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オーバーロード:前編 作者:丸山くがね
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初依頼-5

 ようやく帰り着いた街は徐々に夜の顔を見せ始めていた。
 大通りには魔法の明かりが白色光を周囲に投げかけ、通りを歩く者の雰囲気もだんだんと変わりつつある。若い女や子供といった存在は姿を消し、歩いているのは仕事帰りの男が多い。左右に立ち並ぶ店からは陽気な声が明かりと一緒に漏れてきていた。
 そんな中、4頭立ての豪華な馬車が一台、モモンたちの横手を走り去っていった。こんな時間なのに門の方へ向かう馬車を幾人かが訝しげに見送るが、すぐに忘れて思い思いの方向へと足を進める。

 馬車が通り過ぎたのを合図にしたように、モモンたち一行は立ち止まった。
 後ろを歩いていた幾人かが迷惑そうな顔をするが、冒険者である彼らに面と向かって文句を言うほど勇敢な人間はいなかったようだ。

「お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」

 ペテルにあわせてモモンも頭を下げる。

「とりあえず今回はここまでで結構です。お疲れでしょうから、ここで解散としましょう。後のギルドでの処理はこちらの方で済ませておきますよ」
「そうですか? それはありがとうございます」
「それで報酬なんですが……」

 モモンの手に一枚の金貨が乗せられた。それをモモンは訝しげに見つめる。約束の金額とはまるで違う。

「多くありません?」
「モモンさんが倒されたゴブリンの討伐報酬が1体で銀貨1枚。それにポーターの報酬が銀貨6枚。それと初めての冒険をくりぬけられた方へのご祝儀も含んでいます」

 モモンは僅かに迷い、それから金貨を自らの財布にしまいこむ。

「……分かりました。そういうことならもらいます」

 それと引き換えに、殆ど空となり軽くなった背負子をペテルに渡した。チラリとニニャを軽く見――

「では、私はここで」

 ――頭を垂れ、歩き出すモモン。
 その背が人影に重なりながらゆっくりと離れていくのを只黙って見送る旋風の斧一同。やがて姿がほとんど人に隠れて見えなくなってきた頃、最初に口を開いたのはペテルだ。

「いや、それにしても意外にやるな」
「全くだ。今回が始めて冒険に出た村人には思えん」

 それに答え、ダインが重々しく頷く。それは単純に優秀な駆け出し冒険者に対する賛辞の表れだ。
 ニニャが僅かに顔をゆがめたことにルクルットは悟るが、それを口には出さない。だが、別の意味合いのことを口に出した。

「だれか彼に渡したいものを忘れてはいないか?」

 不思議そうなに眉を顰めるペテルとダイン。その意図が読めたニニャは頭を横に振った。

「誰も忘れてないよ。それに止めた方が良いと思うけど」
「やっぱり? なんていうかあいつの後姿ってあんまりにも隙が無いんだよな」

 ようやく2人の会話の中身が理解できたペテルとダインは渋い顔を浮かべた。冒険者であれば触れられたくない過去を持っている者もいる。巣を突いて毒蜂を呼び出すことも無い。

「やめておけ。それにそういう訓練を受けてるんじゃないのか?」
「ペテルー。少しは色々と考えようぜ。色々と聞かれただろう? 何かの訓練を受けてるのに、当たり前のことを知らないなんてあると思うか?」
「隙……レンジャーやシーフのような捜査系のすさまじい才能を持った村人というのはどうだ?」
「あー、可能性はあるだろうけど……」

 顔をぽりぽりとかきながら、納得のできない声を上げるルクルット。同じレンジャーとして何か思うところがあるのだろう。

「ペテルもそう思ったから、報酬を多めに払ったのだろう?」
「まぁ、優秀そうですし、できればよい関係を築きたいですからね」
「だったらやっぱりよ。少しは調べておくか? 色々とコネを使えば少しは分かるだろうよ」
「――止めておいた方がいいよ」

