百十三話 『異常の森 中編』
りんりん、らんらんと響く音。どこか涼やかで硬質なそれは、欝蒼とした森には似合わない音色だ。
風に揺れる鈴蘭の花がガラスや水晶で出来ていれば、こんな音が出るのかもしれない。サビトガは音の正体と発生源を特定しかねながら、少女が常に視界に入るよう歩調を整えた。
「変な森だ。巨木の陰になっている小さな木が、しおれずに元気に育っている」
少女の言葉に、サビトガは地面に視線を走らせる。天を突く大木の枝葉に光を奪われた小木が、確かに不自然なほどみずみずしく緑をまとっていた。
「光が少なくても生きられる、強い植物なんだろう。噴出する海水に蝕まれた平原にいきなり現れた森林だ。異常な生命力が宿っているのかもしれん」
「不気味だ。生物の死に絶えた平原と地続きになっているとは思えない。この森の活気は『特権的』だ」
りんりん、らんらんという音が、いつしか会話にまぎれて消えていた。代わりに頭上から何かが枝葉を飛び移る音が、がさりと落ちてくる。
何かが居る。棲んでいる。サビトガ達は巨木で構成されるがゆえにみょうに『高さ』に恵まれた森の中を、慎重に進み続ける。
地上のブナ森よりも閉塞感の少ない森だ。地面の落ち葉はまばらで、土が見えていて、巨木とは違う種類の草木もふんだんに生えている。
問題は、その全てがサビトガと少女の見知らぬものだということだ。一見すれば似た植物を挙げることはできるのだが、細かい部分が既知のものとは違っている。
少女が木苺を見つけ、その実を一つもいだ。大ぶりの赤い実は少女の顔を映すほどにぴかぴかと輝いていたが、その表面にはクモの足ほどのトゲが、びっしりと生えている。
サビトガもまた頭上高く生い茂る枝葉に一房の山ぶどうを見つけたが、その実は目をこらすと独立しておらず、まるで顔面にできたにきびのように癒着し、一塊になっていた。
「下手にそこらのものに手を出さない方がいいな。奇形じみた森だ……地底で独自に進化した植物群だろうか」
「シンカ。動物や植物が棲むところに影響されて、姿を変えることだったな」
「ああ。人間を含めた生物の多様性を説明するのに使われる言葉だ」
「……シンカとは、つまり、奇形になることなのか?」
木苺を見つめて言う少女に、サビトガはしばしの間の後、足を止める。
頭上の枝葉を風が揺らす。少女が口を開く前に、サビトガは「勘違いしないでくれ」と低く声を吐いた。
「森の話だ。他意などなかった」
「魔の島に住み着く産道の民は、人間からシンカした生き物なんだろうか」
「俺は君を奇形などと思ったことはない」
「分かってる。何をあわてているんだ」
無表情に視線をくれる少女に、サビトガは陶器の顎骨の奥で口を引き結ぶ。
木苺を捨て、ウェアベアの足の靴で踏み潰す少女が、ふ、と自分の歯をこするような吐息をもらした。「そういえば」と、彼女の唇が震える。
「オマエとこうして二人きりで話をするのは、初めてだな」
「……」
「サビトガ」
少女の目が、なぜかうつろな印象をまとい、注がれる。
「ワタシはオマエの旅の、助けになれているか?」