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侵入者-4


 十字路で各チームそれぞれ違う道を選んだのだが、エルヤー・ウズルスが選んだのは最も奥に向かうだろうと思われた、真正面の通路だ。
 途中石造りの扉や無数の曲がり角があったのだが、適当に選択して黙々と墳墓内を歩いている。その間、何も無いのが非常に退屈である。モンスターどころか罠1つ無い。
 この道は外れだったか。そう思い、エルヤーは舌打ちを1つ打つ。

「ノロマが。早く進みなさい」

 エルヤーは立ち止まりそうになった10メートル先を進ませるエルフの奴隷に、強い口調で命令を下す。エルフの奴隷は一瞬だけ体を震わせると、とぼとぼと歩き出した。彼女にはこの墳墓に入ってから、殆ど立ち止まることを許さないで歩ませ続けている。
 それは言うまでも無く、命取りにも近い行動だ。
 現在のところ幸運にも何事も無く進んではいるが、下手に罠があったら彼女の命は失われる可能性が高いだろう。
 そんなエルフの奴隷に捜索させながら歩かせているというよりは、鉱山に持ち込むカナリアのような使い方である。別に前を歩く彼女に、技能が無いわけではない。エルヤーのチームはエルヤー自身と3人のエルフの奴隷よりなる。レンジャー、プリースト、ドルイドの技術を持つエルフだ。

 そんなレンジャー技能――捜索するスキルを持つ彼女の使い方としては、あまりにも勿体無い命令の仕方である。

 しかしこれには彼なりの理由がある。

 それは単純に前を歩くエルフに飽きたのだ。
 これだけを聞けば多くの者が驚くだろう。それは倫理観の問題ではなく、金銭的な面での驚きだ。

 スレイン法国の奴隷商との取引は、安い金では全く無いのだ。特にエルフの外見や、所持している技術によって金額が跳ね上がる。大抵の場合、エルフの女性は目が飛び出るような額の付く商品であり、一般市民では到底手の出せない領域での取引されることとなる。
 技能持ちエルフともなれば、特殊効果を保有する魔法の武器一本分ぐらいの額になるだろう。それはエルヤーでさえ、そうぽんぽん買うことの出来る金額ではない。
 しかし『天武』での報酬はエルヤーが独り占めしているので、上手く物事が進めば意外に早く回収が出来る。だからこそ飽きたなら、死んだとしても惜しくない使い方が出来るのだ。

 ――今度はもう少し胸のある女が良いですね。

 エルヤーはとぼとぼと歩くエルフの後姿を見ながら、そんなことを思う。

 ――胸を強く握り締め、悲鳴を上げさせるのが楽しいのですから。

 今回の依頼は幾つものチームとの共同ということもあり、数日間、一切エルフを抱いていない。別に抱いたとしても誰からも文句は出ないだろうが、不快感は生じるだろう。それがどれだけ不利益に繋がるかという、エルヤーもワーカーとしての常識ぐらいはわきまえている。
 そのため溜まった欲望が、そんな考えをエルヤーに抱かせた。

「次のには、あの女みたいなのを希望してみますか」

 エルヤーの脳裏に浮かんだのは『フォーサイト』の1人。エルヤーを不快な目で睨んできたハーフエルフだ。

 非常に不快な女である。隣にもう1人少女とも言えるような女性がいたが、別にあの娘に不快げな目で見られるのは仕方ないことだとエルヤーも納得する。しかし、人間よりも劣るであろう生き物が、人間様にあのような目を向けることは許されない。

 思い出すだけでエルヤーの端正な顔に怒りの炎が浮かぶ。それを伺い、隣で歩く2人のエルフは怯えたように身を震わす。
 その怒りが自分達に向けられることを恐れたのだ。エルヤーはこんなダンジョンの中でも平然と殴りつけてきたりする男なのだから。
 さらには自分達と同じような存在が増えることへの哀れみ。そして増えるということは、自分達の誰かが殺させるかもしれないという恐怖もあった。

「あの不快な顔を抵抗しなくなるまで殴ってやりたいですが……」

 それは無理な注文だ。奴隷のエルフは使用者の手に届くまでに、様々な手段で完全に心を砕かれている。そんなエルフの奴隷が反抗できるはずが無い。
 想像の中でイミーナの顔を数度殴っていると、前を歩くエルフが立ち止まっていることに遅れて気付いた。

