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47/98

戦-7


「進めやぁ! ザリュース!」

 誰よりも早く踏み込んだゼンベルが、その巨腕の一撃をスケルトン・ウォリアーに叩き込む。
 スケルトン・ウォリアーが盾で防いだのにも構わず、ゼンベルは無理矢理そのまま押し出すように力を込める。盾が大きく凹み、後退したスケルトン・ウォリアーと別のスケルトン・ウォリアーがぶつかり合い、バランスを乱す。さらに尻尾で別のスケルトン・ウォリアーに攻撃を行うが、それは外れてしまう。
 その開いた隙間に体を踊りこませるザリュース。

『防げ!』

 リッチの命令を受け、2体のスケルトン・ウォリアーのシミターがザリュースの体に振り下ろされる。
 避けようと思えば避けられるだろう。受けようと思えばフロスト・ペインで受けられるだろう。しかしながらザリュースはどちらもしない。回避行為を行うということは、一手自らの行動を遅らせるということ。
 リッチを前にそんな無駄なことは出来ない。
 そしてなにより――

「《アース・バインド/大地の束縛》!」

 泥が鞭のように持ち上がり、2体のスケルトン・ウォリアーに絡みつく。泥でできた鞭はそれが鎖で出来ているかのように、2体の動きを一瞬だが、ザリュースがその隙間を抜けきるだけの時間を封じる。

 そう。
 ――クルシュもいる。
 ザリュースは1人では戦っているわけではない。ならば仲間を信頼するだけだ。

 クルシュの魔法といえども、完全に動きを封じられたわけではない。振り下ろされたシミターが微かにザリュースの体に傷を作る。しかし、その程度が何だというのか。高揚しきった心が痛みを痛みとは感じさせない。
 ザリュースは走る。
 自らに手を突きつけているリッチにめがけ。攻撃魔法を受けたとしても、それを耐えぬいてたどり着く。その意志で走る。

『――愚か! 恐怖を知れ! 《スケアー/恐慌》」

 心を鷲掴みにされるような、ぞっとする感覚がザリュースを襲う。
 視界がぐらりと揺らぎ、自らが立っているところが理解できず、得体の知れない不安が立ち込め、周囲から何かが襲い掛かってくるような気さえする。

 ザリュースの足が止まりかける。
 《スケアー/恐慌》の魔法の影響を僅かに受けて、精神的動揺から足が動かないのだ。

 ザリュースもゼンベルもクルシュも強くは出た。しかしながらリッチは自らよりも強い、強大なモンスターだというのを充分に理解している。本能は逃げろと叫んでいたのだ。しかしそれを意志の力でねじ伏せることが出来るからこそ、特別な部隊に選ばれたのだ。そんな押し殺したはずの本能が、リッチの魔法という支援を受け、一気に肉体の支配権を取ろうと動き出したのだ。
 心は前に足を出せ、そう叫んでいる。だが、動かない。

「ザリュース! 《ライオンズ・ハート/獅子ごとき心》」

 クルシュの声と共に、恐怖が一瞬で払拭され、倍する闘志が燃え上がってくる。リッチは不快げにクルシュを睨む。そして指を突きつけた。

『煩わしい! 《ライトニング/電撃》』

 誰もいない角度で白い雷光が走り――

「ぎゃん!」

 クルシュの悲鳴が響く。
 ザリュースの心が激しい憎悪に支配されそうになる。しかし、それを押さえ込む。確かに憎悪は良い武器にもなる。しかし、強者を相手にした場合は、逆に足を引っ張りかねないからだ。強者を相手にしたときに必要なのは激しい感情と、冷静沈着な思考だ。
 ザリュースは振り返らずに走る。
 今、リッチは後衛のクルシュを攻撃した。つまりはその間にザリュースが距離をつめられることを意味する。

 リッチの表情に、過ちを犯したのを理解した色が浮かんでいた。
 それが己の愛するメスを傷つけられたザリュースの顔に、嘲笑というものをもたらす。

『ちぃ! 《ライ――》 』
「遅い!」

 横手から思いっきりなぎ払ったフロスト・ペインが、突きつけようとしたリッチの手を弾く。

『ぐぅ!』
「魔法は使えないと思ってもらおうか!」

 ザリュースは自らの腕に伝わる感触に、微かに目を細める。やはり切った感触に違和感が残る。それはリッチが武器に対するなんらかの耐性を有していることに他ならない。
 ただ、無傷ではない。
 そうだ。ダメージに対する抵抗を有しているなら、それ以上のダメージを与えてしまえば良い。
 斬って斬って斬りまくる。それだけだ――。
 無論、言うは易く行なうは難し。その言葉ぐらいザリュースだって知っている。しかし単なる戦士であるザリュースにはそれしか出来ないのだから。

