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 行儀作法というのは、まず立ち方から始まる。

 足をそろえ、背筋をぴんと立てて、手は前に合わせる。堂々と、それでいて楚々とした立ち姿を作るのはなかなか難しい。


「はい、そうです。お嬢様、アゴはもう少し引いて……はい、そのままあと五分静止しましょう」

「むう……」


 あまり自然でない体制を強要され、うなりつつもマリーワに言われた通りにする。見栄えの良さと楽で自然な体勢というのは反比例するのだ。

 私が思い出した前世の知識というものは日常生活にあまり役立たない。前世の知識を思い出したと言ってもそれは断片的なもので、はっきりと形になっているものは少ない。形になっている知識も益体のないものばかりで、これから青き血を受け継ぐ立場として生きる私には何の役にも立たないものばかりだ。

 だが、そんなガラクタのような知識の中で一つだけ異質かつ今の私の人生に直結するものがあった。

 それが『迷宮ディスティニー』と銘打たれた物語の知識である。

 前世では乙女ゲーと呼ばれていた娯楽の一種で、今世の形式として言い表すなら濃密な紙芝居とでもいうのであろうか。デフォルメが駆使された人物が色鮮やかな色彩で描かれ、そこに文章を載せて選択肢のある物語が紡がれていく。それだけなら物珍しくもただの娯楽の知識として終わるのだが、その内容が自分の未来に関わるものと言うのだから驚愕である。

 『迷宮ディスティニー』は、今より後十年ほど未来の出来事がミシュリーを主役とした物語として描かれているのだ。


「お嬢様。姿勢を保とうとするのに意識がいって、全身に力が入りすぎです。少し力を抜いて……それでも肩は下げずに、気は抜かずに、力みだけを失くしてください」

「イエス、マム!」

「意味は分かりかねますがそのふざけた返答をもう一度繰り返してみなさい。今日のムチは一味違うと思い知るでしょう」

「はい、ミス・トワネット」


 ひゅんっ、とマリーワの手の中で音を鳴らすムチを見て、慌てておしとやかなお嬢様の外面を被る。さっきの言葉は封印だ。やっぱり前世の知識なんて使いどころがない、と改めて確信した。

 私はミシュリーと出会い、そのかわいさ光線を浴びたことによって『迷宮ディスティニー』の物語をはじめとした前世の知識を思い出した。しかしミシュリーと出会ったことによって思い出した知識はあくまで知識であって、記憶ではない。特異な知識ではあったけれども、その情報は天才として生まれ育ち形成された私の自意識をいささかも揺るがすものではなかった。

 つまり、私は生まれた時から私、クリスティーナ・ノワールである。

 そしていま現在に直結するとても重要なことになるのだが、思い出した知識によって私は未来の一部を先取りできるという圧倒的利点を得ているが、残念ながらその利点のうちに礼儀作法という項目は含まれていない。

 だから今日とて私はマリーワのしごきに耐えなければならない。立ち姿ができれば歩き方、座り方、お辞儀の仕方に話し方などへとつながっていくのだが、その前の段階の訓練で私は疑問に思うことがある。


「なあ、マリーワ」

「ミス・トワネットです、お嬢様。先ほどの言葉使いと殊勝な態度には目を見張るものがありました。あのような外面をきちんとかぶれるようになれば、私もムチを振るう必要がなくなるのですが?」

「……ミス・トワネット。お聞きしたいことがありますの。よろしいですか?」

「はい。どうしました?」


 普通に話しているとマリーワが会話をしてくれないので、しぶしぶ叩き込まれたお嬢様言葉を駆使して疑問を呈する。


「ミス・トワネットはどうして私の頭の上に本を積み上げていきますの?」


 何故かマリーワは立ち姿の練習をする私の頭のてっぺんに本を積み上げ始めたのだ。一冊だけではなく、二冊三冊と積み上げられて増していく本の厚みは地味に私の首を圧迫していく。微妙に苦しい。

 落としたら足にぶつかってひどいことになるかもしれないから黙って耐えていたが、この状況はちょっと不可解が過ぎる。これは行儀作法の授業だと思っていたのだが、もしや新手の大道芸の練習でもさせられているのだろうか。

 そう思っている私の頭の上に、さらにもう一冊追加が入る。


「これは由緒正しき訓練の一環です。頭の上に本を載せることによって、自分の体幹を意識させるというものです。これを極めれば頭の上に本を載せても、びくともしないバランス感覚によって素晴らしき立ち姿を得ることができます。あるいは頭に本を載せたまま歩行することすら可能でしょう」

