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オーバーロード:前編 作者:丸山くがね
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戦-1


 バハルス帝国とリ・エスティーゼ王国の中央を走る境界線たる山脈――アゼルリシア山脈。
 その南端の麓に広がる森林――トブの大森林。
 そのトブの大森林に入り、おおよそ直線距離で30キロほどアゼルリシア山脈めがけ進んだ先。そこにアゼルリシア山脈より流れる、人の手によっては名前が付けられていない川が巨大な湖を形成する。
 およそ20キロ四方よりなる巨大な湖は、ひっくり返した瓢箪のような形を作っており、上の湖と下の湖に分かれている。そのため上と下で生活している生物も違う。上の大きい湖の方が水深も深いために大型の生物が、そして下の湖はそれより小型の生物が生活の場所としていた。
 その下の湖の南端。

 そこは湖と湿地が入り混じったような場所が広がっており、そこにリザードマンの大型の部族が点在してた。


 リザードマンとは爬虫類と人間を掛け合わせたような生き物である。
 モンスターと評価されるよりは、ゴブリンやオーガ等に並ぶ亜人種として分類分けされているそれは、人間ほど進んだ文明は持ってはいないし、その生活を知れば一般人の目からは野蛮としか思えない。しかし、彼らには彼らなりの文化を持ち、洗練されたとはいえないまでも文明を作り出している。

 成人したオスのリザードマンの平均身長は190センチであり、体重は110キロにもなる。肥満ではなく、筋肉がしっかりとしたかなり屈強な肉体だ。全身の筋肉は隆起しており、人間の筋力の平均値というものがあるなら、それの1.4倍ほどはあるだろう。
 腰からは太いワニのような尻尾が伸びる。それはバランスを取るためにもっぱら使われるが、戦闘にもなれば140センチにもなる尻尾は充分な武器にもなった。
 爬虫類と聞くとトカゲを思い出すかもしれないが、事実、その頭部はトカゲにも似ている。
 足は水中や湿地等での動きやすさを重視した進化の過程によってなっており、水かきをつけた足幅の広いものだ。その分、陸地での動きは若干苦手ではあるが、基本的な生活圏を考えればそれは問題にならないと理解できるだろう。
 薄汚れたような緑色から灰色または黒までの色を持つ鱗は、トカゲのものではなく、ワニを思わせる角質化した強固なものだ。人間が使用する下手な防具よりも強固。これに特別な生物の皮から作った鎧等を纏うことで、板金鎧にも勝りかねない装甲となる。
 手は人間と同じ5本指で、先端はさほど長くない鉤爪になっている。
 この手で振るわれる武器等は、非常に原始的なものだ。というのも基本的に鉱石等の武器を手に入れるチャンスが無いために、モンスターの牙や爪から作り出した槍や、石を付けた鈍器を最も多く使う。


 そんなリザードマンの階級社会は頂点に来るのが、族長である。これは血筋で選ばれるのではなく、単純に部族で最も強いものがなる。この族長を選ぶ儀式は数年に1度の頻度で行われる。
 そしてそれを補佐する選ばれた年長者からなる長老会。その下に戦士階級、一般のオスリザードマンが続き、一般のメスリザードマン、幼少のリザードマンという風に社会構成を作っている。

 無論これに属さないものも存在する。ドルイドからなる祭司たち。そして狩猟班を構成するレンジャーたち。無論、これらは独自の判断と行動を許されてはいるが、それでも族長の下に位置し、族長の命令には従うことを求められる。

 祭司たちは天候予測から危険の予知、治癒魔法等を使用しての部族の生活の補佐を行う。特別な神という存在よりは、祖霊崇拝にも近いリザードマンの宗教的観点からすると、祭司たちの役割は魔法を使用しての生活環境維持ということだ。
 そして狩猟班の役割は漁猟が第一だが、普通のリザードマンたちも協力するため、最も重要な彼らの仕事は、森での活動となる。
 リザードマンは基本雑食であるが、主食は50センチほどにもなる魚であり、あまり植物や果実等は食べない。
 狩猟班が森に入り、肉を取って来ることもあるが、それは稀な場合である。狩猟班が森には入る例で最も多いのは、材料を集めるための木々の伐採等だろうか。陸上はリザードマンにとっても安全な生活環境ではないために、森に木を切りに行くという行為だけでも、こういった技術者が選ばれるのだ。

 このように役割分担がしっかりと出来た父性社会が、リザードマンの生活社会だ。

 そしてただ、例外的に、完全に族長の指揮から外れた存在もいる。
 それは――旅人だ。
 旅人と聞くと異邦人をイメージするかもしれないが、それはありえない。基本的にリザードマンは閉鎖社会であり、部族外の存在を受け入れるということは滅多にしない。
 では旅人がどんな存在か。
 それは世界を見ることを望んだリザードマンのことである。

 基本的にリザードマンは生まれた場所からよほどのこと――餌が取れなくなった等に代表される非常事態以外は離れないものである。だが、非常に低い確率だが、外の世界を見たいと渇望するリザードマンが現れるのだ。それが旅人だ。
 旅人は、部族を離れると決めたとき、特別な焼印を胸に押す。これは部族を離れた存在だという印だ。
 そして外の世界に旅立つのだ。

 ただ、殆どが返ってこない。旅で倒れたのか、それとも新たな世界を見つけそこで生きているのか。
 しかしやはり稀な可能性で見聞を終え、帰ってくるのだ。そして生まれ故郷の部族に帰ってきた旅人は、その持ち帰った知識ゆえ高い評価を受ける。ある意味、権力から離れた存在だが、それでも一目置かれた存在へとなるのだ。



 ■



 湖の南端部分の湿地はかなりの範囲にわたって広がっている。
 その一区画というべきか。そこに無数の建物が湿地の中に建っていた。家の土台は湿地の中であり、そこから足が伸びて家を支えている。川床にも似た光景だ。
 それこそリザードマンの住居である。
 リザードマンは変温動物ではない。一応はその厚い皮膚が水中でも体温を維持してくれるが、長期間にわたる水中生活は体温の低下を生み出す。そのため、水から離れた場所に居を構えるのが一般的だ。つまりはリザードマンの平均的な住居は、水面から足が伸びた住居になるということだ。

 ザリュース・シャシャはそんな住居の1つから姿を見せる。
 空は透き通るような青一色であり、燦燦と照りつける太陽が昇っている。刷毛で掃いたような白く薄い雲がほんの僅かにあるだけの良い天気だ。遠く、北の方角に突き立つような山脈がはっきりと見える。

