ノロ
季節は巡り、春。
かっぽかっぽ、のんびりと。馬車が往来を進んでいる。
所は王都。襲撃事件より半年と少し。
一時は化石の発掘現場みたいになった王都だが、復旧は順調なようだ。
特定の分野において魔法は科学を上回るということなのだろう。
立ち並ぶ家屋はどれも真新しく、視界の端まで伸びる白い外壁が目に痛いほど鮮やかだった。
馬車の小窓に片肘をついて流れる光景を見るともなしに見ているのは一人の少女である。
彼女は有名人だった。
馬車を引く二頭の馬がまったく急ごうとしないものだから、子供たちに追いつかれてはサインをねだられていた。
準備は万端だ。山と積まれた色紙を一枚ずつ、惜しげもなく放出する。在庫はたんまりあるのだ。こんなこともあろうかと自宅の部屋に篭って書き連ねた色紙の山を、とあるポーラ属は痛々しいと評した――。
……そんなことはないと思う。
少女は内心で吐露した。
事実、子供たちは喜んでいるではないか。備えあれば憂いなしという言葉もある。前もって準備しておくことの何がいけないと言うのか。
思ったよりも在庫の変動が少ないのは確かだが……。半年後にはなくなる筈だ。彼女はそう信じている。
人気者はつらい。一枚、一枚手書きしていては日が暮れてしまう。
今も、そうだ。サインをねだる子などはまだ可愛げのあるほうで、やんちゃな子からは奇妙なリクエストを受けることがままある。
一例を挙げるとすれば――
「聖剣! 聖剣見せて!」
などと、こんな感じだ。
残念ながらそのリクエストに応えることはできない。一時期、リクエストに全力で応えていたら国の偉い人に呼び出されて遠回しに「やめろ」と言われたのだ。一応、抗弁を試みたものの、「力とは」とか始まったので早々に「もうしません」と約束してしまった。無念だ。
期待に輝く子供たちの尊敬の眼差しが快い。もっと尊敬してほしかったが、法的手段も辞さないと言われては諦めるより他なかった。バレなければ良いという考え方はもう捨てよう。
少女は未練がましく自分の手のひらに視線を落としてから、ため息を一つ吐く。顔を上げ、子供たちと目を合わせた。
たったそれだけのことで、子供たちが打たれたように立ちすくんだ。
記入済み色紙の在庫を山ほど抱えるこの少女は、目には見えない不思議な力を持っている。書きすぎたサインとは無関係に、だ。
彼女は、ごく狭い範囲の他者の感情をある程度まで操作することができた。
その力がどれほどのものかと言えば、危険人物扱いされて王城に立ち入り禁止を申し渡されるほどである。
力の実験がてらに美味しいと評判のお菓子を拝借しようとしたのが良くなかった。自制心が強い者に対しては効果が薄いらしい。
その反面、幼い子供らには百発百中だ。
蜘蛛の子を散らすように駆け去っていく子供たちを、少女は未練がましく見送った。
感情に方向性を与えることはできても、行動を強要することは難しい。夕餉の席で家族にサインを見せびらかすよう指示することはできない。そのことを少女は歯がゆく思った。
ままならないものだ。
背もたれに上体を沈めた少女が独りごちる。
「名が知れてしまうのも、考えものね」
心にもない呟きに、視界の端で光が躍った。光はたちまち文字を成し、『サイン自重』だの『耳、耳! 耳を隠して!』だのと鬱陶しいことこの上ない。
不可思議な現象であったが、少女は気に留めた様子もない。
彼女はその身に「精霊」の力を宿した人間だ。だから精霊たちの声に耳を傾けることができた。
「…………」
そして精霊の声をシャットアウトすることもできた。
開けた視界に、滑り込んできたのは王都に暮らす人々の営みである。
それは、きっと彼女が守ろうとしたもの、守りたかった日常の一つ。
人々が行き交い、魔物が散歩している。
アザラシのような生きものもいる。エルフだ。
新大陸に生息する、長いひれと白い毛皮を持つ彼らは、精霊魔法の使い手だ。
