第5話-B51 キカイノツバサ 軌跡の怪物
「では、作戦を開始する」
皆の返事ののち、ブロウルは船の元へ飛び立っていった。俺はわだちの運転席に座る。隣にグレア、荷台にクラリ。
荷台にはハシゴが一つと、荷台の後方からはみ出すほどに長い渡し板が数枚積んである。俺が工業ギルドの連中に事情を話して借りてきたものだ。
火事の中に俺単独で突っ込んでいくというプランを聞いて、ギルドの連中はぶったまげていたが。
アクセルを深く踏み込み、雨に濡れたわだちが空転気味に走りだす。
時間との勝負だ。実際のところ、要救助者の可能性を最初に聞いてから、発車するまでに三十分もかかっていない。もっとも時間がかかったのは、衣類のカンパだ。
「轢き殺されたくなくば、そこをどきな!」
わだちの進行方向に野次馬の集団が見えると、布に塞がれて大きな声が出ない俺に代わって、グレアが叫ぶ。こんな荒々しい言葉を聞くのはやはり珍しいなどと思いつつ、ハンドルを握り、パッシングをかける。下手に迂回するより、このまま突っ込んだほうがいい。
人が割れた道を通り抜け、キール造船所に乗り入れる。
造船所敷地内では、工業ギルドのメンバーによって、わだちが構内を走行できるよう簡単な片付けが行われていた。といっても、たった数分でできる片付けには限度がある。大きな木箱や資材などはそのままだ。
自転車でかっ飛ばす程度のスピードに乗り、石畳の路面を前方に障害物が見つかるたびにハンドルを切る。雨に濡れた石の路面であるが、表面がざらついていることもあって車輪の食いつきはよく、さほど心配はいらなかった。
「振り落とされるなよ」
俺はグレアにそう言ったつもりだが、彼女には聞こえていなかったようだ。
野積みにされている木箱を、ハンドルをS字に切って避ける。避けた先の路面に落ちていた金属の何かを踏んだらしく、後方でとびはねる金属の音が聞こえた。
「やっぱでけぇな」
炎上する船のすぐ近くまで来ると、その巨大な建造物に圧倒される。現代の海を航行する巨人とは大きさは比べ物にならないが、それでも四、五階建ての建物に匹敵するほどの船が炎上している様子は、圧巻の一言。
俺は重防御のおかげで肌では何も感じないが、目から感じる熱線がこの火災の凄まじさを物語る。イメージよりも圧倒的な熱量に目を細める。死人が出てもおかしくない。
今着ているこの蒸発式の防火対策が、果たしてどこまで機能するのだろうか。想像を絶する熱量に不安を感じる。これからあの中に入ると思うと、アクセルを踏む力が弱まる。
「アダチ、前!」
前を指してグレアが叫ぶ。頭から突っ込むようにして入渠した船。その前部マストの一部だろう、足の太さほどの長い棒材が折れ、燃えながら道を塞いでいた。
「突っ込むぞ! 掴まってろ!」
アクセルを踏み切り、今の減衰率で供給できる最大のエネルギーを魔力モーターに供給する。エンジンのような爆音を発することもなく、静かながら後ろに飛ばされそうなほどのパワーを供給することで、俺の指示に的確に追従する魔力モーター。そのリニアな加速に乗り、棒材に体当たりをかます。
「わっ!?」
「いってぇ」
ドウンボウン。棒材が弾け折れ、重厚な音を立てて転がる。クラリの悲鳴が上がった。
衝突の衝撃で身体が前に弾き飛ばされそうになるのを、ハンドルを握りしめて耐えようとする。飛ばされはしなかったが、頭が振り下ろされハンドルに胸を打つ。
掴まってろと俺は言ったが、荷台に掴めるものなどない。
俺も衣類ガードで多少衝撃が和らいだとはいえ、ハンドルアタックはクソ痛え。今の衝撃はエアバッグものだぜ。
どう耐えたのかまで確認できなかったが、とにかくグレアも今の衝撃を乗り切ったようだ。
一瞬だけ車体の様子を確認する。幸いにも燃え移りはなかったが、今の衝突で前部のバンパーと右のライトが壊れた。
直後の桟橋状の通路と丁字状に繋がる分岐で右折。持っていかれたのはそこだけで、ハンドルもブレーキも駆動系も健在だ。まだ走れる。試作車両のくせに耐久力が高くて助かったぜ。
