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オーバーロード:前編 作者:丸山くがね
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戦-11


 リザードマンたちは湿地を歩き、敵のスケルトンとちょうど中間地点に陣取る。
 隊列は考えてはいない。てんでバラバラに戦いの時を待っている。せいぜい、各部族長、そしてザリュースと2体のスワンプ・エレメンタルが先頭に立つ程度だ。
 そんなリザードマンの中に徐々に緊張感ともいうべき、微妙な空気が漂いだす。

 そんな中、突如スケルトン達が己の持っている武器を片手の盾にたたき出し始めた。

 本来であればタイミングが狂い、雑音にしかならないはずのそれは、スケルトンという存在が行うことによって完璧な調和の取れた音となる。5000のスケルトンが起こす音が、たった1つの音となるのだ。それはこんな場でなければ賞賛の拍手ぐらいはあってしかるべき行為だ。

 全てのリザードマンの目がその音によって集まる中、スケルトンの後方――森の木々が数本、横に倒れていく。
 木も細いものではない。巨木とも言って良いものだ。それを何者かが切り倒しているのだ。

 リザードマンの間でざわめきが起こる。目端の利くものが最初に気付きだしたのだ。
 姿が見えないので、幾人かで協力して切り倒しているという想像は当然立つ。しかし、少し考えれば分かることだが、あまりにも木が倒れる間隔の息が整いすぎているのだ。それはつまりは、たった一人で行っていることだ、と。
 さらには木を切り倒す前に、木が揺れる――木に刃物を打ち込んでいる形勢が無い。それはありえないようなことだが、一刀で切り倒しているということに他ならない。
 木を両断する。
 それはどれほどの腕力と刃物を用いれば可能となる偉業なのか。

 スケルトンが盾を打ち鳴らす音にあわせ、倒れた木々が大地を揺らす音が、離れたリザードマンたちの元まで徐々に近づきながら聞こえてくる。
 動揺が走る。当然だ。この状況下で動揺しない者がいないはずがない。
 ゼンベルもザリュースも、シャースーリューも動揺しているのだから。

 やがて、木が倒れ、森を切り開いた存在が姿を見せる。それにあわせてスケルトンの盾を叩く音が止んだ。


 それは白銀の塊である。天空の厚い雲が掛かっていなければ、どれだけ日光を反射しただろうかと思わせるような輝きだ。
 そして2.5メートルほどの巨体は二足歩行の昆虫を思わせる。悪魔が歪めきった蟷螂と蟻の融合体がいたとしたらこんな感じだろうか。その蟻とも蟷螂とも思わせる顔立ち、は。
 全身を包む白銀に輝く硬質そうな外骨格には冷気が纏わり付き、ダイアモンドダストのようなきらめきが無数に起こっていた。
 身長の倍以上はあるたくましい尾には、鋭いスパイク状の棘が無数に飛び出している。力強い下顎は人の腕すらも簡単に断ち切れるだろう。
 鋭い鉤爪を供えた4本の腕を持ち、それぞれに煌びやかな手甲を装備している。武器を手には持っていないのに、それをどうして行ったのか。疑問は尽きない。
 首からは円盤型の黄金色のネックレス。

 絶対的強者――それの登場だ。


 あれがコキュートスだというのか。
 ザリュースの心臓が激しく脈うち、呼吸がいつの間にか荒いものへと変わる。

 本能があれを勝ち得ないものだと騒ぎ立てているのだ。全力で逃げ出すべきだと。
 もはやリザードマンの誰もが言葉を発さない。目は姿を見せた存在にひきつけられ、そこから離すことができない。離せばそれで終わりだと理解できて。
 幾人かが我知らず知らずの内に後退をする。いや、幾人ではない。ほぼ全てのリザードマンが、だ。

「怯えるな!」

 シャースーリューの怒声が響く。それを受け、多くのリザードマンが電流を流されたように、体を震わす。

「引くな! 戦士たちよ! アレに勝てばこちらの勝利だ! 怯えず前を向け!」

 リザードマンたちに戦意が戻ってくる。しかしザリュースには分かる。兄の僅かな声を震え――恐怖を。

 ゆっくりとコキュートスが歩を進める。
 湿地に入り、スケルトンたちの間を抜け、堂々と――。
 そして距離が迫り、リザードマンとコキュートス。両者の距離が30メートルほどで歩みを止める。それからコキュートスは長く細い首の上に乗った昆虫の顔を動かした。それはまるで誰かを探すような行動だった。
 ザリュースは視線が一瞬だけ、自分の上で留まるのを感じた。

