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「桜咲く、あの丘で・・・」 作者:Haizi
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V・遠い夜

V・遠い夜

 紗桜と別れた翔は、千夏の後を追って走った。千夏の姿はすぐに見つかり、その肩を掴む。
「嫌だ!放してよ!」
 強く払おうとする千夏の腕を掴んで、「話があるんだ…」
 と、家の近くの噴水広場へ連れてきた。
「翔君、話って彼女のことでしょ?私は認めないわよ」
 噴水の前でやっと腕を振りほどいた千夏は、翔に背中を向けたまま言った。
「千夏…俺、本気だよ。紗桜の事が好きだ。千夏の気持ちは嬉しかった。すぐに分かって欲しいなんて言える立場じゃないってことは分かってる。だけど、その事で紗桜のことを傷つけたりしないで欲しい。…頼む」
 翔は背を向けたままの千夏に向かって頭を下げた。千夏がゆっくり振り返ると、頭を下げたままの翔を見て悲痛な声で言う。
「そんなの知らないよ!翔君おかしいよ。どうして彼女のことばかり…。前は誰にでも優しくかったのに!私にだけ優しくして欲しかったのに…、私にだけ……―。私の気持ちはどうでもいいの?」
 泣き出した千夏は、もう逃げるようには見えなかった。
 翔は空を見上げた。瞳に星が映りこんで輝く。そして、ゆっくりと呼吸をしたあと、言葉をつむいだ。
「どうてもいいわけじゃない…。だけど、出会ってしまった。紗桜に。あいつの事は何よりも優先に考えてしまう。少し姿が見れないだけで、気になって仕方ない…」
 千夏はショックを隠せず、黙り込んで泣いた。その姿を見た翔は、ただ申し訳なくも優しく千夏を見つめることしかできなかった。

 一方、紗桜のところでは、
「あれで良かったのか?」
 と、春妃が木の上でうずくまる紗桜に問いかけた。もう、昼間に自分が言った事など、春妃はどうでもよくなってしまった。
「良かったのよ。あれで…」
 力なく言う紗桜に、春妃は最初の勢いをなくし去っていった。
 一人になった紗桜は、翔が走っていった方向をただじっと見つめた。

 翔は千夏を家に送ると、自分の家まで帰ってきた。玄関のドアノブを掴むと、一度だけ、大きくため息をついた。
「ただいま…」
 小さく言った声が、家の中に響いた。出た時とは全く違う雰囲気に、翔は違和感を感じてリビングへ足を向けた。誰もいなくなった空っぽのリビングの電気をつける。ダイニングテーブルの上に置いてある一枚の紙切れを手に取った。
『翔へ。
 千夏ちゃんのお母さんと、二泊三日の旅行に行くことにしました。どこに行くか決めるので、今夜は千夏ちゃんのお宅に泊まります。
 あとはよろしくね!』
 はしゃぐ姿が目に浮かんだ。たまにこういうことをする母親には、もう慣れてしまった。
「何が『よろしくね、ビックリマーク』だよ。いい歳して」
 と呟いてから少し可笑しくなって、「ま、いっか」
 と、置手紙を見ながら微笑んだ。
 部屋に戻ると、無用心にも部屋の窓が開いたままだった。こんな時、まだ日本は平和だなと思う。静かに窓とカーテンを閉める。ごろんとベッドに寝転がって、目を腕で隠した。
「紗桜の桜が、ずっと咲いていてくれたらいいのに…」
 ため息ばかりを繰り返し、そのまま眠り込んでしまった。

 翔に見送られて家のドアを開いた千夏は、部屋に閉じこもった。
「なんでよ!なんでこうなっちゃうの!どうして…―」
 ベッドに顔を突っ伏したまま、足をバタバタさせて泣く。紗桜に対する憎しみ、翔に対する苛立ちがどんどん膨れ上がった。

 携帯が翔の枕元で鳴った。寝ぼけ眼のままディスプレイに表示された名前を見る。片瀬敏哉かたせとしや。通称トシ。バンド仲間だ。春休みに入る前、ドラムが抜けてしまったので、活動停止を余儀なくされていた。
 翔が電話を取ると、
「翔、元気だったか?」
 と、もしもしとかの呼びかけなしでぶっきらぼうな挨拶が耳元に届いた。トシの家には、音楽好きの両親によって設計された防音室がある。俺たちの練習場所はもっぱらそこだった。
「トシ、どうした?電話嫌いのお前がめずらしいな」
 そう言いながら、翔はひとつ欠伸をした。
「俺、あのバンド抜けるよ」
「……え?」
「バンド抜ける」
「は?何言ってんだよ。お前が抜けたらこのバンド、もう終わ…―」
「わかってる!わかってるから、こうしてお前に電話した…」
 翔の言葉を遮って、トシが大きな声をだした。普段はこんなに大きな声を出す男ではない。どちらかというと寡黙で、一言ずつ考えて話すタイプだ。
「何かあったのか?」
 覚悟を決めて、翔は話を促した。
「今日、ヴォーカルの裕香ゆうかに会って、カフェでちょっと話したんだよ。これからバンドどうするとか、このままじゃ将来なんて見えねぇと思って…。そしたらあいつ、『技術より若い今は見た目が大事よ』とか言って、俺やお前が一生懸命に練習してきたことだって知ってるはずなのに、そんな気持ちまで無駄みたいに言って、仕舞いには、俺たちが作る曲では満足がいかないって。俺は、そんなことのために音楽をやっていきたいんじゃないんだよ…」
 黙って聞いていた翔に、トシの怒りや悲しみが痛いほど伝わってきた。
「なるほどな…。慎一郎しんいちろうは?」
 と言ったところで、翔は思い出した。
「…あいつは裕香の彼氏だもんな。無理か…」
 ―いや。と、トシが耳元で言う。
「トシは俺たちとやっていきたいとは言ってくれた。ただ、裕香がそれを許すかどうか…」
「ま、本人次第ってとこだな。俺はいいよ。慎一郎もやっぱいてほしいけど、トシと一緒に音楽ができればいい方向にいく気がする」
「ありがとう」
 電話越しで安心する気配が伝わってきた。
「なぁ、トシ。さっそくなんだけど…さ」
 翔は様子を窺いながら、紗桜のことを話した。

「桜の木の守護精であり、翔の彼女であり、花が散ったら消える…。えらく大変な人を好きになったな」
 トシは驚いてこそいたが、しっかりと受け止めてくれた。
「俺、何もしてやれないんだよ。だから、紗桜がいなくなってしまう前に、一曲聴かせてやりたいんだ…」
「そうか…」
 翔の提案に、トシは一言相槌を打ち、「一生、忘れられない曲、作ってやろうな…―」
 と快諾してくれた。
 電話を切った後、翔はルーズリーフとシャーペンを掴んだ。
「紗桜…―」
 一度だけ名前を呼ぶと、何か思いついたようにシャーペンをルーズリーフに滑らせた。

―側にいる事の出来ない夜…。でも今は、確かに君を近くに感じる……―
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