『舐めるなよ、リザードマン。《サイレントマジック・マジック・アロー/無詠唱化・魔法の矢》』

 3本の光弾が突如、リッチの眼前よりザリュースめがけ飛ぶ。何の動作も無い発動に、思わず剣を盾のように構えるが、魔法の矢はそれをすり抜け、ザリュースの体に重い鈍痛を走らせる。
 無詠唱化した魔法は阻止することが不可能。

「くっ!」

 さらにマジックアローは通常では不可避の魔法。ザリュースですら避けることは出来ない。しかしながら――

『ぐ!』

 歯を食いしばったザリュースは、リッチにフロスト・ペインを叩きつける。
 マジックアローは不可避の魔法ではあるが、その分、破壊力に乏しい。確かに鍛えてもいないものならば容易く殺せるだろう。しかしながらザリュースの肉体は苛め抜いた結果にあるもの。この程度の魔法で戦闘不能になるほど脆くは無い。

『《サイレントマジック・マジック・アロー/無詠唱化・魔法の矢》』

 再び光弾がザリュースの体に打ち込まれる。芯まで響くような傷み。それを押し殺してザリュースは剣を振るう。
 その攻防が数度。徐々にザリュースの体の動きが鈍る。重い鈍痛が俊敏な動きを阻害しているのだ。痛みに無縁なアンデッドとの違いが赤裸々に出た瞬間だ。
 それを理解したザリュースとリッチ。対照的な表情を浮かべた。

 しかしながら、ザリュースの心の中の中は冷静だ。逆に勝ち誇るリッチを哀れに思うほど。


 リッチはザリュースに比べて強者である。
 強者の前において、弱者では太刀打ちは出来ない。それは当たり前の結論である。
 だが――弱者の力を束ねれば、それは強者にも匹敵するのはまた1つの事実である。


「《ミドル・キュアウーンズ/中傷治癒》!」

 ザリュースの痛みが消え去り、活力が戻ってくる。後方より飛んできた治癒の魔法に、激怒した調子でリッチは叫ぶ。

『リザードマンがぁ!』

 そう。ザリュースは1人で戦っているのではない。信頼できる仲間と友に戦っているのだ。クルシュ、ゼンベル。そして――

「ロロロ……。俺は負けない!」
『リザードマン風情が……偉大なる方によって生み出された我に対し!』

 憎悪に燃え上がる目で、リッチは3人のリザードマンを睨む。その中でもザリュースを。
 後ろのクルシュにリッチは魔法を飛ばしはしない。それは先の失敗を思い出してだ。それよりは前にいるザリュースを潰した方が良いという考えて。

 リッチが召喚魔法を使わないのは、先ほど召喚したアンデッドがまだ生きているからだ。あれらが滅びるまでは、新しいものが召喚できない。そのために再び、単調な繰り返し――リッチが無詠唱化した魔法の矢を飛ばし、ザリュースがリッチの肉体を切り裂く――が行われる。
 この戦いはいつまでも続くように思われた。
 ならばこの戦局を打破するのは、後方で戦っている者に任せるしかない。どちらかの援軍が来たとき、この戦いに決着は付く。
 それをザリュースもリッチも認識していた。


 ◆


 電撃に全身を叩かれた苦痛を押し殺し、クルシュは魔法を発動させる。

《サモン・ビースト・3rd/第3位階自然の獣召喚》

 ドボンという音を立て姿を見せたのは、150センチはあるだろう巨大な蟹だ。まるで今まで湿地で眠っていましたといわんばかりの存在の登場だが、勿論、これは《サモン・ビースト・3rd/第3位階自然の獣召喚》によって召喚されたものである。
 魔法で呼び出されたものだ。当然、ただの蟹ではない。それは前に向かって進む姿だけで理解できるだろう。それがスケルトン・ウォリアーに向かって進みだし、ゼンベルの横に立ってその巨大な鋏で殴りつける。
 意外な援軍を受け、ゼンベルの顔にニヤリと深い笑みが浮かんだ。
 クルシュを守りながら四方から攻撃を受けていたゼンベルからすると、非常に嬉しい助けだったのだ。