飛行艇と燃える船の間の、幅十五メートルほどの通路を、グレアを挟んで反対側のドックを見下ろしつつ走る。飛行艇は船に近い側の主翼が炎上していたが、まだ艇体までは燃えていなかった。
「やるならこのあたりだな」
「そうね」
グレアの同意の言葉で船体後部、船体の中でドックゲートに一番近い場所でわだちを止め、運転席から飛び降りる。
ここからなら通路上の荷物もほとんどなく、ブロウルも見通しが良くて砲撃しやすいはずだ。
同じく降りたグレアを見る。彼女が持ってきていたカバンに手をかけ頷くのに、親指を立てて返す。そのまま後方の荷台に回り、長さ五メートルほどの渡し板を一枚引きずりだす。渡し板を彼への合図の代わりに使うのだ。
「クラリ、大丈夫か?」
「ちょっとビックリしたけど大丈夫!」
クラリが荷台から降りて渡し板の端を持ってくれる。小柄な体格だが、さすが古族、辛そうな表情一つ見せずに軽々と持ち上げる。
クラリと協力して渡し板を立てる。これを振ればブロウルも合図と分かるはずだ。
「クラリ、穴ができるまでに飛行艇と周囲の資材の消火!」
「はい!」
返事してすぐ荷台に飛び込み、魔法書を抱えて来た道を飛んでいく。
ブロウルのいる二百メートルほど先の船に目を向けて両足を広げ、渡し板を大きく、ゆっくりと左右に振る。十秒ほどすると、甲板にいた誰かが同じように板切れを大手で振り返す。これで合図は送れた。
グレアは鞄から取り出したガラスの板を手に握り待機。準備は一応整った。
あとは、ブロウルがどれだけやってくれるか――
――ボスからの準備完了の合図を受け取った。適当に渡し板が設けやすいところに、砲弾をぶちこむ。
船体に垂直に当たる場所の大砲をちょいと拝借。砲弾も火薬も、相当分が補填されるなら、いくらでも使えと船長は言った。
請求は工業ギルドに頼んであると、ボスはそう言った。ギルドも飛行艇の件でカネがないから、弾薬は節約しろとも。
「っしゃぁ……やってやるぜ」
こうして自分で砲身のケツから弾丸を詰め、火薬の入った小袋を押し込んで尾栓を閉めていると、旅に出て小さな街の傭兵として雇われた時のことを思いだす。
あんときは確か、盗賊の襲来計画の知らせを聞いて、盗賊に便乗するか、防衛側のどっちにつくか、街の女子供のことを軽く考えた末、当然の判断として街の一傭兵として雇われたんだったな。
俺は投擲武器が得意だ。そう街の守衛隊に言ったところ、大砲を任されたわけだ。
地上に向けて撃ってもよし、空から侵入を試みる奴ら相手に撃ってもよし。長く伸びる万能な砲身を向け、紐を引いて当てる。
他の奴は当てるのに苦労していたようだが、俺には生まれつき神使様から授かったものがあった。
「動かない目標なら百発百中、動く相手でもそこそこ当てることで定評のあるブロウル・ホックロフト様の軌跡に狂いはねぇ」
一種の未来予知能力だ。砲弾、弓矢、石ころ、人間、何でもいい――放物線を描いて飛ぶ物体が描く未来の軌跡が、どういう理屈か俺の視界に重なるようにして映る。自分で力加減を調節できるシロモノなら、意図した軌道を描かせて物体を飛ばすなど造作もない。
「んー……この火薬の量だと、もうちょい上なのか」
どデカい砲弾が盗賊に当たれば、砲弾に引き裂かれバラバラになったガワと骨片、臓物が降ってくる。見てるこっちはいい気がしねえが、次々と仲間が爆裂していく状況だ、それ以上に相手はたまったもんじゃないだろう。
仲間との協力で盗賊の撃退に成功し、守衛任務は達成。つっても半分くらいは俺の戦果によるもので、出来高制の報酬もさぞたんまりかと期待するも、結局街の守衛隊の大戦果の扱いになった。他所者に報酬なぞ出したくなかったのだろう。
んで、結局普通に暮らせば二週間ももたない額しか貰えなかった。
何があったのか知らねえけど、思い返せば他所者と知った途端顔色の変わるケチくせえ街だったな。
「んー……この軌跡は――ありだな。あばよ砲弾ちゃん!」
紐を引いて火薬に火をつける。腹に堪える爆轟、視界を一瞬染める閃光、能力への信頼からくる確信。砲煙が炎上する船に吸い込まれながら拡散していき、次第に視界が開ける。
「っしゃきたぁ! もう一丁!」
