魚のように、光弾はイミーナの肉体に叩き込まれる。イミーナが意識を失ったのはどの段階なのか。
 棍棒で殴打されるような痛みの中、決して声を上げない。骨が砕け、内臓が破裂しても、苦痛の声は上げない。

 ほんの一瞬。
 イミーナがいた場所には誰もいない。僅か後方に薄く広がったミンチ肉が転がるばかり。鎧はひしゃげ、着用していたものは血と肉の中にガラクタとして混じっていた。

「イミーナ……!」
「仲間と共に築いたものを漁る、薄汚い盗賊にしては豪華な死だ」

 つまらなそうに吐き捨てるアインズに、ロバーデイクは怒りに満ちた表情で睨む。もはや憤怒という言葉しかその顔には無い。70センチ程度の距離でロバーデイクは、憎悪のみの目でアインズの空虚な眼窟を睨む。
 そんなどんな人間でも離れたくなるだろう視線を受けても、アインズはなんとも思わない。いや、思うような精神構造はしていない。
 ロバーデイクは拳を握り締め、叩き込む。狙うは一点。アインズの肋骨の終わる場所辺りで脈動する球体だ。
 それはそこが弱点だという予測からの一撃。

 拳が吸い込まれるように叩き込まれ――けたたましい破裂音が響く。

 すさまじい衝撃を受け、ロバーデイクの拳が弾き返る。その反動で想像を絶する巨大な力の反撃を受け、完全に破壊されたロバーデイクのガントレットが大地に落ちた。
 よたよたとアインズから後退するように下がり、ロバーデイクは驚愕の顔で拳を見つめる。ガントレットがガラクタになるほどの破壊の力を受けながら、その下にあったロバーデイクの拳にはかすり傷1つ付いていない。あまりにも異常な事態だ。しかしながらアインズという存在を考えれば、なんとなくだがこの結果こそ相応しいような気が、ロバーデイクはしていた。

「感謝するんだな。お前は今、最強のマジックアイテムに触れることが出来たんだぞ? ワールドアイテムの中でも私が保有することで最強となる、私の名前が刻まれたワールドアイテム。かつての戦いにおいても到達した大半のプレイヤーを殺しつくす要因となったものにな。――シャルティア!」

 アインズはロバーデイクに平然と背を向けると、貴賓室に再び声をかける。その態度――ロバーデイクにはアインズを傷つけることが出来ない、と言わんばかりの態度。
 いや、事実そうだ。どんな攻撃も決して届かない。アインズはそう理解しているがゆえにこういった行動に出ているのだ。ロバーデイクにはアインズという化け物を傷つける手段は無い。だからこそ、冷静に考える必要がある。最悪でもアルシェが逃げるための時間を稼ぐ必要がある。

 ロバーデイクが後ろに下がりながら、必死に頭を回転していると、貴賓室から先程のアウラ、コキュートスと同じように1人の少女が舞い降りた。
 銀に輝くような美しさを持つ人間の少女だ。憤怒に支配されつつあるロバーデイクが、美しさに目を奪われかけるほどの美の持ち主だ。
 ふっと、シャルティアが視線を動かし、ロバーデイクを正面から見つめる。真紅の綺麗な瞳。それがまるでロバーデイクの心臓を握り締めた、そんな感じがした。動くこと――呼吸すら困難な重圧が襲い掛かってくるようだった。
 少女の視線がそれてなお、ロバーデイクに動くことは出来なかった。

「シャルティア。さきほどの少女を捕まえておけ」
「畏まりんした、アインズ様」

 少女――シャルティアはアインズにニコリと微笑む。ただ、その輝かんばかりの微笑を横から見て、ロバーデイクの背中を怖気が走る。あれは単に化け物が美しい皮を被っただけの存在だと直感して。

「何故、こちらを直視しない?」
「え、だって……」

 シャルティアがもじもじという言葉が似合いそうな動きを見せる。アインズは自らの体を見下ろし、頭をかしげる。

「単なる骨だぞ?」
「アインズ様のは特別です! もう、そんなこと言わせないでください。恥ずかしいです……」

 顔を両手で挟むと、いやんいやんと顔を振る。

「シャルティア……ほんとお前ぶれないな……。というか少し真面目にやれよ……。まぁいい。行って捕らえろ。ただ、ある用途があるのでな。傷をつけたりするのは厳禁だ」
「畏まりんした。無傷で捕らえたいと思いんす」
「狩りを楽しんで来い」
「はい。そうさせてもらいんす」

