「夢杭蟲」 肆
ずっと水の中で溺れている様な感覚だった。
自分の異変に気付いた時にはもう遅かった。
目を開けることも体を動かすことも出来ない。
ただ眠り続けることしか術は無く。
最初のうちは、それでも夢を見ていた。
それこそ溺れていたり火に炙られる悪夢を、だ。
あまりの苦痛に死にたいと思うこともあった。
しかし、苦しみの向こう側に見える「彼」の笑顔が自分を奮い立たせた。
――もう一度、あの人の笑顔を見ない限りには死んでも死ねない。
ひたすら悪夢に耐え続けた。
その悪夢さえ消えかけてきたのは、異変が起こった二日後。
何かが夢を奪っている。
いや、食っている。
どんどん夢が無くなって自分という意識が無になるのを予感した。
彼の笑顔が、見れない。
どれくらい蟲に食われたかどうかもわからなくなった。
黄泉の国に足を一本突っこんでるかもしれない。
だが、もう全ての夢が消えそうになった時どこからか笛の音が聞こえた。
次の瞬間、空気を吸い込むかの如き開放感を覚える。
瞬く間にいくつもの灯がまぶたの裏に灯った気がした。
そして、ふっと目を開けた。
目の前に飛び込んできたのは、とても心配そうな顔でこちらを見下ろす「彼」の顔。
隣にはいつも側で生活を支えてくれている家人、いや友の顔もある。
――ああ、帰って来た……
美和子は三日間の”無”の恐怖に打ち勝ったのだ。
「良かった……!」
蟲退治が終わってから数分後、美和子が目を覚ましたのを見て涙を流しながら、由美が呟いた。
高木も涙をこらえている様子で見つめた。
「美和子様」
「ご心配を、おかけしました……」
彼女の言葉に彼は首を横に振り、無事でよかったと付け足した。
そんな彼に優しい視線を向けつつ、彼女は反対側に座る二人の男に気付く。
一瞬で何者かはわかった。
「どうやら世話をかけたようね、工藤様」
「いえ、ここまで踏ん張ったあなた自身のおかげですよ」
同じような職業柄ゆえ、無駄な言葉は要らない。
首だけを新一のほうに向け問いかける。
起き抜けと疲労により少しだけ声がかすれた。
「私は何かに取り憑かれていたのよね?」
同業者は頷き、手元の袋を彼女の前にかざす。
「はい。ここに収めし袋の中にその蟲がございます。恐らくこれは……」
「夢杭蟲、かしら」
「もうおわかりでしたか」
感嘆するかのように声を若干高めた。
だが、彼女は当然だといわんばかりに言葉を続ける。
「自分の体で起こったことですから。ずっと眠ったままで苦しみ続けることもさることながら、夢がだんだん消えていったことが夢杭蟲の特徴だわ。蟲に夢を食われ、夢という意識が全て無くなった時私は死ぬことになっていたんでしょう」
他人事のように淡々と解析する。
死、という言葉に高木と由美はつばを飲み込んだ。
「そうです。私がここに来た時にはほとんど全ての夢が食われているところでした。ですから取り出しやすい手のひらに蟲を誘き寄せ、針で刺しました」
「じゃあ、俺の笛は何のためやったんや?」
横から平次が聞く。
事が急を要すようだったので、あの時は何も聞かずに大人しく吹いたがずっと気になっていたのだ。
なぜ、自分の笛が蟲を捕まえるのに要るのだろうかと。
「あれは蟲の動きを大人しくさせるためです。服部様の笛にはこの世の全てのものを静まらせる力を持っておりますから……」
恭しく新一が答える。
その答えを平次は信じられない。
「俺のただの笛がか?」
「そんなことはありません」
ふと、美和子が否定した。
「夢も無く、何も感じることが出来なかった私でさえ貴方様の笛は聞こえたような感じがいたしました。とても素晴らしい音でした……」
その音を思い出すかのように、彼女は目を閉じる。
覚醒してからすぐに会話をしたため疲れたようだ。
閉じたまま開けようとしない。
「無理をせずそのまま休んでください」と高木が声をかけると、無言で頷き再び眠りに落ちていった。
由美がゆっくりと、乱れていた布団を綺麗に伸ばす。
完全に今度は安息の夢の中に入り込んだのを見計らってから、高木は工藤に話しかけた。
「工藤様、これから私達はどのように美和子様を介抱すればよろしいでしょうか」
「そうですね。三日三晩飲まず食わずで眠っていらっしゃったのですから、次に目を覚まされた時には、粥などをお召し上がりになれば良いでしょう。蟲の仕業ということなので薬などをは必要ありません。ゆっくりとご養生下さいませ。それに……」
高木の顔を見て何かを含んだ笑顔を見せる。
「このお屋敷には美和子様にとってとても良い空気が流れております。誰かが呪いをかけようとしても、その空気が防ぐでしょう。誰かを大切に思う心は、それだけでどんな術にも勝る武器になるんですよ」
一瞬、高木が虚を突かれた様に目を丸くし、次に苦笑した。
新一の言葉に思い当たる節があったのだろう。
「やはり貴方はすごい方です。貴方に頼んで本当に良かった」
「身に余る光栄でございます。……では、用も済んだことですし我々はお暇させて頂きましょう」
「そんな、もう夜も遅いですし今夜は我が屋敷にお泊まり下さい。酒なども用意させますので」
早々の退出に高木は慌てて引き止める。
美和子の命を救ってくれた恩人をこのまま帰すのはなんとも忍びないと思っている。
そんな建前ではない彼の真摯な申し出が新一にもわかっているようで、心から申し訳無さそうに断りを入れた。
「それは大変ありがたいことです。私も本来ならばそのお心ぜひとも受け取らせて頂きたかった。しかし、まだ私には用がありますので」
「こんな遅くにですか?」
「ええ。蟲退治をした今だからこそ用が出来てしまいました」
意図を掴みにくい彼の言葉に高木は不思議がったが、そこで無理に引き止めはしなかった。
引き止められない代わりに、牛車を急いで用意させる。
本当の意味で、人が良いのだろう。
美和子を由美に任せ、高木が二人を門まで先導する。
その後ろを着いていく平次が隣の新一に小声で話しかけた。
「なあ、工藤。用って何や?」
「さあな。実のところ、俺も用があるかどうかわからねえ」
「わからんて……」
「ただ、用があるとすれば面白いことだろうな。何なら着いて来るか?」
先に平次が自分の屋敷に送り届けてもらう予定だった。
それを通り越してそのまま新一の屋敷に来ないかと言う誘いである。
不確かな用事に一瞬考える。
だが、「面白いこと」という言葉が気になったので「なら行く」と答えた。
新一にとっての面白いこととは何だろうと興味が頭をもたげたのだ。
前を行く高木に聞こえぬようにひそひそと話していると、すぐに門の前に着いた。
松明を持った従者が既に牛車を用意している。
促されるまま平次の次に新一が乗り込んだ。
そして屋敷の主に向かって頭を下げる。
下げられた側はより深々と下げ返した。
「本当にありがとうございました。此度のご活躍は近いうちに帝にもお伝えいたしましょう」
「いえ、私は自分が出来ることをしたまでですので。あの美和子様を、大事になさいませ」
「……ええ。必ずやきっと」
そのまま扉は閉められ、車はゆっくりと一条に向かって進み始めた。
欠伸をする平次の隣で、新一は懐に持った袋を手で確かめる。
袋の口を紐で縛ってからは大人しくなった蟲が、少しだけかさりと動いたような気がした。
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