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逢魔

 はるか後方で

 なにか巨大なものが倒れるような地響きがした

 あとに続くのは、寄る年波に完全勝利したひとの雄叫びだ


 騎士たちが喝采を上げた


 地下監獄を抜けた突入部隊は

 長大な階段を駆け上がっていた

 一段、一段に踊れるほどのスペースがある

 なだらかな段差は、騎馬の足の妨げにはならない


 小隊の垣根を越えて

 具足を打ち鳴らす騎士たちの表情は明るい


 大騎士とも呼ばれる百戦錬磨の古兵には

 部下たちの不安を払拭するような力がある

 とりわけ“不敗”の将軍は

 いかなる苦境も跳ね除ける現代の神話であった


 騎士たちは知っている

 ジョン・ネウシス・ジョンコネリほど負け続けた騎士はいない

 黒星まみれの戦歴は

 しかし記録には残らない勝利の積み重ねだ


 ※ あれが、そうなのか。チェンジリング・ファイナル……

  ※ まさかだな

   ※ ああ、まんまとしてやられたよ。よもや詠唱破棄をパクられるとはな……


 ※ しかしファイナルか……

  ※ ファイナル……なんか一周してかっこいい気がしてきた


 おい。やめろ

 ファイナルで盛り上がるな

 ファイナル魔法とか生まれたら、お前ら責任とれんのか


 ※ 飛ぶ鳥、跡を濁さずという言葉もある

  ※ 有終の美というわけか……

   ※ だが、飛べない鳥もいる

 

 ※ ……なにが言いたい?

  ※ ふっ、チェンジリング・ファイナルの原理さ

   ※ お前、まさかひと目で……!?


 ※ ああ。もっとも……

   ひと目でわかったら苦労はしないがな……


 ※ なんだ、子狸か

  ※ 子狸じゃねーよ!


 千年だ

 千年という気が遠くなるような歳月の果て……

 王国騎士団は、ついにチェンジリングを完成させた


 チェンジリングとは、状況に依存した詠唱法だ

 会話中に主語を省いても意味が通じるように

 魔法への呼びかけを簡略化する技術である


 だから規律を逸脱する度合いが大きければ大きいほど

 シチュエーションは限定されていくことになる


 おそらく極限の域に達したチェンジリングは

 使いものにならないということだ

 

 突入部隊の道を切りひらいたのは

 いびつな発展を遂げた老兵たちの挽歌だった


勇者「…………」


 騎乗しているひまはなかったから

 かっさわれるように小脇に抱えられた勇者さんは

 自分を荷物のように扱っているトンちゃんに対して

 不平不満を述べるつもりはない


 どうもトカゲさんを相手に張りきりすぎた感がある

 その直後に登場した、酔いどれ蛇さんとクライマックスおじいちゃんに

 ぜんぶ持って行かれてしまった


 だれも褒めてくれないから

 ただでさえ少ない勇者さんの体力ゲージが

 ミーッと減少の一途を辿るかのようだ


 ※ ……いや、彼女はがんばったと思うよ。うん

  ※ うん……。本当に強くなったね……


 ※ ……でも、なんだろう

   うまく言えないんだけど

   安定しすぎてて波がないって言うか……


 ※ うん、なんかわかる

   もう開幕の魔哭斬が当然の流れみたいになってるから

   こんなこと言いたくないんだけど

   回避、余裕です……


 トンちゃんの危惧は正しかったということになる


 対魔物戦の基礎は、溜めて溜めてドンだ


 それなのに勇者さんは理詰めで行動するから

 マラソンでペース配分を忘れてスタートダッシュした可哀相な子になる


 千両役者の子狸さんを森に放したことで

 彼女へと、徐々に忍び寄りつつあるのは

 噛ませ犬の影だった……


 後方へ流れていく段差を

 勇者さんは無言で見つめている


 つい先ほどの戦いで

 新しいコンビネーションに開眼したのに

 巻き添えで前座に落ちついた羽のひとは健気だった


妖精「り、リシアさん……?」


勇者「べつに気にしていないわ」


 問われてもいないのに勇者さんは即答した


 彼女は、トンちゃんの言いぶんに納得していなかった

 戦力で勝る魔王軍を相手に

 正々堂々と戦ってどうするのだという信仰がある

 より勝率の高い戦法をとるべきだ……


 だから、重要なのはタイミングなのだと説かれて

 突入部隊の危機に颯爽と現れる大隊長という作戦に

 いちおうは同意した

 同意はしたが……

 

 なんだかさいきん自分の扱いがひどくないか?


