日常と境界線
何がおこったのか?
村人が全てを理解したのは、一連の事件が発生してからだ。今、日常生活は滞り無く送られている。
村は数十世帯からなっている。何の変哲もない普通の村。山奥にあるため、時々来る行商を除いては、誰もこの村に来ることもない。
そんな村で、事件はおこった。
ミミがいつものように井戸で水汲みをしていると、後ろで何かが動く気配を感じた。木の葉が重なり合う音がする。
井戸は墓地の側。あまりいい気はしない。ミミは自分に言い聞かせる。
「気のせいよ。私は何も聞いてし、見てないもの」
そんな彼女の祈りを、無視するかのように、何かが再び動く。枝葉の揺れは更に大きくなっているようだ。間違いない。明らかに何かが居る。
ミミは気のせいにしたい気持ちで一杯。心臓はその鼓動を早くし、彼女は唾を飲む。暑くもないのに汗が出た。
ミミは仕方なく振り向くことにした。
「本当は怖いとも思っていないんだから」
彼女は消え入りそうな声で呟く。そして、見た。
ミミは悲鳴をあげた。それも大声で。彼女の意に反して、それは怖かったのだ。
平穏な村に、突然入った亀裂。ミミの悲鳴を聞いて、村人たちは何ごとだとばかりに駆けつける。そして、駆けつけた村人も到着した順番に悲鳴をあげた。発声の違いこそあれ、悲鳴は途切れることなく、村中に響く。まるでコーラスのように。
そうして村人全員が叫び終わった頃。彼らはようやく理解した。
死体が動き出した。それは数週間前に死んだはずのジャン。
彼は生前には、その温厚な性格により、皆から愛されていたのものだった。しかし、こうなると話は別。誰もがジャンに恐怖を感じずにはいられない。
ジャンは少し見ない間に、とんでもない変貌を遂げていた。優しい眉。豊かな髭。それらの面影は残ってはいなかった。
とにかく酷い有様だった。腐りかけの死体は臭い、虫達がそこを這い回る。自然の摂理とは、あまりにも残酷だ。
ジャンの死体は墓から出てくると、村人のほうに歩みはじめた。一度終わったはずの悲鳴のコーラスが再演される。その悲鳴は大きく、山々にこだました。この山に住む鳥たちも恐怖の一端を味わったことだろう。
悲鳴は人を落ち着かせる効果あるようだ。これはあげている本人だけの話で、悲鳴を聞かされる方はそうでもない。最後の悲鳴が終わった時。村人たちはジャンだった物体を凝視した。
「この野郎!」
アランが手にしていた鍬を叩きつけた。鍬は土を掘りおこすものだが、兵器としても優秀な働きをみせた。ジャンだったものは、地面に叩き伏せられ、体を両断された。
アランは飛び散る腐った肉片を浴びた。彼は悲鳴こそあげなかったものの、心の中は絶叫状態。無言になって鍬を何度も振り下ろす。
彼は農夫になって二十余年。ベテラン中のベテラン。それがゆえに、鍬のおろし方も胴にはいったものだった。まさに芸術的。
腕のおろし方と、しなやかな腰使いが絶妙なバランスを醸しだし、驚異的な破壊力を発揮した。それはそうだろう。二十年間耕し続けたアランにとって、ジャンの死体などは、ものの数ではない。
「灰は灰に、塵は塵に」
アランはこの後、しばらくはこの言葉を呟き続けたそうだ。
時間の経過と共に人々は普段の生活に戻ってゆく。
この際、アランのことは別にしておこう。彼は悪夢にうなされるようになったらしい。
普通の生活に戻った彼らは、何もかもを忘れる事にした。自分達が見た光景を思い出さないように、彼らは努めた。そしてそれは見事に成功した。
しかし、不幸なことに、この事件はこれだけに留まらなかった。
三日後、ララをはじめとした悲鳴のコーラスが再開された。今度の起き上がった死体はクロード爺さん。この爺さん、説教癖があり、しかも執拗だったため、皆から嫌われていた。クロード爺さんの口癖は常にこれだった。