 ばっさりとルクルットの提案を一刀両断するニニャ。その姿に違和感を感じた一行は疑問を口にしようとするが、何も言わずに喉の奥に飲み込む。
 ニニャの知識が一行を救ったことは多くある。
 そんなときに浮かべる表情が今、ニニャの上に現れていることに皆、理解できたからだ。

「そうだね――本当に止めておいた方がいいよ」

 ニニャの本当に小さな呟きが、一行の喉の奥に重たい何かを感じさせた。そして僅かに震えるニニャの体を前に、一行の背筋に冷たい空気が流れ込んできた。



 ■



 モモンが進んだ先は宿屋ではない。路地を一本入り、その先でまた細い路地に入り込む。だんだんと周囲の雰囲気は暗く、静かになっていく。
 そこは貧民街。
 廃棄されたような背の低い空き家が左右に立ち並ぶ。乱雑に立てられた襤褸屋が道幅を狭くし、それと同時にどこを歩いているのか迷わせるほど込み入っている。道はでこぼこなものであり、腐ったような水溜りが時折できている。
 襤褸屋も家と呼べるような、ちゃんとした作りのものではない。木で大雑把に作った骨組みのみだ。恐らくはこれに布を巻きつけて家とするのだろう。今では布が無く、骨組みしか残っていないのだが。

 長い間掃除されて無い犬小屋のような匂いが空気中を漂っている中を、モモンは進む。
 明かりなんていう立派なものは無い。ただ、遠くの方で幾人かが路上に焚き火を焚いていたりするのが、目に入る程度だ。ほとんど真っ暗な狭い道をモモンは迷うことも、足をとられることも無く歩く。
 草原では星明りがあったのだが、この地では時折立っている背の高い建物に隠れて、大地まで届かない。
 かなり後ろ、大通りからは華やかな声がここまで聞こえる。それはどれだけこの周囲が静かなのか。

 モモンは無言で歩く。

 やがて何度目かの路地を曲がった際、僅かにモモンの歩運びが乱れ、歩調がゆっくりとしたものへとなる。
 それは曲がろうとした路地から光が投げかけられていたからだ。赤い揺らめくような光。それは魔法的なものではなく、一般的な松明や焚き火によるものだ。

 路地を曲がって、モモンはひょいっと顔を覗かせる。
 今までと同じ、狭く薄汚い路地だ。背の低い建物が左右に並び、すえたような臭いが僅かに空中を漂う。路地の中ほど、片隅でぽつんと焚かれた、火が周囲の路地に明暗を浮かばせていた。
 パチッと炎の中で木がはぜ、火の粉が舞い上がった。
 周囲に人の姿は見えない。

「そう」

 ワザとらしく周囲を伺い、モモンは冷たく笑う。

 人の姿は見えない。そうだ、視界には入ってこない。だが、気配はある。そしてモモンの魔法にも反応がある。

 1、2、全部で4……。

 まるで待ち伏せのようだ。いや待ち伏せなのだろう。では、待ち伏せているのは誰の手のものか。
 モモンの脳裏を先ほど分かれた冒険者達が浮かぶが、正体を気取られるような行為は取ってないはずである。
 情報が少なすぎる。早急な判断は不味い。つまるところ1人の命は助ける必要がある。

 僅かに眉を顰め、思案したのは一瞬。モモンはすぐにそのまま歩を進める。その歩運びには乱れは無く、自然なものだ。
 路地を歩き、焚き火に近づいていく。 
 やがて、かなり近づいた際に闇に身を伏せるようにしていた気配が動き、頭上から投網が大きく広がりながら、モモンめがけ降ってきた。
 絡みつかれれば身動きをとる事は当然できなくなる。同時に通りの影から棒のようなものを持った男が焚き火の明かりに照らしだされるように出てくる。それも3人ほど。
 つまり投網で動けなくして殴打、しかる後に持ち物を奪うというところか。
 モモンは納得し、微笑む。
 一番警戒していたのは理解できない状況へと動くことだ。だが、これは非常に分かりやすい状況だ。一応、最低でも1人は捕まえて詳しい話を聞かなくてはならないだろうが。それでも対処は簡単だ。