 という遣りきれない思いはある

 

 まさか都市級の魔物にスルーされるとは思わなかった

 勇者なのに


 第一、魔獣が強すぎる

 なんだ、あれは

 へたをしたら単独で人類を滅ぼせるのではないか?


 理屈はわかる

 魔獣たちが魔都から離れないのは、魔王を守るためだ

 三人の魔獣は、互いが互いへの抑止力になっている

 王種という桁外れに強大な存在がいるから

 彼らの監視下では、あまり派手なことはできない


 なんだ、これは?

 人間の立ち入る余地がないではないか

 この世界の均衡を保つあらゆる要素は、魔物たちに帰結する

 出来の悪い、なぞなぞみたいに

 完結しているのだ


 物思いにふける勇者さんを現実へと引き戻したのは

 トンちゃんの声だった


どるふぃん「黒雲号!」


勇者「どうして、あなたまで、その名前で呼ぶの」


 勇者さんが実家にいた頃から

 これはと目を掛けていたお馬さんの本名は、ノロと言う

 名付け親は、このおれである


 アリア家の人間が最後の勇者になることは

 あらかじめ決まっていたことだから

 アリアパパと、おれは、とある無言の協定を結んでいる


 いずれ、娘さんのどちらかが勇者になる

 もしもお馬さんと同じ名前の人間が現れたなら

 それは、おれたちの手引きによるものだ

 あたたかく見守ってほしいと……


 理想を言えば、それとなく勇者さんに言い含めておいてほしかったのだが……

 おれの真心はうまく伝わっていなかったようである


 かくして――

 おれが水面下でひそかに推進していた

 子狸さん逆ドッキリ計画は

 ひと知れず終焉を迎えたのであった……


 ※ おい。くわしく

  ※ 一人で勝手に何してくれてんだ、この青いの……


 ※ お前ら、責めないでやってくれ

   山腹の~んはね、子狸の身を案じていたんだよ

   勇者さんは剣士だからね

   おれは山腹さんの味方です。ぽよよん


 さすが王都さん

 王都さんは違いのわかるぽよよんだ……


 ※ なんだ、お前ら。和解したのか


 え? 和解ってなんのこと?

 もとから、おれたち仲良しですし

 ね?


 ※ ね~


 ※ うわぁ……

  ※ すでに修復不能なまでにこじれたか……


 なんでだよ

 いま、おれら完全にシンクロしてただろ


 ※ でも、お前ら完全に本流と支流に分岐してるよね

   おれ、てっきりお前らが袂を分かったんだと思ってたよ

   でも、そうじゃないなら良かった

 

 ※ お互いさ、至らない点があったんじゃないかな?

   意地の張り合いとかやめて、合流しようぜ!

   おれ、肩を組んでぽよよんするお前らが見たいよ

   さ、そうと決まったら仲直りの握手だ!


 それは、まあ……


 ……追々な


 ※ おお、完璧に使いこなしている……


 ……だが、お前らの言うことも一理ある

 おれは、少し意地になっているかもしれない


 シリアス担当だった勇者さんは

 日増しに残念になっていくかのようだった


 ※ いや、悪いのはおれだよ

   シリアス担当は、やはり子狸には荷が重い……


 いや、悪いのはおれさ


 ※ いや、おれだ


 おれだよ


 ※ おれだろ


 ……おっと、あぶない

 お互い大人になろうぜ! 王都さん!

 

 ※ そ、そうだな! 山腹さん!

   せーので一緒に謝ろう!

   それがいい! それで、この件はおしまいだ

   ぜんぶ元通りさ!


 うむ!

 よし、それでは掛け声で同時に! 同時にな!

 こほん……


 せーの!


 ※ …………


 …………


 騎士たちの表情は明るい

 彼らは前向きだった

 最悪の可能性について考えないようにしていたからだ


 魔都に突入して、どれだけの時間が経過したろうか

 山腹軍団と王国騎士団の衝突から

 すでに十八日……


 勇者さんの推測では、王国滅亡まで残された猶予は三日ある

 だが、それはあくまでも希望的観測によるものだ

 つまり、大将が前線で指揮をとっている前提での話だった


 大将の代わりをつとめることができる大隊長は居るのか?

