ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
  砂漠の蝶 作者:Akka
長々とご無沙汰を致しました。
暗転、その間
泣き暮らすなんて、柄でない。
だからこれはあてつけだと分かっている。
イルを悼む気持ちは嘘ではないけれど、とうに切り替えは出来ている。
そう分かっていても、ショウコは「本日の議題」と書かれた紙を指で弾かずにはいられなかった。




ショウコの背後にゆらゆらと立ち上る不機嫌な気配を感じつつ、ケンは横に立つロイに小さく問う。
「…本日の朝議は、ショウコ様ご欠席ではなかったか?」
お前が動くと言っていただろうと責める声に、ロイは苦々しげに返す。
「その予定だった。そのはずだった」
実際、ロイはショウコが提出した法律改正の議論を延期すべく必要な書類を提出した。

その先のことは思い出すだけでも不愉快だ。
皇后付き筆頭執務官が出しだ要請を、上位職である大臣が却下した。
ここはロイとシンレットの力関係である。
それに気が付いたロイはショウコの名前で更にそれを却下した。
ここはシンレットとショウコの力関係である。
それに気が付いたレイヴスが重ねてそれを却下した。
ここはショウコとレイヴスの力関係である。

ここまでくれば互いに意地。
ならばとロイは議論の延期ではなく、法案そのものを取り下げようとした。
しかしここで働いたのは法の壁である。
一定期間議題として登録されていながら議論まで至らなかった案件は、その価値なしとして再提出が出来なくなる。
議論の効率化と健全な議会運営を狙ったなんともまっとうな法である。
レイヴスが城を空ける前に提出され、重要議題であるが故に皇帝の意見を必要としたために審議は進められず、定められた期間はすぐそこまで来ていた。

強引に理屈をつけようとすれば、いくらでもできた。
たとえば、審議されなかったのではなく、審議できなかったのだ。よって期間の延長は至極当然である……などなど。
それをしなかったのは、そこまで子どもになれなかったのに加えて、泣きながら変更を告げに来る執務官が哀れだったからだ。
本来ならばあと20年王城勤めをしても叩けるかどうかわからない扉を何度も叩き、その度に部屋の主に厳しい視線を投げられれば若年の執務官の心は崩壊寸前だ。
若い才能の芽をここで摘み取るわけにはいかない。
諾、と伝えたときの表情を見て、悪いことをしてしまったと僅かに良心が痛んだ。
そんなものが自分に残っていたことも驚きではあったけれど。







荘厳な鐘の音が朝議の時間を知らせる。
部屋の外に感じていたざわめきが徐々に大きくなっていくのを敏い耳が捉えた。
鐘の響きが聞こえなくなっても暫くの間、ショウコは椅子にかけたまま動かない。
性格からして、一度諾としたものを反故することはないだろう。
時間に遅れることも好まない。
それでもふんぎりがつかないのならば、主のために出来ることは唯一つ。
「ショウコ様」
制するロイの視線をかわし、ケンはショウコの横に膝をつく。
どこか情けない困りきった表情は本当に久しぶりで、それを引き出したのが他の人間であることにやや寂しさを覚える。
それ以上に嬉しいと思えるのは、結局ショウコとケンがどこまでも主従だからだ。
「分かってはいるの、よ?」
だから怒らないで、とでも続けそうな雰囲気に堪えきれずケンの口角が上がる。
「ショウコ様が良いようになさればいいのですよ?」
「思い切ったことを言うのね」
「はい。おそらくアオも同じことを言います」
想像に難くない。
無条件で受け入れる。
ショウコにとってケンとアオはそうであろうと昔誓った。
無条件で受け入れてくれる人がいるということは幸せだと思う。
同時に、無条件で受け入れられるほど信頼できる人がいることも、同じく幸せだと思う。
少なくともケンは、そのことを誇りに思っている。
「あんまり自分勝手をして、ドーブに送り返されたらどうしましょう?」
「願ったり叶ったりかと」
真面目な顔でケンが言う。
「甘やかすのね。つけあがるわよ?」
「どうぞ、存分に」
「泣いて帰ってきたら?」
「仕返しの方法を考えておきます。陰険に」
似合いすぎだわ!とショウコが笑う。

