勝負
魔法動力兵は異世界のお前らだ
だから人間と比べれば、よほど話がわかる
ちょこちょこと近付いてきた蜘蛛型が脚を折り畳んで座る
とくに何をするでもなく、子狸の近くにいると落ちつくようだった
おそらく二色の霊気を開放した影響だろう
青色霊気は攻防一体のオーラであり、術者を補佐する働きを持っていた
対する白色霊気の効果は未知数だ
未知数ではあるが、動力兵との親和性を高めることは確かなようだった
子狸は青狸の存在感を無視できずにいる
一方で仮面の動力兵に前足を極められていた
双方は同時進行の出来事であり、並行して処理することが難しい状況下にある
いったんは仮面の動力兵について考えることをやめた子狸さんであったが――
仮面「そぉいっ!」
子狸「ぬぅっ……!」
前足は完全に極まっている
子狸は苦悶の表情を浮かべた
飛び上がった人型の動力兵が腹這いに寝そべり
至近距離からギブアップを促すように見つめてくる
しかし子狸は断固として敗北を認めようとしない
青狸「っ……ハロゥ!」
青狸の声は切迫している
子狸は自分の身代わりになったようなものだった
もしかしたら子狸は狙ってそうしたのかもしれない
ハロゥというのは魔法動力兵の総称だ
けれど、お互い話し合う機会もなくここまで来てしまったから
ハロゥと名乗った少女の、それが彼女の名前なのだと
ずっと思っていた
本当の名前を隠していたことに
深い意味があるとは思えない
ただ……
そうだ。思い出したぞ
はじめて彼女の名前を聞いたとき
メノゥと言葉の響きが似ていると思ったんだ……
ハロゥ・アンというのが本名なのだろう
――彼女は最強の魔法動力兵だ
お屋形さまが生まれて、しばらく経ってから現れた二十四番目の動力兵……
ワドマトの最後の切り札というわけだ
異世界人の目から見て、お屋形さまを特別視しているのは明らかだった
最後の討伐戦争を引き起こし、あわよくば木のひとの帰還を狙う――おれたちの思惑はある程度まで読まれていたと考えるべきだろう
このおれの双子の妹……
嘘から出た、まことというわけか……?
――いや、おれは
なんとなく、わかっていたのかもしれない
彼女は、おれたちと同質の存在だ
動力兵と言うよりは魔物に近しい
だから彼女がこきゅーとすに出没したのは必然的な出来事だった
仮面の奥から、くぐもった笑い声が響いた
仮面「ふふふ。狸くんや。オリジナルを壊さないからこういうことになるんだよ」
バウマフ家の人間は、必要とあらばお前らを倒すこともある
お前らが決して滅びはしないのだと知っているからだ
それなのに、どうして敵対する動力兵に手心を加えたのか?
ハロゥ・アンの言う通りだ
破壊しておけば子狸さんが捕獲されることはなかった
青狸は忸怩たる思いで仮面を見つめる
因縁の相手だ
仮面に隠された瞳が悪戯っぽく輝いている様子すら透けて見えた
青狸「お前、分身か? だが確証がない……」
バウマフ家の人間は、お前らの分身を見分けることができる
魔物にもできないことが人間にできるというのであれば
その理由は退魔性の使い方にあると考えるべきだった
おそらくは座標の違いを直感的に認識しているのだろう
まとわりついてくる他の動力兵たちに
青狸は静かに瞑目した
うっすらとまぶたを開くと、動力兵たちが弾き飛ばされた
まんじゅうの薄皮のように、霊気が青狸を覆っている
ハイパー魔法だ
分類3の外殻構成には至らないが、オーラの密度が子狸とは桁違いだった
二人は仮面越しに睨み合う
数瞬ほどの沈黙を挟み、とうとつに青狸が叫んだ
青狸「使うな!」
青狸さんの忠告を、トンちゃんは無視した
子狸さんの前足をホールドしていたハロゥの身体の軸線がずれる
トンちゃんの2cmには連発できないという欠点がある
異能には、暴走を招くためのルールが幾つかある
これはその一つだった
ルールを破れば異能は暴走する
そうした決まり事があり、それを守らなかった自分が悪いと適応者に後ろめたさを植え付けるための原則だ
暴走するためにルールがあるのだとは、ふつうは考えない
これでしばらくトンちゃんは2cmを打てない
その代償としてハロゥは子狸の脱出を許した
前足の自由を確保し素早く後退した子狸さん
ふたたび突進しようとするが
トンちゃんの反応がより早かった
どるふぃん「ノロさん……!」
