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南大西洋

 トリスタン・ダ・クーニャ島に瑠都瑠伊方面軍陸軍が上陸したころ、海軍機動部隊はアセンション島およびセントヘレナ島にも偵察を行っているが、両島ともにイスパイア帝国軍は確認されなかった。さらに、ゴフ島にも偵察を行っているが、こちらも同様であった。ドメッティ中将によれば、既に本国に撤退しているとのことであり、おそらくは原住民しか残っていないはずだという。トリスタン・ダ・クーニャ島とは異なり、一個連隊規模のイスパイア帝国軍人が駐留していたため、全部隊の撤収が行われていると答えている。つまり、この両島には原住民からの徴兵された兵士が存在しておらず、また、規模も小さいために早期の撤収が行われたものと思われた。


 一月半ば、瑠都瑠伊方面軍がアセンション島に上陸部隊を派遣したところ、島の一〇浬沖合いでロンデリア海軍所属の駆逐艦と遭遇、対話が行われることとなった。そして、判明したのが、アセンション島およびセントヘレナ島にロンデリア軍海兵隊が既に上陸、島の調査に入っているということであった。上陸部隊の護衛に当たっていた海軍が共同調査を打診したところ、それは認められないとのことでり、仕方なく引き上げることとなった。


 その少し前に実施された瑠都瑠伊方面軍のゴフ島への上陸は無事になされ、一個中隊が上陸して調査に当たっていた。その後、ロンデリア軍艦艇が接近、しかし、既にアセンション島沖での事件が伝わっており、瑠都瑠伊方面軍側は上陸も共同調査も拒否することとなった。これがアセンション島での共同調査が許可されていれば、こちらも共同調査に応じなければならなかったが、そうならずに済んでいたといえる。なお、トリスタン・ダ・クーニャ島においても同様の態度で挑んでいたとされる。


 トリスタン・ダ・クーニャ島においては、駐留イスパイア帝国軍将兵の健康状態回復に努め、一月末にはほぼ回復したと判断された。この間、輸送艦「ぼうそう」型二隻は一時的に病院船とされ、特に重篤なものをその艦内において治療にあたり、それ以外のものは港に臨時設置された野戦病院において治療を受けることとされていた。最も近い高度医療が可能な場所といえば、ローレシアであったが、国民的感情の面から搬入が難しいとされたため、数が少ないものの、高度医療設備を持つ「ぼうそう」型輸送艦が割り当てられたといえる。


 占領直後から瑠都瑠伊の貨物船が多数トリスタン・ダ・クーニャ島まで運航され、多数の食料や日常品などの搬入にあたっていた。結局のところ、早さでいえば、航空輸送が利用されるが、多量輸送となると、船舶輸送にはかなわないということになるよい例であったといえる。このとき陸揚げされた物資は当座のものだけではなく、その後も長く使用されることになったとされる。


 この間を利用して、マダガスカル島では二万八〇〇〇人におよぶ人員の受け入れ体制が整えられていたといわれる。南米大陸の原住民であることから、各地の農場や工場といった生産設備、建設工事現場での受け入れであった。中でも、特に重視されたのが、建設工事現場であった。これによって建設スピードの向上が図られるものと期待されていたといえる。もっとも、正規兵に比べて衰弱が激しかったこともあり、当面はそれほど激しい労働につかせる予定はなかった。いずれ、南米大陸に戻るため、その後の生活力を得るための手段を会得させるのが目的であったといわれる。


 他方、イスパイア帝国軍正規兵はその多くがカラーチに送られる予定であった。ただし、幾人かの高級軍人においては今しばらく、事情聴取が続けられるため、瑠都瑠伊に護送されることとなっていた。カラーチでは新国家建設に邁進しているが、物資が足りず、また、労働力も足りないため、その速度は遅いものであった。そこに一万五〇〇〇人が入れば、何かが変わるものと期待されていた。むろん、カラーチの元イスパイア帝国兵士とは異なり、未だ祖国に忠誠を誓うものも多い思われた。そのために問題が起こる可能性も高かったが、それは仕方がないこととされていた。ローレシアにしても瑠都瑠伊にしても、自領に一個師団規模のイスパイア帝国軍を受け入れるつもりはなかったといえる。


 当初は、マダガスカル島で一括して受け入れる話しもあったのであるが、イスパイア帝国軍正規兵の原住民兵に対する態度を見ていた安西が同じ場所にあれば、必ず問題が発生するとして、反対していたのである。結果として、先に挙げたように落ち着くこととなったのである。


 日本側としては捕虜送還も考えていたが、国交すら締結していなかった国であり、政治的な対話すらまともになされてはいなかったため、不可能であると判断せざるを得なかったのである。ちなみに、ローレシアにおいては捕虜交換という概念はあったが、対話の窓口がない以上、放置することを考えていたようである。また、驚くべきことに、ロンデリアではそのような概念がなく、基本的に処刑するか、個人的に生かされるかのどちらかであるという。そのため、日本としては早期にこの問題の解決を図る必要性を感じていたとされる。


