逆心の彷徨
魔獣の咆哮に大気が恐れおののくかのようだ
断続的に放たれる激しい閃光が
脈打つ壁を、そして遥か頭上の天井を伝っていく
凄まじいまでの破砕音と
連続する灼熱の音叉にも
王国騎士団は振り返らない
信じると決めたからだ
前へ――
それ以外に何が出来よう
彼らは託し、託されたのだ
帝国騎士団は、驚くほど楽観的だった
彼らが運んできた希望を
王国騎士団は継いで走る
連合騎士団は、不気味な存在だった
彼らが運んできた不安を
王国騎士団は継いで走る
王国騎士団と帝国騎士団は仲が悪い
帝国騎士団と連合騎士団は仲が悪い
連合騎士団と王国騎士団は仲が悪い
正直、鎧を見るだけで虫唾が走る
反射的に殴りたくなる
国ごと滅んでしまえばいいと心の底から願っている
それなのに、いまは信じてみようという気になった
帝国騎士団のしぶとさを知っている
連合騎士団のあざとさを知っている
やつらに対抗できるのは自分たちしかいないという
強烈な自負心が王国騎士団を後押しした
負ける気がしなかった
負けてなるものかと思った
胸のうちで、めらめらと燃え上がるのは対抗心だ
叫び出したい気分だ――
勇者「アトン……?」
鎮火された
ちょっと来いというようなジェスチャーをとるとき
勇者さんは、たいてい怒っている
トンちゃんは、思わず振り返って部下たちを見た
実働部隊は騎士団の剣であり盾だ
剣と盾は、ただあればいいというものではない
その半数に及ぶ特装部隊がついたとき、はじめて彼らは真価を発揮できる
実働小隊と呼ばれる決戦隊形だ
ああ、二代目がお説教される……
部下たちは一糸乱れぬ連携で他人のふりをする
――見事だ
トンちゃんは胸中で称賛した
百人が百人とも日和見を決め込むのだから
これは並大抵のことではない
血のにじむような修練の成果だった
アトン・エウロは王国最強の騎士だ
彼の戦速についてこれる騎士はいないから
究極的に、最後はひとりになる
仕方なくトンちゃんは、勇者さんに騎馬を寄せた
並走する黒雲号が、つぶらな目で見上げてくる
その瞳には知性の輝きがあった
黒雲号「…………」
どるふぃん「…………」
なんとなく見つめ合うふたり
自分と目を合わせようとしない王国最強の騎士に
勇者さんが言った
勇者「わたしを戦わせるなというのは、どういうことなの?」
どるふぃん「そんなことは言ってません」
勇者「言ったわ」
とっさに言い逃れをしようとしたトンちゃんに
勇者さんはぴしゃりと言う
妖精「言いましたね」
アトン・エウロは王国最強の騎士だ
彼の戦速についてこれる騎士はいないから
究極的に、最後はひとりになる
どるふぃん「……言ったかもしれませんね。あるいは、そうかもしれない……認めましょう」
だが、孤独だとは思わなかった
どるふぃん「自分の部下の誰かが」
王国騎士「!?」
彼には、仲間がいたからだ
妖精「部下を売りやがった……」
どるふぃん「私には使命がある。ここで倒れるわけにはいかないさ」
勇者「……アトン」
どるふぃん「私が言いました。それが何か?」
同時に、彼は百余名の命を預かる称号騎士だった
任務は遂行する
部下を守り抜く
自分も生還する
エウロの誓いは重い
どんなに無様でもいい
最後の最後まで足掻けということだ
勇者「開き直らないで。何か? じゃないでしょ。わたしは、どうしてあんなことを言ったのか聞いてるの」
どるふぃん「それは……」
――気付いていないのか?