「何故、止まるんですか? 歩きなさい」
「ひぃ……あ、あの音が聞こえます」
「音ですか?」

 勇気を振り絞って答えるエルフに対し眉を顰めると、エルヤーは全神経を耳に集中させる。辺りは静まり返っており、聞こえそうなのは静寂さが生み出す音のみだ。

「……聞こえませんね」

 ただ、エルフの聴覚は人間よりも優れている。エルヤーに聞こえなくても、エルフには聞こえている可能性が高い。確認の意味で隣にいる2人にも問いかける。

「お前達はどうですか?」
「は、はい、何か聞こえます」
「き、金属のぶつかる音みたいです」
「ほう。……そうですか」

 金属音が自動的に起こることはまず有り得ない。
 ならば、何者かが立てている音。つまりはこの墳墓に入ってから初めての戦闘になる可能性があるということ。それを考えると、わくわくとした気持ちがエルヤーに浮かぶ。

「その音の元に行きますよ」
「は、はい」

 エルフの奴隷に先行させ、音のあったという方角に近づく。それにつれ、徐々にエルヤーにも聞こえてきた。
 それは確かに金属音。
 硬いものと硬いものが激しくぶつかり合う音。さらには裂ぱくの気合などの喧騒。それは戦闘をしているときに起こるもの。

「別のチームですか?」

 浮かんでいた喜悦にも似た感情に水をかけられたように、エルヤーはため息をつく。

「まぁ、いいでしょう。もしかしたら援軍ということで戦えるかもしれませんし」

 徐々に目的地に近づくにつれ、エルヤーは違和感を覚える。戦闘にしては変だと。まるでこれは――

 エルヤーの疑惑は角を曲がったとき氷解した。
 そこはかなり大きい部屋となっていた。天井までの高さにして6メートル以上。広さもかなりのもので、何十人もが走り回っても問題ない広さだ。そんな室内にいたのは立派な鎧に身を包んだリザードマンが10体。巨大なタワーシールドを持ち、血管でも走っているかのような、真紅の文様が走る黒色の全身鎧を着た巨躯が1、そして最後の1人――。

 エルヤーはその最後の1人に引きつけられるものを感じた。

 人間の戦士だろう男だ。体躯は中肉中背。大して強い印象を抱かせない。
 仕立ての良い服の上からは、鈍い光沢を放つチェインシャツを着用している。
 黒髪は適当に切られているために長さは整ってない。そのためぼさぼさに四方に伸びていた。赤眼は鋭く。だが、今は驚きのためか僅かに丸みを帯びていた。
 外見的にはさして強い印象を受けない。若干、真紅の瞳に珍しさを感じる程度。
 だが、何よりエルヤーがひきつけられたのはその腰に下げた刀、そして体の安定感の良さだ。

 リザードマンたちは黒騎士と対峙しながらも、手を止め、荒い息を吐きながら、エルヤーたちを不思議そうに眺めていた。そして男は若干離れたところで、その対峙を観察するような態度。

 エルヤーの疑問への答え。
 それは模擬戦である。リザードマンが黒騎士と戦い、男は立ち位置的にも指導官というところだろうか。これなら戦闘と勘違いしてもおかしくは無い。

「こんなところまで……侵入者か?」

 男が怪訝そうにエルヤーたちを眺め、腕を組む。堂の入った姿勢だ。この中では黒騎士とこの男が最も腕が立つのだろう。
 エルヤーはリザードマンを視界から外す。リザードマンはどれもエルヤーより弱いし、さらには人間以外の種族をエルヤーは好きではないから。
 男に真正面から視線を向け、エルヤーは持っていた刀を肩に担ぐようにする。

「ここの方ですか? 今まで誰も迎えに来てくれなかったから、こんな深くまできてしまいましたよ」
「来訪者が来るとは聞いてないんだがな?」男は考え込むような顔をしてから、深いため息をつく。「……第1階層とはいえ、ここまで無事にこれるわけが無い。お前さん、ここまで誘導されたんだろうよ。とりあえず、今現在の受けている命令はここにいるリザードマンを鍛えろなんでな。即座に後ろを見せて出て行くなら気にしないぞ?」
「そんな寂しいことを言わないでください。ここまで誰とも戦っていないから退屈でしょうがなかったんです。あっと遅れました。エルヤー・ウズルスです。お見知りおきを」
「ああ、ブレイン・アングラウスだ」