 リザードマンの視野は広いため、頭を動かさなくても上空の太陽がそのまぶしい姿を見せているのが目に入る。上下の瞼を動かし、目を細めると家の階段をリズミカルに下りる。
 その最中、ザリュースは黒鱗の胸におされている、焼け印の痕を軽く鉤爪で掻く。別に痒いわけでも、何らかの意味を持ったものでもない。それはおされて以降新しく生まれた、彼のなんとなく癖になった行為にしか過ぎない。

 一番下の段から湿地に降りた際、腰に下げた彼の愛用の武器と鱗が当たり、カチャリと音がする。
 抜き身であるそれは、反対側が半透明に透けて見える、そんな青白く透き通った刀身を持つ。刀身の形は異様だ。幅広の刀身は先端部分で急激に曲がり、シミターというよりも鎌に思える。さらに驚くべきは刀身と握りが一体化しており、鍔になる部分が無いことだ。そのため、湖に張った氷が自然に割れ、それをそのまま武器にしたような雰囲気が漂う。
 この武器を知らぬリザードマンはさほどいない。周辺全ての部族に存在するリザードマン達の中で、4至宝と称されるマジック・アイテムの1つ、凍牙の苦痛<フロスト・ペイン>だ。

 それほどの武器を持ち歩くというのが、特別なことなのかというと、そうではない。例え村の中にいても、何らかのモンスターが出現するということはさほど珍しいことではないため、危険な場所に居を構えるリザードマンからすれば当たり前の武装なのだ。

 ザリュースは歩き始める。
 目的地は2箇所。その1箇所に置いてくる土産もちゃんと背負っている。
 それは1メートルにもなる巨大な魚だ。リザードマンの主食でもあるそれを、4匹も背負って歩く。ザリュースの鼻に届く、生臭い匂いはまるで気にならない。それどころか非常に腹の減る匂いだ。思わず食べてしまいたくなるほど。
 そんな欲望を鼻を数度鳴らすことで追い払い、そのままザリュースは村の中――湿地をパシャパシャと足音を立てながら歩く。

 背の高い葦のような植物が、無数にある住居を中心とした一体からは綺麗に除去されている。それはこの辺り一体が『緑爪<グリーン・クロー>』部族の村ということを意味しているからだ。

 まだまだ緑の色が鮮やかな鱗の子供たちがシャーシャーと笑い声を上げながら、走り抜けていくがザリュースが背負っているものに気づくと動きが止まる。それ以外も住居の影から子供達が、ザリュースを――いや背負った魚をじっと見ている視線。彼らの口元はかすかに開き、涎が溜まっていることだろう。少しばかり離れてもやはり視線は追いかけてくる。しかし、それは飢えて死にそうなものではない。いうならおやつを欲する系統のものだ。ねっとりとした粘着的なものは一切含まれていない。
 それに苦笑を浮かべながら、気づかない振りをしてザリュースは歩く。これは渡す相手が決まっているのだ。それは残念ながら子供達ではない。子供達にこんな表情を浮かべることが出来る。ザリュースはそれに幸せを感じていた。

 5年前は決して見れなかったその光景に――。

 諦めきれない視線をその背中に受けるのを感じながら、その視線に喜びを感じながらもザリュースは振り返らずにそのまま進んでいった。


 やがて点在する住居を抜けると目的地である小屋が見えてきた。
 この辺りは村はずれであり、もう少し進めば水深も深くなる。その微妙な境界線に建てられた小屋は見た目よりもしっかりと作られ、ザリュースの家よりも大きい。
 奇怪なところは若干傾いているところか。そのため家の半分ほどが水没している。

 ザブザブと村中よりも大きな水音を立てながらザリュースは小屋に接近する。もう、太ももの辺りまで水につかっている。そのために背中の魚も浸かっているが、もはやあと少しである気にするほどのことは無い。
 ただ、歩きながらも注意は怠らない。ここまで来ると何らかのモンスターや水生の獣が出現したとしても不思議ではない。まぁ、あの小屋の主が自らの縄張りに入り込んだ存在を黙認するならばだが。

 小屋がまじかに迫る。
 そこまで来るとザリュースの匂いを嗅ぎつけたのか、中から蛇の鳴き声が聞こえてきた。その鳴き声にあるのは甘えたがっている感情だ。
 ニュルリと蛇の頭が窓らしき場所から姿を現す。濃い茶色の鱗を持ち、瞳は琥珀の色。それはザリュースを確認すると、甘えるように巻きついた。

「よしよし」

 慣れた手つきでザリュースは蛇の体を撫でる。蛇はまるで気持ちよさそうに目を細めた。そしてまたザリュースにも蛇の生暖かい皮膚触りは心地よい。
 この生き物こそザリュースのペット。名前はロロロ。子供の頃から育てているために、まるで意志疎通ができるような気さえするほどだ。

「ロロロ。餌を持ってきたぞ? ちゃんと仲良く食べるんだぞ?」

 ザリュースは持ってきた魚を窓越しに中に放る。どちゃともばしゃとも表現できるような音が中からした。

「本当は遊んでやりたいんだが、今から魚の様子を見に行かねばならんのでな。また後でな?」

 言われている内容が理解できているのか、蛇は数度名残惜しげに体をザリュースにこすり付けると、体を引っ込めた。そして中からむしゃぶりつく音と咀嚼音が聞こえる。
 元気に食べている。
 その激しい咀嚼音に体調が悪くはないことを確信し、ザリュースは小屋を離れることとした。


 ◆


 小屋から離れたザリュースが向かったのは、やはり少しばかり村から離れた場所だ。この辺りはしっかりとした固い地盤があり、湖畔という言葉が非常に似合う。
 ザリュースはペタペタという擬音が似合うような動きで森の中を黙々と歩く。本来は水中を進んだほうが早いのだが、陸上で何か変なことが起こってないか、調べながら進むのがどうも癖になってしまっているのだ。ただ、木々によって視界が遮られるこの場所にあっては、ザリュースでもかなり精神的に磨り減る。
 木々の隙間から、目的地が姿を見せる。ザリュースは何事も起こらなかったことに対し、安堵のため息を1つ。そのまま木々をすり抜けながらあと少しの距離を足早に進める。