 ……居る

 ネウシスの称号名を持つ大騎士の定員は、一国につき最大で十人だ

 居るには居る

 が、足りない


 数ヶ月前に

 各国は、競うように新大陸へと大隊長を派遣している

 現地で暮らす人々と、友誼を結ぶためだ

 新大陸について三大国家は協議を終えていて

 派遣する人物は、最高でも中隊長という約束になっていた


 そして三大国家は、迷うことなく大隊長を派遣した

 そのほうが有利に交渉を運べるからだ

 当然そうなるとわかっていたので、当然そうした


 騎士たちの表情はあかるい

 遠く離れた彼らの祖国は

 すでに滅びている可能性すらあった

 

 魔都は、世界地図のどこにも載っていない

 隠世と顕世を隔てる最後の門をくぐって

 彼らは常夜の地へと足を踏み入れた


 彼らは異物だった


 彼らを育んだ土壌は、ここにはない

 彼らが愛した風景は、ここにはない

 彼らの懐かしむものは、なにもない


 あるのは、這い上がってくるような冷気と

 そして、ときおり吹く、生ぬるい風だけだ


 心に灯る熱だけが

 戦うと誓ったあの日の決意を

 彼らに証明してくれるものだった


 騎士たちは一心に念じる


 だいじょうぶだ

 何とかなる

 きっとうまく行く


 彼らの高揚が伝わってくるような気がして

 勇者さんは大きくまばたきをした


 彼女が不在の間、鞍上の留守を守っていた小さな狐娘が

 懲りずに勇者さんの猫耳をいじっている


 まだ幼く、適応者としても成熟しきっていない彼女は

 つとめて鈍感であろうとする人間の内面をさらうことができない

 まわりの熱に浮かされて、興奮した口調でトンちゃんに話しかけていた


「兄さま。さっきのひとが、兄さまのお師匠さま?」


 ジョン・ネウシス・ジョンコネリは、王国の英雄だ

 恩師の勇姿を次代へと語り継ぐのは

 自分の役目なのだと、トンちゃんは思った


「そうだよ。私と本気で喧嘩してくれた、唯一の……。もちろん勝ったのは私だが……」


 自分自身の声なのに、ひどく遠く聞こえた

 懐かしさに喉が詰まって

 うまく話せているだろうかと心配だった


 こんなことではいけないと、声を張ろうしたら

 思うように加減ができず、自分でも驚くほどの尊大な物言いになった


「まあ、ワンパンだな!」


 騎士たちが、どっとわいた

 常日頃から大将に粗雑に扱われていた彼らだから

 無敵の師弟が誇らしくて仕方なかった


 盛大に拍手するもの

 慣れない指笛を吹くもの

 さまざまだ


 珍しく気を利かせた勇者さんが

 模範を示そうと綺麗な指笛を吹いた

 彼女が父親から教わったことは、あまり多くない

 これは、その一つだった


 小さなあるじにまで囃し立てられて

 トンちゃんは、少しびっくりした顔をしてから

 照れ笑いを浮かべる


 きりりと表情を引き締めたトンちゃんは

 突き出た太鼓腹を鎧の上から軽く叩いて

 大声で笑った


「はっはっは!」


 笑顔は人生を豊かにする

 それが彼の口癖だった


 気難しい羽のひとも

 これには苦笑を漏らした


 階段を登りきった

 交差路に出る


 王国最強の騎士は、渡り鳥並みの方向感覚まで備えているようだった

 迷わず右手に折れて、直進する


 四辻が続く

 どこまでも伸びる廊下は

 まるで果てのない旅路のようだった


 大蛇の魔力の影響によるものか

 さいわい、階段で魔物と遭遇することはなかった

 騎士たちは、すでに離脱症状を脱している


 十字路が連続する地形は

 攻めるに難く、守るに易しいと見てとったトンちゃんは

 実働部隊に障壁の展開を命じた

 左右からの敵襲に備えてのことだ


 自慢の部下たち

  自慢の妹たち

   自慢のあるじ

 何もかもうまく行く気がした

  それなのに楽しい夢は

   いつだって唐突に覚める

 泣いても喚いても

   悪夢は立ち去ってくれないのに


 鎖を巻き取るような音がした

  開放レベル3の防壁がしゃぼん玉みたいに弾けた

   黒い影が視界の端をちらついた

 目で追おうとして失敗する

  息苦しい

   壁が陥没した

 鎖の音は鳴り止まない


 息苦しい

  舌の根が乾く

   言葉が空をきる


 黒い影が視界の端をちらつく

  目で追うことはできる

   しかし反射速度に身体が追いつかない

 人間の限界――


 理解は遅れてやって来た

 