 男の軽い態度には、エルヤーという帝国でも名の知れた剣士と対峙した驚愕といった感情は無い。
 その態度に自分を知らないのかと、エルヤーは一瞬だけ怒りから眉を顰める。しかしながらこんな場所に住むものでは知らなくて当然かと、男――ブレインの無知を許そうとする。だが――

「……ブレイン?」

 ――どこかで聞いた名だと思い、そしてその名前を記憶という棚から引き出す。
 そして即座に思い至った。
 見る眼が無かった男――グリンガムが言っていた、自らよりも強いと評した男の名前だと。

 あの時の会話は奴隷のエルフの使った魔法によって盗み聞きしていたのだ。だからこそ、自分よりも聞いたことが無い、ブレインとかいう男を上に評価されて腹を立てたのだ。その怒りのぶつけどころは魔法を使っていたエルフだったというわけだ。

「ああ、知ってますよ。あのガゼフに負けたとか言う」
「うん? ……知ってるのか。……懐かしい話だな」

 僅かに遠い目をするブレイン。そこに執着する色は無い。
 つまりは勝てないことに――及ばないことに納得した者か。
 エルヤーはブレインの態度にそんな判断を下し、この負け犬が、と内心で嘲笑する。その考えが表情にも浮かんでいたのだろう。

「お前は何も知らないんだな」

 エルヤーに話しかけた、ブレインの瞳に宿った感情は哀れみだ。

「昔の俺もお前みたいな奴だった。天からの才能に溺れ、そして敗北を知り、強さを求めた。最強と――誰にも負けない強さを求め、当面の目的はガゼフを打ち倒すことだった……」そこで大きくため息をつく。「ただな……俺もお前も――所詮は人間としての強さを極めつつあるにしか過ぎないんだよ。本当の強さというものは、そういうものとは桁が違うんだ。……本当に強いというのはそんなものじゃないんだ」

 フルフルと力なく頭を左右に振る。

「ご主人様であるシャルティア様には触ることすら出来なかった。コキュートス様は俺の開発した最速の武技を見て、遅すぎるがそれが本気なのかと呆気に取られた。アウラ様は単純な戦闘能力ではシャルティア様以上だと聞く。そしてこのナザリック大地下墳墓の主人、全ての守護者の方々が傅くお方、アインズ様に至っては1つの湖を完全に凍らせるのだぞ?」

 後ろに控えているリザードマンが、うんうんとブレインの話に相槌を打つ。

「強いというのはそういうことなんだ。俺達――人間ごときでは決して到達できない領域に御座します方々。そういう方々が持つ強さこそ、最強と呼ばれる類のものなんだ。俺達のは……強さ? 最強? 笑ってしまう。そんなものは子供が棒を振り回すようなものだ。天才? 天稟? そんなもの人間の領域の言葉にしかすぎないんだよ。アインズ様や守護者の方々の前ではくその役にも立たない。あっそ、で終わりだ。……だからな、自害しろ。そうすれば自分は強いんだという希望だけを抱いたまま、絶望を知らずに逝ける」
「――くっ、くはは、ははははは!」

 エルヤーは爆笑をもらす。ブレインが真面目な顔で何を言うのかと思って、黙って聞いていれば笑い話だったとは。

「ははははぁ、はぁ、はぁ」あまりの哄笑に息を切らせ、それを整えながらエルヤーは言う。「笑わせないでください。そいつはあなたに才能が無いからでしょうよ。だから負けたんです。私は違いますよ。その証明として、このナザリックの支配者であるアインズって奴も倒してさしあげますよ、この刀でね」

 ゆっくりと刀を抜き払う。
 無論単なる刀ではない。『神刀』と呼ばれる属性を持った一級品の武器だ。今回の仕事の報酬で得た金で魔法を込めるつもりのため、まだ魔法は付与されてないがそれでも鋭い切れ味はエルヤーに自信をもたらす。
 遥か南の都市より流れた、この武器。これをもってすればブレインの言うアインズという者も倒せるだろう。エルヤーはそう確信する。