「――サテ、アインズ様モゴ覧ニナラレテイルコトダ。オ前達ノ輝キヲ見セテクレ」

 コキュートスの腕の一本が伸ばされ、やけに細く長い指がかかって来いとリザードマンたちに曲げられる。それに対し、シャースーリューが咆哮を上げる。

「突撃ぃいいい!!」
「うぉおおおおお!!」

 心の奥底からの咆哮を上げながら、321名――戦士階級のリザードマン316名、4部族長、そしてザリュースからなる、この場にいる全てのリザードマンがコキュートスめがけ湿地を駆け出す。


 突撃してくる有象無象。コキュートスは冷たく見据える。

「……数ガ多イナ。マズハ多少ノ数ヲ減ラサセテモラオウ」

 コキュートスは封じていたオーラを解放する。
 ナイト・オブ・ニヴルヘイムのクラス能力『フロスト・オーラ』。それを強化した極寒の冷気が、瞬時に100メートル半径を覆いつくす。
 極寒の冷気による、急激な温度変化によって、ゴウッと大気が悲鳴を上げた。


 爆風でも起こったように、コキュートスから生じた大気の壁がザリュースの全身を叩く。まるで起こった風が全身の体温を急激に奪ったように、極寒の冷気がザリュースの全身を取り巻く。
 そして激痛がザリュースを襲った。
 物理的な衝撃はほとんど無いが、大気の変化――極寒の冷気によって、それに匹敵するだけの苦痛をもたらしているのだ。フロスト・ペインの冷気防御を貫通して、これだけのダメージを与えるのだ。防御能力がまるで無いものであればまさにこの場は地獄だろう。

 この冷気によるダメージは、フロスト・ペインの1日3度の大技『氷結爆散<アイシー・バースト>』ほどでは無い。半分程度と言い切っても良い。
 しかしながらフロスト・ペインのアイシー・バーストが瞬時のものであるのに対し、この極寒の冷気は一秒一秒と猛毒のように全身を苛んでいく。この極寒の冷気の範囲にその身を浸すことは、時間の経過と共に死が近づくのだ。

 ならば、突撃か、後退か。
 対処方法はその2つしかない。そして後退という道は最初から無い。後ろに下がっても何も無いのだ。

「――ゴホッ!」

 突撃。ザリュースはそう大声を上げようとし、極寒の冷気が肺に入り込み、咽る。その喉に走る痛みがザリュースに冷静さを取り戻させる。
 ザリュースと族長達は覚悟を決めてきた。しかしその他のリザードマンは何も知らないで連れて来られたのだ。その思いが強い罪悪感としてザリュースを苛む。
 向こうの目的はこちらを殲滅することではないはず。圧倒的な力を見せ付けることだろう。
 ならば、これだけ力を見せ付けたのだ。あとはザリュースと族長達が犠牲になれば許してくれるのではないか。甘い考えかもしれないが、ザリュースの心にそんな思いが浮かぶ。
 本来であればシャースーリューを差し置いて、命令するのは間違っているというのは当然理解している。
 しかし――ザリュースは言うべき言葉を変える。

 無論、この行為は間違っている。
 日和見な発言だということも理解している。ここ――村に集められた存在は、全て犠牲だと理解している。そのつもりで集めたのだから。だが、それでも犠牲を望んでいるわけではない。
 誰も死なない可能性があれば、それを最も選びたかった。

 だからこそ、ザリュースは言う。

「下がれ! 後ろに下がるんだ!」


 ――しかし、全ては遅すぎる。


 リザードマンたちはその言葉を聴き、少しでも苦痛から離れようと後退を始める。しかし、コキュートスのフロスト・オーラの範囲は半径100メートル。脆弱な存在が踏破出来る距離ではない。
 ほんの数メートル。それが全てのリザードマンの限界だった。

 まずは体の動きが鈍り、氷が出来そうな冷たい水を湛えた湿地に倒れこむ。あとはもはや為す術も無く、凍死していくだけだった。
 316名からなる戦士階級のリザードマン。全てが脆くも崩れ落ちる。そして容易く死を迎えていった。
 そう。コキュートスに近寄ることも、逃げることも許されずに。