全身を純白の鎧で覆う精霊を召喚し、使役する彼らこそが王都復興の立役者だった。
魔物と精霊は仲が悪い。
はちあわせになったポーラ属が全身の触手を逆立てて威嚇した。
「フーッ!」
人類と魔物は敵対関係にあるが、倒した魔物が仲間になりたそうにこちらを見てくることがたまにある。
そうした場合、仲間にするしないに拘らず、無断で家に上がり込まれるのだった。
また無断で産みつけられた卵が孵るケースもあるようだ。
魔物の卵は唐草模様で、両腕にすっぽり収まるくらいの大きさ。割ろうとすると魔力で反撃してくるという不思議な性質を持っていた。
威嚇された精霊は蜘蛛と似ていた。八脚の足とサソリのそれと酷似した毒尾を持つ。
今にも飛び掛からんと身を低くし、ぶんぶんと尾を振っている。
上に乗っていたエルフの女性が仲裁に入ろうとしたその瞬間、狙い済ましたかのようにポーラ属の触手が走り――。
「…………」
少女は、見るに耐えないとばかりにカーテンを閉めた。
*
春。芽吹きの季節であり、出会いと別れの季節でもある。
王都の片隅で年々不気味な存在感を増している要塞を。ひとは、王立学校と呼ぶ。
この学び舎で、子供たちは魔法を習い、長じるにつれて殺傷性の高い魔法を習得していくこととなる。
従って住宅街が火の海にならないよう分厚い城壁で囲われている本校は、人目を遠ざけたことで非合法な実験を行うには最適の場である。
存在自体を闇に葬られた地下施設の、ちょうど真上に位置する職員室では、二人の女性教師が話し合っている。
「ですから、先生は甘いんです。相手は子供ですよ? 甘やかしては本人のためにもなりません」
彼女は今年の春から王立学校に赴任した新米教師だ。
話している相手は先輩にあたるが、好きで教師になったわけではないと聞いて、「先生」としては自分が先輩なのだと張り切っていた。
幼い頃から教職に憧れ、やっと夢が叶ったのだ。
念願の舞台に立てるとあって、その意気込みは高い。
教師一年生に生徒との接し方を説かれているというのに、先輩の教師は気分を害した様子もない。
「しかしな。これが意外と、授業には熱心な子なんだ」
必要以上に飾り気を排除した口調は、女性騎士に多く見られる特徴だ。
教職に就く前、彼女は見習い騎士だった。
養成学校卒業を目前に控えたある日、とある高官に呼び出されて教師になってみないかと誘われた。
その時はきっぱりと断ったのだが、未来ある少年少女を見守り導く教師は言ってみれば騎士なのだと訳のわからない理屈で言いくるめられてしまい現在に至る。
ほとんど強制的に教壇へと派遣された理由は今以って不明であるが……。
しかし、これだけははっきりと言える。磨き抜かれた技能は無駄にはならない。
このルーキーはどうだろうか? と彼女は思う。
一人の教師である以上、脱走して地下に潜った生徒を捕獲せねばならない時も、きっとある。
教育論よりも
本当に
必要なのは
「わたしは、もっと強くなりたい――」
思わず漏れた呟きに、二人の遣り取りを見守っていた他の教師たちがびくっとした。
彼女は校内最強の戦士だ。
腕自慢のごろつきが束になっても敵わない。
彼女自身は己の経歴を隠そうとしているようだが、どう考えても特殊な訓練を受けた人間だった。
後輩教師の紅を引いた唇がわなないた。
「あなたは何を――」
言い掛けた言葉は失われる。沈黙の間隙を突くかのように、職員室のドアを軽く叩く音がした。ノックすら上品に聴こえたのは、きっと気の所為だ。
ガタン、と席を蹴って直立した後輩教師の反応は明らかに過敏なものだった。
気遣わしげな視線を向けられて、彼女は気負った様子で言った。
「き、貴族といえども生徒ですから」
元々二人はその話をしていたのだ。
今日、王立学校は一人の転入生を迎える。
その転入生は貴族であり、光の剣を身体から生やせるというちょっとした特技を持っていた。