緊張は完全に解けた。
軽く拳を握って、開く。
堅くなっていない。大丈夫だ。
裾を捌いて立ち上がる。
膝をついたままのケンに嫣然と笑ってみせる。
「行ってくるわ。ありがとう」
「ご武運を」







凛とした背中が廊下の先を曲がっていく。
その後ろをロイをはじめとする専属の執務官たちが追っていった。
引き連れて歩く姿も随分板についてきた。
少し前まで小さな町でゆったりとした時間を過ごしていた頃には考えられなかった姿だ。
今も多少の無理はしているだろう。
でもそれをショウコが望む限り、ケンは全力で支えるだけだ。
「……ご立派に、なられた」
一抹の寂しさとともに呟く。
だらしないなと思いつつも、開いたままの扉に背中を預けて腕を組む。
風の吹き込む先に目を向ければ、執務机の奥の窓が細く開いていた。

外に広がる景色は、砂漠の中とは思えないほど緑が瑞々しい。
張り巡らされた水路の上を通る風は、熱風が和らぐとともに適度な湿度が加えられていて瞼が重くなるほど気持ちがいい。

張り詰めていた心がほどけていく。
皇帝不在という真実を隠すために奔走したのはショウコやロイで、ケンは警護という仕事から大きく外れていたわけではない。
常に緊張を強いられる仕事ではあるが、いつも以上に張り詰めていたのは、やはり主であるショウコが張り詰めた生活をしていたからだろう。

以前ならばショウコにそんな負担をかけた人間を恨んでいたかもしれない。
今でも愉快な感情はないが、選んだのはショウコ自身だという諦観がある。
「ケン殿…?失礼、皇后陛下は」
「ああ。陛下・・は既に議場に向かわれた」
書類を持って尋ねてきた執務官が弾かれたように走り出した。
何か不備があったのだろうか。
それでも今のショウコなら、あっさりと笑って「今後気をつけるように」と言うだけだろう。

陛下、と。
緊張しながら口にした言葉は、思いのほか馴染みが良かった。
幼いときからずっと側で見ていた。
女の子から少女へ。
少女から女性へ。
一番美しく変わっていくときを、閉ざされた場所でともに過ごしてきた。
それは錯覚に似た恋だったのかもしれない。
誰も触れてくれるなと思う一方で、美しく咲き誇る姿を見せ付けてやりたいような。
それらすべての時間を愛しく過去にできる。

「……もう、お目にかかることはありませんね」
風に乗せてそっと別れを告げる。
恋人で。
妹で。
姉で。
母で。
娘で。
友人で。
誰よりも側に居た大切な女性に。
誰に聞きとがめることもなく、静かに一つ、時間に区切りを入れる。
去っていく幻に、どうか幸せにと願いを込める。

もう「ショウコ様」と名を呼ぶことはないだろう。
陛下と呼びかければ、困惑の視線を投げてくるに違いない。
それでも理由を尋ねてくることはないだろう。
それが新しい関係に相応しい。
守るべき存在ではなく、仰ぐ主として。

吹き込む風に髪を遊ばせて、ケンはそっと瞳を閉じる。
こんな穏やかな日に相応しい、小さく温かい葬送の時間。



枝葉のような回でしたが、ケンとショウコにははっきりとした主従関係がお似合いかな、と。
評価
ポイントを選んで「評価する」ボタンを押してください。

▼この作品の書き方はどうでしたか?(文法・文章評価)
1pt 2pt 3pt 4pt 5pt
▼物語(ストーリー)はどうでしたか?満足しましたか?(ストーリー評価)
1pt 2pt 3pt 4pt 5pt
  ※評価するにはログインしてください。
ついったーで読了宣言!
ついったー
― 感想を書く ―
⇒感想一覧を見る
名前:
▼良い点
▼悪い点
▼一言

1項目の入力から送信できます。
感想を書く場合の注意事項を必ずお読みください。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。