 そして突き出した枝を掻い潜るようにすり抜けたザリュースは、そこで驚きに目を見開いた。いるわけが無い存在がそこにいたのだ。
 それは黒い鱗のリザードマン。 

「兄者――」
「――お前か」

 黒い鱗を持つリザードマンは振り返ると、近づいてくるザリュースを出迎えるようにぎょろっと睨む。このリザードマンこそグリーン・クロー族の族長でもあり、ザリュースの兄でもある、シャースーリュー・シャシャである。
 二度に渡り、族長選抜に勝ち抜き、今期は戦わずして地位を維持している彼の肉体は圧巻の域に到達している。並ぶと、平均的な体躯のザリュースがまるで小さく見えるほどだ。
 リザードマンは成長すればドラゴンになるという伝説があるが、シャースーリューこそそれを体現するものと言われるのも理解できる。
 黒色の鱗には傷が白いものとなって走り、雷鳴が黒雲を切り裂いているようにも映る。
 背中には巨大な大剣――2メートル弱にもなる無骨で分厚いものを背負っている。鋼鉄でできた剣は錆防止と鋭さを高める魔法が掛かっており、その切れ味は永久的なものだ。また同時にこの剣は族長の証でもある。
 ザリュースは兄に並ぶように湖畔に立つ。

「この様なところで何をしている」
「……本気で言っているのか? それは兄者のセリフではなく、俺のセリフだ、兄者。こんなところに族長が自ら足を運ぶものじゃなかろう?」
「むぅ」

 言葉に詰まったシャースーリューは視線を動かし、目の前の湖を眺める。
 それは奇妙といえば奇妙な場所だ。少しばかりすぼまった場所で、しっかりとした棒がその場所を囲むように、半球状に連なるように湖面から突き出している。棒と棒の間には非常に目の細かい網がぐるっと覆っている。
 それの用途は見るものが見れば一目瞭然だろう。
 生簀である。

「もしかして……摘み食いか?」

 ザリュースの言葉に、シャースーリューの尻尾が跳ね、バチバチと地面を叩く。

「むぅ。そのようなわけが無かろう。俺は飼育の具合はどうか、伺いに来たのだ」
「……」
「弟よ、その兄を見る目は何だ?!」

 強い口調で言い切ると、ずいっとシャースーリューは1歩前に出る。まるで壁が迫ってきたような圧迫感。その気迫はまさに族長を長期に渡って維持してきた存在だけある。ザリュースですら数歩下がりたくなるほどの烈火のごとくだ。
 だが、今は完璧な切り返しがある。

「飼育の様子を伺いに来たのなら、別に欲しくはないということか。残念だ、兄者。良く育っていれば貰ってもらおうと思ったのだが」
「むぅ」

 バチバチという音が止み、尻尾がうなだれる用に地面にひれ伏す。

「美味いぞ。しっかり栄養を取らせて太らせたからな。漁で取れるものより脂が乗っている」
「ほう」
「噛むと口の中に良質の脂がにじみ出るように浮かんできてな。ぶつりと噛み切ると口の中で溶けるようだ」
「ほ、ほう」

 再びバチンバチンという尻尾の立てる音が上がる。しかもさきほどよりも激しい。
 そんな尻尾を呆れたようにザリュースは視認しながら、兄にからかい半分の口調で言う。

「義姉者が言っていたぞ。兄者の尻尾は素直すぎると」 
「何? あやつめ、夫たるこの俺を愚弄するとは。だいたい、何処が素直なのだ?」

 今はピクリとも動いていない尻尾を肩越しに見ながら答える兄の姿に、ザリュースはどのような反応をしたら良いのか浮かばず、ああという乾いた返事を返すのがやっとだった。そんな弟の姿に思うものがあったのか、シャースーリューは言い訳をするように言い返す。

「ふん。あやつめ……。お前も結婚すれば今の俺の気持ちが分かるだろうよ」
「俺に結婚は出来ないさ」
「ふん。下らん。その印のためか? 長老どもが何を言おうと無視しておけば良かろう。だいたいこの村でお前に寄られて嫌がるメスはいなかろうよ……。ただ、結婚しているのは別にしておけよ」 

 何も答えない自らの弟にからかいを含んだ調子で、さらに続ける。

「まぁ、お前も結婚という奴の苦労を知るべきだな。この俺だけでは不平等ではないか」
「おいおい、兄者。義姉者に言うぞ」
「ふん。どうだ。これが結婚という奴の苦労の1つだ。族長たるそして、お前の兄たる俺を容易く脅すことが出来る」

 静かな湖畔に楽しげな笑い声がしばし響く。
 それから笑いを止め、再び目の前の生簀を直視しながら、シャースーリューは万感の思いを込めて言葉を漏らす。

「しかし見事だ。お前の……」

 言葉に詰まった兄に救いの手を伸ばす。

「養殖場か?」
「そうだ、それだ。我らの部族始まって以来、このようなことを行った者はいない。そしてこの成功は既に多くの者が知っている。このままで行けば、羨望の思いでお前の魚を見ている多くの者が真似るだろう」
「兄者のおかげだ。色々と皆に話をしてくれたことを知っているぞ」
「ふん。弟よ。多くの者に事実を話したからだといってそれが何になる。そんなものは世間話でしかない。お前が努力し、この養殖場で魚を美味そうに育て上げたからこそ意味があったのだ」

 養殖場は最初は失敗続きだった。当たり前だ。話を聞き、それでイメージして作っただけにしか過ぎない。囲いを作る部分の作成だって失敗続きだった。1年間も時間を掛けて試行錯誤し、その結果生簀が出来上がったが、それで終わりではない。
 魚を放したあとで、世話もしなくてはならない。餌だって取ってくる必要がある。
 どんな餌が良いのか調べるために様々な餌を投じ、幾度生簀の中の魚を殺したことか。囲いの網をモンスターに破られ、全てが無に帰ったことだってある。
 食料として捕まえた魚をおもちゃにしていると後ろ指を差されたこともあった。バカだと言われた事だってある。
 しかし、その努力は今、目の前で実りを迎えているのだ。

 湖面を大きく成長した魚が泳ぐ影が映る。それは漁で取れるもの中でも、かなり大きい部類のものだ。小さかった魚を1から育てたと聞いて信じれるリザードマンはいないだろう。そうザリュースの兄と義理の姉を除いて。