魔物は一瞬で世界を壊せるほどの力を持っている
何をしても無駄だから
それならば精いっぱい足掻いてみようかと考える人間もいる
トンちゃんは、まさしくそのタイプの人間だった
たたらを踏んだのは、ひるんだからではない
踏み出したままの姿勢で硬直したトンちゃんが振り返って勇者さんを見る
勇者さんが無言で首を横に振った
これ以上、関わるなということだ
トンちゃんの妹たちが織り成す異能による相互ネットワークは、こきゅーとすと似たようなことができる
遠く隔てていても意思の疎通が可能だった
いちばん厄介な物体干渉を封じることに成功したハロゥが
トンちゃんから視線を引き剥がし、意気揚々と言い放った
仮面「さあ、狸くん。第二ラウンドと行こうか! 久しぶりに……本気を出そうかな!?」
言うが早いか、ハロゥの周囲を無数の核が飛び交う
逆算魔法はすでに崩れた
バウマフ家の減衰特赦というアドバンテージは永遠に失われた
だが高度な魔法環境では詠唱すること自体が意味を持つ場合もある
依然として複核型が動力兵の完成形であることは変わりない
いや、それどころか――
おそらく動力核は、もう急所たり得ない可能性すらあった
海獣「アン!」
ワドマトの警告は間に合わなかった
ハロゥは、青狸を意識するあまり子狸さんへの警戒を怠った
きっと、もっと複雑な事情があった
彼女は以前からあまり積極的に子狸に絡んで来なかった
彼女が本来、仕えるあるじは――たぶん、子狸さんに恩があるのだ
勇者さんと五人姉妹、トンちゃんの間でどのような遣り取りが交わされたのかはわからない
勇者さんが油断していれば猫耳アンテナを通して大体のことは伝わってくるのだが
基本的に異能はお前らの天敵という位置付けにあった
苦渋の表情で佇むトンちゃんに
子狸「だいじょうぶ」
子狸は微笑み、突進した
相手は――最強の魔法動力兵、ハロゥ・アンだ
自動攻撃が作動した
ハロゥが、あざ笑った
仮面「君じゃあ、ないね」
彼女は、お屋形さまと互角以上に渡り合える動力兵だ
本来なら子狸など問題にならないほどの実力差がある
だが、ハロゥは二十歳にも満たない幼い動力兵だ
知識としては知っていても実感はないようだな
――教えてあげよう
より濃くバウマフ家の血をひいたのは
お屋形さまではなく、子狸なのだ
子狸「未来がなんだ!」
吠える
子狸さんにとって重要なのは
未来ではなく“いま”なのだ
未来に怯える人々は、子狸の目には滑稽に映る
明日のことは、明日の自分が考えればいいのだ
夏休みの宿題に苦しむべきは
夏休みを満喫している過去の自分であって
登校初日に補習室へと直行する自分という現実に
いったいどのようにして立ち向かえばいいのか?
――ずっと言葉にはできなかった理不尽への問いがある
その問いに対する答えが、この先にある気がした
子狸さんが駆ける
空間を折り畳んで迫る子狸の動きは
ハロゥにとって欠伸が出るほど遅い
工夫がない
独創性がない
空間を直結する魔法だから、ひと目で連結部を看破できた
その欠点を補おうともしないから、先手を取るのは容易かった
人間が呼吸をするように、ごく自然と自動攻撃の相殺に入る
だから彼女には、自分がどのような魔法を使ったのかという自覚がなかった
お屋形さまはバウマフ家の歴史で唯一と言える理詰めで戦う魔法使いだ
だが子狸は違う
子狸が前足を突き出す
空間が裂けた
縦横無尽に走った亀裂にハロゥは目を剥く
油断があった
驕りがあった
最強の動力兵が少女の姿をしているのは
お屋形さまの手加減を期待できるからだった
それなのに
彼女の可憐と言ってもいい容姿は
むしろ子狸さんに効果がばつぐんだった
超密度の圧縮弾は最適解の一つだ
だから、最大開放の術者がそれ以外の邪道に走るとは夢にも思わなかった
子狸「勝負っ」
仮面「こっ、れは……!」
空間の亀裂に高速で鳴り響く
パチパチと爆ぜるような音が
覇権を競う!
白に挟まれた黒は白くなる
黒に挟まれた白は黒くなる
この概念!
戦闘は人間たちにとって最終手段かもしれないが
魔物にとっては違う
魔物の肉体は滅びるということはない
だから、究極的に――
戦いそして勝つことと
相手の石をより多く裏返すことは
本質的には同じことなのだ
先手:子狸さん
後手:ハロゥさん
○●
●○
解き放たれた自動攻撃が高速で盤面を埋めていく――!
