「新一、黒き呪術師に会うこと」 後
新一と同じく陰陽道の名門出身で、播磨に住む呪術師。
黒澤陣という名で平次が思い出したのはその二つだった。
腕が良い術士ということで都でもちらほら聞く名前だったが、こうやって合間見えたのは初めてだったので驚く。
この銀髪の黒装束を纏う男が、あの黒澤なのかと。
「やはり、内親王に呪いをかけた呪術師にこの蟲を渡したのは貴方でしたか」
「渡したのではなく、貸したのさ」
冷たい目でくつくつと笑う。
「同じ播磨の出というよしみで俺のところに頼みに来たが――あの程度の腕では使いこなせなかったようだな」
「貴方のように世俗に無関心な方が、何故内親王を殺そうとする輩に蟲をお貸しになられたのです?」
「面白そうだったからさ。あの小娘が死のうとも死なずとも、どちらにせよ面白いことになる。実際、お前が引っ張り出され珍しい術を見ることが出来た」
哀内親王を小娘と呼んだことに対し、平次の顔色が変わる。
彼ら公達にしてみればありえなさ過ぎる無礼だ。
思わず咎めようとするが、それは新一の静かな笑い声によってやめてしまった。
「成程。結局俺は貴方の手のひらの上で踊っていたということか」
「フン、知ってた上で敢えて踊っていたのだろう、お前は。……さあ、その蟲を返してもらおうか。腕利きの巫女の夢を喰ったそれは良い式神になる」
陣がここに来てからずっと忙しなくカゴの中で動き続けている、黒い蜘蛛のような蟲がその言葉に呼応するかのように更に動きを活発化させる。
横目でそれを見た新一は肩をすくめた。
「仕方無いですね。貴方と同じく私も巫女殿の夢を食べたこの蟲には興味がありましたが、蟲自体が貴方を呼んでる以上そこまでして拒む理由が無い」
「お前はお前で高木家から褒美を貰っているだろう。それで満足しておけ」
そう言うと陣はすっと右手をカゴのほうにまっすぐに伸ばした。
次に、側の蘭が何もしていないのに勝手にカゴが開く。
蟲がふわりとそこから浮き上がり、新一と平次の間を飛んで陣の手元に吸い寄せられた。
不気味なそれを、彼は躊躇うことなく片手で掴み、口元で何かを呟く。
「なっ…」
すると、急に蟲が虎ぐらいの大きさにまで巨大化したので、平次が驚嘆を漏らす。
新一も感心したかのようにそれを眺めている。
元の持ち主の下に戻った蟲は大人しく、陣がその背にどかりと胡坐を掻くのを許した。
「そういえば、あの笛はお前が吹いたのか」
思い出したように蟲の背で陣が平次に問いかける。
まさか自分に問いかけられるとは思っていなかったので彼は驚くが、素直に頷く。
「あ、ああ。そうやけど……」
「――そうか。お前はお前でこの蟲に劣らねえ面白いもんを見つけたじゃねえか。工藤新一」
陣は次に新一のほうに視線を移しにやりと笑うが、彼はそれに黙って真意のわかりにくい薄い笑みを浮かべただけだった。
「まあいい。では、御暇させてもらおうか」
陣を乗せた蟲は六本の足で地を蹴って中に浮く。
そして三人を見下ろし、どこから取り出したのか土瓶を投げて新一に寄越した。
「酒だ。この蟲の代わりにくれてやる」
「これは珍しい。貴方からのものであれば、きっと美味しいでしょうね」
「さあな。そこの女にでも毒見させてやれ」
毒が入っているのだろうかと思わせるような口ぶりだ。
毒見に指名された当の蘭は無表情で彼を見つめていたが、陣は気にせずそのまま蟲に乗ってそ空へ高く飛ぶ。
飛ぶ瞬間また風が起こったので庭がざわめく。
埃が入らないよう目をつぶった平次が次に瞼を開けた時には、黒装束の男も蟲もいなくなっていた。
呆けたように彼は月を見上げる。
時間にしてみれば短かったが、陣の独特な存在感に圧倒されたようだ。
「……なんや、ようわからんけどすごい奴やったような気ぃする」
「ような、じゃなくて本当に凄い奴なんだよ。あの黒澤陣はな。巫女殿を呪い殺せるほどの力を持つあの蟲を一目見て、彼が一枚噛んでると気付いたが、蟲を返しただけですんなりと引いてくれて良かったよ」
陣がいなくなったせいか、平次と同年代らしい素振りに戻って新一が息を吐く。
「ほぉ、あの男が来るまではおもろいことがあるとか言うて余裕たっぷりやったのに、ホンマは心配しとったんか?」
「ちげーよ。めんどくさいことになるのが嫌だっただけだ。今日奴が来なかったら、蟲の始末をどうするか色々考えないといけねえし、来たら来たで何か無理難題を押し付けられたら堪ったもんじゃない」
それはそれで心配の部類に入るような気もするが。
平次は内心そう思ったが、そこをつっこむと自分よりも口が回る新一に何を言い返されるかわかったものではないので黙っておくことにした。
「じゃあ、せっかく頂いたことだし飲んでみるか」
「おい、ホンマにそれ飲んで大丈夫なんか? 毒見とかなんとか言うとったで」
「あいつはああ見えて、やるときは正々堂々真っ向から来る男さ。毒を盛るくらいなら、さっきの蟲で何か仕出かしてたよ」
酒瓶の蓋を抜いて、新しい杯を持ってくるよう蘭に言う。
彼女は軽く頭を下げてすうっと空気に溶け込むように消えていく。
台所に行ったのだろう。
その人では無い仕草に、平次は驚くことは無い。
代わりに笛を懐に収めて、何かを悟ったような笑みを新一に向けた。
「今日はお前の言うとおり、多分おもろかったわ」
「多分かよ」
「お前のようなすごい奴が他にもおるっちゅうことがわかったせいで、何が不思議で何が驚きで何が怖いのかごっちゃになってしもうた。けど、そういうもん全部ひっくるめておもろいと思うことに、俺はした。」
「それはいい心がけだ」
彼の開き直りに新一も笑った。そして陣の言葉が思い返される。
お前はお前でこの蟲に劣らねえ面白いもんを見つけたじゃねえか、というあの台詞だ。
(確かに、この男は面白い)
この場に居ない黒装束の呪術師に向かって、新一は内心同意を示す。
陣と対峙した最初の日がいつだったか忘れたが、あれ以来の楽しみが今あるのではないかと思った。
「蘭が戻ってきたらお前も存分に飲め。あの黒澤陣がくれた酒だからな」
二人を灯す満月の中に、兎ではない黒い影が時々飛んでいた。
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