 クルシュは戦局を伺いながら、荒い息で呼吸を繰り返す。

 ここに来るまでにロロロに発動した治癒魔法等、立て続けに魔法を発動しすぎた。
 さらにはいま、召喚魔法までこなしたクルシュの体がゆらりと揺れる。もはや魔力の消失が激しすぎて立っていることができないような状態なのだ。自らの傷も癒さないのはそのためだ。それだけの余力が無いのだ。
 しかし、ここで倒れれば前で戦うゼンベルとザリュースに不安を抱かせかねない。クルシュの口から血が流れる。自らの口腔内を傷つけ、意思を取り戻そうというのだ。

「《ミドル・キュアウーンズ/中傷治癒》!」

 そしてザリュースに治癒の魔法を飛ばす。その瞬間、視界が変わり、全身に冷たい水の感触が伝わる。そこがどこかクルシュは一瞬だけ理解できなかった。彼女はいつの間にか泥に埋もれるように転がっていたのだ。
 おそらくはほんの一瞬だけ気を失い、泥に伏せてしまったのだろう。クルシュは無理に立とうとはしない。いや、もはや立ち上がる力も無ければ、そちらに割くだけの力も勿体ないという判断だ。クルシュはぼんやりとする意識の中、仲間を見つめる。

 4体のスケルトンウォリアーと互角の勝負をするゼンベルも、リッチの魔法攻撃を受けるザリュースも満身創痍だ。
 クルシュは必死に呼吸を整え、魔法を飛ばす。

「《ミドル・キュアウーンズ/中傷治癒》!」

 ゼンベルの傷を癒し、

「《ミドル・キュアウーンズ/中傷治癒》!」

 ザリュースの傷を癒す。

「がはぁっ……」

 クルシュは荒い息で呼吸を繰り返す。
 呼吸が変だ。必死に空気を吸っても、入ってきていないような感覚に襲われる。
 これは魔力の使いすぎによる症状だろう。ガンガンと頭が叩かれている様に痛む。しかし、それでも必死にクルシュは目を見開く。
 ここまでどれだけの犠牲を払ってきたというのか。今更最初に戦線を離脱することが出来るものか。

 クルシュは落ちそうになる眼に力を入れる。そして唱える。

「《ミドル・キュアウーンズ/中傷治癒》!」


 ◆


 ゼンベルは握り締めた拳をスケルトン・ウォリアーの頭蓋骨にたたき付ける。ミシリというめり込む感触が、砕ける感触へと変わる。そして1体のスケルトン・ウォリアーが滅びていった。

「2体ぃいい。がはぁはぁああ」

 疲労を吐き出すような深い息を吐き、残ったスケルトン・ウォリアーを睨む。クルシュの召喚したカニの姿はもう無い。だが、2体のスケルトン・ウォリアーを受けもってくれたおかげで、ゼンベルが2体屠れたのだ。
 クルシュからの支援があって、何とかここまで片付いた。あと2体。終われば次はリッチだ。

「はぁ!」

 太い右腕に力を込める。まだ動く。
 左手は傷だらけであまり力が入らない。剣を受ける盾として使いすぎた。だらんと垂れる腕をぼんやりと眺める。

「まぁ、良いハンデじゃねぇか」

 誰に対する言い訳なのか。ゼンベルは呟き、スケルトン・ウォリアーを睨んだ。そして左腕を動かす。ちょっと動かすだけで痛みが走るが、それがどうしたというのか。
 大体先ほど自らの首が重りにしかならなくなっても、駆けた存在がいる。それに笑われるような真似を、ゼンベル・ググーができるものか。

「ふぅ……」

 スケルトン・ウォリアーがどの程度の強さなのか。それは2体いればゼンベルと互角――いや、スケルトン・ウォリアーが優位であろう。それだけの強さを持っているのだ。
 正直に言えば4体相手というのは絶対に勝ち得ない戦いだ。同時にではなくとも、1対1でも繰り返せば、途中で疲れ果て、敗北は確実だ。