「フム。コンナ所カ」

 コキュートスのつまらなそうな声にあわせ、極寒の冷気が消え去る。それはまさに今まであったのが嘘のように。しかし、316名の死体がそれが事実あったことだと証明する。
 今なお動けるのは、たったの5人だ。
 されど残った5人のリザードマン。それは――即ちリザードマン最強の5人。
 彼らは即座に、一斉に、行動を開始する。

 飛礫が空を切る。先頭をきって走るのは、鎧を着たリザードマン。そしてその後ろを2人のリザードマンが続く。2体の――冷気によって全身に皹の入った――スワンプ・エレメンタルは動きという面で劣るために、2人のリザードマンの後方をノタノタと動く。そして最後のリザードマンは魔法を唱えつつある。

 まずは飛んだのは礫。コキュートスの喉元を狙った一撃だ。しかしながらそれは意味を成さない。なぜなら――

「――我ラ守護者クラスハ、皆、飛ビ道具ニ対スル完全耐性ヲ与エテクレルアイテムヲ所持シテイル」

 ――まるで見えざる盾でもあるかのように礫は弾かれる。

 次に挑む、先頭を走るリザードマンが纏う鎧は、リザードマンに伝わる4至宝の1つ。
 『ホワイト・ドラゴン・ボーン』
 同じく4至宝の1つ、ザリュースが持つフロスト・ペインの一撃すら弾くだけの硬度を持つ、リザードマン最硬の鎧。

 対峙するコキュートスは中空から剣を抜き放つ。
 まるで空間の中に隠し持っていたように。

 コキュートスが抜き放ったのは大太刀――全長200センチ、刃渡り150センチになる刀。銘を『斬神刀皇ざんしんとうおう』。コキュートスの所持する21の武器の内、鋭利さではトップクラスの武器だ。

 そしてそれを踏み込んできたリザードマン目掛け――一閃。

 空気をさえも切り裂いたような鋭い太刀筋が、大気の悲鳴――静かな音色を奏でて、辺りに響く。もしこんな場面でなければ、聞いていたいと思うような澄んだ音色だ。
 その音に遅れて、鎧ごと縦に両断された族長の体が、左右に分かれて湿地に崩れこんだ。
 リザードマン最硬の鎧を断ち切ってなお、斬神刀皇に刃こぼれなど無い。

 仲間の死に動揺を見せずに、後ろから左右に分かれ、2人のリザードマンは武器を振るう。

「チェストォ!」

 右からは武技『アイアン・ナチュラル・ウェポン』と武技『アイアン・スキン』を発動したゼンベルの右抜き手が、全力を持ってコキュートスの顔面めがけ突き進む。

「うぉおお!!」

 左からはフロスト・ペインで腹部を狙っての刺突。
 両者ともあるのは、接近戦であれば長い武器の使用は逆に困難になるという道理を狙った攻撃。

 無論、それは常人であればだ。

 コキュートスは僅かに身をかわしつつ、斬神刀皇の刀身の中ほどで、ゼンベルの腕を横から受ける。長い武器をまるで己の手足のように使った動きで。
 武技『アイアン・スキン』によって鋼鉄に匹敵する強度を持つゼンベルの肌だが、斬神刀皇の鋭利さがどれほどのものかは先の鎧で証明されている。
 スルリとゼンベルの腕に食い込んだ刃は、水面を進むような軽い動きで、容易くそれを断ち切った。
 切断されたゼンベルの右腕から噴きあがる血飛沫の中、腹部めがけ突き進んだフロスト・ペインは、コキュートスの別の手で優しく摘まれた。

「がぁああ!」
「――フム。ナルホド。悪イ剣デハ無イ」
「ちぃ!」

 びくともしないフロスト・ペインを手元に引き戻すのは諦め、即座にザリュースの蹴りがコキュートスの膝を狙って放たれる。それを避けることもせずにコキュートスは体で受ける。そして蹴り付けたザリュースの足に激痛が走った。
 それは考えるまでも無い。鋼鉄以上の硬度を持つ壁を、思いっきり蹴りつけたときの結果としては同じだ。