 投網は十分に広がりながらモモンの体を覆う。

 しかしながら、まるでモモンの体を滑るかのように、投網は捕らえることなく地面に落ちた――。

「残念」

 ガントレットの上から、モモンははめている指輪を押さえる。
 リング・オブ・フリーダム。束縛や麻痺といった行動を阻害する一切に対して無効化能力を与えてくれる指輪である。モモンが捕らわれることを最も警戒したアインズが、彼女に与えたものだ。それに守られたモモンに投網の効果はない。

 投網が目標に絡みつかなかったことを驚く、3人の男達。当たり前だ。彼らの小さな常識では考えることすらできない状況が眼前で起こったのだから。
 そのためこのような事態は想定外だった彼らは硬直し、次の行動に移ることができない。
 それはあまりにも遅すぎる。いや、モモンを襲うという段階で全てが手遅れだったともいえるが。

《マス・ターゲティング/集団標的》
《マキシマイズマジック・マジック・アロー/最強化・魔法の矢》

 立て続けの魔法発動にあわせ、モモンの手から放たれた6本の光弾が中空を舞う。
 2本が投網の落ちてきた背の低い家の屋根へ、そして残りの4本が2本づつに分かれて2人の人影に突き立つ。頭上で肉袋を激しく叩く重々しい音と、騒がしく転倒音が聞こえた。そして少し遅れ潰れる音が響く。

 通りの奥でも2人の人影が、枯れ木を数本以上同時にへし折ったような乾いた音を立てた腹部を押さえながら、ゆっくりと崩れ落ちた。
 たった数瞬で最後の1人になったしまった人影は戸惑い、それから背中をモモンに見せながら走り出そうとする。ようやく状況を理解したというところか。

「はぁ」

 モモンは哀れな男にため息を漏らす。
 逃げられるわけないのに、面倒なことをするなぁ。そういう系統の、無駄な労力に対するため息だ。

《――エクステンドマジック・チャームパーソン/時間延長化・人間魅了》

 モモンは男に向かって強化された魔法を発動させる。それから声を投げかけた。

「待って、友達」

 必死に逃げ出していた男の足が、ピタリと止まった。そして恐る恐るモモンへと振り返る。

「待ってよ、友達」

 モモンは再び同じ問いかけを繰り返すと、のんびりと男の方に歩き出す。振り返り、モモンを確認した男の顔にはまるで地獄で親しい友人に会ったかのような、安堵の色があった。

「なんだ、おまえだったのか――」
「そうだよ」

 眼に見えて男の肩から力が抜けていく。それを薄く笑いながらモモンはのんびり歩く。その嘲りとも侮蔑とも知れないものを多分に含んだ笑顔を前にしても男に反応の変化はない。
 本当に心の底から親しい人間を前にしたゆとりを持って、男は立っている。

 モモンはのんびりと男に向かって歩き出す。
 モモンと魅了された男の間に、2人の男が口からはやけに綺麗な鮮血を吐き出して倒れている。僅かな異臭のする貧しい服を着ている。こぼした食事のシミのようにその服に鮮血が所々付いている。口から吐き出したものが付着したのだろう。
 傍らには無骨な木の棒が転がっている。
 2人ともすさまじい激痛に襲われたと一目瞭然な、信じられないような苦悶の表情を浮かべたまま、ピクリとも動く気配は感じられない。
 幻術系の魔法に《フォックス・スリープ/擬死》という魔法もあるが、それを使用した形跡もない。《ディテクト・ライフ/生命感知》にも反応は無い。ならばこの2人は確実に死んでいる。それは即ち屋根にいた生命も反応が無いのだから、この2人と同じように死んだということだ。