砲弾は平たい放物線を描いて桟橋の縁で跳弾。船に砲弾がめりこみ、ゴロッと転がり落ちたそこには大きな凹みができた。あの大きさの窪みは、木材にヒビがいってる。曲線を描く船殻に砲弾を垂直に当てるためにゃ、やっぱ一旦桟橋で跳弾させるしかねえよな。
二発目の砲弾を仕込み、火薬を詰め、尾栓を閉じる。発熱だろうか、今の一撃でわずかに砲が変形したようだ。一発目と異なる未来を描く軌跡に、発射角度の修正で対応する。
「うらぁ!」
再び投射された砲弾も桟橋の跳弾狙い。初弾とは微妙に異なる軌道を飛ぶ弾丸の目標は、初弾と同じ弾着点。船に穴が空いた。
「ふぅ……」
さっき振り返した板切れで射撃終了の合図を送る。向こうも両手を振って返事が来た。
「あとは任せたぜ」
手を叩いて、俺に与えられた任務の成功をひとまず安堵する。
あとは船主に礼を言って、ボスのところに戻るだけだ。
「つか、この砲でこの照準じゃ当たんねえだろ」
大砲に照準器が備え付けられていたが、実際の軌道とズレまくってて俺にはお飾りにしか見えねえ。笑っちゃうぜ。
俺の能力の賜物っちゃそうだが、俺の役目はたった二発。あっさり終わっちまったもんだ。もうちょっと大砲をぶっ放したかったが、俺ができるのは軌跡予測で、未来予知ではない。
投射された砲弾の軌跡上にボスやガラスのメイドが出てくれば、間違いなく同士討ちだ。あいつらの動きまでは、俺の能力じゃ予測できねえ。
まぁだから面白えんだけどな。人生ってのは。
「グレアも下がれ」
渡し板を地面に置き、ブロウルの砲撃に備えてその場から離れる。
「――――。」
狙いを定めているのだろう。船の焼ける音と、遠くから聞こえる野次馬の声がよく聞こえる。
突然、石畳の桟橋から真っ赤な火花が散り、鼓膜を突き破らんとする衝撃音。全身の骨の髄から震えることを強いる過激な大気と、足下からの衝撃が一度に俺の体を襲う。一拍遅れて砲の炸裂音が聞こえた。
「すげぇ……」
その迫力に思わず口から溢れる。弾丸は船体にめり込み、大きな亀裂と凹みを与えたあと、ポロリと抜け、桟橋と船の間に落ちて重い着地音を響かせた。
一度跳弾した石畳には、弾丸の擦過傷と衝撃で亀裂ができていた。
砲撃というからには、さぞかし大きな音がするのだろうと覚悟していたが、産業革命以前のヨーロッパレベルの技術力で飛来する砲弾の威力を正直見くびっていた。
砲自体の精度は予想通りで、ブロウルに市街地に当てぬよう釘を刺したのが影響してか、少し下向きに照準を合わせ過ぎたようだ。
「まだ来る」
ブロウルには破孔の形成を頼んである。破孔ができるまで砲撃は続くだろう。
頼むぜブロウル。どうか住宅街を破壊することだけはやめてくれよな……
桟橋に再び散る火花と、初回同様の凶悪な衝撃が全身を襲う。だが、初回ほどの爆音はしなかった。
「マジかよ……」
たった二撃で、砲弾ひとつ分の穴だけが、船体に綺麗に開いている様子は、まるで一撃でこの穴を作りましたと言わんばかりだ。
石畳の擦過傷は一つだけだが、さっき見たときと違うことは、着弾した部分にあった、亀裂の入った石畳が砕け、擦過傷が大きくなっていることだ。
二つの砲弾をほぼ同じ軌道を描いて破孔を貫く。こんな偶然はそうそう起こりうるものではない。でなければ、グレアが口を開けてあんな呆然とした表情を見せるわけがない。
「なんなのアイツ……バカげてる。化け物じみてるわ」
呟くグレアの言葉。同感だ。ようだ。木の板を振って砲撃終了の合図をかましてくるあの人影は、おそらくブロウルだろう。
地面に置いた渡し板を立てるのが面倒になって、俺は両手を振って応えた。わざわざ渡し板を降らずとも、これでも十分見えたようだった。
俺は思ったよりもヤバい奴を仲間に引き入れていたようだ。
「グレア! 頼む!」
「任せて!」
グレアは破孔に駆け寄りながら、ガラスのカードを一枚右手に持つ。
「喰らえ! リンク!」
気合いの入った聞き覚えのある合言葉と同時に、空中に投げ出されたガラスのカードが急激に膨張して円錐形のガラスの塊を形成する。
グレアもここまで派手に事が進んだことで、やる気がみなぎっていたようだった。