「《オーバーマジック・マス・スライト・キュアウーンズ/魔法上昇・集団軽傷治癒》」

 膨大な魔力を消費する代わりに、本来ならば使えないはずの上位位階の魔法を無理矢理行使する、そんな魔法強化による全体治癒魔法がシャースーリューから唱えられる。

「フム……」

 己の知らない魔法強化を使われ、シャースーリューを興味深そうにコキュートスは見る。そんな視線を妨げるように走ってきたのは、2体のスワンプ・エレメンタルだ。治癒魔法によって、斬り飛ばされた腕が治りつつあるゼンベルとの間に立って、コキュートスにその触手のような手で攻撃しようとする。しかし、その攻撃が届くよりも早く、コキュートスはわずらわしげに2体のスワンプ・エレメンタルを切りとばす。
 スワンプ・エレメンタルが泥の塊となって崩れ落ちる中、複眼に当たる部分、腹部、胸部とザリュースは拳で殴りつける。無論、傷つくのはザリュースのほうだ。すでに拳の皮膚は破れ、血が流れ出している。

「邪魔ダナ」

 コキュートスのスパイクの生えた尻尾がブンッと大きく振り回され、ザリュースの胸部を激しく殴打する。

「ごはぁ!」

 ぽきぽきという乾いた音と共に、バットで打たれたボールのように、ザリュースの体が大きく吹き飛び、湿地に転がる。数度、泥の中を回転するように転がってようやく止まるが、胸部の激痛と口からの吐血がザリュースの呼吸を困難にしていた。
 折れた骨が肺に突き刺さったのか、呼吸をしようとしても空気が入ってこない。まるで水中にいるような気分だ。さらには喉元に流れ込む生暖かい液体が、吐き気を催す。そして胸を見れば、幾重にもなる刃物でえぐられたような傷から、大量の血が流れ出ている。

 ――たった一撃で、このざまか。確かにまともに一撃を受けた。一撃で半死半生状態まで持っていかれるとは……。

 ザリュースはコキュートスという存在の強大さ、強さを甘く見ていたことに対する、己の馬鹿さ加減に罵声を心のうちで飛ばす。そして必死に呼吸をしようとしながら、ザリュースは未だ戦意の残る目で、追撃が来るかとコキュートスを睨む。

「戦意ハアルノカ。ナラバ返シテオクゾ」

 手の中に残ったフロスト・ペインを、泥の中に転がったままのザリュースの傍に無造作に放ると、コキュートスはザリュースを無視し、残った数名の方に向き直った。
 腕が生えたとはいえ、まだ体力を消耗しているゼンベルに、シャースーリューは治癒の魔法をかける。
 そんな2人の元に行かすまいと、注意を引き付けると言う意味で、再び礫が飛び――意味も無く弾かれる。

「――煩ワシイ」

 コキュートスは小さく呟き、小さき牙<スモール・ファング>の族長に対し、無造作に手を突き出す。

「《ピアーシング・アイシクル/穿つ氷柱》」

 人間の腕ほどもある鋭い氷柱が、何十本も数メートルという範囲に渡って打ち出される。
 その中に捉えられたたった1人のリザードマンに、氷柱は容易く突き立つ。
 胸部に1本、腹部に2本、右太ももに1本。そのどれもが肉体を容易く貫通しており、致命傷は間違いようが無い。
 何も言わずに、何も行動もせずに、糸の切れた人形のようにスモールファングの族長――最もレンジャーとしての腕に優れたリザードマンは倒れる。

「うぉおお!」
「《オーバーマジック・マス・スライト・キュアウーンズ/魔法上昇・集団軽傷治癒》」

 ゼンベルが突き進み、シャースーリューが再び治癒魔法を使う。ゼンベルがザリュースの傷を癒す時間を稼ぐつもりなのだ。
 無謀なのは承知の上だ。自らの武技がコキュートスの持つ方の前では無力なことも。しかし、ゼンベルには進むという道しかないのだ。

 間合いに入ってきたゼンベルに対し、コキュートスは無造作に斬神刀皇を振るう。

 その剣閃はゼンベルの視認速度を上回り――
 その速度はゼンベルの機敏さを遙に凌ぎ――
 その一刀はゼンベルの肉体を容易く断つ――

 頭部を失ったゼンベルの肉体が、血を噴水のように吹き上げ、それからドチャリと湿地に崩れ落ちた。ほんの僅かに遅れて、頭部も湿地の中に落ちた。

「……サテ、残ルハ2人カ……アインズ様ニ伺ッテイタガ、オ前達ガヤハリ最後マデ残ッタナ」

 一度もその場所から動いていないコキュートスは、残った2人を眺めながら刀を振るう。白く煙ったような刀身には血も脂も付着していない。まるで振っただけで全てが落ちたような綺麗さだ。

