マリア
三九八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん(出張中
つの付きは、魔王に忠誠を誓う珍しいタイプの魔物だ
そのことは、彼が魔軍元帥の位を頂いたことと決して無関係ではない
かつては六魔天の小間使いに過ぎなかった弱卒の兵
彼の運命を大きく変えたのは、一人の赤ん坊だった
奇妙な赤子だった
魔物としても人間としても中途半端な
他者の庇護なく生きることも出来ない、か弱い存在だ
――最初は、たんなる興味本位だった
降りしきる雨の中、身寄りのない赤子を拾い上げたのは
ほんの気紛れであったが、いまになってみれば自分でも説明できない奇妙な心の働きだった
つの付きは、その赤ん坊を育てることにした
一年が経ち、二年が経ち……
赤ん坊は自力で立って歩けるようになった
不思議と魔物たちに愛される子だった
何しろ得体の知れない存在であったから、まったく期待がなかったと言えば嘘になる
月日が流れ……
成長した子供の才能に、つの付きは失望を覚えることになる
初歩的な投射魔法ひとつ取っても、その子供の技量は人間の域を越えるものではなかったからだ
だが、不思議と手放そうという気にはならなかった
つの付きの魔力が変質しはじめたのはこの頃だ
六魔天が南極への出兵を取り決めた頃には、その兆候がはっきりと表れていた
六魔天は、魔王軍の頂点を占める強大な魔物だった
あるいは彼らには、何かが見えていたのかもしれない
魔物たちを牽引する立場にある彼らだからこそ、兵とは異なる視座を持っていた
現在の都市級――つの付きと三人の魔獣たちに居残りを命じ、六魔天は南極へと出向き――
そして、そのまま戻ってこなかった
仕えるあるじを失ったつの付きは絶望したが、マントの裾を掴む子供の手を振りはらうわけには行かなかった
つの付きは、引っ越しをすることに決めた
人目の届かない深い森の中でひっそりと暮らすのもいいと思ったのだ
何故か魔獣たちもついてきた
子供が奇異な力を発現しはじめたのはこの頃だ
――銀冠の魔王だけが持つ永続魔法の発芽だった
遊び疲れて眠る子供が生み出した、崩れることのない積み木を目にして
つの付きは、おのれに課された宿命を悟った
彼は、魔王軍の再建を決意した
永続魔法とは、つまり永久機関を生み出す魔法だったからだ
新たな魔王としての祝福を受けた子供を、人間たちの手に渡すわけには行かなかった
それは、果てなき戦乱に身を投じることを意味した
しかし、それも精霊の宝剣を手にするまでの辛抱だ
魔界に連れて行ってしまえば、人間たちに付け狙われることはなくなる……
つの付きの名は、ジ・エルメノゥマリアン・ヨトと言う
血の通わない鋼で覆われたその手は、いつしか奪うためのものではなく――
……何かを守ろうとすれば、同じだけの無理が生じる
誰かが貧乏くじを引かねばならない
全員が幸せになれる未来など、ないのだから
時間にすれば千分の一秒に満ちるか否かの空白――
圧倒的な危機感にジ・エルは息をのんだ
守れたという奇妙な満足感が、忍び寄る濃厚な死の気配を受け入れつつある
見苦しく足掻こうという気にはならなかった
それは諦めだ
マントの裾を掴む小さな手があれば、また違ったかもしれない
しかし、いまの黒騎士に、守るべきものはいなかった
この空虚さを埋めてくれるものはない
永遠に失われてしまった――
引き伸ばされた意識の中、向けられた砲口に
ふ、と場違いな笑みが漏れた
しかし彼は魔軍元帥だった
魔王軍のために尽くしてきた
その事実は、彼が自分で思うよりも多くのものを彼にもたらしていた
閃光が走る
精霊の砲口を切り飛ばしたのは、巨大な戦士だ
魔物界の匠たちが秘密裏に建造した、おれガイガーΣだった
内部の操縦席では、三人の小人たちが不退転の決意を滲ませている
おれガイガーΣは、王種との決戦を想定して造られた機体だ
これまでの鎧シリーズとは一線を画したパワーを秘めている
メインパイロットの帝国のんが血を吐くような雄叫びを上げてコントロールレバーを押し込んだ
ゲインが跳ね上がった
それは、機体の許容量を容易く越えた
王国のひとが悲鳴を上げる
鋭く舌打ちした帝国のひとが、素早く仮想パネルを操作する
水の精霊に組みついたおれガイガーΣが激しく放電した
――自爆するつもりだ!