 それらとは別の問題として浮上してきたのが南大西洋の領土問題であるといえた。特にロンデリアとの間で持ち上がっていたのである。そこで、日本政府は瑠都瑠伊でそれらの問題の解決のための会議を行うこととした。当初、東京で開催予定であったが、瑠都瑠伊の知事である沢木が反対、その理由として、ローレシアにも関係があるとして三国が参加しやすい瑠都瑠伊での開催を強く主張したのである。政府も一理あるとして受け入れ、瑠素路で開催されることとなった。沢木や今村には遠い日本本土で勝手なことをされてはたまらない、そういう考えがあったのも否定できないだろう。


 会談は当初から険悪なムードの中で始まったが、日本側代表として沢木が参加すると徐々に解決されていくこととなった。トリスタン・ダ・クーニャ島とアセンション島については比較的容易に合意がなされることとなった。日本側がトリスタン・ダ・クーニャ島に関しては強い要求をしたからである。問題となったのが、ゴフ島とセントヘレナ島であった。日本側はゴフ島はトリスタン・ダ・クーニャ諸島に含まれるため、領有を主張するが、ロンデリア側はトリスタン・ダ・クーニャ諸島にゴフ島は含まれないと強く主張、真っ向から対立することとなった。


 最終的にはゴフ島はロンデリア側の領有地とされるが、セントヘレナ島とともに非武装化と捕虜の取り扱いを決定する瑠都瑠伊条約の締結で決着することとなった。つまり、この会談における日本の真の目的はトリスタン・ダ・クーニャ諸島の領有と捕虜に関する条約の締結にあったからである。特に、捕虜に関する条約は国連、英米から強く要求されていたためであったようだ。ゴフ島とセントヘレナ島の非武装化はおまけといえたのである。そうして、翌月の三月から発効されることとなったのである。


 こうして、南大西洋での問題の解決はみたものの、対イスパイア帝国戦は未だ先の見えないものであった。直接に戦闘が発生したのはセラー半島におけるものだけであったため、瑠都瑠伊以外の日本では戦争をしているという意識はなくなりつつあった。セラー半島での戦闘とその後の解決をみた今、瑠都瑠伊地方政府および方面軍司令部が望むのは本当の意味での戦争終結であったといえる。しかし、極論をいえば、その解決は南米のイスパイア帝国の改革を持って終わるものとされ、実際にそれを行うには莫大な戦費と全軍の投入が必要だと思われた。


 いかに最先端の技術を持っているとはいえ、あの広い南米大陸を一国だけで占領できるものではないといえた。それこそ、第二次世界大戦前の日華事変と同様に泥沼のような戦いになってしまう可能性があった。あの頃の大日本帝国ならともかく、現在の日本国ではまず無理なことであった。仮に、国民が認めたとしても、現有の戦力、三六万人程度ではまず不可能であり、即応予備役兵および予備役兵を含めた四三万人であってもそれは変わらない。


 それはアメリカ軍を加えても五二万人に届かず、不可能であった。唯一可能性があるとしたら、それはローレシア軍およびロンデリア軍との共同作戦であったが、それも現状では不可能だと思われた。ローレシアはともかくとして、ロンデリア軍とは共同作戦が行えるだけの交流がなかったからである。さらに、ロンデリアにおいては単独での南米侵攻もしくはフォークランド諸島などへの侵攻の構えをみせていたからである。


 これは先の会談で、暗にイスパイア帝国戦継続をほのめかしていたからである。実際に、北米大陸に移住した五〇万人の元アメリカ連合国住民に参戦を呼びかけていることも情報として瑠都瑠伊に入ってきていた。しかも。太平洋側のアメリカ合衆国からの移民にも参戦を呼びかけているという。もっとも、アメリカ合衆国としては今のところ動く様子はなく、静観の構えのようであった。日本としても、アメリカ合衆国を含めた在日移転国家を中心に成り立っている国連の承認がなければ、本格的な戦闘行動は取れない状態だといえた。


 ともあれ、こうして南大西洋での戦いはひとつの終焉を見たといえるだろう。この後は、未だイスパイア帝国軍が進出していない南米北端、移転前でいえば、ベネズエラ近郊への上陸とそれら地域の確保、それによって南米大陸への橋頭堡となすことであった。これには別の意味も存在する。移転前のこれら地域では石油をはじめ、多くの地下資源の存在が確認されている。むろん、この世界でも存在するかどうかは不明であるが、進出してもなんら問題のない地域であったといえる。さらに、大西洋側のパナマ海峡を監視することも可能であったからである。


 そして、この作戦は四月一日をもって実行されることとなっていた。戦力として、瑠都瑠伊方面軍から抽出の一個旅団、一個機動艦隊、それにローレシア陸軍一個旅団、一個艦隊からなる。当初、日本側独自の作戦として実施されるはずであったが、南米侵攻作戦を知ったローレシア側が共同作戦を申し出てきたのである。ローレシアとしても、これまで多くの損害を出しているため、国民に対する何らかの結果が必要だ思われたのである。そのための南米侵攻であったかもしれない。


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