「大体湖を凍らせるって、常識的に考えてありえないでしょう。それともどれだけ小さな湖なんですか、それ」
「……余計なお世話だとは思うし、信じられないのも理解できるのだが、アインズ・ウール・ゴウン様が視界に入る、湖の全てを凍らせたのは事実だ。あの方々の力は世界すらも歪めるレベルだぞ?」
「あの方々の強さはおそらくは神様とかそういうレベルだと思うぜ?」

 ブレインの後方で立つリザードマンたち。最も腕が立つだろうと思われる黒い鱗のリザードマンと片腕の太いリザードマンが話しかけてくる。それに対しエルヤーは辛らつに言い返す。

「黙りなさい、爬虫類。知恵の無いあなた方には何も聞いてません」

 リザードマンたちが憮然とした雰囲気で黙ったのを見て、エルヤーはふんと鼻で笑う。爬虫類風情が人間に話しかけるな。そう強い感情を発露しながら。

「大体、神とか……馬鹿じゃないんですか?」
「……ナザリック大地下墳墓はその辺のモンスターを捕まえて、国を滅ぼしてくださいといったら、軽く成し遂げるような存在が多くいる場所だぞ。そしてアインズ様はその頂点に立たれる方だぞ? そんな方が神であったとしてもおかしくは無いと思うがな。そして、そんな方を倒す……本気でそう思っているのか?」
「無論。私の剣の才を持ってすれば必ず出来ること」

 大体、神とか――例えにしても笑ってしまう。
 もしこれがドラゴンとかを例えに出されれば、凄く強いのかとも思ったが、いくらなんでも――

「神は無いでしょ。神は」

 くくくと笑うエルヤー。それに対し、ブレインは深いため息をつく。

「何の根拠も無い自信……愚かとはこういうことか……。シャルティア様に戦いを挑んだ俺はこんなにも愚かだったのか……。まるで自分の無様な鏡だな……」

 さらに続けて、何かを言おうと口を開きかけたところで、真紅の瞳を大きく見開く。それは突然、上位者から声を掛けられた者が浮かべる驚きだ。

「――コキュートス様!」

 空中にお辞儀をするブレイン。ある意味滑稽なその姿にエルヤーはあざ笑い、リザードマンは緊張のあまり背筋を伸ばす。
 コキュートスから《メッセージ/伝言》の魔法を持って下される命令を受諾し、ブレインはエルヤーを始めて敵と認識した目で眺める。

「これからお前のその増長を打ち砕く。そういう命令が来た」
「そうですか、出来るものならどうぞ? そうですね、ハンデとして全員で掛かってきても問題ありませんよ?」

 ブレインはなかなかの強者。そして黒騎士も同等か。かなり遅れて、氷で作ったようなシミターを持つ黒い鱗のリザードマン。その次が片腕の太いリザードマンだろう。
 少々厳しいものがあるが、エルヤーに負けるかもという考えは無い。
 一度も負けたことが無い、天凛の持ち主。だからこそできる考えだ。

「……お前達も後ろで何もせずに見てろ。実際、あいつはお前達では勝てないし、それにコキュートス様の命令は俺が戦うところを見せろ、だ。それとデス・ナイトさんはリザードマンを守ってやってください。こいつらに何かあったらかなり不味いことになります」

 リザードマンに命令を下し、デス・ナイトに依頼をし、ブレインは自らの腰に下げた刀を抜き放つ。
 エルヤーはその刀身を見た瞬間、魂を吸い込まれそうになる。
 綺麗な作りなのだ。刃紋はぼんやりと輝いているようで、それに対比し地の部分は深みある黒色。

 エルヤーは自らの刀と内心比べて、激しく嫉妬する。自らが持つものよりははるかに上の武器だと判断して。
 もし金額にしたらどれほどになるのか。どれだけの強い魔法が――特殊能力を保有しているかで金額は変わってくるだろうが、それでも数万はいくだろうか。

「良い刀ですね。あなたを殺したら頂くとしましょう」
「出来るものならどうぞ……だったな?」

 先程のエルヤーの言葉を真似したブレインの物言いに、舌打ちを1つ。

「ならば、そうさせてもらいましょう!」

 エルヤーが走り出し、ブレインも走り出す。お互いの体重を込めた一撃が、火花を散らす。

 片側が攻撃、片側が防御。そして次に攻撃した側が防御し、防御した側が攻撃をする。そんなゲームのような戦い方が現実であるはずが無い。
 攻撃して攻撃して攻撃をする。それが勝つための戦いだ。