「まったく、近頃の若い者ときたら…」
この言葉を聞いたら、誰もが反論するのを諦める。年齢だけはいつまで経っても、彼に勝つことなどできないからだ。
村中の人がまたもや、墓場に大集合。今回の場合も打者はアラン。他の村人も前回の活躍を期待したわけではない。この日もアランが鍬を持ってきていたからだ。
悲鳴が一巡した後、村人たちの視線がアランに集中。
「アラン。頑張って」
彼らの視線はそう言っていた。人々の期待を一心に浴び、アランは一歩進み出た。
「灰は灰に、塵は塵に」
アランはそう呟き、鍬を構えた。
数分後、クロード爺さんの死体は見事に耕された。生前の行いが、アランの反感をかっていかどうかは知らないが、ジャンの場合に比べて、明らかにむごいものとなった。また、それを掃除する村人の手付きのそっけないこと。
クロード爺さんが喋れたら、きっとこのように言うだろう。
「まったく、近頃の若い者ときたら…」
かくしてクロード爺さんの件も無事に終焉を迎えることができた。人々は平和な日々を満喫する。
異常というのは、通常と異なる状態を指している。三回目となると、それは異常事態ではない。日常風景の一コマだ。
悲鳴のリレーはやはり行われたのだが、それは恐怖によるものではない。やっぱり出たかという意味に変わっていた。
アランはやっぱり鍬を持ってきていた。アランが悲鳴のリレーを聞いた時、彼にも精神的な余裕があった。だからアランは鍬を持っていかないという選択もあっただろう。しかし、鍬を持ってきた。アランは誘惑に勝てなかったのだ。人々の期待。猛る心。そして、その後にもたらされる村人からの熱い視線。
「俺がやらなきゃ誰がやる。」
アランはそうは言ってみたが、内心がどうだったのかは彼でないとわからない。
気負いすぎたためか、緊張が失われたせいかはわからないが、アランの一打目は死体を掠めただけで、村人から軽く失望された。
続く二打目もやはり失敗。致命傷には至らない。もはや村人たちからは不満の色がでているようだ。
三打目にはさすがにアランも気を引き締め、モーションを改める。
振りかぶって、三打目。これがようやく致命傷となり。死体は見事ノックダウン。村人から歓声をあがる。やれやれ。アランは死体を始末した後に、今や定番となった決め台詞を吐く。
「灰は灰に、塵は塵に」
それを聞いた村人は更に歓声を大きくするのだった。
そして、アランが急死してしまった。おそらく過度のストレスのためだろう。ストレスを馬鹿にしてはいけない。万病の原因だ。
彼の葬儀は、あらゆる意味で惜しまれるものだった。葬儀の後は随分揉めた。起き上がった死体の始末を、誰が担当するのか、決めなくてはならない。
アランの後継者はクリスティン。農夫経験は十年。経験からいうとアランに遠く及ばないが、その経験を補う、若さが彼にはあった。村人たちの期待の星、クリスティン。そんな彼が活躍する場を与えられたのは、アランの埋葬の翌日だった。
起き上がった死体はアラン。それはまだ腐敗しておらず、生前と比べても顔色が悪いぐらいにしか見えない。着ている服はいつもより立派で、むしろこちらの方が好印象。
やや緊張気味にクリスティンが鍬を振りかぶる。その時、それは喋った。
「待ってくれ。俺はアランだ。死ぬ前と何も変わっちゃいない」
アランは震えて逃げようとしている。唇がわななき、泣きそうな表情をしていた。
新米のクリスティンは迷い、村人たちのほうを振り返る。
この時、村人は全てを理解した。自分達が何をやってきたのかも。
今更、後戻りはできない。そして、これは日常生活の一コマだ。
彼らは無言でクリスティンに要求する。
「やってしまえ」
クリスティンは気を取り直し、モーションを取り直す。悲鳴をあげるアラン。
「やめてくれ!」
灰は灰に、塵は塵に。