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しいていうならお前の横を歩いてるのが魔王  作者: たぴ岡
最終章「しいていうなら(略
229/240

 子狸の雰囲気が変わった

 それが、おっかなびっくりと斜め後ろを歩いている巫女さんの登場によるものなのか?

 それとも姉妹たちの合流によるものなのかはわからない……

 あるいは両方かもしれない


 鬼気迫る気配は鳴りをひそめ、刃のごとく冷たい感情が声色の底に根付いていた



子狸「夏のパン祭りだ」


巫女「うーん……」



 巫女さんが悩ましげな声を出す

 先刻まで緑の島にいた彼女は状況を把握しきれていなかった


 彼女が恐れる王国最強の騎士は後方でアテレシアさんに絡まれている


 トンちゃんに絶大な信頼を寄せる勇者さんは、あの太っちょと実姉を放置することにした


 後れを取ったぶん小走りに駆け寄ってくる

 そして豹変した子狸に小さく目を見張った

 掛ける言葉を見失い、思わず目線を王城の方角へと向ける


 ――落とし所だ


 おそらく勇者さんは、子狸と異世界人の邂逅まで至る手順を読んでいた


 彼女は、お前らの述懐を閲覧できるという、他の人間にはないアドバンテージを持っていた


 異世界人たちの最終的な目的が移住であるならば、どこかで落とし所を用意してくる

 そのように考えたのだろう


 また同時にこうも考えた

 この出来事は、なかったことになる

 魔物たちは、バウマフ家が表舞台に立つことを望まないからだ

 この記憶は、心の底に沈められる


 だが、それでは駄目なのだと勇者さんは考えた

 彼女は人間だから、人類の可能性を信じている

 いつまでもおんぶ抱っこというわけにはいかない


 そのために勇者さんが用意した最後の切り札が王国宰相だ


 あのどう思うかねは恐ろしく弁が立つ

 口の上手さで宰相の座に就いたような男だ

 民衆の心理を突くすべに長けている


 だが、宰相は動かなかった

 風向きが変わったことを敏感に感じ取ったからだ


 お前らの行進を、人々は固唾を呑んで見守る

 勇者の正義を人間たちは疑わない


 条件反射的にマフラーの端を握った勇者さんは、魔王・子狸を御しているようにも見えた


 一度、違和感を覚えたなら、後続の王種たちの存在に目が向く

 もしも彼らが魔王軍の味方であったなら人類はとうに滅んでいる

 しかし、そうではない


 眼前の光景を回しているのは、もっと大きな歯車だ

 戸惑いの声が上がった


 とはいえ、もちろん全員が全員とも同じ結論に至るということはない

 魔王を弾劾する声は依然として続いている


 それでも中には子狸を信じようとする者もいて……


 攻性魔法の配列を解き放とうとする者を、別の人物が殴って制止した

 正直、いきなり殴るとは思わなかった

 問答無用で暴力に訴えた一人の女性が子狸に声援を送った


「生徒指導室だ! いいな!」


 子狸は振り返らない

 自習を怠ったからではない

 やるべきことをやらねばならなかった


 勉強だけが人生ではない

 通信簿は将来を決定付けるかもしれないが、生き方を強要するものではない筈だ


 返事の代わりに前足を振るうと、子狸を狩ろうとする者たちが一斉に力場で隔離された


 子狸さんの真の実力を目の当たりにした勇者さんは驚きを隠せない


勇者「詠唱もなしに……これだけの……」


 だが、これが本当の伝搬魔法だ。射程超過だ

 認識の外に働きかけることができる……

 概念に作用する魔法は術者の力量に左右されることはない


 一方、巫女さんは傍らの狸属を冷めた目で見つめていた


巫女「……確実に何かズルをしている。わたしにはわかる」


 負け惜しみだ

 スーパー子狸さんは全世界で三指に入る術者である

 元より巫女さんの及ぶところではないのだ


 その点、狐娘たちは素直だった

 口々に子狸の手腕を賞賛する


狐娘「より便利になったな」


狐娘「苦労した甲斐があった」


狐娘「恩返しなんて気にしなくていいのに」


狐娘「門戸は常に開かれているぞ。銀行のな」


 彼女たちは子狸さんの預金残高に強い関心を示した

 コニタという末妹がいるから、新たな金脈の発掘に熱心だった

 人が生きていくということは、お金を稼いでいくということでもある


 宰相は動かない


 勇者さんは焦る

 なぜ動かない?