 なんとか立ち上がるだけの体力を回復したザリュースと、グレードソードを抜き払ったシャースーリュー。2人はコキュートスを挟む形で向かい合う。ザリュースは自らの胸から止まることなく流れる血を、手で掬い、顔に塗りたくる。
 それは祖霊を降ろすための紋様にも見えた。

「――弟よ、傷はどうだ?」
「不味いな。今だ、鈍痛が響く。それでも数回は剣を振るえるさ」
「そうか……。ならば充分だな? 実のところ、癒してはやりたいたいのだが、もう魔力が殆ど無くてな。油断すると倒れそうだ」

 笑っているのかカチカチと歯で音を立てて、シャースーリューが言う。それを受け、ザリュースが微かに表情を動かした。

「……そうか。兄者も無理をする」

 薄く笑うとザリュースは息を吐き出し、肩の力を抜く。フロスト・ペインを持つ手をダランと垂れ下げる。
 絶対的強者であるコキュートスを前に、ありえないほど油断しきった格好だ。そんな格好が出来るのは、コキュートスが襲ってこないと思っているからだ。
 コキュートスは絶対強者である。であるがゆえに格下相手に、自分から攻撃に出るはずは無い。
 それは強者の誇り。そして強者ゆえの驕りだ。

 ザリュースは大きく息を吸い込み、コキュートスを眺める。そして思う。

 なんと強いのか、と。

 チラリと視線を動かし、首を失い湿地に沈むゼンベルを見る。
 感情は動かない。
 当たり前だ。コキュートスと戦うとなったとき、皆死ぬだろうと思っていたのだから。
 ザリュースもシャースーリューも死ぬ。コキュートスという絶対的強者の前では、多少の強さなぞ意味が無いのだから。

 それでも――ザリュースはフロスト・ペインを持つ手に力を込める。
 ずきりと胸の辺りから激痛が走るが、努めて無視をする。
 最後まで諦めることなく――ザリュースは剣を振るうつもりだった。

 勝てないのは分かりきっていた。
 そして与えられた敗北は仕方ない。しかし、敗北を受け入れることは出来ない。
 なぜなら多くの命に嘘をついたのだ。勝てるという嘘を。そんな大嘘つきを信じた者がいたかぎり、敗北を受け入れることが出来るはずが無い。

 最後の瞬間まで、全力で――

「剣を振るい続ける!!」

 ザリュースの咆哮。それが辺りに響く。

 カチリ、とコキュートスの顎に生えた牙が噛み合わさり音がした。

「良イ。咆哮ダ――」

 コキュートスは笑ったのだろう。それは強者が弱者を見下すのではない。対等の存在として笑いかけたものだ。

「いいぞ、弟よ。その通りだ。最後まで振るおうじゃないか」

 シャースーリューも笑う。それは自らの弟を誇りに思う、そんな肉親の情に満ちた笑いだ。

「さて……待たせたな、コキュートス殿」

 シャースーリューの言葉にコキュートスは肩をすくめる。

「構ワナイトモ。兄弟ノ別レヲ邪魔スルホド無粋デハナイ。覚悟ヲ……イヤ、失礼。元々覚悟ハ決メテイタノダナ。デハ、来タ前」

 ぐっと踏み込むザリュースとシャースーリューに対し、コキュートスは斬神刀皇を一閃し、語る。

「本来デアレバ全テノ手ニ武器ヲ所持スルトコロダガ……侮ルツモリハ無イ。ガ、抜クホドノ強者デハナイ。オ前達ハナ」
「それは残念だ」
「全くだ――行くぞ!」



 2人は走り出す。湿地にバシャバシャという水音が響く。
 そのタイミングの悪さにコキュートスは僅かに首をかしげる。
 両者が同時に剣の間合いに入るのではなく、シャースーリューの方が先に入り込むタイミングだ。間違えたとのか、そう思い、直ぐに否定する。そんな兄弟では無いだろうと判断し。
 ならば何らかの狙いがあるのか、そう思ったコキュートスはなんとなく、ワクワクとした気持ちで待ち受ける。