8×8=64マスの戦場が、瞬く間に白一色に塗り潰された
子狸「つッ……!」
弾き飛ばされた子狸さんが片膝をつく
強い……!
これが……最強の魔法動力兵……
だが、紙一重の勝負だった
通用する……
通用するぞ!
子狸さんは不敵に笑った
子狸「少し、勘を取り戻せたかな……?」
仮面「ルールも知らないのに勝ったよ! どういうことなの!?」
ハロゥさんは戦慄している
子狸「いいや、もう一度だ」
危うくも会話を成立させる子狸の態度が
ハロゥさんの闘争心に火をつけた
仮面「なんで。なんで、あなたみたいな子が……!」
それは嫉妬だ
きっと完成された魔法使いを助けたのは子狸で
腹心である筈の彼女ではなかった
子狸「明日があるからひとは生きていける。それでじゅうぶんだとは思わないか……?」
仮面「わたしたちにとって……未来は身近なんだよ。歩いて行けるところなんだ。となりの家が火事になったら事件でしょ……!」
子狸「だったら! どうしてバケツリレーしないんだ!」
何を言いたいのかはさっぱりわからないが
子狸さんもまた怒っていたのである
二人は同時に地を蹴った
前足と腕が閃く
そのたびに空間に亀裂が入り、盤面を石が躍る
ハロゥが多面打ちを仕掛けた
だが子狸はひるまない
正確には自動攻撃さんがひるまない
くるくると盤面が宙を躍る
そのことごとくが白一色に染まる
滅多打ちにされた子狸さんが後退するたびに
ハロゥが同じだけ前に出る
一見すると仲良く遊んでいるようにも見えるかもしれないが、それは表向きの話だった
水面下では高度な魔法が無数に飛び交い
ありとあらゆる魔法が不正を働く無法地帯と化していた
ハロゥはプライドが高い
一度、仕掛けられた勝負から逃げることをよしとしなかった
全局面で圧倒していたから尚更だった
子狸を保護する霊気はとうに剥ぎ取られ、見る間にダメージが蓄積していく
それでも諦めなかった
未来などというあやふやなものに負けるのは我慢ならなかった
十回やっても勝てないなら百回挑めばいい
百回やっても駄目なら千回挑めばいい
千回でも駄目なら一万回だ
周囲を飛び交う盤面は決着のたびに破棄され無尽蔵に増殖し
どこまでも加速する差し手が幾百、幾千もの難局を生み出し続ける
子狸の肩にとまった白黒の妖精が檄を飛ばした
「がんばれ!」
お前らも続く
「がんばれ!」
いつしか人間たちも子狸を応援しはじめた
「がんばれ! がんばれ!」
子狸に圧縮弾を撃った人間ですら例外ではなかった
「がんばれよ! 負けんな!」
魔法を規定する最小単位、半概念物質はそれゆえに単純な機能しか持たない
それが魔法の基本的な性質……“つなぐ”ことだった
だから魔法に適応した人間は
自身を構成する最小単位である“心”にもっとも大きな影響を受ける
異能ではないから、心を読めるということにはならない
ただ、なんとなく雰囲気が読めるようになる
魔法使いの熱狂は感染する
子狸の退魔性は人類のほとんど最底辺だったから
否が応でも真剣さが伝わってくる
痛いほど真剣な子狸さんは学校では敬遠される存在だったが
二、三人の間では退けられる主張が
大人数の人間の前では受け入れられることがある
そこには、人間も魔物もない、種族の垣根を越えた何かがあった
ハロゥがぽつりと呟いた
「なんで、そこまで……」
正直、子狸に勝ち目なんてなかった
角の一つだって取れやしない
どんなに下らないことでも
負け続ければ、ひとの心は折れる
それでも子狸が諦めないのは
負けることに慣れていたからだ
悔しいという気持ちがないわけではない
けれど、少なくとも負けたことがない人間よりは図太かった
生まれながらにして最強の座を約束されていたハロゥには
負け狸の執念は理解し難いものだった
負けるから、勝てないから
もしかしたら次は、と人々は思う
彼らは、たぶん見てみたいのだ
魔物に勝つ、人間の姿を
声援に後押しされた子狸が後ろ足で踏んばる
前足を突き出し、血を吐くような絶叫を上げた
「う! お! お! お! お!」
幾億もの裏返された黒石の無念が像を結ぶかのようだった
高密度に凝固した黒点が巨大な結晶体となって宙に浮かぶ
目の前で起こった出来事が信じられない。ハロゥが呆然と呟いた
「法、典……」
おれたちの子狸さんは、遺跡の奥で眠る法典の継承者だ
魔法の在り方を決める法典の正統な所持者を“管理人”と言う
この瞬間、子狸の魔法は世界を越えた