 刀同士がぶつかり合う。
 重く高い金属音が響き渡る中、刀に込められた相手の動きや狙いを読み、少しでも有利になるように動く。刀身に沿って刀を走らせたり、即座に引いて突きに切り替えたりという具合にだ。
 そうすることで結果、効果的なダメージを与えるチャンスが生まれてくる。

 エルヤーとブレインの戦いもそういうものだ。
 刀がぶつかり合うと同時に、即座にフェイントを交えながら、互いの隙を突こうと動く。そして再び刀がぶつかり合う。

 刀がぶつかり合う音が止まずにどこまでも続く。いや、あまりにも激しく続くために、まるで1つの金属音が長く響くようだった。

 有利なのはエルヤー。確かにブレインも見事な動きはする。しかし一瞬だけ動きが遅く、判断に時間が掛かる。それはこのレベルの戦いであれば致命的だ。
 数十度の互いの武器の交差を得て、ブレインの体をエルヤーの持つ刀が斬りつける。
 しかしながらやけに硬質なチェインシャツに阻まれ、切り傷を与えるには至らない。チェインシャツ越しに鈍器で殴ったような、軽い打ち身を与えるのがやっとだ。
 そのため、エルヤーはブレインの顔や手といった肌を露出している箇所を攻撃しようとするが、流石にその辺りはガードが固く、胸や肩といったところを中心に攻撃を繰り返す。

 数度。
 ブレインの体をエルヤーの持つ刀が殴打した頃、と、と、と、という感じで後退するブレイン。絶好の機会だというのにエルヤーは追撃をかけない。それは自らとブレインの剣の腕の差を認識したからこそ来る余裕のためだ。

「大したことが無い!」

 エルヤーは強く断言した。
 短い時間の攻防だが、刀を交えたお陰でブレインという男の実力をほぼ完璧に把握したためだ。そこそこは強いが、この程度の強さなら幾人も下してきた。その程度の強さだと理解して。

「確かにやるな」

 それに対し、ブレインは素直に賞賛する。しかしその褒め言葉を受けてもエルヤーにとっては喜びを感じるものではない。弱者の賞賛なんか飽きるほど浴びてきたのだから。それよりは弱者の嫉妬や憧れといった感情を向けられる方が強い喜悦を感じられる。

「……この程度で私より強いとは……あの男、やはり目が腐っていましたね」

 エルヤーはこの場にいないグリンガムの見る眼の無さをあざ笑う。

「……俺の剣技はかなり落ちたからな。この肉体になったとき、急激に失われてしまったよ。昔に比べて半分程度かね」

 エルヤーは不思議そうに顔を歪める。ブレインの言っている意味が理解できなかったからだ。まるで肉体が変化したような奇妙な物言い。ただ、その意味は直ぐに理解することとなる。

「だから……人では無いものとして、これから戦うとするぞ?」

 ブレインが僅かに身構え、踏み込む。

「なっ!」

 豪風。ブレインの踏み込みはまさにそんな言葉が相応しい。先の踏み込みをはるかに凌駕した動き。人間というくびきから解き放たれたかのような速度だった。
 その踏み込みから続く、白き閃光のごとき速度で振り下ろされる刀に、何とか視認できたエルヤーは負けじと刀をあわせる。
 刀と刀がぶつかり、甲高い音で――刀が悲鳴を上げる。その2つの刀がぶつかるあまりの勢いに、刀身が僅かに欠け、火花と共に飛び散った。

「ぐぅ!」

 エルヤーは歯を噛み締め、軋む手で次のブレインの一刀に合わせ、刀を振るう。
 再び、火花が飛び散り、金属音が響き渡る。

 再び、と、と、と、という感じでブレインが後退する。
 やはりエルヤーは追撃しない。ただ、これは先程の理由とは大きく違う。
 ろくに刀がもてないほど、ビリビリと手が震えるためだ。もしもう一撃あったら、無様にも刀を落としていただろう。
 エルヤーは愕然とする。ブレインの人間を超越したとしか思えないような、その圧倒的な肉体能力を前に。
 もし巨人のような巨躯であったり、桁外れなほど筋肉が隆起していれば、今の速度も腕力も納得がいっただろう。しかし、ブレインの肉体は中肉中背。いくら鍛えた肉体だからとはいえ、あれだけの力は常識から外れている。
 そんな驚愕の表情を隠しきれないエルヤーに、皮肉っぽい笑みをブレインは向ける