 ここしかない

 このタイミングを逃せば

 人間たちと魔物たちの関係は変わらない


 二度目のチャンスを待とうと思えるほど、少女は楽観的ではなかったし、身の周りの人間に絶望してもいなかった

 彼女は勇者だった


 子狸は立ち止まらない

 人間たちを置き去りに、どんどん進んでいってしまう


 置いて行かれるのは、嫌だった

 マフラーの端を握る手に力がこもる


 抵抗を感じた子狸が

 不意に振り返った

 肩越しにふたりの目が合う


 視線が絡み合ったのは一瞬のことだった


 羽のひとが子狸の肩にとまった

 黒妖精さんも一緒だ

 つの付きがこの世にいた証を残したかったのだろう

 超空間を経由してきた二人の妖精は、かつての友情を取り戻したようだった


 洟をすする幼なじみの手を引いた羽のひとが、子狸の目を見る

 子狸は目線を泳がせてから、勇者さんに前足を差し伸べた


 その前足に握られていたのは、マイクだった

 特赦を持つ子狸さんは、永続魔法を行使できる


 永続魔法とは

 つまり創造魔法だ


勇者「え……」


 手渡されたマイクを、勇者さんはどうして良いかわからない


 子狸は、すぐに視線を元に戻した

 勇者さんに背中を向けたまま言う


子狸「お嬢」


勇者「……なに」


子狸「おれは、勇者の武器に聖剣が相応しいとは思わない」


勇者「……これで殴れと?」


子狸「揺さぶるのは、ハートだ」


 子狸さんは、きっと……

 バウマフ家の悲願を捨てたのだ

 それは、たぶん……もっと大事なことに気がついてしまったから


 けれど勇者さんはそうではないようだから、ほんの少し力を貸そうと思った


 勇者さんは戸惑い、傍らのコニタを見る

 コニタは小さく首を横に振った

 子狸の心を読んでも、マイクについては何も情報を得られなかったのだろう


 具体的な構造がわからなくとも

 射程超過があれば、必要とするものを作り出すことはできる


 見かねた羽のひとが勇者さんに声を掛けた


妖精「声を大きくするための道具です。ここの突起を押し上げると、動きますから。あまり大声を出さなくても大丈夫です。角度はこう……」


 マイクの使い方をレクチャーされて、勇者さんは悟った

 宰相の肩代わりを自分がしろと言われているのだ


 迷っているひまはなかった

 子狸が異世界人の前に立ったとき、この旅は終わる

 結末はどうあれ、魔物たちは心理操作を実行に移すだろう


 少女は言った


勇者「聞こえますか?わたしは、アレイシアン・アジェステ・アリア。勇者です」


 彼女は結論を急いだ


勇者「手短に言います。魔物たちは人間の心を操る力を持っている。けど、記憶を削りはしない。だから……」


 慣れない者がマイクを使うと、拡張された声は自分の声とは思えない

 ふだん耳にしている声は、体内で反響したものだからだ


 拭いきれない違和感を半ば無視して、勇者さんは言った


勇者「だから、見届けてほしい。そうすれば、きっと……心のどこかに、何かが、残る」


 彼女は、心理操作の弱点に気が付いていたのだ


 勇者さんの最後の戦いがはじまる

 それは勇者のしるしたる聖剣によるものではなく

 ひとりの人間としての声だった


 おれたちの管理人……子狸さんが進む

 北海世界の魔導師……ワドマトが進む


 ふたりは、すでに肉眼で容貌を判別できる距離

 両者の視線が交錯し、にぶく火花を散らした


 茜色に染まった空に

 勇者さんの声が響く……


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