トンちゃんは、反射的に吸い寄せられそうになる視線を堪えねばならなかった
勇者さんは察しの良い子だ
少しでも不審な素振りを見せたら勘付かれる
もしも万が一、彼女が気付いていないなら……
そこまで考えて、トンちゃんは自らを戒めた
気が付いていない? そんなはずがないだろう……
直後に押し寄せたのは悔恨の念だ
彼女は、こう言っているのだ
気にするな、と
……悔しかった
彼女の気遣いが悔しくて堪らなかった
妖精「え~……?」
勇者「なぜ泣く……」
トンちゃんの漢泣きに
羽のひとと勇者さんはどん引きだった
王国騎士「ちくしょう!」
何事かと振り返れば、他の騎士たちも泣いていた
王国騎士「こんな悲劇が……あっていいのかよ!?」
勇者「…………」
勇者さんは、これ以上、この話題に触れなかった
熾烈な魔力のうねりを感じとって避難していたのだろう
戦闘の余波が届く圏内を脱した頃
魔物たちが雲霞のごとくわき出したからだ
行く手をさえぎる魔物の群れに
トンちゃんが喚声を放った
「魔物どもっ……命が惜しくば、去れ!」
術者の意思に従って飛翔する光弾を、王国では“妖精”と呼ぶ
王国最強の騎士は、同時に三つの妖精を召喚し、使役することができる
全力で戦ってもあとが続かないと知っているから
彼にとって、三つの投射魔法を制御するのは苦にはならないということだ
猛然と駆け出した騎馬のあとに
騎士たちが続く
零れる涙が、きらきらと宝石みたいに輝いた
迎え撃つお前ら
「アトン・エウロか!?」
「王国最強の騎士……! 相手にとって不足なし!」
ため息をついた勇者さんが、指先で猫耳の毛並みを整える
瞑目し、目を見開いたときには余計なことは気にならなくなっている
抜剣したムシロオレには一点の曇りもない
人と魔物
相容れない両者の手で打ち鍛え上げられた宿命の剣は
はたして勇者に何をもたらすのか
栄光か?
それとも……
※ ちょっ……子狸さん!?
※ なにをっ……
※ 待っ……この子狸っ……!
※ おい! 子狸に魔都の図面を横流しした輩がいるぞ! だれだ!?
※ ……偶然じゃないのか?
※ そんなわけっ……ないとも言い切れないのが怖いんだよなぁ
※ 開祖も、そんな感じだったらしいよ……
…………
お前らを一掃した王国騎士団の快進撃も長続きはしなかった
どるふぃん「!? 止まれ!」
最初に異常を感知したのはトンちゃんだ
彼は、この場にいる誰よりも鋭敏な感覚を持っている
トンちゃんに付き従っている騎士たちは、そのことを熟知している
手綱を引いて騎馬の速度をゆるめた彼らとて歴戦の勇士たちだ
魔法の射程と精度は、五感の働きと無縁ではいられないから
健康的な生活を強要されてきた騎士たちの感覚は、常人よりも発達している
魔都が鳴動していた
血相を変えたトンちゃんが、片手を突き上げる
それから、親指と人差し指、中指を立てて真横に振り下ろした
降馬のサインだ
一斉に騎馬を飛び降りた騎士たちが
姿勢を低くして、揺れに備える
お馬さんたちも座った
異変は、すぐに起こった
彼らが見ている前で
壁が分離した
崩れる、と判断したトンちゃんが
実働部隊に防壁の展開を命じる
しかし、それは結果的に杞憂に終わった
彼らの目に映ったのは
にわかには信じがたい光景だった
立方体にくりぬかれた石材が
ふわりと宙を浮かび
するすると上下左右に行き来していた
魔力か? いや、違う
物体に作用する魔力を持つのは
あの魔ひよこしかいない
第一、この場にいるのは騎士と勇者だけだ
では、いったい何だというのだ?
まったく未知の現象だった
自動感知の罠なのか?
そうだとすれば、こんなことができるのは王種しかいない
だが、王種は……
王種の仕業でないとするなら
残る可能性は設置型の罠ということになる
長年、人間たちは魔法を研究してきた
そうして、はっきりしたことが幾つかある
時間的な制約を設けた魔法は通らないということだ
都市級の超高等魔法はおろか
王種のみが扱える竜言語魔法ですら
魔法の作用をとどめておくことはできない
唯一の例外が、魔王だった
人間たちは、治癒魔法を一種の奇跡なのだと認識している
千年前には存在しなかった、この魔法をもたらしたのは
聖なる海獣とする説だ
彼らは、治癒魔法が時間に干渉する魔法ではないと考えた
そうでなければ“つじつま”が合わなかった
治癒魔法を天使の祝福によるものではない、たんなる遡行現象とするなら
聖なる海獣の加護をもっとも色濃く帯びているのは
魔王ということになってしまうからだ
だから、時間に干渉するのは魔王の特権でなくてはならなかった
大きなブロックが上下左右に行き来する
勇者さんが、はっとした
相変わらず察しの良い子だ
そう、この現象は魔王の……
勇者「幽霊船と同じ……?」
妖精「えっ」
あれっ
そっち?