ある一定の質量を持つものは世界の壁を越えることはできない
それが第一世界の定めた原則だ
その原則を、しかしこのとき子狸は無視した
ありえない、とハロゥは首を振る
わななく唇から絞り出すように出した声が
緊張に震えた
「リサの直接制御……? そんなこと。そんなことができるとすれば、それは……」
――魔法は九つの圏から成る
しかし、それは“人間”が決めたルールだった
だから“人間”がルールを定める前、魔法は明確な等級の区分を持たなかった
法典を従えた子狸が言う
「開放レベル、10」
子狸には勝利したあとの展望がなかった
勝ったらどうしたいとか、そうしたものがいっさいなかった
戦う動機すら定かではない
かつてバウマフ家の開祖が幾つかの段階を飛ばして魔物を生み出したように――
何を得ることもなく
だから何も失うことがない
開放レベル10で、とくに何をするでもない
それが開放レベル10に到達する最低限の条件なのではないか
“恐怖”にまみれたハロゥが後ずさった
「バウマフ家……。リシスに、選ばれた人間……」
開放レベル10に覚醒した子狸さんだが、やることは変わらない
盤面はとめどもなく増殖を繰り返し、局面は更に加速する
ただ、子狸を応援する声が一気に跳ね上がった
――第一世界で産声を上げた原初の魔物を“リシス”と言う
魔法を操るリシスに対抗するために
第一世界が他世界に落としたのが“法典”だ
リシスの撃退、封印に成功した現在でも
法典は親世界から子世界へ、子世界から孫世界へと落とされ続けている
中でも北海世界はごく初期に法典を落とされた世界の一つだった
リシスの撃退に大きく貢献した北海世界は、他世界に対して極めて強い発言力を持つ
だから北海世界の移住計画は、多くの世界が注目する一大イベントだった
憎しみも、哀しみも越えて
数えきれないほどの“人間”たちが子狸を応援している
「がんばれ!」
「がんばれ!」
「がんばれ!」
子狸は無言で歩を進める
一向に勝てないが、背負ったものの重みが後退を許してくれなかった
一歩進むごとに自動攻撃の余波に晒された身体が左右に跳ねる
頬で衝撃が弾け、途切れ掛けた意識を歯を食いしばってとどめた
ハロゥは気圧される
最強の名を冠した少女は、他者に頼るすべを知らなかった
着実に勝ち星を積み上げていく
けれど勝って当たり前だったから貪欲にはなれなかった
祈るように見つめる母狸さんの肩を
青狸さんがそっと抱き寄せた
二人は子狸の勇姿を見守る
子狸が進む
今なら心から言える気がした
――人間が好きだ
以前、勇者さんに告げた内容に嘘はないが
全てが真実というわけではなかった
ただ自覚していなかっただけだ
人間たちは、魔物たちにあまり良い顔をしない
子狸に人間の友達ができないのは
子狸自身が本気で友達を作ろうとしなかったからだ
子狸にとって魔物は家族だから
家族を罵られて良い気分でいられる筈がなかった
――だから
たぶん、子狸は人間が嫌いだった
けど、いまは……どうだろうか?
何しろ自覚がないから、答えが出ることはない
はっきりと言えるのは
いま、子狸を多くの“人間”たちが応援してくれているということだ
ハロゥが、肩越しに振り返る
いつの間にか追い詰められていた
謝罪の言葉は、誰に向けられたものなのか
「……ごめん。マスター」
そう言って光の粒子に還元されるのを
ワドマトは最後まで見届けた
ハロゥさんは、罪悪感に屈したのだ
大人げなく子狸さんを全力で負かしたから
それが本当に正しいことなのかと、おのれの行いに疑念が生じた
わっと歓声が上がった
最後の一局は……
○●
●●●
子狸さんの不戦勝だった
最強の魔法動力兵を、おれたちの子狸さんが打ち破ったのだ
しかし勝利の舞を披露するほどの余力はなかった
呼吸が荒い。肩で息をしている
「はぁっ……! はぁっ……!」
自動攻撃に頼りはしたものの、延々と石を打ち続けたという結果は残る
もう前足が上がらなかった
肩から下の感覚がない
後ろ足を引きずるようにしてワドマトの眼前に立つ
ハロゥさんを撃退したことで、何を得たのかはわからない
無意味な戦いだったと言っても差し支えはなかった
それでも子狸さんは言った
「チェックメイトだッ……!」
するとワドマトは苦笑し……
「……ああ、認めよう。私の……いや、私たちの負けだ」
歓声は鳴りやまない
子狸の、勝ちだった