 近づくと男がモモンに不満を述べた。

「ひどいぜ、こいつらが死んじまったじゃないか」
「あなた達が私を襲ってきたんだよ?」
「まぁ、そうなんだけどよ、殺すことも……」

 天を仰いで、ぶつぶつ呟く男。納得はしかねるが、仕方が無い――不満がある程度というところか。
 魔法によって魅了された男にとっての最高の友人は現在モモンだ。ならばそのモモンの言葉はある程度は納得するしかない。勿論、これは低位の魅了の魔法によるものだから、男の本来の考えを大きく歪めることはできない。つまり人殺しが大罪だと思ってる者なら友人となったモモンを自首するように説得するだろう。
 つまるところ、この男の反応は友人が人殺しをした際の考えを表したものだ。ある程度は罪悪感を覚えるが、それほど強いものではないという。

 モモンは周囲を見渡す。何時までもこんなところにいることはできない。それに死体も処分しなければならない。貧民街までは夜警も見回りには来ないだろうが、それでも死体を放置するのは厄介ごとを引き起こす可能性がある。
 それに通常より倍の時間、魅了の効果は続くが永続的効果というわけではない。効果時間内に一応の背後関係も洗っておく必要がある。

「ここは危ないから、私についてきて。……友達」
「ああ、わかった」

 打てば響くような反応を示す男と連れ立って、モモンは歩く。横にいた男が絶え間なく話しかけてくるが、それを話半分に流す。どれだけ冷たい返事をしても気にすることの無い男の様は、完全に魅了の効果によるものだ。

 1分もかからずに目的地の襤褸屋が見えてきた。
 かなり大きい家だ。
 だが、打ち捨てられてから結構な時間が経っているのだろう。
 漆喰で塗られただろう壁は経年劣化によってボロボロと剥がれ落ちている。風雨に耐えかねたのか、鎧戸は半分腐り落ちかかっていた。屋根はより悪い。屋根を作っていた木材は腐り落ち、家の内部に崩れこんでいた。
 無論、屋内に明かりは無い。いや、僅かな月明かりが入り込んでいるため、狭かった通りよりは明るいともいえる。
 そんな家の中にモモンは横手に空いた穴から入り込んだ。
 廃墟と化した家屋の中で元気に伸びつつあった雑草を前に、モモンは少しの時間だけ考え込む。踏みしめることで足跡を残すことを考えてだ。しかし、直ぐ後ろの男を思い出したモモンは、堂々と足跡を残しながら家屋の中に入っていく。

 腐りきった木材がモモンの体重をその身に受け、耐えることを諦めてもろくも崩れる。天井が抜けていることによって僅かな星明りが入ってきている。スポットライトに照らされる俳優のようにモモンはその明かりの下に立つ。周囲にわだかまる闇を見据えながら。
 モモンの後ろから男が家の中におっかなびっくり入ってきた。

「おいおい、大丈夫なのかよ」
「大丈夫よ、友達。ここなら安全」
「そうか? まぁ、お前が言うならそうなんだろうけどよ」
「さて、さて」

 モモンは後ろを振り返り、先ほどから持続している魔法による生命反応を感知する。
 いる。
 男を除いて周囲に3つ。全てこの家屋の中だ。モモンの鋭敏な感覚も同じだけの気配を感知している。

「えっと、ここから1分ぐらい行った所に3人の人間の死体がある。持ってきて」

 ザワリと周囲の闇が動き、モモンの指差した方角に動き出す。比喩的な表現ではない。二次元的な影が、本当に動いたのだ。

「ひっ!」

 男から掠れた悲鳴が漏れる。小動物を思わせる動きで周囲の闇を見渡し始める。無論、もういないのだからどれだけ目を皿にしても見つかるわけが無い。

「さてと。時間はあるし聞かせてもらおうかな」
「な、何をだ?」
「簡単。何で私を襲ったの? 誰かに頼まれた?」 

 誰かに頼まれたのだとすると非常に厄介なことになる。しかしながら、男の返答にモモンは安堵の息を漏らした。

「いや、単に金目当てだ。もちろん、あんただと知っていたなら、あんなことをしなかったぜ、ほんとうだよ。俺は友達には優しい男なんだ」
「ふーん」

 なら聞くことは聞いた。
 モモンは微笑むと、雑草に跡が残らないような軽やかな動きで、男と互いの呼吸が触れ合うほどの近さまで寄った。そしてガントレットを外すと、指を伸ばした。男の胸板に指を突きつけ、魔法を発動させる。