 それなのに、今だゼンベルは立っている。
 ゼンベル自身、不思議なぐらいだ。

 いや、違う。理由は分かっている。ゼンベルはスケルトン・ウォリアーの向こう、ザリュースの背中を見る。リッチという圧倒的で強大な存在に一歩も引かないその姿。

「でけぇじゃねぇか……」

 そうだ――。
 たまりきった疲労の所為で体の動きは鈍いが、それでも前のザリュース。そして後ろのクルシュと戦っているのだ。

「おいおい、ザリュース。傷だらけじゃねぇか。俺のときよりもひでぇぞ?」

 襲い掛かってきたスケルトン・ウォリアーに豪腕を振るい、1体を殴り飛ばす。もう1体の振るったシミターを左腕で受けきれずに、わき腹の辺りにまた傷を作る。先ほどのクルシュの魔法で癒えた辺りだ。

「クルシュの声も、聞こえてくる辺りが低いじゃねぇか」

 再び飛んでくるクルシュの魔法によって、傷が癒えていく。後ろを振り返れないが、その声は水面ギリギリだろうか。どんな格好で魔法をかけてきているのか、予想できる。それでもなお、彼女は魔法を行使しているのだ。

「……良いメスだな」

 妻にするなら、ああいうメスが良い。
 ゼンベルはザリュースの選択眼に敬意を示す。

「おれが最初に倒れるなんて情けねぇ姿は見せられねぇって、な」

 巨腕でフェイントをかけ、尻尾で弾く。そしてにやりと笑った。
 一応、あいつらよりも年上なんでな、と思って。
 2体のスケルトン・ウォリアーが盾で身を隠しつつ、ジリジリと間合いを詰めてくる。その盾にザリュースの背中が隠れた。それはゼンベルに激しい感情を引き起こす。

「邪魔なんだよ。良いオスの背中がみえねぇだろうがよぉ!」

 ゼンベルは雄叫びを上げつつ、踏み込んだ――。


 ◆


 やがてどれだけ繰り返されたか。
 リッチとザリュースの拮抗した戦いは続く。その時、リッチがにやりと笑った。その笑いはザリュースの心身を凍りつかせるようなものだった。
 1つの水音が聞こえたのだ。それは誰かが倒れる音。

『見よ! お前の仲間は倒れたぞ!』

 振り返ることは出来ない。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。見たくないといえば嘘になる。しかしながら、敵は圧倒的な力を持つ存在。後ろを向くという行為すら行っている余裕はない。振り返った瞬間、勝負が付くのは目に見えている。そんなことをするためにザリュースはここまで来たわけではない。
 しかし後ろから来るであろう、敵の援軍はどうにか処理しないと不味い。
 リッチの魔法を一撃だけ受けるか。ザリュースがそう覚悟した時、立ち上がるような激しい水音と、骨を何本もへし折るような音が響く。

「ザリュース! こっちは終わりだぁ! あとは――まかせたぁ!!」
「……《ミドル・キュアウーンズ/中傷治癒》」

 ゼンベルの血を吐くような叫び声にあわせ、バシャンと大きなものが倒れる水音が響く。
 クルシュの呟きにしか思えない声にあわせ、ザリュースの傷が回復していく。

『むぅうう!』

 リッチの不快げな顔。後ろを見なくても分かる。2人とも自らのすべきことを完璧に遂行したのだろう。ならば次は――

「俺の番だな!」

 振り下ろされたフロスト・ペインをリッチが手に持った杖で弾く。

『ぐぐぐ……我はリッチ。近接戦に劣るからといって舐めてもらっては困る!』


 しかしリッチに勝算は低い。3度斬りつけられると、そのうち弾けるのは1度だけ。残り2度はリッチの体を切り裂く。スケルトンと似たような斬撃武器に対する耐性を有してはいるが、それでもこの状況下は非常に不味い。

 特に最後の治癒魔法。あれによって流れが変わった。
 召喚魔法は準備に時間が掛かる。前に敵がいる状態では難しい。
 このままでは押し切られてしまう。そう考えたリッチは最後の手段に出ることとする。あまり良い手ではない――場合によっては悪手だが、それでも残った手はこれぐらいだ。