くれぐれも不興を買わないよう注意しようという話をしていたのだが、気付けばどういうわけかとある子狸について話し合っていた。
先輩教師は首を傾げる。こうしたことが何故かよくあるのだ。
まるで、世界でもっとも有名な少女と校内きっての問題児に何かしらの接点があるかのように、自然と話題が逸れてしまう。そんな筈はないのに。
扉は道に通ずる。
廊下より、破滅をもたらす地獄の使者がそうするように
声が
微かな扉の隙間から這い寄るように
響いた……
アレイシアン・アジェステ・アリアです――
*
アレイシアンは王国を裏で牛耳る大貴族の子女であり、討伐戦争を終結に導いた勇者である。
魔王を打ち倒し、間もなく王都に打ち寄せた魔物と精霊の軍勢を鎮めた(ことになっている)救国の英雄だ。
その彼女が、王立学校に通うことになった。
これはアリア家の当主になった姉の命令によるものである。
魔物たちが危惧していたことが現実になったのだ。
つまり、アリア家の人間には心理操作が通用しなかった。
だから彼女たちは、じつは今もひっそりと王都の片隅に生息している魔王を野放しにはできないと考えたらしい。
魔王の生態を観察し、報告する。それがアレイシアンに与えられた任務である。
教室までの道すがら、先を歩く担任教師のあとに続くアレイシアンは周囲の観察を怠らない。
校内は意外ときれいだ。思ったよりも手入れが行き届いているという印象を受けた。少なくとも目につく範囲で血痕などは見られない。
与えられた任務は別として、アレイシアンは直属の部下たちに同年代の人間と接触する機会を設けたいと考えている
五人の姉妹たち。とくに末妹のコニタは、他者にはない特別な力を持っている。
その力は、長じるにつれて強化されていくものらしい。このまま放っておくと完全に浮世を離脱してしまうと、とある不思議な生きものから忠告を受けたのだ。何とかしてあげたい。
始業前ということもあり、廊下に他の生徒の姿はない。
とある子狸から聞いたような、廊下を歩いていると上級生に絡まれるといったイベントは心配しなくても良さそうだ。おかげで無駄なものを斬らずに済んだ。
教室についた。
担任教師に言われ、アレイシアンは廊下で待機する。
声が掛かったら教室に入り、自己紹介という流れになる。
何事も第一印象が肝心だ。アレイシアンは愛想の良い人間ではないが、愛嬌を振りまく程度のことはできる。この日のために練習もしてきた。
魔王の監視という名目を掲げている以上、潜入するのは同じクラスだ。
驚くかしら、と思う。
魔王――魔物たちの長は変わった少年だ。彼に関わると、アレイシアンはいつも振り回されてしまう。通報したことも一度や二度ではない。
先生から声が掛かった。
教室に入る。
意識的に視線を宙に固定し、教壇の横に立つ。
身体ごとクラスメイトたちを振り返る。長い髪が揺れた。とびきりの笑顔で言う。
「アレイシアン・アジェステ・アリアです」
最前列の生徒と目が合った。
つぶらな瞳をしている。
ずんぐりとした体躯。張り出した丸い耳。先太りのしっぽが収まりきらず椅子から垂れていた。
どう見てもぬいぐるみだった。
アレイシアンの表情がすとんと抜け落ちた。
「……質問があれば答えるわ。前に出なさい」
クラスメイトたちは危機に晒された狸のように硬直した。沈黙だけがこの場では正しい解答のように思えた。
何か言えとばかりにアレイシアンさんが教室を睥睨すると、クラスメイトたちはさっと視線を逸らした。
登校初日でクラスの輪から離脱した勇者はこの学校で何を為すのか。
*
同時刻、カモがネギを背負って歩くように森を駆ける一人の少年がいた。
駆ける後ろ足はいっさいの遅滞なく、意識せずとも最適の道を選び取る。
後方へと流れていく光景に混ざって光の粒子が躍る。それらは少年の目には文字に見える。ただし実際に文字が宙に浮いているわけではない。
視界の端、という表現が妥当であり、正解はなかった。錯誤により光って見えるだけで、その正体は純粋な情報ということになる。だから視界を遮るということはない。