《ドラウンド/溺死》

 男が目を大きく開き、口元を押さえる。口元から僅かに水がこぼれた。
 《ドラウンド/溺死》は肺を水で満たし、死へのカウントダウンを行う魔法である。水中呼吸を行える存在には無意味だし、死亡するまでに呼吸ゲージの長さだけ時間がかかるためにユグドラシルではさほど怖がられない魔法だが、それは対策があるからである。

 攻撃を受けたことによって魅了の魔法が解けた男はまさに魔法が解けたことに対する驚愕、そして自らが呼吸できないことに対する恐怖によって喉を掻き毟りだす。必死に水を吐き出そうとする男。それに優しいとも言って良い響きでモモンが話しかける。

「無理。水は吐き出せないし、吐けたとしてもすぐに肺にたまるから」

 その言葉が分かった男は背を見せ、モモンから逃げようと走り出そうとする。無論、そんな行為を許すはずが無い。モモンの足が男の足を払った。ドスンと音を立てて男の体が廃屋の床に転がった。
 そのままモモンは男の体の下につま先を入れると、無造作にひっくり返す。そして無様に転がった男の腹部に足を下ろし、力を込める。
 何をされているのか、直感的に理解した男はモモンの足を跳ね除けようとするが、これっぽちも動かない。体をくねらせてもまるでびくともしない。
 圧倒的な筋力の差を認識したのだろう。泣きそうな顔で男が胸元で手を組み合わせる。
 恐怖、哀願、苦痛。
 ころころと変わる男の表情。それをただ黙って見つめるモモンの足を、男が必死の顔で掴む。呼吸できない真っ赤な顔で必死に力を込め、少しでも動かそうとする。恐らくは男が生きてきたどの瞬間よりも強い力だろう。だが、そんな火事場の力だろうと決して覆せない力の差はある。

 ばたばたと暴れる男の体、紅潮した顔を殆ど無表情にモモンは見下ろす。
 僅かにモモンの口元はつりあがっていた。

 やがて口から水を吐き出しながら、男の眼球がぐるっとひっくり返る。体が糸が切れたようにぐにゃりと崩れた。もはやピクリとも反応はしない。

「ふん」

 鼻でかすかに笑うと、興味も無くなった玩具をうち捨てる眼差しを男の死体に投げかけ、腹部に置いていた足を上げる。
 それからモモンは戻ってきた気配に向き直った。

「さてと、ご苦労様」

 片手で軽々と持った荷物を放るような気軽さで、どさりと3つの死体が転がった。その死体を放った存在は闇に溶け込み、姿を確認することはできない。モモンの先ほどから続いている生命感知の魔法には反応があるのだが、

「さて、姿を見せてくれるかな、シャドウデーモン達」

 闇の中の厚みの無い影がゆっくりと膨らんだ。まさに二次元から三次元だ。
 痩せこけた人型、背中にはこうもりのような羽。途中から鋭利な爪と化している指。
 そのすべてが闇をくりぬいた様に漆黒の一色。唯一、目のみが病的な黄色の輝きを持つ。まさにシャドウデーモンの名に相応しい悪魔である。

『そちらの本当の姿を見せて欲しい』
「?」
『我らが偉大な主より貴方に仕えろと命を受けてはいるが、確認がしたい』
「はぁ。まぁ、そういうことなら……その前にあなた方の主人の名を告げてよ」
『我らが偉大なる主の名はアインズ・ウール・ゴウン。至高のお方よ』
「了解」