「私はね、あのバカに涼しい顔してあんな離れ業を見せつけられて、いささか腹立たしいのよ!」
――少しばかり訂正しよう。原動力はグレアのただの嫉妬だった。
円錐形に浮かぶグレアのガラスから、次第に渦巻状に凸が形成されていく。
「ギルドで見た木ネジを参考に、私なりに改良を加えてみた、のっ!」
最後の言葉と一緒にグレアの叩きつけるモーション。連動して浮遊していた円錐状のガラスの先が破孔に突っ込む。
「グレア! そいつはもはやネジというより、ただのドリルだ!」
「うるさい!」
車輪の再発明の匂いしかしなかった。
ネジもといドリルが、グレアの力でじわじわと回転を始める。
「空けられそうか?」
「私のガラスは固くなれば鋼鉄にも劣らない」
彼女は問いかけにそう言って破孔の拡大に力を込める。
クラリの方にも目を向けると、飛行艇の消火をすでに終え、彼女は彼女で魔法書片手に、再び類焼しないよう周囲にあちこち放水していた。
ちくしょう、俺の周りはどうしてこうも有能な奴らばかりなんだ。
いや、有能そうなやつを集めたのだから当然なんだが、ここまでくると、現状運転以外何もしていない俺の肩身が狭い。
なるほど、今なら嫉妬に似たグレアの気持ちが分かった気がする。こうも早く分かり合える瞬間が来るとは思ってもみなかったぜ。
「おーいクラリ!」
俺の役目が近づいている。そろそろ突入の準備だ。遠くから「はい!」と返事するクラリに手招き。飛んできたクラリに頼みごとをする。
「俺にもう一度水をかけてほしい。直接触れないから分からんが、近くにいるだけで結構な量が蒸発しているはずだ」
「了解です。クラリもすごく暑くて、ぜんぜん汗が出ないから、自分でも何度か水を浴びました」
彼女はそう言って俺の背後に回って、水を背中に押し当てる。水流に耐えるために片足が反射的に前に出る。
「詠唱とか要るのかと思ったが、この魔法ならそれほどのものでもないのか」
「ハドゥルを掴めるなら、詠唱は一度だけでいいのです」
「ハドゥル?」
クラリの説明に聞き返す。言葉の意味を脳内で横断検索してみたものの、何語かも分からぬ「ハドゥル」という言葉の意味が見つかるわけもなかった。
「魔法が使える雰囲気というか感覚というか、そんな感じのです」
手短に説明されたそれを聞いても、いまひとつ腑に落ちない。そんな魔法が使えると感じられるような特殊な感覚を覚えた記憶はないのだから、当然かもしれない。
全身に水を浴びなおし、渡し板を立てて船体を見ると、ガラスのドリルが船殻に深々と突き刺さっていた。それをいま、グレアがそれを引き抜こうと力を入れているところだった。
「こんの、アダチのっ、ロクデナシがぁぁぁぁ!」
俺への罵倒で気合いを注入するあたりが彼女らしくあり、上品さの欠片もない言葉は俺の知る彼女らしくない。地なのだろうか。
実際、俺がロクデナシであるかどうかについては当然議論の余地などなく、今回の言葉についても甘んじて聞き流す所存であるが、そんなもので引き抜かれるガラスの気持ちになってもらいたい。
じわじわと抜けていくドリルが、突然スッポンと引き抜かれ、回転しながら宙を舞う。朱の光に反射して煌めく宝石のようなそれは上品で、芸術的な美しさまとう。
俺達のいる桟橋の上で弧を描き、飛行艇のあるドッグの中に落ちていく。
ズンと、鈍い音と衝撃が足に伝わった。
「アダチ!」
俺に目を向け鋭い視線を当てるグレア。マジの目をしていた。
クラリにも手伝ってもらい、渡し板を桟橋と破孔の間に架ける。破孔の直径はおよそ三メートル。
渡し板一枚の幅は肩幅ほどもないが、さっさと引き上げるために、このかかった一枚に足を乗せる。
「渡し板をあるだけ架けてくれ! 戻るときは頑丈な方がいい」
二人にそう言って渡し板の上を駆ける。足を踏み外せば遠く下の石畳の地面が待っている。下手をすれば骨折だけで済んでの生還も夢ではなさそうな気さえする微妙な高度だが、それでも地面を見ないに越したことはない。
突入は俺が最適だと言った過去の自分を後悔する。下を見るな前を見ろと自分に言い聞かせ、勢いで乗り切って船内に突入した。