「……見事だぞ、弟よ」

 同じ風景を共用しながら、ポツリとザリュースの兄は呟く。その言葉には無数の思いが込められていた。

「兄者のおかげでもある」

 答える弟の口調にも無数の思いが込められていた。

「ふん。俺がなにをしたというのか」

 確かに兄――シャースーリューは何もしていない。ただ、それは対外的な意味では、だ。
 魚の調子が悪いときに祭司たちが突然この場所に現れたのだって、囲いを作る部分の材料集めの時だって、漁で取れた魚を配るとき生きている状態で元気な魚が回ってきたことだって、さらには魚の餌を探す過程で果実を持ってきた狩猟班だって。
 手助けしてくれた者は、誰に頼まれたかは決して明かさなかった。
 しかしどんなバカだって、誰が影で頼んだものか理解できる。そしてその人物が、そんな行為にたいする感謝の言葉を受け入れる気が無いのだって知っている。

 族長が部族の階級とは迂遠な旅人に――例え肉親であろうと――肩入れするのは、色々と不味いのだから。そのため、ザリュースの出来ることなんかたかが知れている。

「兄者。もっと大振りになったら最初に持って行くからな」
「ふん。楽しみにしているぞ」

 くるりと背を返し、シャースーリューは歩き出す。そしてポツリと呟く。

「すまんな」
「……何を言う、兄者。……兄者は何も悪くなんかないさ」

 その声が聞こえたのか、聞こえなかったのか。何も言わずに湖畔に沿って遠ざかっていくシャースーリューの後姿を、ザリュースはただ眺めていた。


 ◆


 生簀の様子を確認し、村まで戻ってきたザリュースはふと違和感を感じ、空を眺める。別に何でも無い空だ。蒼い空が何処も広がり、北の方角には薄い雲を被った山脈がある。
 気のせいかと意識を戻しかけた時、天空に奇妙な雲が掛かっていたのに気づいた。

 時同じく、村の中央にぽつんと浮かんだ、太陽光を遮る黒雲――それも雨雲を思わせる厚い雲によって影が村に掛かる。
 誰もが驚き、天空を見る。
 それは祭司達の天候予測からすると、本日は1日晴天という話を聞いているからだ。祭司達の天候予測は魔法と歴年の経験から来る知識によって成り立つ、精度の非常に高いものである。それが外れたことへの驚きが誰もが最初に感じたことだ。だが、驚きの種類は次に始まったことによって変わる。
 ただ、異様なのは黒雲の大きさはそれほどでもなさそうに思えるし、そして村に掛かっている黒雲以外の雨雲が何処にも無いことだ。まるで村の頭上に掛かるように誰かが召喚したかのようだった。

 より異様さを増す行為は、誰もが奇怪に思っている中で起こった。
 雲はまるでこの村を中心にするように渦巻きながら、その範囲をどんどんと広げていったのだ。まるで青空が得体の知れない黒雲によって犯されていくように、すさまじい勢いで広がっていく。
 異常事態だ。
 こんな光景は誰もが見たことが無い。

 慌てて、周囲を警戒する戦士階級のもの。家にように飛び込むように逃げ込む子供達。ザリュースは腰を低くかがめ、周囲をうかがいながらシミターに手を伸ばす。

 やがて黒雲が完全に天空を覆う。無論、それは通常の現象ではない。なぜなら遠くに視線をやれば今だ青空が見えているからだ。まさにこの村を中心に黒雲は立ち込めている。

 僅かに風が強まり、ひんやりとした空気が村の中に流れ出し始めた頃、村の中央が騒がしくなった。そちらの方角から風に乗って聞こえる、リザードマンの声帯をいかした甲高い擦過音。

 それは――警戒音。それも強敵を意味する、場合によって避難を勧める類の。

 そちらの方伺ったザリュースは、リザードマンにしては速い足運びで、湿地を駆ける。
 走る、走る、走る。
 湿地という歩運びが難しい中にあって、尻尾をくねらせてバランスを取る。人であれば到底不可能な速度を持ってザリュースは目的地――警戒音の発されたと思われる場所に到達する。
 そこではシャースーリュー。そして戦士たちがまるで円陣を組むように、村の中央を睨んでいる。その視線の先を追った、ザリュースもまた睨みつけてしまった。
 無数の視線の交わる先――そこにモンスターが存在したのだ。

 それは揺らめく黒い靄のようなモンスターだ。
 靄の中におぞましい無数の顔が浮かび、直ぐに形を崩す。浮かぶものは様々な種族の顔だが、1つだけ共通しているものがある。それはどの顔も無限の苦痛を受けている――そんな表情を浮かべていることだ。
 その顔から、風に乗って、すすり泣く声、怨嗟の声、苦痛の悲鳴、断末魔の喘ぎ等が輪唱になって聞こえてくる。

 ぞっとする。

 そのモンスターから、ザリュースの背中が凍りつきそうな怨念を感じる。ザリュースほどのものでそれだけの精神的な不安を受けているのだ、他の者たちの動揺はさぞかし強いだろう。
 そう思い、見渡してみる。確かに周りにいる殆どのリザードマンの呼吸は荒い。戦士階級しかこの場にはいないにもかかわらず、まるで見知らぬモンスターに怯える子供のようだった。

 そのモンスターは村の中央に陣取ったまま、一切動かない。

 どれだけの時間が経過したのだろうか。ぴんと張り詰めた空気は、何かあれば即座に怒涛の展開を示すだろう。ジリジリと互いの距離を詰めようと動いている戦士たちが良い例だ。彼らは必死に自らの精神的な重圧を撥ね退け、動き出しているのだ。シャースーリューが剣を抜くのを視界の隅で認識し、それに遅れない速度でザリュースも静かに剣を抜く。
 もし戦いとなるならシャースーリューよりも早く、最初に突撃するつもりだ。

 空気中に澱むように溜まった緊迫感がより濃くなっていく。
 突如――怨嗟の声が止んだ。肩を空かされたように戦士たちの動きが止まる。
 モンスターが発していた幾つもの声が混じりあい、1つの声となる。それは先ほどのまでの意味の分からない呪詛のものとは違う。しっかりとした意味を持ったものだ。

『――聞け、我は偉大なる方に仕えるもの』

 ざわめき。そして互いの顔を見合わせる。ザリュースのみ、いや、ザリュースとシャースーリューのみ視線を動かさない。

『汝らに従属を要求する。ただ、偉大なる方は汝らを支配するに足る生き物なのか、その価値が見たいとおっしゃっている。寛大なる偉大なる方は汝らに準備の時間を下さる。必死の抵抗を――汝らの価値を偉大なる方に見せるための時間だ。本日より数えて8日。その日、偉大なる方の軍が汝らを2番目に滅ぼしに来るだろう』

