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  砂漠の蝶 作者:Akka
風に舞う 2
「……っそれまでっ!!」
 審判の手が上がり、同時に歓声が上がる。
 勝敗は絶対的優性に持ち込むか、相手の身体に任意に巻かれた襷に剣が触れた時点で決まる。基本的には怪我を負わせることは認められないが、攻防の中で故意と認められないものは反則にならない。但し命に関わる怪我を負わせた場合には、負わせた側も力量不足であると認定され反則負けとなり、更に故意が認定されれば処罰の対象になる。
 
 かちりと小さな音を立てて刀が鞘に納まる。
 果たしてケンが何をしたか正確に理解できている者はここにどれだけいるだろうか。予想通りの展開とはいえ、ショウコは愉快な気分になった。
「あれは…何の技だ?」
 しかしショウコ以上に楽しんでいるのは横に座るレイヴスだ。自国の兵士が次々に倒されているというのに全く気にする様子も無い。
 読めない人だ。心の底からそう思う。
 結局あの後、急に格式に合った大きな天幕を用意することは出来ず、皇帝の席を覆うものが用意された。それならば仕方が無いとそもそもそれほど日焼けを気にしないショウコが席に掛けようとすると、それでは何の意味がある、陛下と同じ段にいることなどできません、それでは用意のために払われた労力は全く無駄であったな?等々一悶着があり、結局はショウコが折れて皇帝の席に上がることになった。
 居並ぶ貴族たちのぎょっとした顔や皇妃たちの呪い殺されそうな視線に耐えつつ、ショウコは無駄に豪華な王族席を恨む。そもそもどうして皇帝一人が腰掛けるのに大人五人は余裕で座ることの出来る長椅子が必要なのか、全く理解に苦しむところだ。
「…私に話しかけられて上の空とは……、どういう了見だ?」
 顎を捉えると容赦ない力で目を合わせることを強制させられた。
 意味はないとわかっていても何となく反抗してしまう自分が嫌だとは思いつつも、何故だかこの人の言葉には歯向かいたくなる。
「どういう了見も何も…、ただ試合に熱中していただけですわ」
「どちらが勝つかわかっている試合にか?勝者は無表情で喜びを表しさえしないのに、何を熱中する必要がある。それとも敗者の呆然とした顔を見るのが楽しいか?」
「…気配は感じてましたが、陛下は性格がひねくれていらっしゃいますね」
「ほう?」
 至近距離で小声で会話する姿は遠目には仲睦まじい姿に見えるだろう。
 しかし2人の間の空気は決して甘いものではない。
「疑問でも推測でもなく断定か。なかなか出来ることではないな」
「推測を重ねた結果です。確信度はかなり高い」
 レイヴスは頤を捉えた指で唇をなぞり、ショウコはレイヴスの手首に渾身の力を込めて解放を試みる。 

 二人が不毛な争いを続けている間にも、次の試合は始まった。
 レイヴスもあくまでショウコの頤は捉えたまま、視線を向ける。
 両者が動かず、開始早々膠着状態が続く。息を吸うことも憚られるような緊張感。
 この場において先手必勝というのは存在しない。
 何故なら先程までケンと戦ったものすべてが、その定石でもって敗れているからだ。過剰な意識は悪影響と分かっていても、正体不明の技はやはり意識せざるを得ない。
 そもそもケンは抜刀していない。少なくともそう見える。
 それなのに気付くと切られ、負けている。
 相対するものにとって不可思議な状況だろう。
 僅かに腰を落とし、刀に手を掛けはしているが一向に抜く気配の無いケンに、ついに若い兵士が耐え切れなくなり切りかかる。
 先程の試合の再現のような光景。この時点では誰もがケンの負けを確信するだろう。避ける様子もなく、完全に立ち遅れているように見える。
 しかしそれは間違いだ。
 一瞬ケンの周りに鋭い光が走ったかと思えば、風圧を感じて後ろに跳び退った相手の兵士の襷が地に落ちて決着となる。
 沸き起こるのは歓声とどよめき。
 数度同じ技を見せられているのにも関わらず対応が出来ないというのは、武を尊ぶこの国にあっては滅多に無いことなのだろう。
 近衛軍の兵士の力が劣っているわけではない。むしろ精鋭中の精鋭であるからこそ試合が成立しているのだ。
「まさか東洋の秘術などとは言わないだろうな。抜刀しているのは間違いない。…鞘から刀を抜く動作と切る動作が不可分なのか?とすれば納める動作までが一連の流れであると?とすれば一撃で仕留められなかった場合の危険が大きすぎるが…一連の流れを切り離して行うことは出来ないのか、出来るとすれば何故しない……?」
 話しかけているのではなく考えをまとめるための言葉であると分かっているから、ショウコは言葉を返さずに未だ無意味に顎を捉える手を引き剥がした。
 正直言って何度か見ただけの技をここまで分析されるとは思っていなかった。それが近衛軍隊長ならいざ知らず、普段は執務室にこもっている皇帝にまで見破られるとすれば、これ以上披露するのも考え物だ。