「ほほう」


 マリーワの言葉に本を落とさないように相槌を打って、確信した。


「やっぱり大道芸の一環じゃないか!」

「断じて違います」


 さらに一冊、私の頭の上に本が追加された。








 首が痛い。

 計十冊の本を頭の上に乗せ、そのまま歩いて部屋を一周するという大道芸を仕込まれた私は、食事の席で鈍痛に悩まされていた。

 マリーワはもう帰っているので、食事の時間の我が屋敷は平穏だ。テーブルマナーの作法が始まったらその限りでもないのだろう、と思うと少し憂鬱だが。席に並ぶのは上座に我がお父様。そして横並びで私とミシュリーだ。今まさにメインディッシュの魚のソテーを食べている真っ最中である。

 しかしながら首が痛い。首をまっすぐにして頭のてっぺんからかかる負荷に耐えていたせいか、何か首筋がとても痛い。首がうまく曲がらない。これも全部マリーワのせいだ。何もかもマリーワが悪い。


「おねえさま、だいじょうぶ?」


 食事の最中何度も手を止めて首筋をさすっていたからだろう。私の隣の席に座るミシュリーが、そっと首筋に手を伸ばしてきた。


「くび、どうしたの?」

「ああ、これは大道芸を仕込まれた代償で、大したことはないんだよ」


 心配してくれるミシュリーを安心させるため、痛みを押し込めにこりと笑う。

 私とミシュリーは血がつながっていない。

 容姿からしてまるっきり異なるのだから、当たり前といえば当たり前なのかもしれない。黒髪黒目の私と違って、ミシュリーは金髪碧眼の天使だ。私と同じノワールという偉大なる姓を頂いてはいるけれども、妹のミシュリーはその血を継いでいない。

 ミシュリーがノワール家に来たのは、大体二年前。私が五歳の頃で、屋敷の書斎にあった本をことごとく読み尽くした時分だった。

 その時の私は養子の子が家に来ると聞かされて、ややぶーたれていた。

 貴族たる家が養子を連れてくる場合なんて、だいたいが愛人の子供を引き取るときだと相場が決まっている。どうせお父様がどこぞで作った妾の子を引き連れてくるんだろうと考えたらなんだかムカムカした。養子を連れてくるなんて死んだお母様を侮辱するような行為をするお父様にイラついていたし、その象徴のような子供の存在にも苛立っていた。

 いっそイジメてくれようか。いら立ちに任せそんな愚かなことを思いながら私はミシュリーと対面した。

 天使が降臨したのかと思った。

 ふわふわ巻き毛の金髪に、ぴかぴかの青い目。三千世界を光輝かせるような魅力を解き放っているかわいさの直撃を受けて、前世の知識とやらを思い出してしまった。


「おねえさま。いたいのいたいのとんでけー!」

「ふふ。ありがとう、ミシュリー。すっかり痛みが飛んでいったよ。お礼に、あーん」

「あーん!」


 そっと優しく痛む首筋をさすっておまじないをかけてくれた妹の口に、ディナーのメインディッシュを一切れ運ぶ。ミシュリーは嬉々として口元に運ばれた魚のソテーにぱくついた。

 かわいい。

 思わず頬が緩んでしまう。

 思い出した物語『迷宮ディスティニー』の中で、ミシュリーはヒロインだった。この世界の神様の感性はなかなかよろしいらしい。この世で誰が一番かわいいのかよく分かっている。ミシュリーに目をつけるとは慧眼の持ち主だ。今度教会に参拝する機会があったら少しばかり褒めてくれようと思う。

 そのくらい私の妹はかわいい。この世界が妹のためにあるというならば納得できるほどに、私の妹は最強にかわいいのだ。


「おねえさま。おかえしに、あーん!」

「あーん」


 ミシュリーはたどたどしくも一生懸命にナイフとフォークを操り、私に自分の食事を分けてくる。世界一おいしくなる魔法がかけられたそれを食べる。

 ほっぺたが落ちるんじゃかと思うほどにうまみ成分が急上昇していた。


「おいしーねー、おねーさま」

「なー。おいしいなー、ミシュリー」

「な、なあ、クリスティーナ、ミシュリー。父にも――」

「お父様は席が遠いから無理だ」

「だー!」


 上座にいる父は隣り合わせにいる私たち姉妹とは距離がある。そんな父も交えながら家族団らんをしつつ、私は前世の知識で一つだけ腑に落ちない部分へ想いをめぐらせる。

 ミシュリーは唯一役に立つ前世の知識『迷宮ディスティニー』の物語に置いて、この世界のヒロインであった。

 それは当然だろう。地上に舞い降りた大天使ミシュリーこと我が最愛の妹にもっともふさわしい役どころだ。

 だが翻って、どうしても納得できない役柄がひとつある。

 恋愛要素の強い『迷宮ディスティニー』の中でミシュリーと対照の人物として描かれひときわ目立つ人物、クリスティーナ・ノワール。彼女は世界に愛される主人公を疎み、しいたげ、阻害し、最後には自らの行いの報いを受けて破滅する。

 そう。

 私は、最愛の妹ミシュリーに最低な所業をなす悪役令嬢だったのだ。

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