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ヒロインな妹、悪役令嬢な私 作者:佐藤真登

十一歳編

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 時間には密度がある。
 もちろん主観的なものだが、それは誰しもが経験則でしっているものだ。漫然としている時は薄く、集中している時は厚い。薄い時ほど長く感じ、厚い時ほど短く感じるのは時間に密度がある証拠だと思える。
 マリーワの授業は、その密度の極限へと強制的に私を叩き込んでくれた。
 思考とは本来きわめて個人的な内的作用であり、他者の干渉を受ける余地などないはずものだ。私の考えというのは、十一年生きてきた私自身の中からのみ生まれ、私自身にしか理解できないもののはずである。
 しかし、あるいはマリーワは私の思考の全容を把握しているのかもしれない。
 マリーワの授業を受けていると、思考が止まるということがない。分からないところ、引っかかるところ、疑問に思うところにぶち当たる寸前に容赦なく知識を叩き込んでくる。それは、思考の介在を受けているかと錯覚してしまうほど正確なものだ。
 それが世間一般的に呼ばれるような「教育」であるのかどうか、私には分からない。

「ふむ……まあ、今日は及第点ぐらいはさしあげましょう」
「よ、よし……!」

 マリーワの妥協を聞いて、私はぐったりとうなだれつつも安堵の息を吐いた。
 もしかしたらマリーワはどこまで思考を早くできるかどうか試しているのかもしれない。授業の最中はどんどんと時間が加速していくような感覚すら覚えるのだ。はっきり言って、精神がごりごりと削られていく。
 その時間の流れから抜け出し、ほっと息を吐きながらいつも通りの速さに時間を合わせようとし無防備をさらしてる時だった。

「しかし時間が余りましたね。さて、それではお嬢様がどうして責任を投げ捨てるようなことをやらかしたのか、聴取をいたしましょうか」
「ああ、それはシャルルが怖くて――あ」
「は?」

 たぶん、時間を少し余らせたのも予定通りだったのだろう。完全に油断し、頭を緩めている途中にぶち込まれた質問に、ぽろっと隠したかったはずの答えを出してしまった。
 しまったと迂闊な口を押えるが、こぼした言葉は拾えない。聞き逃してくれていないだろうかと一抹の期待を込めてマリーワを見て見たが、儚い希望は一瞬で木っ端みじんに砕け散った。

「殿下が怖い? それはまたどうし……ああ、いえ。そうでしたね」

 意外そうに質問を重ねようとしたマリーワは、途中でなにかに気が付いたように間を置いた。

「そういえば、そうでした。あなたはまだクソガキでしたね」
「いまお前クソガキって言ったか?」
「言っていません」

 公爵令嬢である私の高貴な耳にあり得ないほど汚い言葉が耳に入った気がしたのだが、どうやら気のせいだったらしい。
 ふむと頷く。

「そうか。私の気のせいか」
「ええ、もちろん空耳です。何ですか、その言葉使いは。社交界で一言でも『クソ』などと言ってみなさい。呆れられるのを通り越して失望されますよ。決して上流階級の前でそんな単語は口にしないようにしなさい」
「む」

 ものすごく理不尽なことを言われた気がして、不満に頬が膨れた。
 聞き間違えたのは確かに私が悪かったが、でもこう……なんか納得がいかない。

「なんだよ。そんなこと人前で言うわけないだろう。私はノワール家の淑女だぞ?」
「そのノワール家のご令嬢が賓客を前に逃亡するなどありえないことをやらかしたと小耳にはさみましたので、その説得に力はありませんね」
「うぐっ」
「しかし今回のことは、シャルル殿下とのことを考えれば……まあ、仕方ないのでしょうね。これも経験といたしましょう」

 遺憾ながらも言い負かされる私をよそに、マリーワは一人で何やら納得して問題をお終いとしていた。
 予想外に甘い対応だ。もっと怒られるものだとばかり思っていた。

「マリーワ、あんまり怒ってないんだな」
「ほう。お嬢様には私が怒っていないように見えるのですか? この私が、怒っていないと?」
「ん、いや……」

 質問に質問で返してきた答えをちょっと保留にして、じっとマリーワを観察する。
 最近気が付いたのだが、マリーワがはっきりと答えを出さないときには隠し事をしていることが多い。おそらく嘘を吐きたくないのだろう。質問に対し、答えを誤解させるような誘導を返してくるのだ。
 それに惑わされないように、今のマリーワの雰囲気と先ほどまでのやり取りをゆっくりと分析して考える。
 今のマリーワは怒っているには怒っているのだが、そこまで怒っていない。それは先ほどの会話の内容からもうかがえる。正確に言えば、本来マリーワの立場ならばもっと怒りを覚えてもいいはずなのに、なぜか怒りのレベルが低いのだ。

「やっぱり、あんまり怒ってないな。なんでだ?」
「……そうですね」

 天才的観察力と分析力によってマリーワの防壁を突破すると、観念したのか意外なほどあっさり認めた。

「実のところ、お嬢様が感情的に行動すること自体はかまいません。理不尽とは、論理的な所からは生まれません。あなたが理不尽ならばそれはあなたが感情的な印であり、あるいはそれが魅力的だと思う人もいるのかもしれません」
「それが利点になるかもしれないからいいってことか?」

 シャルル殿下にとか、とマリーワがぼそりと付け足したのは聞き流す。

「だとしたら社交的に考えて、もっと感情を制御できるようにしろというのが家庭教師の役目じゃないのか?」
「いいえ。感情を制御できていると冷静ぶる人間の大半は、感情を押さえつけているだけです。感情を表に出さないことを感情の制御というのは愚かなことで、それはせいぜい表情の制御と言い表せる程度のものです」
「……感情を抑えつけるのは悪い事なのか?」
「よくも悪くもありません。欠点も利点も同時にあり、社交的に見ればやや利点が多いくらいでしょう」

 私の追及に即座に切り返してくる。その返答には迷いがなく、マリーワが自分の論に確信を持っている証拠だ。
 その主張に、むむむっと眉根を寄せる。

「自分で言うものもなんだが……今の私みたいに、感情に振り回されて醜態をさらすよりもよほどましじゃな気がするんだ。なにより社交的に観て利点が多いなら、それを教えて欲しい」
「大人になっても感情に振り回されるようなら、その時に身に付けなさい。ただ、幼い今のうちは存分に感情に振り回されるのが一番です。そうやって感情を知れば、いつかあなたは感情を振り回すことができるようになるのかもしれません」
「感情を、振り回す?」
「ええ。それは私にできなかったことで、とある人がなしていた社交術です。それができるようになれば、大きな武器になるでしょう」
「……とある人?」
「友人です」

 友達いたのか。今日一番の驚きに襲われる私に、マリーワは鋭い瞳を剣呑に細めた。

「あなたが今何を考えているのかはだいたいわかりますが……もう帰りの馬車の時間ですね。それでは、今日は最後に話したことを特に胸に刻んでおくように」
「あ! ちょっと待てマリーワ」

 タイムリミットに忠実なマリーワの裾を慌てて掴んで引き止め、上目遣いでマリーワを見つめる。

「えっと、そのな。感情に振り回されろっていうのはなんとなくわかったんだけど……結局シャルルにどう接すればいいんだ?」
「知ったことではありません」

 オールドミスなマリーワでは一番聞きたかった問いの答えを得ることができず、取り付く島もない態度でぴしゃりと切り捨てられた。

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