 ピクリとザリュースの顔が歪み、鋭い歯をむき出し威圧の唸り声を出す。

『必死の抵抗をせよ。偉大なる方が汝らに見出すだけの価値があると理解されるように』

 煙が一瞬たりとも同じような形を取らないよう、そのモンスターは歪にゆがみながら形を変えつつ、中空に浮かんでいく。

『ゆめ忘れるな。8日後を――』

 そのまま何も邪魔することの無い中空を森の方角めがけ飛行していく。その後姿を多くのリザードマンが見送る中にあって、ザリュースとシャースーリューは遠くの空をただ黙って眺めていた。


 ◆


 かなり大きい、この村最大の小屋――集会所として使われるそれは普段は殆ど使われていない。絶対権力者である族長がいる以上、集会という行為がさほど行われず、そのため小屋の価値が無いのだ。
 しかし、その日は小屋の中に異様な熱気が立ち込めていた。
 その場には部族の戦士階級以上の殆どのリザードマンがいる。祭司達、狩猟班、長老会。そして旅人であるザリュースも。皆、胡坐をかき、シャースーリューに向かって座る。
 それはまさに会議の形だ。
 つまりは多くのものから尊敬される族長であるシャースーリューが、様々なものの知恵を借りたいということだ。それがどれだけの非常事態なのか、理解できないものはこの場にいない。

 族長であるシャースーリューが会議の始まりを告げる。

 そして口を最初に開いたのは祭司頭である。
 年齢のいったメスのリザードマンであり、奇怪な文様を白の染料で体に書き込んでいる。それは色々な意味を持つそうだが、ザリュースはその意味は多少しか知らない。まずは結婚している者のものであり、得意とする魔法の分野のものであり、年齢にものだったか。他にも詳しくは知らないが、どの儀式に参加できるかとか、対外的に地位を示すものとかも書かれているはずだった。

「天を覆った雲をおぼえておるな?」そこで言葉を切ると周囲を見渡し、皆に思い出させる。「あれは魔法じゃ。《コントロール・ウェザー/天候操作》と呼ばれる第6位階魔法じゃ。あれほどの魔法を使えるものに歯向かうのは愚かのすることじゃ」

 祭司頭の後ろに並ぶ、同じような格好をした者達――祭司たちが、同意をするように頭を振る。ただ、第6位階といわれてもそれがどういったものなのか理解できず、幾人かが疑問のうなり声を上げる。

「ふむ……そこの」

 どう説明すれば良いのかと困惑した表情を浮かべた祭司頭は、指を1人のリザードマンに突きつける。指を指されたリザードマンもまた困惑げな表情で、自らを指差す。

「そうじゃ。お前、わしと戦って勝てるか?」

 指差されたリザードマンは慌てて首を左右に振った。
 祭司頭と武器のみを持って戦うのであれば勝てる自信はある。しかし、魔法までも使用してならば勝算は低い。いや低いどころか無いとも言える。それは祭司頭の魔法で、様々な種類のモンスターが屠られているという事実から来る推測だ。

「まぁ、おぬしが戦士としてどれほどの力をもつ者かは知らぬ。ただ、その者が勝てないと思うこのわしは、第2位階までしか使うことはできん」
「つまりは3倍強いということか?」

 誰かの質問にため息をつきながら、祭司頭は嘆かわしく頭を振った。

「そんな単純なものではない。第4位階を使えるのなら、わしらの族長すら多分殺しきれるじゃろう」ざわりと場が揺らぐが無視して続ける。「第5位階を使いこなせるなら戦士達を全て同時に相手にして勝てるじゃろう。ならば第6位階はどの程度か理解できるか?」

 最後に絶対とは言えんし、恐らくという推測の言葉が入るがな、というと祭司頭は口を閉ざす。
 ようやく第6位階という魔法の凄さを知り、静まり返った部屋の中に、再びシャースーリューの声が通る。

「つまりは祭司頭は――」
「逃げたほうが良かろうと思う。戦っても勝てまい」
「何を言う!」

 太く低い咆哮と共に、がばりと立ち上がったのは巨躯のリザードマンだ。体格の良さだけであればシャースーリューに並ぶだろう。全身の鱗に細かな傷を作り、自己出張の激しい隆々とした筋肉。
 戦士頭である。

「まだ戦ってもいない内から逃げよというのか! 大体あの天気の変動ですら、何らかの儀式や道具によって起こしたものかもしれないではないか!」

 そうだ、そうだと幾人もの声が上がる。それはまだ若く、血気盛んな戦士達の声だ。

「大体、あの程度の脅しで逃げ出してどうする!」
「――貴様の頭には脳みそは詰まってないのか! 戦ったときには遅いというておるのじゃ!」

 戦士頭とにらみ合うように、祭司頭も立ち上がる。二人とも興奮しており、互いに威嚇音を無意識のうちに出している。一触即発という言葉が誰もの頭に浮かんだそのとき、冷たい声が響く。

「……いい加減にせよ」

 まるで寝ている最中に水を流し込まれたような表情で、戦士長と祭司長がシャースーリューに顔を向ける。それから両者とも頭を下げ、謝罪すると互いに腰を下ろした。

「――狩猟頭」
「……戦士頭の意見も、祭司頭の意見も理解できるし、納得できる」

 シャースーリューの問いかけに答えるように、ひょろっとしたリザードマンが口を開いた。痩せているといっても、筋肉が無くてではない。極限までも絞り込んだようなそんな細さだ。

「ゆえに時間はあるのだから、様子を伺ってはどうだろうと思う。それに向こうも軍で来るといっているのだ。相手の軍を観察した後でも良かろう?」

 幾人かの同意するような声が聞こえる。情報が足りない中でああだこうだ、言っていても意味が無いという意見を持つもの達だ。

「――長老」
「なんともいえぬ。どの意見も正しく感じる。あとは族長が決めることだろう」
「ふむ……」

 シャースーリューの視線が動き、幾人ものリザードマンの間から垣間見れる、ザリュースを正面から見据える。ザリュースには、兄が目の中で頷くのが感じ取れた。背中を優しく押されるような気持ちで――ただそれは断崖絶壁かもしれないが――己の意見を口にしようと手を伸ばす。

「族長。意見を述べさせて欲しい」

 誰が手を上げたのか。
 その場にいるリザードマン、全ての注意がザリュースに集まる。その大半がついに動いたかという期待であり、状況が動くことを確信しているものであった。ただ、それに対し眦を上げたリザードマンたちもいる。