「技術を失い、肉体能力を得た。こういうことだ」
「き、汚いぞ! 何をした!」
「汚い? ……本気で戦いだしただけだが?」
「嘘を言うな! そんな肉体能力があるものか! 魔法を使っただろう!」

 魔法を使ったからといって何か問題があるわけではない。逆に持っているものを使ったとして、何か問題があるだろうか。ブレインはエルヤーのまるで豹変したような態度に頭を傾げる。

 エルヤーからすればブレインの肉体能力の向上――それはまさにイカサマだ。全ての剣士はエルヤーに負けるために存在するのに、今、ブレインはエルヤーを凌駕した。それは決して許されるものではない。

「おまえら! 何をぼうっとしてる! 魔法をかけろ! 1人であんな力が出せるものか! 誰かに魔法をかけてもらったからに違いない!」
「……おいおい。1対1じゃないのかよ」そこでブレインもあることを思い出す。「まぁ、確かにシャルティア様に頂いた力といえば力か……」
「な、なんだ。やはりイカサマか! 汚い奴め! はやく奴隷ども魔法をかけろ!」

 エルヤー――自らの主人からの命令に慌てて、エルフたちが魔法をかけ始める。
 肉体能力の上昇、剣の一時的な魔法強化、皮膚の硬質化、感覚鋭敏……。無数の強化魔法が飛ぶ中、ブレインはその様を黙って見つめる。
 幾つもの魔法による強化がされていくにしたがい、エルヤーの顔に再び軽薄な笑みが浮かびだす。

「馬鹿が! 余裕を見せたな! お前が勝つにはとっとと攻撃するしかなかったのにな!」

 膨大な力がエルヤーの体を走る。
 今までこれだけの魔法による強化を受けたとき、敗北したことは決してなかった。それがどれだけ強大な敵でもだ。
 ブンと刀を振るう。通常よりもかなり早くなった剣閃だ。これならブレインにも互角……いや互角以上に戦えると自信を持って。

「……シャルティアとかいったか。お前のご主人様」
「そうだ。この世界で最も美しい方だ」
「そうか。それならお前の首を持って会うとしよう。そしてねじ伏せて犯してやろう」
「――ふふははははは!」

 爆笑。
 心の底から可笑しいと、ブレインは大爆笑する。ブレインの後方、リザードマンたちもその顔に苦笑とも哀れみとも読み取れるような笑みを浮かべている。

「な、なにがおかしいぃい!!!!」

 笑うことはあっても笑われることがほぼ無いエルヤーにとって、ブレインの哄笑は決して我慢できるものではない。そのため自らの主人を犯すといわれて、ブレインが何故爆笑したか、それにも思い至らない。

「いや、本当に……ふははははは!」
「糞が!」

 ブレインの哄笑はしばらくの間続く。エルヤーは憎憎しげに睨むが攻撃しようとはしない。今ここで攻撃して一撃で殺してしまっては、後悔させる時間が無いからだ。必死の抵抗を打ち破って殺してこそ、自らの不快感は拭われるというものだ。
 やがて、息が切れたようにブレインの笑い声は止まった。

「いや、本当にお前は一流の道化だな。俺ですらここまでは酷くなかったぞ? ……とはいえ、俺の最愛の主君、輝ける黒い花たるシャルティア様への侮辱、見過ごすわけにいかん」ブレインの目が煌々と輝く。真紅というよりも血の様などす黒い輝きだ。口が開き、やけに尖った犬歯が突き出される。それは人間のものではない。「ここからは全力を出させてもらおう、ニンゲン」