 先に刀の間合いに入るのはシャースーリューだ。コキュートスはシャースーリューが何をするのかと、様子を伺う。
 シャースーリューは刃の届くギリギリ手前。そこで止まると――

「《アース・バインド/大地の束縛》!」

 ――魔法を発動させる。
 泥によって作られた無数の鎖が、コキュートスに向かって伸びる。それにあわせザリュースがひた走る。間合いを計らせないように、背中にフロスト・ペインを隠し。
 シャースーリューの発言はコキュートスを騙すためのブラフにしか過ぎない。
 いくら外骨格が硬いとはいえ、フロスト・ペインの切っ先に全ての力を込めれば抜けるはず。その思いがザリュースに防御を捨てた突撃を敢行させる。

 なるほどブラフかと感心したのは、コキュートスだ。
 通常であれば引っかかり、魔法の鎖に縛られ、後ろから駆けてくる者の一撃を受けたかもしれない。
 しかしながら勘違いをしている。
 彼らが相手をしているのはナザリック大地下墳墓第5層守護者、コキュートスだということだ。

「……レベル的ニ劣ル者デハ、私ノ守リヲ抜ケルコトハ適ワン」

 泥の鎖はコキュートスに触れる寸前で弾かれ、単なる泥となって湿地に落ちる。低位レベルではコキュートスの魔法に対する守りを貫くことは出来ない。

『――氷結爆散<アイシー・バースト>!』

 背後からの叫びと共にコキュートスの周りで霧氷の白い渦が起こり、周囲を包み込む。

 無駄な努力だ。
 冷気に対する完全耐性を持つコキュートスは、極寒の冷気をそよ風のごとく受け流し、ザリュースかシャースーリューが間合いに飛び込む瞬間を待つ。
 そして後方から来るザリュースが間合いに入り、コキュートスは一瞬だけ迷う。
 首を切り飛ばすだけで動きが止まるだろうか、と。
 防御を完全に捨てたザリュースが首を切り飛ばしただけで止まるとは思えない。では腕を切り飛ばして、次に首を刎ねるか。

 それも無粋。――一刀で葬ろう。

 ザリュースの防御を考えない全速疾走。
 それはコキュートスからすると、遅すぎる速度だ。
 白い靄の中、うっすらと見えてきた黒い影――ザリュースの持つフロスト・ペインにコキュートスは指を伸ばし、刀身を摘む。そしてそのまま動きを止めて、刀で切り飛ばそうとする。

 これであとは1人だけだ。

 わずかな失望と共にコキュートスは刀を振るおう――として、視線を動かす。
 そして思う――なるほど、と。

「おおおおぉお!!」

 周囲にわだかまる冷気を抜け、怒声と共にグレートソードが振り下ろされる。豪風を伴っての、靄を吹き飛ばすような勢いでの一撃だ。

 挟撃なのだから、片方が倒されるのは覚悟の上なのだろう。
 ザリュースの持つフロスト・ペインによる刺突も警戒すべきだが、それよりもシャースーリューの大上段からのグレードソードの切り下ろしの方がダメージは大きい。ザリュースはあくまでも囮にしか過ぎないということか。しかし――

「不意ヲ撃チタイナラ――静カニ行ウベキダナ」

 湿地を走る水音を隠しきれない以上、不意打ちにはならない。わざわざ冷気のダメージを受けてまで行う価値があるのだろうか。コキュートスは疑問に思う。それとも無駄な足掻きという奴なのだろうか。
 しかし敵が自らの攻撃可能領域に入ったのは事実。
 フロストペインを掴んでいる以上、ザリュースは敵ではない。殺す順番が変わっただけだ。そう判断し、コキュートスは刀を振るう。

 一閃。

 グレートソードごとシャースーリューを真っ二つに切り捨てる。
 そして返す刀でザリュースを――


 ◆


 コキュートスは斬神刀皇を振るおうとしながら、つまらなさを感じていた。

 強者として弱者をいたぶるのが好きなものがいる。シャルティアやデミウルゴスのように。
 強者として弱者を相手にしないものがいる。アウラのように。
 そして強者として弱者につまらなさを感じるものがいる。コキュートスのように――。