 突如、背を向け走り出すリッチに、ザリュースは戸惑いながらも追撃の一撃を与える。走りながらの一撃では腰がのらない為に、その場で止まっての斬撃だ。いわばザリュースの渾身の一撃を背中に受けて、リッチの体が揺れるが今だ倒れはしない。リッチの無限では、とも思えるような体力に舌打ちしつつ、離れたリッチに詰め寄らんとザリュースは走り出す。
 少しばかりの距離を取ってから、振り返るリッチ。その顔は憤怒に歪んでいる。
 そして――

 ――リッチの手の中に灯る赤い光。それは《ファイヤーボール/火球》。
 この近距離で? 自爆覚悟か――?
 そう思ったザリュースはリッチの視線が自らに向いていないことに、恐怖を感じる。リッチが向かう視線の先、それは倒れ伏しているだろう、クルシュにゼンベルだ。

 どうする。
 2人を見捨てればリッチに止めはさせる。いわばこれは大きな隙だ。もはやリッチもザリュースも体力は殆ど残っていない。このチャンスを捨てた場合、勝てる可能性は一気に低くなる。
 リッチに勝つために――そのためにここまで来たのではないか。2人を見捨てるべきだ。2人も許してくれるだろう。

 ――だが、だ。
 ザリュースは何かを見捨てたことは一度も無い。
 共に戦った仲間を見捨てる、そんな選択肢を選んだりはしない。
 ならば――2人を助け、リッチを滅ぼす。
 それを選択すればよい!

『――氷結爆散<アイシー・バースト>』

 ザリュースは自らの足元に突き立てるように冷気による壁を作る。

「ぐわぁぁああ!」

 噴きあがる冷気の渦に、ザリュースの全身が一気に凍り付いていく。激痛という言葉ですら生ぬるい。そんな痛みが全身を叩きのめす。
 必死に意識を失わないように、リッチをその鋭い眼光で射抜きながら、ザリュースは苦痛に耐えようとする。
 耐え切れない悲鳴が上がる中、ザリュースとリッチ――2人を巻き込んで、冷気の靄が周囲を広く支配していく。



 リッチは自らの予測どおりに物事が進み、ニンマリとした笑いを浮かべる。
 見捨てておけば、勝利を掴めただろうに、と。
 リッチは冷気と電撃に対する完全耐性を持っている。この冷気の本流の中にあって、平然としてられるのはそのためだ。手の中に作り出していた火球の魔法構成を握りつぶす。放つことでリッチの周囲にわだかまる、白い靄とぶつかりでもしたらまさに自爆になってしまうからだ。
 あの2人のリザードマンには、この靄が消えてから追撃の一手を撃てばよい。先に潰すべきは立っていたリザードマンだ。周囲を見渡し、リッチは顔をゆがめる。1つだけ計算違いがあったためだ。

『……さて、どこにいるのやら』

 計算違い、それは――この視界内を完全に覆う靄だ。
 リッチは闇を見通す目は有してはいるが、こういった視認困難状態を看破する能力は有していない。そのため、敵の居場所が分からなくなってしまったのだ。
 ただ、さほど心配することも無いかもしれない。あの苦痛にまみれた声からすると、かなりのダメージを受けたと思われる。自らの放った《ファイヤーボール/火球》を打ち消せるだけの冷気の放射だ。それを受けたということは《ファイヤーボール/火球》の一撃を受けたということと同等のはず。
 あれだけの傷を負っている状態では、それは下手したら致命傷だ。そこまで行かなくても殆ど動くことは出来ないだろう。ならば後は押しつぶせる。
 それでは、まずはこの靄の中から走って抜けるべきか。そう考え、すぐにリッチは自らの考えを破棄する。

 ――今、動けばここにいることをばらしてしまう。

 まず最初にすべきは、アンデッドを召喚しておくことだろう。壁があればもしリザードマンが生きていたとしても、勝利は確実になるのだから。
 魔法を発動させようとしたリッチの耳に、不意に水音が飛び込んだ。


 ◆


 ――リザードマンたちに伝わる4至宝の1つ、凍牙の苦痛<フロスト・ペイン>。
 決して凍らない湖が初めて凍ったときの氷より出来たとされるそれは、蒼く透き通ったような刀身を持つ。そして内包する魔法の力は3つ。
 1つ目は刀身に冷気を宿すことで、切り裂いた相手に追加で冷気によるダメージを与える能力。
 2つ目は1日3度しか使えない大技、『氷結爆散<アイシー・バースト>』。
 そして3つ目は――