「旅人のおぬしが口を出すことではない! 会議に参加させてもらっているだけで感謝すべきじゃろう!」

 長老会に所属する老人の1人が声を上げる。それに追従するように幾人かの声があちこちらから飛ぶ。ただ、集まった数からするとそれは非常に少ない。逆にそんな声を上げたものを鬱陶しそうに見る眼がある。

「下が――」

 バンと床を1本の尻尾が激しく叩く。その音が長老の発言を鋭い刃物のごとく断ち切った。音の発生源へ振り向いた長老が尻尾を力なく垂らす。誰が発したものか。それを知ったものの誰もが黙りかえる。

「騒がしい」

 危険な感情を込めた、シャースーリューの声。声のところどころに、リザードマンが激情時に上げる唸り声が混じっている。それを前に口を挟めるものはいない。小屋の中の緊張感が一気に増し、先ほどまで熱気があったはずなのだが、極寒の冷気すら感じられる。
 いや、だがその中にあって口を開くものがいた。その勇気は賞賛されるべきものだが、誰もが余計なことをするなという非難の視線を送る。

「しかし、族長。あれはおぬしの弟だからといって特別扱いは困る。旅人は――」
「騒がしいと言った。聞こえなかったのか?」
「ぐむぅ……」
「今、知識ある全てのものたちを参加させているのだ。旅人の意見も聞かなくてはおかしかろう」
「旅人は――」
「――族長が構わないというのだ。それとも従わぬのか?」

 その言葉を言われては、族長の下に位置する長老会が口を開くことは躊躇われる。旅人――ザリュースの発言を妨げたのは、社会構造的に正しくない行為だと判断したからだ。もし、今、族長の言葉を無視して従わなかったら、社会構造上正しくない行為を自分たちが行うこととなる。
 黙った長老会から視線をそらし、シャースーリューは他の頭たちを見据える。

「祭司頭、戦士頭、狩猟頭。お前達も聞く価値が無いと思うか?」
「ザリュースの言なら聞く価値はある」最初に答えたのは戦士頭だ。「あの凍牙の苦痛<フロスト・ペイン>を持つものの意見を聞かぬなど、そんな戦士はおらん」
「俺達の仕事を奪いかねない男の意見だ。十分に聞く価値があるな」

 おどけるように狩猟頭も答える。最後に残った祭司頭は肩をすくめる。ちらりと長老会を伺ったのはどういう狙いか。

「当然聞くとも。知識あるものの言葉を聞かぬのは、愚か者のすることじゃ」

 痛烈な皮肉を受け、長老会の幾人が顔を顰める。シャースーリューは3人の頭の意見に頷くと、話を進めるように顎をしゃくる。ザリュースは座ったまま、口火を切る。

「……戦うべきだ」
「ふむ……理由は?」
「それしか道は無い」

 言い切るザリュース。だが、それは質問に対する答えではあるが、正しい答えであるとは言い切れない。本来であれば族長が理由を聞いたのだから、道が無いのであれば何故道が無いのかをきちんと説明すべきだ。それをしないということはそこに理由があるというのか。
 シャースーリューは自らの弟の考えの読みきろうと、口元に丸めた手を当て、深く考え込む。

「……しかし勝てるかの?」
「勝てるとも!」

 シャースーリューが何も言わない間に、祭司頭の不安を受け、それを吹き飛ばすような勢いで戦士頭が叫ぶ。しかし、祭司頭はただ目を細めるだけだ。勝てるとは思っていないのが明白な態度だ。

「……いや、今のままでは勝算は低かろう」

 戦士頭の意見を正面から否定したのはザリュースだ。戦うべきという意見を述べながら、勝てないと言い切るザリュースの矛盾した発言にその場にいる皆が困惑した。

「……どういうことなのだ?」
「戦士頭。相手はこちらの情報――戦力というものを知っているはずだ。でなければあのような上から見下ろすような発言は無かろう。ならば今ある戦力では善戦は出来ても勝利を収めることは不可能だろう」

 誰もが納得できる考えだ。
 あのモンスターが述べた台詞には、今のザリュースの意見を肯定させる要素が多分に含まれている。では、どうするのだ。誰もがそう問いかけようとした、その瞬間。機先を制すようにザリュースは口を開く。

「ならば相手の計算を狂わす必要がある」

 シャースーリューはなるほどと口の中で呟く。弟の狙いが読めたからだ。しかし、それを皆の前で口にすることは戸惑われる。ザリュースがそのまま小屋の中にいるリザードマンたちに演説をするさまを只黙って見るだけだ。

「……皆、かつての戦いを覚えているな?」
「無論だ」

 そう、誰かが答えた。
 5年前に起こったそれを、早くも忘れるほどこの場にいる誰もボケてはいない。いや、ボケていようとあの戦いを忘れることはできないだろう。
 かつてこの湿地には7つの部族があった。緑爪<グリーン・クロー>、小さき牙<スモール・ファング>、鋭き尻尾<レイザー・テール>、竜牙<ドラゴン・タスク>、黄色の斑点<イエロー・スペクトル>、鋭剣<シャープ・エッジ>、朱の瞳<レッド・アイ>である。
 だが、その内現存する部族はその内5つ。
 2つ部族が存在しなくなるほどの、多くの命が奪われた争いがあったのだ。

 その元々の発端は主食となる魚の不漁が続いたことだ。
 その年はたまたま水質の変化があったのか、取れてもあまり大きくなっていなかったのだ。そのため狩猟班は湖の広い範囲にまで手を伸ばす結果となった。無論、他の部族だってそれはいえることだ。
 やがて漁をする場所を巡って狩猟班同士がぶつかり合うこととなる。ただ、そこにはお互いの部族の食べるものが掛かっているのだ。お互いに引くことはできない。

 口論が喧嘩に、喧嘩が殺し合いに発展するまで、さほど時間は掛からなかった。
 やがて狩猟班をバックアップするように互いの戦士達が動き出し、食料を巡って熾烈な戦いになっていったのだ。

 周辺7部族のうち5部族を巻き込んだ戦いは、3対2――緑爪<グリーン・クロー>、小さき牙<スモール・ファング>、鋭き尻尾<レイザー・テール>対黄色の斑点<イエロー・スペクトル>、鋭剣<シャープ・エッジ>の戦いへと変化し、戦士階級のみならずオスのリザードマン、メスのリザードマンまで参加する部族総出のものへとなっていった。当たり前だ。賭けているのは食料だ。もし負ければ後が無いのだ。

 やがて、数度の総力戦を得て、グリーン・クロー部族を含めた3部族側が勝利を収め、2部族側は部族という形を取れなくなり、散っていくこととなる。これは後に争いに参加しなかった部族に吸収されることとなったのだが。