 その変貌。人にあらざる狂相。
 エルヤーも冒険の中、見たことがある。

「ヴァンパイア!」
「ご名答」

 簡潔に答えると、ブレインは刀を腰に戻す。チン、と音が響く。

 ヴァンパイア。
 ブレインの人間という生き物から逸脱した力の根源を理解し、エルヤーは急速に浮かびつつある不安を押しつぶそうと努力する。
 ヴァンパイアは強いモンスターだ。確かにエルヤーなら1対1での勝負であれば勝ちを拾える。ただ、それは剣技を知らない単なるアンデッドの場合だ。ヴァンパイアの肉体能力や特殊能力に技術、さらには魔法の装備まで備えた場合はどうなるというのか。
 いや、負けるはずがない。
 エルヤーは頭を軽く振り、生まれた不安を追い払う。

「そうだ! 俺が負けるはずが無い!」
「──滑稽だな。吼えれば不安が消えてなくなるとでも思うのか? まさに昔の俺だな」

 ニンマリと、血に飢えた獣が浮かべそうな笑みを見せるブレイン。

「舐めるなぁあ! ブースト!」
「ブースト2!」

 通常魔法による強化の場合、最も強い効果のものが意味を発する。しかし武技の場合は別の効果と見なされ、累積することとなるのだ。2つの武技による強化。それはエルヤーの肉体機能を極限まで上げ、今のエルヤーは小さな巨人とも言うべき肉体能力を得た。
 一般的に知られてる武技であれば、ブレインも理解できる。

「効果時間のある肉体強化の武技か。ならば準備は整ったということか。では、こちらも最大の力で相手をしよう」

 ブレインはゆっくりと腰を落とす。
 抜刀の構え。
 それを目にしたエルヤーは内心笑う。確かに刀に自信を持つ剣士ならば刀での戦いを望むであろう。ならば待ちに徹し、刀の届く距離に入った瞬間、最速で斬りつける抜刀は良い手だ。
 しかし──エルヤーにはそれは意味の無い行為。

 エルヤーは自らの武技を発動させる。

「ファング!」

 刀を振った延長上に放たれるのは風の刃。
 それは陽炎のような揺らめきを残しつつ、高速でブレインに飛来する。そして回避をしないブレインの胸部を切り裂く──。
 武技『ファング』によって生じる風の刃の斬撃力は、放つ者の渾身の一撃をかなり弱めただけの破壊力を持つ。通常であればさほど破壊力は生まれないのだが、現在のエルヤーの一撃は想像を絶するものだ。かなり弱めたといえどもチェインシャツぐらいなら両断しかねない斬れ味を持つ。
 しかし、驚愕に目を見開いたのは攻撃したはずのエルヤーだ。

「なんだと!」

 両断されると思ったチェインシャツは今なお健在。それだけではない。例えチェインシャツによって斬撃を防いだとしても、生じる衝撃までは消せないはず。しかし、姿勢は崩れず、ブレインの表情には笑みすら浮かんでいる。
 思い出さなくてはならないのは、ヴァンパイアの特殊能力。その中のある武器耐性だ。
 神刀であれば貫けるはずのそれだが、ファングという武技によって生み出された風の刃には、貫通するだけの力はない。ただそれでも風という特殊要素によるダメージは存在するが、それも高速治癒でほんの数秒で癒される程度である。

 結局、ファングではダメージを与えても、致命傷にはほど遠いということだ。

「ちくしょうが!」

 己の必殺の一撃にも匹敵する技。それを持ってしても殺せないことにエルヤーは激しい怒りを覚える。

「悪いな。その程度避けるまでも無い」

 ブレインの挑発じみた発言に、エルヤーの全身から火が出そうなほどの怒りがこみ上げる。その反面、脳の一部が冷静に戦略を立て始める。ヴァンパイアでも神刀の一撃は耐えられないはずだ。ならばこの一撃を心臓に正確に叩き込めばよい。しかし、ブレインの取るあの構えは待ちの構え。踏み込んで刀を振るうでは、先手を取られることは明白。
 ではどうするか。

 エルヤーは再びファングを放つ。
 狙いは一点。
 ブレインの目に真空の刃が叩き込まれた。両目を潰されたブレインめがけ、エルヤーは走る。

 人を超えた知覚能力を持つヴァンパイアといえども、最も頼っている感覚器官は視覚である。その視覚を潰されてしまえば、流石のヴァンパイアといえども回避は困難極まりない。