「シンレット殿、試合は後何度予定されていますか?」
「意味が無いとは思いますが……9,8,7番隊の代表は敗れていますからあと6人の代表者と近衛隊長の7名です。過半数を倒すか引き分けとすれば特例により即日皇后陛下付きとなることになっています」
 後ろに控えるシンレットは理路整然とした説明をしたが、気になるのは一点。
「…意味が無い、とはどういう意味でしょう」
「それは……」
 面白がるような視線の先には皇帝。
「じきに分かりますよ」
 シンレットが人の悪い微笑を向けると、レイヴスが悔しげに呟いた。
「駄目だ。いくら考えても答えは出ないな」
「じゃあ、行く?」
「といきたいところだが方刃の剣など今すぐには用意できないだろう。面白くないな」
「ああ、それはね」
 ショウコが止める間もなくシンレットは傍らに置いてあった刀を取った。
「皇后陛下がお持ちだよ」
「駄目です!」
 二人の会話の内容を理解して、今まさにレイヴスに渡ろうとしていた刀を取り上げた。やったあとで皇后の振る舞いではないなと思ったが、いついかなる時も後悔先に立たず。二人のきょとんとした顔に赤面しながらも刀を抱え込んだ。
「この刀はお貸しすることが出来ません。そもそも慣れない武器を本番で使いこなせるはずが無いではありませんか。大事なお身体に怪我でもなさったらいかが致します?」
「見ても分からぬものは、実際に受けてみるしかないだろう?」
「……頭沸いてるんじゃありませんかっ!?」
 シンレットが堪えきれないというように吹き出した。
 自然二人に注目が集まる。
「随分な言い様だな。そこまで言うか?」
「言わないで理解いただけると嬉しゅうございますわ、陛下。
 数度見ただけの技を興味本位で受けてみるだなんて、国を預かる者の態度でしょうか?アレは加減の難しい技だと、見ていれば気付くはずでしょう?」
「ほう?私が加減が必要なほど弱いというのか」
「そうではなく!話を逸らさないで下さいませ」

「ショウコ様、私は構いません」
 言い争う二人の会話の間隙を突くように、静かな声が響く。多くの視線が下の格闘場にいるケンに注がれた。
「加減の仕方も多少・・は心得ている心算ですし…陛下がお望みとあらば、お相手致しましょう」
 唖然とするショウコを尻目に、レイヴスはショウコの腕から刀を引き抜くと、にやりと笑った。
「そうこなくてはな?ケン・ショート。
 私に勝てばその時点で皇后付きを認めよう。手間が省けていいだろう?」
 ケンはその言葉を聞き流したのか、黙々と準備に戻った。レイブスはその様子を楽しげに眺めながら動きを阻む可能性のある装飾品を外していく。
 挑発的なレイヴスに対して、ケンの意図は全く読めない。皇帝を相手にするなど面倒でしかないはずだ。もし加減を誤ってしまったらと考えれば、その後の処理を考えれば残り最大7人と戦ったほうが遥かに楽だとケンは分かっているはず。
 しかしケンとレイヴスは既に邪魔をするな、と無言で告げている。その上周囲がこの騒ぎを楽しんでいることは容易に察せられた。
「しかし……」
 普段持つ剣とは明らかに異質な刀を手に馴染ませながら、レイヴスはくつくつと笑った。
「随分鳴るな。これはなかなか厄介な武器だ」
「分かっているなら何故……!」
 莫耶・干将は名刀である以上に妖刀であると言われている。持ち主には栄誉や富を授ける一方で必ずそれ以上の不幸が降りかかるとされてきた。真実を確認することは出来ないが、ショウコが保有する理由も一時期斎宮としての教育を受けたため耐性があると判断された以上に処分することさえ叶わない厄介品を国外に持ち出したかったという思惑がある。
 鳴る、という状態を形容することは難しい。あえて言えば刀が持ち主を認めていない状態、あるいは試している状況だろうか。ニ刀を操ることが出来るのはよほどの達人、あるいは代々皇族であった。
 しかしそれを聞いたレイブスはあっさりと言い放つ。
「達人あるいは皇族のみが使える刀だと?馬鹿馬鹿しい。
 皇族が所有する刀に触れる機会があるのが、そういった人間と言うだけの話だろう。これ自体は鉄の塊だ。持ち主を識別する力などあるはず無い」
「…先程、鳴るとおっしゃったのは?」
「はっ!扱いにくいという以上の意味があるか?生憎私は超自然的な力と言うようなものを否定する。この目に見えるものだけでも手に余るというのに、それ以上を考える気は欠片も無い。そういう意味では私は神さえ否定する。そちらのお国柄である地霊精霊魑魅魍魎ちれいせいれいちみもうりょうの類は言うに及ばず…だな」
 滔々と語りきったレイヴスの顔はとても落ち着いていて、特別なことを言っているという意識はないようだ。
 しかしショウコにとっては全く新しい価値観との出会いだった。
 考えてみれば10年間この国にいて、表面的には気を使われていたせいか、価値観の違いによる衝突と言うものは殆ど無かったといっていい。しかしそれは決して不愉快なものではなく、例えるならば長年閉め切っていた扉を開けて部屋に風を通すような、そういったささやかな興奮と開放感に包まれている。
「なんでしょう…そこまで正面切っておっしゃるならば、どうぞご自由にという気分になってまいりました」
 どうしましょう?と首を傾げると、レイヴスはそれでいいと笑った。
 そうか。この方は私とぶつかることを恐れないのだ。徒単に対等であるということは、こんなにも面白いのか。