魔物たちが好んで用いる連絡手段の一つ、相互ネットワークこきゅーとすだ。
鬱蒼とした森の中、木漏れ日を拾い上げるように疾走する少年、ここでは仮に子狸さんと呼ぶとしよう――。
するすると走る子狸さんの視線は常に先を行く。散歩コースと呼ぶには獰猛な獣の気配が濃厚に過ぎる、秘境と呼ぶには日常に近しい光景を、魔物たちの世間話が花を添えるかのようだった。
『山腹のひとから聞いたんだけどさ~』
『ほう。勇者さん担当の』
『そう。勇者さん担当の。なんか一ヶ月前から勇者さんが鏡の前でニコニコしてるんだと。一人で』
『あのひともねぇ……』
『うん……。あの子、放っておくと奇矯な行動に走るからね。……知ってる? いまだに狐娘たちと一緒に部屋でサインを書き溜めしてるらしいぞ』
『さいきんのアリアパパ、自分の娘を何か得体の知れないものを見るような目で見てるコトあるよな
『この前、遊びに行ったら俺の娘に何をしたって言われたよ。いや、何もしてねーよっつう……』
『あ~あ。仕方ねーなぁ、あーちゃんは。今度、子育ての相談に乗ってやるとするか』
『はあ……。本当に……子狸さんのまわりってさ、本当……勇者さんしかり……』
【勇者さんが入室しました】
『だからそのときおれはこう言ったのさ。徹底した分権、それ以外に答えはない、ってな』
『三権分立、大いに結構。だが複雑化したシステムには相応の受け皿が必要不可欠なんじゃないか?』
『分権だ!』
『分権、分権と……しかし現実はどうだ!?』
『静粛に!』
魔物たちは政治に熱心だ。
しかしそのとき、彼らの熱意に水を差すかのように本流が特定された。
とある勇者対策にこきゅーとすではダミー情報の放流を推奨されているのだが、近頃では洗練された検索機能が魔物たちの首を締めつつある。
『今どこにいるの!』
『うひゃあっ、勇者さんおっかね~!』
『おっかね~!』
『え~? どこって王都にいますけどぉ。子狸さん授業中ですぅ~』
『嘘おっしゃい!』
『……おい。バレてる』
『妙だな。二、三日は誤魔化せると踏んでいたんだが……』
『いや、騙されるなお前ら。これはカマを掛けられているに違いない』
『なるほどな。一理ある』
『勇者、か……』
『では、改めて……こほん。何のことかな?』
魔物たちの相談は何から何まで筒抜けだったが、バウマフ家の人間はその辺りも含めてスルーしてくれる。だから魔物たちは、少し壮大な話になるが……人類という種そのものに備わった知性に対する疑念を抱きつつあったのである。
だがアレイシアンは勇者だ。人類の可能性を信じる彼女と、魔物たちの主張は平行線を辿り――
『どうしてぬいぐるみで誤魔化せると思ったの……?』
その発言から、魔物たちは自分たちの施した高度な偽装が白日の下に晒されたのだと知る。
『ちっ、ニンゲン……! いささか見くびりすぎたか……』
『……勇者よ、今回は潔く負けを認めよう。だが、二度目はない』
『だから言ったじゃねーか。ディティールが甘かったんだよ。もうちょっとリアル路線をだな……』
『しかしディフォルメは……』
『いや、もっと根本的にぬいぐるみっていう段階で無理があるんじゃねーか?』
『んなこと言っても仕方ねーじゃん。子狸アナザーはオリジナルよりも優秀なんだよ。子狸さんの居場所がなくなっちゃう……』
『そうなんだよな。オリジナルが戻るとさ、あれっ? ていう目で見られるんだよね。こんなんだっけ? みたいな……。あれはちょっとキツイわ』
コピーはオリジナルに勝るのだ。
これは分身魔法に共通して言えることだった。
コピーにはオリジナルに取って代わろうとする気概がある。しかしオリジナルにはそれがない。必然的に両者の間には微妙な温度差が生じる。
人間とは一線を画す魔物の固有能力、完全コピーにも欠点はある。
とくに反旗を翻される危険性は無視できないものがあった。