 “魔力”だ


 黒い影が壁を蹴る

 そのたびに壁が陥没する

 

 哄笑が響き渡った

 無邪気な子供が笑っているような声だった


 

「は! は! は! は! は!


  は! は! は! は! は!


 は! は! は! は! は!

 

  は! は! は! は! は!」


 

 哄笑が過ぎ去ったとき

 半数にも及ぶ騎士が馬上から跳ね上がった

 彼らの全身を包む鎧が、破裂でもしたかのように砕け散る

 

 束縛を焼き切った王国最強の騎士が

 人一倍の巨漢を長らく支えてくれた騎馬から飛び降りた


「行け!」


 マイカル・エウロ・マクレンと

 ノイ・エウロ・ウーラ・パウロは

 魔鳥に打ち勝つことができるだろうか


 ジョン・ネウシス・ジョンコネリは

 蛇の王との因縁に終止符を打てるだろうか


 今度は自分の番ということだ


 一撃で意識を刈り取られた騎士たちは

 まるで、そうなることがわかっていたように

 運良く災禍を免れた騎士たちの両腕におさまっていた


 偶然? ありえない

 狙ってそうしたのだ


 恐慌をきたした狐娘たちの異能が暴走しかけていた

 彼女たちは騎士ではないから

 魔力に囚われてしまったら自力で跳ね除けることができない


 無言の悲鳴が吹き荒れる


 散乱した記憶が

 暴力的なリアリティで脳裏に焼きついた


 天から降る紫電

 紅蓮の炎に沈んだ街並み

 落ちた影よりもなおも濃い影が

 地を這いずる黒い影が

 すべてを呑み込んでいく……


 それは、彼女たちの祖国の最後の一日の光景だった


 ――兄さま!


 妹たちの悲痛な叫びに

 アトンは、振り返って微笑んだ


 彼は、自分の生涯を締めくくる最期の言葉を

 ずっと前から決めていた


 それは妹たちの名前だ


 けれど、こんなところで死ぬつもりはなかったから

 口にはしなかった


 代わりに、末妹をぎゅっと抱きしめてくれている小さなあるじを見た

 遠ざかっていく彼女に一つ頷いてみせると

 鬼気迫る表情で、しっかりと頷き返してくれた


 アトンは、四辻を折れた影を、追う

 左右の足で、踏みしめるように歩く


 留め具を外して、マントを放り捨てた

 ばさりと床に落ちたマントが

 朽ち果てるかのように細かく千切れていく

 

 胸当てと胴巻きも外す

 どのみち、一撃でも貰ったら終わりだから

 少しでも身軽になっておきたかった


 重たい音を立てて、床を転がった鎧が

 いびつにひしゃげた

 ある部分はへこみ、ある部分は盛り上がる

 奇妙な現象だったが、アトンは気にしなかった


 もう、長年の付き合いになるからだ


 彼の身に宿る異能は

 史上まれに見るほどの強力な物体干渉だ

 

 強力な異能は

 概念の世界を飛び出して

 現実の世界に干渉してくるから

 極めて暴走しやすい構造になっている


 意図的に暴走を引き起こすこともできるということだ


 二度と見失うまいと眼差しに力をこめる

 四辻の交差点から視線を転じると

 ちょうど黒い影が、さっと通路を折れたところだった

 じゃらりと鎖を引きずる音がした


 知らず、アトンの口元に獰猛な笑みが浮かんだ


「ようやくか……。ようやくだ」

 「十年。捜したぞ……」

  「影」「魔人っ」


 アトンが舌鋒も鋭く追求したのは

 自らの祖国を滅ぼした魔獣の名だった


「グラ・ウルーぅ!」



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