 下の準備が整ったらしく、歩き出したレイヴスは数歩で振り返った。
「この勝負の褒美はどうする心算だ?」
「褒美、ですか?」
「アレはお前のために戦っているのだろう?まさか皇后付きという役職だけでは面白くない」
「何でも構いません。私に用意できるものならば」
 あっさりと言いきったショウコにレイヴスが訝しげな視線をよこす。その意味は随分大きく出たな、か。あるいは無責任なことを言うな、か。
 それに対してふふんと笑い返す。
「褒章のことを考えるなんて、陛下は負ける心算でいらっしゃるのね。ケンはあまり無茶なことは言いませんから、望むものを渡します」
 僅かに眉間に皺を寄せて、低く返す。
「…その喧嘩、買おう」
「短気は損気と言いますわ」
「沈黙は金とも言うな」
「それに関しては時代や地域で用法に大きな幅がありましょう」
「言葉通りに受け取ってもらって構わないが?」
「それでは張り合いに欠けるでしょう」
 テンポ良く繰り返される会話に満足し、レイヴスは下に下りていった。



 先程から横で爆笑中のシンレットは既に目に涙を浮かべている。
「……シンレット殿、あんまりでしょう」
「いやぁ、すいませっ…くくっ腹筋が……!」
「シンレット殿!」
 それきり黙り込みショウコは前を見据えた。と言っても仮にも皇帝が使う場所となれば格式を整えるのにも安全を確認するのにも時間がかかるので、試合会場は雑然としていて見るべきものは無い。
「申し訳ありませんでした、皇后陛下。お許しください」
 何とか笑いを納めたシンレットが今更ながら居住まいを正して謝罪する。まさか怒り続けるのも子どもの対応だろう。
「……以前から思っていましたが、ツボにはまると尾を引くようですね」
「以後、気をつけましょう。それで…こちらはお渡ししなくてもよろしかったのですか?」

 なんでもない風を装ってシンレットが手にしているものを見て、ショウコはため息をついた。
 だからこの人は苦手だ。
「……いつの間に?」
「先程、ベールの裾をお直ししたときに。ご無礼かとも思いましたが、お二人の安全を確認するのが臣下の勤めですから」
「返してください」
 勿論、そう言ってショウコの手に渡ってきたのは懐剣。
 一見すればそれほど豪奢なつくりではないが、じっくりと眺めればはっとするほど手の込んだものだと気付くだろう。白木に粋を極めた彫りの技術の上に、繊細な金と銀の細工が施してある。その楚々嫋々《そそじょうじょう》とした美しさが誰を彷彿とさせるのかは、口にするまでもない。
 オースキュリテとリュミシャールの技術の融合。まさに二人を象徴するに相応しい品。
「素晴らしいものです。あの刀とともにお渡しすれば喜ばれましたよ」
 別に刀は皇帝に渡すために持ってきたんじゃない。言葉を飲み込んで苦虫を噛み潰したような顔で呟く。
「こちらにも予定と言うものがありまして。それよりよろしいのですか?私が容喙することではありませんが、皇帝陛下が一兵卒と剣を合わせるなど」
「いいんですよ」
 あっさりと言い放つシンレットに、ショウコは首を傾げる。
「レイにだって息抜きは必要でしょう。久しくレイと対等の相手はいなかった。しかも見たことの無い技まで付いてきた。多分今すっごく嬉しいんじゃないかな」
 表情には出ないですけど、と笑って付け加えた。
「陛下は…お強いのでしょうか?」
「今更ですね、皇后陛下。
 ……強いですよ。それがあるからこそ歴代の皇帝の誰よりも軍部を取りまとめているんです。もっともレイの望みはそれを使わないことですが」

 下の整備が終わったらしく、レイブスが刀と剣を携えて姿をみせる。
 シンレットはすっと手を差し出してショウコを導いた。
「さぁ、前へどうぞ。皇后陛下。
 この試合の褒章は、まぎれもなく貴女なんですから」

 禁色のベールを纏ったまま、導かれるままに歩を進める。

 会場を包むのは無邪気なまでの興奮。
 それに対して向かい合った当事者たちはどこまでも静かで、息が詰まる。



「――始めっ!!」




 
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