無敵の魔法などというものはない。
つまり子狸さんは悪くないということである。
――と、このように放っておくと魔物たちは雑談に興じはじめる。彼らの遣り取りを物心がついた頃から眺めていれば、流し読みの一つも覚えようというものだ。
不慣れなアレイシアンは気が散るからとシャットアウトしてしまうが、子狸さんはそのようにする必要がない。例えるとすれば、ぼーっとして聞き逃すようなものだ。
『おや? 子狸さんの様子が……』
『あ! さてはコイツ、また聞き流してるな!?』
しかし子狸さんは不敵に笑った。
「ふっ。状況は」
『おい! もう朝から三回くらい説明しただろ!』
『お前さては何もわかってねーな!?』
「見くびるな!」
子狸さんは一喝した。
もう長年の付き合いになるというのに、自分を信じてくれない魔物たちの態度が悲しかった。
だが、どんなに愚かで浅はかであったとしても、子狸にとって魔物たちは大切な家族だった。掛け替えのない存在だった。
だから、つい甘い顔をしてしまう。話していると心がおちつく。嬉しくなってしまう。頬がゆるむ。
微苦笑してしまったのは、そんな自分への呆れだ。
子狸さんは言った。
「残された時間は少ないんだ。春休みか終われば、おれは……」
『子狸さん……』
魔物たちはしんみりとした。
子狸さんは王立学校に籍を置くれっきとした学生だ。
春休みが終わってしまえば、登校せねばならない。そうなれば、魔物たちとずっと一緒というわけにはいかない。
もしも子狸さんに誤算があるとすれば、それは春休みが昨日で終わっているということだった。
「! 見えたっ」
『えっ。何が?』
『すごいな。自分が何のために走っているのかも解らないのに、目標には反応できるのか……』
『勘がいい』
『センスがある』
魔物たちは子狸を称賛した。
藪を抜けた子狸が目にしたもの。それは森の中で立ち往生する馬車だった。植生の密集地を避けようとしているようだが、それゆえに襲ってくださいと言わんばかりの状況になっている。
地形と高低差を活かせば一方的に狙撃することも難しくなさそうだ。
しかし子狸は止まらない。するすると傾斜を下り、とりあえず接近しようとする管理人さんに、魔物たちはこの日四回目となる最低限の説明を試みる。
『よし。勇者さんも合流したことだし状況を説明するぞ』
『わたしは関係ないでしょ』
『本日未明、未来のお前らから情報のリークがあった』
『おお、問答無用の進行だ。王都のん本気だな』
魔物は魔法そのものであり、時間を操ることもできる。ただし完璧ではない。未来の魔物たちが情報を出し渋るからだった。
一例を挙げるとすれば、とある試食会への参加を余儀なくされた魔物たちは、過去の自分たちが惨禍を免れ幸せになるのが許せない。この事象を魔物たちは「歴史の修正力」と呼ぶ。
しかし今回のケースをはじめ、管理人が絡んだ場合、歴史の修正力は僅かながら緩和される。
『この付近に何かが現れる。おそらく異世界人だ』
『! 魔力が動く。この配列は……“召喚魔法”だ!』
『南砂世界か! また面倒な……』
エルフとの交流がはじまってから、子狸さんは管理人として多忙な日々を送っている。
とりわけ様々な「人種」が一堂に会する「超世界会議」への出席は、管理人の重要な仕事だった。
エルフの正体は異世界人だ。彼らはこの世界とは異なる、別の星からやって来た。
法典の管理人とは、世界の代表者を強制的に選出するためのシステムでもある。
戦争、選挙、手段は問わない、とにかく一人選べということだ。
南砂世界の、別名を第三世界と言う。
第一世界が法典を落とした四つの世界。もっとも長い歴史を持つ魔法世界のトップランナーたちを一親等世界と言う。
最強の魔導配列を持つエルフたちの北海世界の別名は第五世界。第三世界の召喚魔法は、第五世界ほど強力なものではないが――
より根源的な魔法である。