 ◆


 ボッ、そんな空気を切り裂く音が立つ。
 それが何か、それを認識するよりも早く、リッチに視界に鋭利な刃物の先端が映る。
 強い衝撃がリッチの頭部を襲う。
 左目より入った刀身はリッチの頭部をかき乱す。

『がぁあああああ! 何故、死んでないぃいい!』

 リッチの絶叫が上がった。
 左の眼窟を貫き、フロスト・ペインが深く突き刺さり、自らの命が一気に無くなっていくのを感じて――。
 剣を頭からはやしたまま、よろめくリッチの前に、全身に霜をつけたザリュースが薄れていく靄の中、姿を見せた。
 リッチには理解できない。あれだけの冷気のダメージを受けながら、今だ立っているザリュースの存在が。


 フロスト・ペインの持つ3つ目の能力。
 それは、装備者に冷気に対する守りを与える能力――。


 無論、流石のフロスト・ペインの冷気防御といえども、『氷結爆散<アイシー・バースト>』を無効するほど強いわけではない。冷気によるダメージはザリュースを蝕み、立っているのがやっとの有様だ。息は荒く、動きは鈍い。尻尾だって力なく水面に垂れ下がっている。もはや呼吸するのだって億劫な様だ。これ以上の戦闘行動は不可能に近い。今の一撃は狙ってのものではない。もはや残っていない力を駆使して、勘に任せての一撃だ。
 その一撃が当たったのは幸運でしかない。
 ザリュースは閉じてしまいそうになる瞼を必死に開ける。
 リッチに叩き込んだ、最後の力を込めた一撃。それは充分に致命傷の手ごたえがあった。
 戦う力が残っていないザリュースは、淡い期待を込めてリッチに見る。

 もがき、よろめくリッチ。
 自らの肉体を保っていられないのか、顔の皮膚が剥がれ、骨には皹が走り出す。服すらもボロボロと崩れだしていた。滅びはもはや時間の問題だ。ザリュースは自らの奇跡的な勝利を確信した、その瞬間――
 ――ザリュースの喉元に骨と皮の手が伸び、締め付ける。

『わ、我は御方に生み出されし、シモベ……その我がこのようなことで滅びて……たまるものか!!!』

 跳ね除けようと思えば、容易そうな締め付けだ。しかし――

「――ぐわぁああ!」

 ――全身を激痛が走り、ザリュースの口から悲鳴が漏れる。
 負のエネルギーが流れ込み、ザリュースの生を奪いだしているのだ。苦痛には耐えるすべを学んでいるザリュースでもこのおぞましい、血管内に冷気を注入されるようなおぞましい痛みを耐えるすべは持たない。

『死ねぃ! リザードマン!』

 リッチの顔の一部が欠け、中空でボロボロになって消えていく。
 リッチの命も尽きようとはしているのだ。しかしその主人に対する忠誠心によって、生に必死にかじりついているのだ。
 時間では倒せない。このまま我慢比べであればザリュースに勝算は無い。
 ザリュースは必死に抵抗しようとするが、体が上手く動かないことに恐怖を感じる。
 ザリュース自体残っていた生命力は殆ど無いのだ。リッチの接触による負のエネルギーの注入は、その残った生命力を根こそぎ奪いだしてる。
 ザリュースの視線が揺れ、朦朧としだす視界。まるで世界が白い霧に覆われていくような、そんなボンヤリとした世界が広がりだした。

 だんだんと抵抗の力を失っていくザリュースに、同じく消え行く意識を動員しているリッチは勝利の笑みを浮かべる。
 このリザードマンを殺し、向かった来たあと2人のリザードマンも殺す。このリザードマンたちは恐らくはトップクラスの存在だろう。ならばこの者たちを殺せば、偉大なる方――自らを生み出した方に対する捧げ物としては上出来だ。

『死ねぃ!』

 ザリュースは必死に抵抗しようとするが、肉体が上手く動かない。毒が回るように全身の体温が冷たく変わっていくのが感じられるのがおぞましい。
 呼吸すらも難しい。そんな世界にあって、知覚能力だけが鋭敏に働いていた。