 モモンの姿が歪む。
 それはナザリック大地下墳墓での姿と何も変わらない。ただ、服装は変わらないために、胸の部分がぱっつんぱっつんである。

「これでいいのかな?」
『……それでは完全な確認が取れない。重ねて言う。本当の姿を見せて欲しい』
「……しょうがないか」

 頭をかきながら一瞬逡巡したモモンは能面の冷たさで頷く。そしてどろりと顔の輪郭が歪んだ。
 そのあとの姿を一言で形容するなら、化け物だ。

 ピンク色の卵を髣髴とさせる頭部はつるりと輝いており、産毛の一本も生えていない。
 顔に当たるところは鼻等の隆起を完全に摩り下ろした、のっぺりとしたものだ。目に当たるところと、口に該当するところにぽっかりとした穴が開いている。眼球も唇も歯も舌も何も無い。子供がペンで塗りつぶしたような黒々とした穴のみだ。体つきもひょろりとしたものに変わり、胸の膨らみは針でも刺して空気を抜いたかのように萎んでいた。
 麻でできた手袋が地面に落ち、先ほどまでは綺麗に整えられた5本の指があった場所は、現在では4本の異様に長い指が奪っていた。第四間接まである指が尺取虫のように蠢く。そのうちの一本に銀の指輪がはまっていた。

 ドッペルゲンガー。

 それがモモン――ナーベラル・ガンマの正体である。
 ドッペルゲンガーは種族クラスの上昇に応じ、1個ずつ外装を得ることが出来るのだが、ナーベラルはドッペルゲンガーの種族レベルを1で止め、魔法職に57レベルつぎ込むという成長のさせ方をしている。そのため変身できる外装はメイドの1種類しかないが、幻影魔法を使うことによって多彩な変化が可能なのだ。それが彼女が冒険者として街に潜入するように命令された所以だ。

 ナザリック大地下墳墓のNPCで人間種や亜人種はたったの2人しかいない。
 メイドたちはホムンクルスという異形種であり、ナーベラル達、戦闘能力を与えられたメイドたちもそうだ。ビートル系の擬態種、捕食型スライム、ライカンスロープ、デュラハン、自動人形<オートマトン>となっている。

 空気が洞窟を抜けるような音。
 それに混じって女とも男ともいえない奇妙な音程の言葉が聞こえる。

「確認した?」
『アインズ様の命令にあるナーベラル・ガンマと確認した。これより我々は貴女の配下に入る』

 ナーベラルは何も言わずに姿を歪める。おぞましいドッペルゲンガーの姿が消え、そこに立つのは美しい女性だ。先ほどの姿が嘘のような美貌が戻ってくる。地面に落ちた手袋を拾い、再びはめる。

「姿を見せて、シャドウデーモン」

 先ほどと変わらないある意味平坦な口調だが、そこには先ほどには無かった雷雲ごとき覆いがあった。それに気づいてか気づかずか、影から他の2体が姿を現し3体揃ってナーベラルの前に膝づく。ナーベラルはその1体、最初っから姿を見せていたシャドウデーモンに近づいた。

「ねぇ、なんで私がお前達ごときに本当の姿を見せなくてはならないの?」

 足が上げられ、シャドウデーモンの腹を強く蹴り上げる。旋風の斧のメンバーであれば、下手すれば内臓破裂につながる驚異的な脚力によるものだ。
 みしみしというきしむ音、シャドウデーモンは九の字に大きく体を歪ませた。押さえ込みきれなかった苦痛のうめき声が低くもれ出る。

「至高の方々によって生み出された者の頼みや確認だったら、理解できる。でもお前達ごとき単なるシモベに何で私が本当の姿を見せなくちゃいけないわけ? この女の姿は至高の方が私のために作ってくれた特別なものよ」