 戦いの発端となった食糧問題は、皮肉にも湿地で生きるリザードマン総数が激減したことによって解消されることとなった。主食の魚が皆の手に回るようになったのだ。

「それがどうしたのだ?」
「奴の話を思い出してくれ。奴はこの村に2番目という話をしていた。ならばここ以外に他の村も同じようなメッセンジャーが行っているのではないか?」
「おお……」

 ザリュースの言いたいことが理解できた幾人かが納得の声を上げる。
 そしてほんの一握りのリザードマンが、己の言いたかったことを代表してくれたザリュースに感謝の念を送る。彼らは自らの立場ゆえに思っていても口に出せなかった、戦士階級でも地位の低いものたちだ。

「つまりは同盟を再び組むというつもりだな!」
「……まさか」
「そうだ。同盟を組むべきだ」
「かつての戦のごとくか……」
「それなら勝てるのでは?」

 隣同士で囁きあい、それに他の者が参加しだし、やがては大きなものへと変わっていく。小屋全体がザリュースの考えについて検討しあう中、シャースーリューのみ黙ったまま、口を開こうとはしない。
 充分に検討できるだろう時間が経過した頃、ザリュースが再び口を開く。

「間違えないで欲しい。俺が言いたいのは、全部の部族と、だ」
「なんだと?」

 その意味を、この場のいる者の中で2番目に掴んだ狩猟頭が驚きの声を上げた。ザリュースはシャースーリューを正面から見据える。その直線状にいたリザードマンたちは我知らずと道を開け、一直線に道が開く。

「竜牙<ドラゴン・タスク>、朱の瞳<レッド・アイ>とも同盟を結ぶことを提案するぞ、族長」

 大きなどよめきが起こった。
 殆どのものが考えてもいなかった発言だ。まさに爆弾を投じたような騒ぎに繋がってもおかしくないほどの。

 先の戦いには加わらなかった竜牙<ドラゴン・タスク>、朱の瞳<レッド・アイ>の2つの部族。それは交易等が無いために、使者にどのような行為に出るか想像が難しいということならず、ドラゴン・タスクに至ってはイエロー・スペクトルと、シャープ・エッジの生き残りを迎え入れたために、禍根が強く残っているのは想像に難くない。
 その2つの部族との同盟。
 もし、それが出来るなら確かに勝算はあるかもしれない。そんな淡い期待がこの場にいるリザードマンの皆に浮かぶ。

 そんな隠し切れない興奮がにじみ出てる場にあって、ポツリとシャースーリューは口を開く。

「誰が使者となる」
「俺が行こう」

 それはザリュースの即答であり、シャースーリューの予期した答えだ。周囲のリザードマンが感嘆の呻きを上げ、互いの顔を見合わせ頷く。それはまさに的確な人選だと判断してだ。しかし、たった1人だけその意見に不満を抱くものがいる。

「――旅人がか」

 シャースーリューがまるで見下すように言い切る。氷のような視線がザリュースを貫く。
 その気配に押されるように、周囲の誰もそれ以降の言葉を口にすることが出来ない。ただ、黙ってその激しい感情が自らの上に落ちてこないことを祈るだけだ。
 しかし、シャースーリューの本音を知るものは違う。その瞳にある本当の感情を知るものは。

「――族長。今はあまりにも非常事態だ。旅人という存在だからといって、話を聞かないものでは組むものも組めん」

 ザリュースはシャースーリューのツララの如き視線を容易く撥ね退ける。しばし睨みあい、シャースーリューは寂しげに笑った。諦めなのか、自らの言葉で弟を阻止できない虚しさなのか、はたまたは内心では適格者だと認めている自分への嘲笑なのか。透き通ったような笑いだ。

「――族長の印を持たす」

 それは族長の代理人という意味合いを持つ。決して旅人に持たせてよいものではない。長老会の数名が何か言いたげに身動きするが、口にする前にシャースーリューの激しい眼光を受け、言葉にすることはできない。

「感謝する」

 ザリュースは頭を下げる。

「……他の部族への使者は俺が選抜する。まず――」


 ◆


 夜にもなれば涼しげな風が吹く。湿地ということである程度湿度も高く、暑さと相まって息苦しいが、夜にもなればそれは落ち着き、逆に風が多少肌寒いぐらいだ。無論、リザードマンの頑丈な皮膚を持ってすれば、なんともない程度の変化なのだが。
 バシャバシャと湿地を歩くザリュース。向かう先はペットであるロロロのいる小屋だ。
 時間もあるように思えるが、何が起こるか不明だ。さらに敵が約束を守るかどうか、そしてザリュースの旅を邪魔する可能性。そういったことを思案すると、ロロロに乗って湿地を旅しようという計画が最も適している。

 バシャバシャと歩く音がゆっくりとなり、そして立ち止まる。背負ってきた様々なものを詰め込んだ皮袋の中身が、中で大きく揺れた。動きを止めたのは月光の下、見慣れたリザードマンがロロロの小屋から出て来たためだ。
 そしてザリュースと互いの視線を混じり合わせる。
 さほど距離は離れていない。10メートルだろうか。その距離が詰められないザリュースに小首を傾げると、その黒い鱗のリザードマンは自ら距離を詰める。

「――俺は、お前が族長になるべきだったと思っていたぞ」

 それがそのリザードマン――シャースーリューの第一声だった。

「……何を言う、兄者」
「かつての戦いを覚えていよう」
「当たり前だ」

 あの会議でその話題を出したのはザリュースだ。覚えていないわけが無い。そしてシャースーリューもそんなことが言いたいのではないとザリュースは思う。

「……お前は戦いが終わった後、旅人となった。あの時、お前の胸に焼印を押したことをどれほど後悔したか。殴ってでも止めるべきだったのではとな」

 ザリュースは頭を激しく振る。あのときの兄の顔は、今なお心に突き刺さった棘だ。あんな顔をさせてしまったことに対する。

「……兄者が許してくれたおかげで、俺は魚の養殖方法を学んでこれたのだ」
「お前であればこの村にいながらその方法を見つけただろう。お前のような聡明な男こそこの村を背負って立つべきものだったのだ」
「兄者……」

 過去に起こったことは決して元には戻らない。そしてもし――なんて言っても意味が無い。既に起こったことなのだから。しかし、それでもそう考えてしまうのは2人が弱いからか。
 いや、そうではないだろう。