 シャルティアはアインズに深くお辞儀をするとゆっくりと歩き出す。その1歩1歩がアルシェの命を縮める行為だと、理解していながらロバーデイクには動くことが出来ない。
 一瞥すらせずにシャルティアはロバーデイクの横を通り過ぎて歩いていく。走れば直ぐに追いつく距離。だが、それが遠く感じる。
 シャルティアの歩く足音が遠くなり、アインズはロバーデイクに話しかける。

「さて、取引をしようじゃないか」
「どんな取引ですか」
「お前が協力してくれる限り、アルシェという少女は殺さないという約束だ」
「どのような……協力ですか?」

 ろくでもない協力だろう。それは分かっているが、それでも仲間の命が助かるかもしれないという可能性はロバーデイクにとっては魅力的なものだ。

「今、追いかけていった私の部下は神官系なんだが、その信じる神はお前達の信仰する神とはまるで違ったものだ。というよりも私からするとお前達の信仰する4大神という方が知らないんだがな。それで知りたいのは神官系の魔法を使う存在は、本当に神から力を得ているのかという疑問だ」
「……何を言っているですか?」
「……神という存在を見たことがあるか?」
「神は私達の直ぐ傍にいます!」
「その答えにあるのは、つまり直接は見たことがないということだな?」
「違います! 魔法を使うとき、大きな存在を感じるのです。あれこそ神です」
「……それが神だと誰が決めた? 神自身か? それともその力を使った者か?」

 ロバーデイクは様々な神学論を思い出す。アインズが思った疑問。それに対する答えというのははっきりとは出ていない。未だ、様々な神官の間で揉める原因とはなっているが、それでもあれが神といわれる存在の一部だろうという結論は出ている。
 口を開こうと思ったロバーデイクに、アインズは重ねるように話す。

「……まぁ、それを高次存在――神というものだと仮称して考えると、それは元々無色なものなのではないだろうか、私はそう思ったりもするんだ。ようは力の塊だ。それに色の着いた液体を垂らすことでいろいろな変化が生じる、……まぁ、魔法という法則が存在する世界で、何を考えているんだという突っ込みは自分でもあるんだがね。実際に神がいたって可笑しくはないしな」
「…………」
「すまない。そういうことが言いたかったんではないんだ。まぁ、単純にお前たちの信仰する神の力。それを習得できないだろうかと思ってな。……ぶっちゃけ人体実験をしたいんだ」

 さらりと危険極まりないことをアインズは口にする。

「……人体実験?」
「そうだ。例えば記憶の一部を変化させ、お前が信仰する神を別の神にした場合、どんな結果を及ぼすのかとかだな」

 狂っている。ロバーデイクの正直な感想はそれだ。
 この目の前にいる存在は、考え方からして狂人の発想という領域に到達している。
 1歩下がったロバーデイクを興味深そうにアインズは眺める。その視線がまるで実験動物を観察する学者のようで、ロバーデイクは吐き気すら覚えた。

「協力してくれるなら報酬として、アルシェという女の安全は保証しよう」
「それを信用できる証拠は……」
「あるわけが無いだろ? お前が信じるかどうかだ。まぁ、信じないならそれでも構わない。無理矢理に協力させるだけだ。その場合はあの女も実験材料だ」
「……あなたには慈悲が無いのですか?」
「笑わせるな。ナザリックに土足で入り込んできた者に慈悲なぞかけるか」

 ロバーデイクは空を見上げる。星の浮かぶ空を。
 そして大地を見る。仲間2人の無残な死体の転がる闘技場を。

 深いため息。無数の考えが浮かび、1つずつ考慮する。そして最終的な答えを出す。

「条件がさらに1つ。仲間の死体を弔わせてください」
「……仕方が無い。そして感謝してもらおう。ナザリックに土足で入り、友の名を語ろうとした貴様らに一片でも慈悲を与えられることを。……お前の仲間の死体を利用するのは諦めよう」

 死は絶対なものとして存在する。死者を蘇らせることなんて不可能なこと。せめて仲間の魂が安息を得られるように、アルシェが少しでも救われるように、と神官としてロバーデイクは祈る。
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