※ ここで!?
※ あっちゃあ……
※ 骨のひとがその場しのぎで適当なことを言うから……
※ と、トリコロールだと?
※ ここまで来ちゃうと、否定しづらいんだよなぁ……
※ おれたちの魔都にあらぬ嫌疑がっ
※ カンベンして下さいよ、勇者さん……
※ 彼女、肝心なところで推理を外すよね
※ なんか子狸に似てきたんじゃないの?
※ いや、勇者さんは前からそういうところがあった
※ そう。悪いほうへ悪いほうへ行っちゃう癖がある……
※ したがって子狸さんは無実だと思います
勇者さんは自信に満ちあふれていた
勇者「間違いないわ。これは、トリコロール……」
ああ、言っちゃうんだ……
どるふぃん「! アレイシアンさま、なにかご存知なのですか?」
トンちゃんは、勇者一行の旅の軌跡について妹たちから報告を受けている
しかし、狐娘たちは
旅を続ける勇者さんに迫る数々の危機を
華麗に撃退していたことになっているから
海上で徒党をなして襲い掛かってくる魔物を
クールに狙撃していた彼女たちが
幽霊船の動力を知っているはずがなかった
つまり、ちょっとした情報の行き違いで
トンちゃんは幽霊船に対する知識が不足していた
頷いた勇者さんが得意気に説明をはじめるよりも早く
羽のひとが慌てて言った
妖精「トリコロールというのはですねっ! セパレードがフレイミングすることですっ」
彼女の自己犠牲精神に、お前らが目頭を押さえる
しかしトンちゃんは……
どるふぃん「……なにを言ってるんだ、きみは?」
勇者「…………」
なんの説明にもなっていないと
的確な指摘を受けて、羽のひとは赤面する
言った本人がいちばん自覚していからだ
あのとき、子狸が出来の悪い生徒を見守るような目をしていなければ
勇者さんとて納得しなかっただろう
骨のひとが泣いて許しを請うまで厳しく追及したはずだ
だが、この場にポンポコ先生はいない
勇者さんが意を決した
羽のひとをかばうのは、自分がしなければならないことなのだと思った
勇者「アトン」
どるふぃん「はっ……」
勇者「……どうして、そういうことを言うの?」
そう言って、勇者さんはぷいとそっぽを向いた
もしも勇者さんが羽のひとと同じことを言ったなら
トンちゃんの対応は、もっと違うものになったはずだ
相手によって態度を変えていることが見え透いたから
彼に必要なのは正当な罰だった
だから、ときどき羽のひとが子狸に対してそうしていたように
勇者さんは反抗期に突入したのだ
だが、トンちゃんは子狸とは違う
彼はおとなだった
どるふぃん「……お嬢さま」
トンちゃんは、精神的に不安定になると
勇者さんをお嬢さまと呼ぶ
彼は、天を仰いで
なにかを堪えるように瞑目した
そのまま一秒が過ぎる
二秒、三秒……
トンちゃんは動かない
王国騎士「あの……二代目? そういうのは、あとにしてくれませんか?」
とうとう部下にツッコまれる始末だった
トンちゃんが、ゆっくりとまぶたを開く
「工程を三つに分けるぞ」
「土下座は最終手段ですね?」
「ちがう! お前は自分の子供が拗ねたら泣いて許しを請うのか? そうじゃないはずだ……」
「少なくとも、私は違う。私は――」
王国最強の騎士が、マントをひるがえして踏み出す
「余計な言葉は不要だ。子は、親の背中を見て育つものだからな……」
勇者「もしかして、わたしのことを言ってるの?」
どるふぃん「血のつながりなど、ささいな問題です」
トンちゃんは、きっぱりと言った
彼は、自分たち兄妹を拾ってくれたアリアパパに深い恩義を感じている
その後、見捨てられたからと言って、恨むのは筋違いだと理解している
だから、アリア家での勇者さんの扱いをずっと我慢していた
その我慢が、限界に達していたのだと――
いや、とうに限界だったことを、彼は自覚したのだ
トンちゃんはモテる