 されど誰が知ろう。
 ブレイン・アングラウスという男が、ガゼフ・ストロノーフという男に敗北を喫したため、再び戦ったときに勝つために開発した武技の名前を。

 その武技の1つ『領域』。それよりヴァンパイアの肉体能力をもって生まれた『神域』。
 それは半径6メートル。その内部での全ての存在の行動の把握を可能とするもの。この武技を使用している間は仮に1000本の矢が降り注いだとしても、自らに当たるもののみを切り払うことで無傷での生還すら可能とする。そして離れたところにある小麦の粒ですら両断するだけの精密な行為すらも容易いそんな武技。
 それは言うなら、知覚領域の結界。

「スラッシュ!」

 両目を潰されたブレインに、エルヤーの武技が迫る。
 武技によって速度を増した刀の一撃は確かに人の領域を超越したもの。だが、しかし――

「――遅い」

 ブレインの冷たい言葉。その言葉がエルヤーの耳に届くよりも早く、ブレインのもう1つの武技が発動する。
 それは――

「――神速2段」

 エルヤーの放った武技を倍する――否、数倍する速度での刀が腰から放たれる。エルヤーの目には光が走ったようにしか思えなかった。外から見ているリザードマンからすれば何が起こったのか理解できないそんな速度だ。
 常識外の速度を持って放たれた刀は2度、エルヤーの体を通り抜ける。

 一瞬の空白――。

 遅れて、エルヤーの刀を持つ手がずるりと動く。そして床にやけに重い音とともに肘の辺りから切断された手が落ちた。持っていた刀は落ちた衝撃で根元から折れる。
 いや、違う。
 折れたのではない――ブレインの武技によって切断されていたのだ。

「――見たか。これが俺の最速の剣」それからブレインは寂しそうに呟く「……ちなみに本気を出されていないときのコキュートス様の通常攻撃の速度でもあるんだな、これが」

 バシャバシャと大量の液体が床を叩く中、喪失した――心臓の鼓動にあわせ血を噴き上げる右腕を、エルヤーは呆けたように見つめる。

「ひゃ、ひゃ、ひゃ……」

 ようやく状況を完全に把握したのか、引きつるような声が上がる。腕より昇ってくる激痛。そういったものがエルヤーに混乱をもたらしていた。

「うで、うでがぁぁああ! ち、ちゆ、ちゆをよこせ!! はやくしろ!」

 エルフに向かって割れ鐘のような声で叫ぶエルヤー。しかしエルフたちは一切の動きを見せない。その瞳にあるのは歓喜である。今まで虐げられていたものの暗い喜びだ。

「はぁ、目を見ろ」

 ブレインは戦意を喪失したエルヤーに近寄ると髪を掴み上げ、正面から真紅の瞳を覗かせる。
 次に糸が切れたように暴れなくなったエルヤーの首に手をかけ、喉を圧迫する。エルヤーの意識が数秒で失われたのを確認し、ブレインは部屋の隅においてあったポーションを持ってくるようにリザードマンに指示を出した。
 本来であればリザードマンの傷を癒すためのものだが、ここでエルヤーを殺すわけにもいかない。そう、コキュートスに命令を受けたのだから。

「さてと」

 ブレインはただ黙ってエルヤーを眺めているエルフに向き直る。
 エルフたちに動きは無い。ただ、そのどんよりと濁った瞳の中に愉悦の色が浮かんでいた。

「あー、お前達、このあと死ぬかもしれないぞ?」

 侵入者を捕縛せよ、生死に係わらず。ただ、なるべくなら生きたまま捕まえよ。それがコキュートスより与えられた命令でもある。エルフも侵入者。温情ある判決があるかはまさに神――アインズのみぞ知るだ。
 ブレインのそんな言葉に対し、エルフは何も返さない。
 ブレインはエルフの瞳を覗き込み、はんと吐き捨てる。
 それは受け入れた者の瞳。ブレインが野盗と共にいた頃、浚われてきた女達が数日後に見せていたもの。

「つまらん目だ」

 自らに与えられた指令からすればこのエルフを殺す必要は無い。そして今の光景はコキュートスが見ているはず。ならばブレインにこのエルフに対して何かすることはない。
 刀を鞘に収め、リザードマンたちに向き直る。

「さて、充分な休みも取れただろう。訓練を始めるぞ?」
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