 能面の表情を維持しながら、何度も勢いを込めて踏みつける。
 別に手を抜いているわけではない。ナーベラルは魔法職。流石にレベル30に近いシャドウデーモンを単純な肉体能力だけで殺すのは時間が掛かるものである。それを理解しているのか、それとも理解していないのか。
 繰り返し、蹴り続ける。
 他のシャドウデーモンにそれを止めようとする気配は無い。

 どす黒い液体が飛散し、シャドウデーモンの体が痙攣し始める。そこでようやくナーベラルは蹴るのを止めた。

「――ふぅ。アインズ様に言われての言葉だと思うし、アインズ様からの援軍だから殺さないでおく」

 かすかに額に滲んだ汗を軽く拭う。

「さて、死体は肉片の欠片も残さないように処分して。ゾンビとかスケルトンにして支配するにも置き場所が――」

 折檻を受けていない別の一体に命令を下そうとし、ナーベラルは壁の一点――それを通り越したところにある場所を思い浮かべ、口を閉ざす。
 ――思案。
 手ごまはあったほうが良いが、デメリットも当然ある。それに自らの主人が部下になるようシモベを送ってきたのに、思考力の皆無な手ごまをさらに個人的に増やそうとする行為は不快感を起こしかねない行動だろう。まるで手ごまが足りないと言わんばかりの行動だからだ。

 アインズの眉を潜めさせるような行動はナーベラルにとっても喜ばしいものではない。

「――無いから、とっとと処分しなさい」
『了解いたしました』

 折檻したのとは別のシャドウデーモンが深々と頭を下げる。

「それと後日、冒険者パーティーの幾つかを教えるからその行動を監視して。強い冒険者達を観察した方が有益な情報は手に入るだろうから」
『はっ』

 大した力の無い冒険者とともに行動してももはや得るものは少ないだろう。ある程度の常識は既に入手したと判断しての行為だ。

「監視がばれたら適当に逃げなさい。何人か殺してもいいけど、冒険者を全滅させたりとかの情報源を潰すような行為は厳禁。とりあえずはこんなもの。行動を開始しなさい」

 頭を垂れるシャドウデーモンから視線を外し、ナーベラルは頭上を見上げる。僅かに残る桟のさらに上に、星の輝きが映っていた。

《――フライ/飛行》

 ナーベラルの体が中空に舞い上がった。重力から完全に切り離された、風船が浮かび上がるような軽やかさで。

《インヴィジビリティ/透明化》

 続けて発動した魔法がナーベラルの体を包み込み、不可視化の帳で覆い隠す。
 壊れた天井を抜け、透明化したナーベラルは上空に上がっていく。一応、家から外に出る際、うかがっている存在がいないかは確認済みだ。

 300メートルも上昇しただろうか。
 頭上には星々が輝き、大通りに面した場所には複数の光源が連なっているために光の帯にも見える。

「はぁー」

 誰もいない場所で、新鮮な空気を肺に取り込むようにナーベラルは大きく呼吸を繰り返す。

 ナーベラルに与えられた仕事は、彼女の予想以上に大変な仕事だった。
 殺すとか、破壊せよといった仕事なら楽しいのだが、下等な存在にペコペコしたり笑顔を作ったりというのは彼女の性格からすれば非常に疲れるものだ。しかしその反面、上手く仕事をこなせばアインズに喜んでもらえるというのが理解できるからまだ頑張れる。

「あー。もう、ぱっーと殺したいなー」

 肩がこった人がするように、ぐるっと頭を回し、ナーベラルは頭に浮かんだストレス解消方法を封印する。いずれ楽しめるときが来るだろう。それまでは我慢だ。

「はぁ」

 最後に1つため息をつくと、飛行の効果を一時的に抑制し、落下を始める。
 轟々と耳元を空気が流れていく。サイドテールと服が風によってばたばたとのたうった。
 また明日から別の仕事を探す必要がある。その前には優秀な冒険者パーティーを探してシャドウデーモンに伝えることもしなくてはならない。しなくてはならないことは山のようにある。

「頑張ろっと――」
+注意+
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