中隊長というのは、すべからくモテるのだ
トンちゃんの場合、いささか恰幅が良すぎるきらいはあるものの
それを補って余りあるほどの戦士だった
凱旋パレードでもしようものなら
平民のみならず、貴族の令嬢からも黄色い声援が飛ぶ
そして、あとで上司からねちねちと何か言われる
その彼が、これまで独身生活を貫いてきたのは
もちろん妹たちのためだ
妹たちが立派に一人立ちするまでは、と決めていた
だが、それだけではなかったことも確かだ
あえて迂遠な表現を選ぶなら
トンちゃんは、アリアパパよりも子育てに自信があった
その根拠となっているのが、兄さま兄さまと慕ってくれる妹たちだ
多少、自堕落に育ってしまったかもしれないが……
やれば出来る子たちだ
聞けば、かの有名な豊穣の巫女を捕縛の一歩手前まで追いつめたらしい
親はなくとも子は育つと言うが――
トンちゃんは苦笑した
表情を引き締めて、具体案を述べる
「私が単独で先行する。五分経っても戻らないようなら、手段は問わん。障害を排除し、突破しろ。それでも難しいようなら……」
眼前を横切るブロックには、あきらかに規則性がある
しかし検証の時間が惜しい
トンちゃんの並外れた身体能力ならば、おそらく踏破できるだろう
安全なルートを見定め、行って戻ってくる
これが理想だ
だが、侵入者を蹴散らす罠という可能性も捨てきれない
元より先に進める構造になっていないということだ
その場合、自分なら徐々に難易度を上げる造りにする
退路を断つためだ
最悪の可能性については考えないことにした
自分の案に見落としはないか
脳裏で工程を整理しながら、トンちゃんは言った
「上級魔法が弾かれるようであれば、アレイシアンさまを頼れ。ただし、これは最終手段だ」
精霊の宝剣は最高位の存在であるらしい
だからなのか? 光輝剣で破壊した対象を魔法で修復することはできない
一度、壊してしまえば取り返しがつかないということだ
その説明を省いたのは、わざとだった
時間が惜しいというのもあるが……
いちばんの理由は、勇者さんの指揮官としての適性を
部下たちに疑ってほしくなかったからだ
勇者さんに戦術を教えたのはトンちゃんだ
だから二人の考え方は似たものになる
部下たちは、おそらく自分の欠点を
あるいは自分には自覚がない欠点を把握していることだろう
それは、自分が中隊長だから許されている欠点だ
実績を持たない勇者さんは
トンちゃんと同じではだめなのだ
彼女は、彼女なりの個性を見つけなければならない
かつて上司が自分に太ればいいのだと道を指し示してくれたように……
泥酔した大将に諭されて獲得した太鼓腹が誇らしかった
もちもちした二の腕を覆っているのは、重厚たる白銀の装甲だ
狐娘「兄さま! だめ!」
迷彩を破棄して叫んだのは、いちばん幼い妹のコニタだ
彼女は、ステルスしているのをいいことに
勇者さんの猫耳をいじっていた
末妹に触発されたか
いまのいままで、おれの上でだらだらしていた狐面たちが
次々と迷彩を破棄して姿を現す
アリア家の狐は、五人姉妹だ
比較的、大きいのがイベルカとサルメア
中くらいのがレチアとルルイトさん
小さいのがコニタと覚えてもらえば間違いない
「コニタ。心配するだけ無駄」
「兄さまは、ちょっとおかしい」
「あの程度、まったく問題にならない」
「むしろ、お土産を買ってくる程度の余裕はあるはず」
魔ひよことのやりとりで
彼女たちは、自分たちの兄が
生きて帰ってくる気がないのではないかと
はじめて疑いを持ったのだ
悲壮なまでの覚悟を固めたトンちゃんが
妹たちの制止を振りきって駆け出す
そして、とくに問題なく戻ってこれた
どるふぃん「少し削りとってきた。……浮かないな」
狐娘(小)「…………」
※ でたらめだな
※ なんなの、この超人……
※ もう魔都とかいいから回廊に行けよ……