 まだ、死ねない。

 必死に走ったロロロ。
 盾となったゼンベル。
 自らの魔力を全て使い果たしたクルシュ。

 それだけでは無い。この戦いで倒れた全てのリザードマンを背中に背負っているのだ。
 必死に戦う手段を考えるザリュースの耳に、かすかな音が飛び込んできた。


 ――クルシュの優しげな声。


 ――ゼンベルの気楽そうな声。


 ――ロロロの甘えたいときの鳴き声。


 聞こえるはずが無いだろう。
 クルシュは意識をなくし、ゼンベルも昏睡状態だ。特にロロロはここからかなり離れている。
 意識が混濁したために、そんな声をザリュースの脳が勝手に想像しているのだろうか? 出合って1週間足らず仲間達の言葉を? ペットの鳴き声を?

 違う。
 そう、違う――。

 皆はここにいる――!

「――ぉぉ、おおおおお!!」
『?』

 半分意識を失っていたザリュースから、雄たけびが上がる。
 それからぐるっとザリュースの目玉が動き、リッチを見据えた。先ほどまで、視線の合わなくなった目とは思えないほどの覇気を保持している。

「クルシュ! ゼンベル! ロロロ!」
『!』

 もはやその体の何処にそれだけの生命力があるというのか。一瞬、一瞬。膨大な負のエネルギーがザリュースの生命力を貪り、食い荒らしているはずだった。事実、ザリュースの四肢は重く、体は凍りついたように寒い。
 にも係わらず、名を叫ぶたびに、ザリュースは少しだけ力がわいてくるのを感じていた。沸いてきた先は生命力からではない。
 胸の奥――それは心だ。
 ギシリと音が鳴る。それの出先はザリュースの右手。硬く握り締められた拳だ。いまそこに残った全ての力を掻き集める。

『ばかな!』

 まだ動くのかと、信じられないようにリッチはザリュースを睨む。
 不味い。
 リッチの内心にあわ立つような感情が走る。もっと負のエネルギーを流し込まなくては負ける。それは認めてはいけない。自らはリッチ。今回のナザリック大地下墳墓より出兵された軍の現場の総責任者だ。
 そして何より、偉大なる死の王――アインズ・ウール・ゴウンが生み出した存在。
 その自分にこんな敗北は許されない――。

『し――!』
「これで終わりだ、化け物!!!」

 一瞬だけ早く。
 そう、リッチが負のエネルギーを流し込むよりほんの一瞬だけ早く、渾身の一撃――。
 硬く、硬く握られた拳が、フロスト・ペインの柄に叩き込まれる――。
 ザリュースの殴りつけた拳から血が滲むほどの一撃を受け、左の眼窟から入り込んだ剣先はリッチの頭部を完全に貫通した!

『おおおお!!!!』

 死者であるリッチには痛みという感覚は殆ど無い。しかしながら――偽りの生命の全てが失われる感覚は理解できる。

『おぉぉ……ぉ……ば……かな……あい……ずさ……ま』

 リッチの目の中に敗北という言葉を完全に理解した色があった。糸が切れた人形のようにザリュースの体が崩れる。バシャッと水音が広がる中――

『……お、おゆる……し……を……』

 自らの主人に対し謝罪の言葉を上げ、リッチの体が崩れる。それは時間に抗ってきたのだが、それが崩れ、一気に時が流れ込んできたようだった――。



 ■



 静まり返った部屋。その鏡に映った光景が信じられずに、誰もが口を開かない。
 そんな中、メイド――エントマは口を開く。今受けた主人の命令を伝えるべく。

「……コキュートス様、アインズ様がお呼びです」
「――承ッタ」

 頭を垂れたまま、コキュートスはゆっくりとエントマの方を向いた。シモベたちの不安げな視線をその身に受けながら、コキュートスは屈辱を噛み締める。だが、その反面、賞賛の気持ちもあった。
 見事な戦いだった。
 勝算8%。
 それがコキュートスが計算した、リザードマンの勝利の可能性だ。これは単純に近距離からの戦闘を行った際のものだ。あれだけの距離という、魔法使いに圧倒的な有利な戦闘状況から開始して、勝利を掴み取る。その勝算は当然、8%よりも低くなるだろう。
 彼らはそんな難関を突破したのだ。

「見事……」

 コキュートスは最後に鏡に視線をやり、そこの映る光景に賞賛の言葉を投げかけた。
+注意+
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