魔物たちの今月のテーマはライブ感だ。
『用心しろ! 召喚者は何らかのチートを所持している可能性が極めて高い!』
『だが想定内だ……。弱点を突く……! 連中は善意の第三者に対して無力だ』
『手順はこうだ。まず、お前らが馬車を襲撃する。召喚者が駆けつける。お前らががんばる。子狸さんが颯爽と登場する。子狸さんがお前らを撃退する。完璧だ……!』
完璧だった。
『とりあえず召喚者に何ができるのかを見極めよう。追い詰めればチートの一つも実演してくれるかもしれん。場合によってはレベル3のひとたちの出番だ』
『子狸はしばらく待機な。合図をしたら颯爽と登場だぞ』
『あの馬車の中にいるのは……』
『え? お姫さまだよ? 当たり前でしょ』
『今すぐ戻してきなさい』
『さもおれたちが誘拐して来たかのような言い草ですけど……そんなことないからね? 偶然だから、偶然』
『まあ、事情はあとで考えるさ』
『勇者さん。一度だっておれたちが君に嘘を吐いたことなんてないだろ? 信じてほしいんだ』
『今すぐ戻してきなさい』
『しかし人選には不安が残るな。あのお姫さま、子狸さんのこと目の敵にしてるから……』
業務上、子狸は王城に出入りすることも珍しくない。
国の上層部(一部)は裏で魔物たちと通じているのだが、王子や王女はその一部に含まれない。平民が何故か王宮をのこのこと歩き回っているという状況に、王女はあまり良い顔をしなかった。そこからはじまるラブストーリーもあるかもしれないと魔物たちは注視していたのだが、好感度は下がる一方だ。たび重なる心理操作の影響か、さいきんでは生理的な嫌悪感に昇華しつつある。
しかし魔物たちとて鬼ではない。一匹と一人に和解の場を設けてはどうか、ということで今回の運びになった。
「お姫さま……殿下さんか」
子狸さんは王国の第一王女を殿下さんと呼ぶ。
殿下と呼べと強要されたのと、子狸なりの敬意の表れだ。
「待機……おれは待てばいいんだな?」
そしてこの理解力と来たらどうだ?
知性の輝きが若き管理人の生命に峻厳たる輪郭をもたらすかのようだった。
魔物たちは念押しした。
『颯爽とおれ参上パターンだぞ』
『絶対に先走るなよ? 絶対だぞ?』
子狸さんは瞑目し――
脳裏を駆けめぐったのは様々な思い出だ。
パンをこねる父を思った。
模様替えする魔物たちを思った。
冷たい手錠の感触。(罪状:魔王)
手をつないで去っていくエルフの父娘……。
恋しいひとに通報される日々……。
ゆっくりとまぶたを開いたとき、もう子狸さんに迷いはなかった。
馬車の窓から不安そうに外を眺める少女と目が合った
にぃっ、と笑う。
前足を大きくひろげ、後ろ足で力強く地を蹴った。
「ヒャッハー!」
真紅のマフラーが風に踊る。
春の日差しの中、怪鳥のように飛び上がった子狸さんを、魔物たちは優しく見守るのであった……。
*
――王都――
物語には、必ず終わりがある。
飛び去っていく光の巨鳥を、二人の男が見守っていた。
燦然と輝く宝剣のきらめきに目を細める。
風が吹いた。
尖塔の頂上部に、二人は背合わせに立つ。
眼下を見つめる眼差しには、深い慈しみがあった。
人間がいる。魔物がいる。精霊がいる。
この地は、縞々の世界。魔物と精霊の喧嘩に巻き込まれた人間たちが右往左往する世界。
子供たちが大きく手を振って駆けていく。
すかさず走った触手が子供たちの足をすくった。
子供たちを盾に迫る魔物に、精霊は抵抗をやめる。
卑怯者とエルフが罵った。
力場を蹴って騎士たちが殺到する。
説得を試みる騎士たちを、魔物はあざ笑う。
狙撃。
それは、新しい時代の到来を予感させる光景だった。
二人の男は、優しく微笑んだ。
古狸&大将「ふっ」
時間差完結記念イベント。子狸座談会
子狸「めっじゅ~」
子狸「めじゅっ」
子狸「めじゅ~……」
子狸「めじゅ……」
子狸「めっじゅ~」
子狸「めっじゅ~」
子狸ズ「めっじゅ~!」
~fin~