鎧シリーズに備わる自爆シークエンスは、制御を手放すものではない
実情は、むしろ逆だ
ある一点に向けて、全ての機構を機体の制御に回す
敵を道連れにするための、究極にして最後の武器だった
機体から幾重もの光条が放たれる
――光
――熱
大きな振動が空間を伝った
純粋な破壊力が光と熱を洗い去ってしまった
燃える命も、流した涙も、そこには何も残らなかった
残響する耳鳴りだけが、致命的な崩壊があったことを物語る証左だった
黒騎士の胸に去来する思いは一つだ
――また、守れなかった
ジ・エルの魔力は加重の性質を持つ
魔法の性質は性格に通じる
ほつれた糸が絡み合うような、鎖の形状と
他者の魔力を徴収できる……迎合する性質を持つ
それは、必要とあらば自分を押し殺すことができるということだった
しかし、いまとなっては、もう……
その必要性を感じなかった
――水の精霊は、当然のように健在だった
そのことに、ジ・エルは安堵すら覚えた
そうでなければ、この沸騰する激情をどこにぶつければ良いのかわからなかった
その手に持つ魔剣は、さらに鋭さを増す
凝縮された炎は発散されることなく、より洗練される
光輝剣が所持者の感情に呼応するとすれば
業火剣を激しく燃やすものは執念だった
勝算など、とうに度外視している
災いの紅玉と化した宝剣の変化に、黒騎士は無頓着だった
ただ、いまは――
全身を覆う黒鉄の鎧が赤く染まっていく……
――この荒れ狂う感情に身を委ねてしまいたかった
真紅の霊気が燃え立つ
紅の騎士が、憎悪を塗り込めるように呟く――
「お前たちさえ居なければ、全部うまく行ったんだ」
許容量を越えた感情が、騎士の熱意を奪い去った
残されたのは冷徹な意思だ
そのとき、つの付きの逆鱗に触れた愚かなる精霊が囁いた
動力兵は語るべき言葉を持たない
しかし発声機能そのものはある
沈黙を破った精霊の声は慎ましく、憂いに満ちていた
「アリス……怒っているのですか……?」
アリスというのは、庭園のんの本名だ
つの付きの正体が六魔天の眷属だったとして
それが、いまさら何だと言うのだ?
すでに衝突は不可避
どちらかが滅ぶまで決着はない
ジ・エルは、冷ややかに笑った
「命乞いでもするか? 試してみろよ。そうすれば、はっきりする」
どうでもいいことだった
まるで魔人のような物言いに――
精霊の声はどこまでも優しい
「あなたたちに魔法を与えたのは、わたしたちです。わたしたちの関係は親子と言ってもいい……」
「狂ったか……?」
「狂う……? いいえ、そうではありません。わたしは“納得”したのです」
両者の対話は、時間の経過が互いに利することはなく、また害することもない――
そうした確信を相互に理解した上でのものだった
奇跡的な危うさにより均衡が保たれている
両者ともに微動だにしなかった
それなのに精霊の声だけが清らかに澄んでいる
生々しいまでの母性にあふれた声だ
まるで精霊の身体と意思が剥離しているようにも感じられた
「家族は良いものですよ、アリス……。家族は、ふふ……多ければ多いほど良い。違いますか?」
家族という言葉の響きに酔っているようですらあった
彼女は、決定的な言葉を投げることに躊躇う様子もなく告げた
「わたしは、あなたたちを愛しています。もちろん、あなたたちの育ての親を愚弄するわけではありませんが……ほんの少しでもいい、産みの親を愛してくれても良いのでは? 本当のハッピーエンドとは、そういうものです」
「驚いたな……」
紅蓮の騎士は、純粋な驚きを口にした
「自殺願望があるのか? よせ。早まったことをするな。おれは、もっと屈辱的な死をお前に与えたい……。どうすれば思い留まってくれるんだ?」
「…………」
婉曲的な殺意の返礼に、彼女はひるんだように押し黙った
あらゆる説得が意味を為さないと悟ったようだ
しかし、そもそも説得することが本意ではないのだろう
彼女は、自慢したいだけだ
「ようやく、全てがつながりました……!」
その声は歓喜に満ちていて――
「バウマフ家は、わたし達の味方だった!」
はつらつと……
狂気に満ちている
「リシスどもの気持ちが少しはわかります。これは……この“安心”という気持ちは……どんな宝石のきらめきにも勝る。わたしは“間違ってない”!」
不幸な女だ
だが、それだけだ
それだけのことでしかない
彼女の勘違いを、魔王の騎士は正してやりたかった
そうすることが、どれほど鋭い剣よりも速やかに彼女の口を閉ざすことになると信じたからだ
ゆっくりと紅玉の剣を構えて、告げる
「バウマフ家は、この世に生きとし生けるものは。お前の言う家族とやらもそうさ……お前のアクセサリーじゃねえんだ。な?」
女は、笑った
信じていたものに裏切られたように
ひび割れたように……
おかしくて、おかしくて
たまらないというように
笑い……
そして、尽きることのない世界への怨嗟を吐き出した
「ア」
「リ」
「ス!」
狂態を晒して襲い掛かってくる精霊に
ジ・エルは一言だけ
「そのほうが、らしいぜ。似合ってる」
最上級の誉め文句だった