「……族長ではなく、お前の兄として言わせてもらおう。1人で大丈夫かなぞ言わん。無事に生きて帰って来い。無理はするなよ」

 その言葉に傲慢な笑みでザリュースは返す。

「当然だ。全て完璧にこなして帰ってくるとしよう。この俺ならば容易いことだろう」
「ふむ」苦笑が自然にシャースーリューの顔に浮かんでいた「ならば失敗したら、お前の養殖している奴の中で一番脂の乗った奴を食わせてもらうぞ」
「兄者。それは全然嫌ではないので、こういうときに言う奴としては失敗だぞ」
「……ちっ」

 そして2人は静かに笑いあう。
 やがてどちらともなく笑うことを止めると真剣な表情で見合わせる。

「それで本当にあれだけがお前の狙いか?」
「……何を言う? 何を言いたい?」

 僅かばかりにザリュースは目を細め――それからしまったと内心で思う。自らの兄の洞察力を考えるなら、今の行為も不味い、と。

「……小屋でお前の話を聞いていてな。何故、最初っから分かりやすく説明しなかったのかと。まるで意見を誘導するような出し惜しみをする話し方だと思ってな」
「…………」
「……かつての戦いは、単純に小競り合いが無くなったため、リザードマンの数が増えたこともまた問題の1つだったのだろうよ」
「兄者……それぐらいにすべきだろう」

 ザリュースの鋼の思わせる口調は、シャースーリューの自説の正しさを証明したようなものだ。

「やはり……そうか」
「……それしかなかろう。かつての戦いを繰り返さないためには」

 はき捨てるようにザリュースは言う。ザリュース自身、碌でもないと認識している魂胆を秘めた策だ。薄汚れている。出来れば兄には知られたくない類の。

「……ならば、もし他の部族が同盟を組まなかった時はどうするのだ? 力の衰えたものと最初から逃げたものでは相手にならん」
「そのときは最初に……潰すしかないだろう」
「最初に同族を滅ぼすというのか」
「兄者……」

 説得するような意志を込めたザリュースの声を聞き、シャースーリューは大したことがないというかのように笑う。

「分かっているともお前の考えは正しい。そして俺もそれに同意しよう。部族の存続。それを上に立つものとして考えなくてどうするか、とな。だから気にするな、弟よ」
「ありがたい。ではこの村に連れてくるということでよいのか?」
「うむ。主戦場になるのは1番目の村だ。できるだけ先に送って、防衛の準備を整えなくてはならん。もしかしたら俺がいないかもしれんが、その場合は残っているものに伝えておくとしよう」
「頼むぞ、兄者。でこれから行く部族が1番目だった場合はどうする?」
「そのときは戦士たちはこの村に集めておく。お前が戻ってき次第出発しよう」
「了解した」
「それと食料の件だが、お前の生簀の魚はもらうぞ?」
「無論だ。ただ、稚魚だけは残しておいて欲しい。なんとか巡回サイクルが上手く起動に乗り出したのだ。たとえ村を捨てる結果になっても、あれは将来役に立つ」
「お前がそう言うならそうなんだろう。わかった。取るものに強く言っておく。それで何食分になる?」
「そうだな……干物をあわせて、1000食ほどになるだろう」
「なるほど……1000食か。ならば一先ずは問題ないな」
「ああ、では兄者。行かせて貰う。……ロロロ」

 ザリュースの声に反応するように、窓から蛇の頭がにゅっと姿を見せる。月明かりを反射し、鱗がぬめぬめとした、それでいて綺麗に輝く。

「出かけよう。こちらに来てくれるか?」

 ロロロはしばらくザリュースとシャースーリューを眺めていたと思うと、頭を引っ込める。重いものが歩き出す水音、そしてゴボゴボという音が響く。

「ふむ……そうだ」

 突如、シャースーリューは思い出したように言葉を紡ぐ。実際はいつ言うべきか様子を伺っていた気配のある唐突さだ。

「……狩猟頭に言って避難できそうな場所は探しておく」
「頼む、兄者。それと人数はどうする、予測はしていたのだろう?」

 問われたシャースーリューは僅かに言いよどむが、直ぐに返答する。予期していたとはいえ、口にするのはすこしばかり心が痛むという態度で。

「……戦士階級10、狩猟20、祭司3、オス70、メス100、子供……多少というところだな」
「……子供は置いていかないか? 邪魔では?」
「それだと反対意見の方が強くなり、決まらなくなるだろう。ある程度は不満の解消のために連れて行くべきだろうな」
「だが、子供を選ぶのだけでも揉めかねん」
「なるだろうな。ゆえに選ばれたオスとメスの子供を優先すればよい」
「それしかないか?」

 シャースーリューの草臥れた笑みを受け、ザリュースは黙る。小屋のほうからパシャリと水面を跳ねる音がする。2人は音のしたほうを観察するように眺め、互いに笑う。それは懐かしいものを思い出すような、憧憬を多く含んだものだ。

「ふむ……あれも大きくなったな。先ほど小屋に入って驚いたぞ?」
「ああ、兄者。俺もだ。あそこまで大きくなるとは思ってもいなかった。拾ったときは、かなり小さかったのだぞ」
「信じられんがな。戻ってきたときにはかなりの大きさだったしな」

 2人ともかつてのロロロの姿に思いをはせていると、小屋から少しばかり離れたところの水面から、4匹の蛇の頭が伸び上がっている。そして4匹の蛇は同じような動きで水面を掻き分け、ザリュースたちによってくる。
 突如、蛇の頭が大きく持ち上がり、水面から巨大なものが姿を見せる。それは巨大な爬虫類のような獣。4本の頭はくねる首を通してそれと繋がっていた。
 ヒドラ。
 それがロロロの種族の名である。

 5メートルにもなる巨体を意外な素早さで動かし、ロロロはザリュースの元まで来る。
 ザリュースはロロロの上に、木に猿が登るような軽やかな動きで昇る。

「無事に帰って来い。それと悪役っぽく行動することは無い、似合っておらんぞ? 昔のように、犠牲なんか1人もださんとか言っているほうがお前らしい行動だ」
「……俺も大人になったということだ」

 そんなザリュースの言葉を受け、シャースーリューは鼻で笑う。

「尻尾に殻の付いた小僧がいっちょまえに……。まぁよい。無事にな。もしお前が帰ってこなかったら、最初に攻める相手が決まるな」
「無事に帰ってくるさ。待っていてくれ、兄者」

 それから少しの時間だけ、万感の思いを抱きつつ互いの顔を見つめあい――それから、何も発することなく両者の影は離れていった。
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