 第5階層守護者、コキュートスは武人である。
 いや、武人として至高の41名によって作り出された。
 そんなコキュートスにとっての喜びは戦いだ。そう、戦いなのだ。それは決して蹂躙ではあってはならない。両者が拮抗した、もしくはコキュートスが不利な、そんな戦いを渇望しているのだ。

 だが、そんな戦いは無い。無論、この世界に来てさほど時間が経っておらず、無いと判断するのは早急すぎるだろう。しかし、ブレインという人間としては最高峰だという剣士の腕前を見て、コキュートスは失望しか思わなかった。
 動きが鈍く、剣筋が悪く、武器は雑。
 そんな者のどこに喜びを感じればよいのか。

 今回、リザードマンの村を攻撃するに当たり、最初は期待を抱いていた。しかし2度刀を振るう中にあって、失望しか残っていなかった。あまりにも弱すぎて。

 コキュートスを満足させる――あるとしたら同位の守護者か、セバスまたは自らの主人。そして第8階層の存在ぐらいだろうか。
 そんな思いの篭った冷たい目で、コキュートスはザリュースの首に目掛け刃が走るところを眺めていた。


 ◆


 本来であればこれで戦いは終わりだ。
 ザリュースにコキュートスの攻撃を回避することも、防御することも出来ないのだから。
 しかし、まだ戦闘は終わらない――。


 ――そのとき、ヌルリと、フロスト・ペインを摘んだコキュートスの指が滑る。

 驚き、コキュートスは己の指に視線を向ける。
 白い霧が立ち込める中、コキュートスの指、そしてフロスト・ペインの刀身に赤いものが付着していた。
 それが指を滑らす原因となったものだ。

 ――血?

 コキュートスは困惑する。一体どこでと思い、霧越しに映る、ザリュースの顔を見て理解する。
 己の顔に血を塗りたくったのは、紋様を描くためではない。血を掬い上げ、フロストペインに塗りつける狙いだったのだ――。アイシー・バーストもコキュートスにダメージを与えるのが狙いなのではなく、その血が塗布していることを隠す為。背中に剣を隠したのもそうだ。
 ザリュースの攻撃を受け止めたとき、コキュートスが指で摘んだ。それを覚えていたからこそ、再び同じ手で来るかもしれないというわずかな可能性に賭けて布石を張っていたのだ。

 ――コキュートスに侮るつもりは勿論、無かっただろう。

 だが、もし、コキュートスがしっかりと摘んでいればそんなことにはならなかっただろう。流石のコキュートスといえども2本の指でザリュースの全身全霊をかけた突撃を耐え凌ぐことはできないのだから。
 さらにはもっと距離をとって摘んでいればもっと別の手があっただろう。しかし、この近距離では別の手を打つことは出来ない。他の手を動かすよりも早く、フロスト・ペインは迫る。

 コキュートスは思う。

 そして何より――シャースーリューという存在がいなければ決してこんな状況にはならなかった。
 ザリュースが何をしているのか、シャースーリューは理解していなかっただろう。
 しかし、兄として弟を信じ、そのための命を投げ出したのだ。雄叫びと共に、一瞬でも目を離させる狙いで。

 ほんの一瞬。
 まさに瞬き1つに匹敵する時間の中――ザリュースの全てを込めたフロスト・ペインが迫る中――コキュートスはガチンと下顎を1つ鳴らす。

「素晴ラシイ――」

 そしてフロスト・ペインはコキュートスの体に突き刺さり――――そして、傷を1つ作ることなく、容易く弾かれる。

「――スマナイ。弱イ魔力ノ武器デノ攻撃ヲ、一定時間無効トスル特殊能力ガアル。ソレヲ発動シテイル以上、オ前達ノ攻撃ハ無意味ダ」

 だが、コキュートスは故意的に1歩だけ下がる。それによってパチャッと泥が跳ね、コキュートスの白銀の体を汚す。


 たった1歩の後退。
 そんなものは何の意味も無い。下がったから何かあったということは無い。ザリュースの死は決まっており、コキュートスの勝利は絶対だ。
 しかし、それこそ絶対的強者――コキュートスが、弱者――ザリュースに見せた賞賛の表れだった。


 そして己の運命を悟り、しかしながら全てを出し尽くした者のみが浮かべることを許される、そんな透明な笑顔を浮かべたザリュースに、コキュートスの持つ斬神刀皇が振るわれた――。
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