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あだけしの沼地

 お前らが子狸に構いすぎるせいで

 勇者一行の進捗は思わしくない


 だからと言って、無闇にペースを上げようとはせず

 きちんと考えて対策を練るのが勇者さんだ


 彼女は羽のひとに偵察を命じ

 手ぐすね引いて待ち受けるお前らを避けて通るよう一計を案じた


 たとえ幾らか遠回りになろうとも

 お前らとのエンカウントを減らせれば

 そのぶん時間のロスをなくせるという考えである


 しかしお前らとて伊達に長生きしているわけではない

 ひそかに羽のひととの接触の場を設けるのであった……


かまくら「妖精さん、おれたちはここです」


火口「こちらへどうぞ」


妖精「……堂々としてやがる。なんだよ」


 ゆっくりと下降してくる妖精さんに

 魔物たちの代表格と申し上げても過言ではないポーラ属の一人が

 しずしずと触手を差し出した


かまくら「これはつまらないものですが……」


火口「お近づきのしるしにと。さ、遠慮などなさらずに……どうぞお納め下さい」


妖精「……おれに彼女を裏切れというのか?」


 火口のんは、にこりと笑った 


火口「まあ、率直に申し上げれば」


かまくら「われわれは、今後とも妖精さんたちとは仲良くしていきたい……そのように考えております」


 お目こぼしを激しく期待する魔物たち

 妖精さんは……


妖精「ふん、もらっておいてやるよ。勢力を均一に振り分けろ。あとは……わかるな?」


かまくら「へぇ、それはもう」


 意図的に手薄なルートを用意して

 そこに勇者一行を誘い込むということだ


 ほくそ笑むお前ら


 羽のひとは魔物側についた


 このときはまだ、そう思っていたのである……


妖精「…………」


 羽のひとが持ち帰った情報をもとに

 勇者一行は進行ルートを練り直していく

 定期的に立ち止まっては偵察と修正を繰り返す


 トンちゃんが勇者さんの教師の一人であることは確かなようだった


商人「そうですか。港町に都市級が。それも二体……」


 港町襲撃事件の顛末を聞いたトンちゃんは苦い顔をした


 これまで勇者一行の指針を決めてきたのは勇者さんだ

 本人も自覚していないような思考の偏りがあるなら

 いまのうちに検討して、致命的なものなら矯正しておく必要がある


 勇者さんが保身を第一としないことに

 トンちゃんはあまり良い顔をしなかったが、ひとまず肯いた


商人「ええ、大まかには良いでしょう。とくに魔軍元帥の本音を引き出した点は大きい。評価できます。しかし……」


勇者「なにかしら?」


 狐一族の長男だからなのか

 勇者さんはトンちゃんと接しているとき

 ふと成長を喜ぶような顔を見せる


 立場は逆であるはずなのに

 不出来な生徒をあたたかく見守るような眼差しだ


 おだやかな視線を向けられて

 トンちゃんは居心地が悪そうにしている


商人「……細部の詰めが甘いと感じます。これは口で言っても伝わりにくいかと思いますが……」


 言葉を濁す狐一族の希望の星に

 勇者さんは小首を傾げて続きを促した


勇者「言ってみて?」


商人「……僭越ながら、魔物たちとの戦いには、ある程度の妥協を織り込んだほうがよろしい」


勇者「妥協というのは?」


商人「間の取りかた、おもに劣勢の持続、攻勢に転じる歩調の連携です。場合によっては無駄な演出も有益になる」


勇者「……なんの意味があるの?」


 自ら進んで不利になれと言っている

 その真意を問われて、トンちゃんは答えた


商人「魔物と相対したとき、われわれは徹底的に敗北を教育しなければならない。彼らは、私たちが思っているよりもずっと、きっとはるかに、精神的な生きものなのでしょう」


 完成した戦闘理論だ


 でも、おれたちの子狸さんは納得していなかった


子狸「……はたしてそうかな?」


 そう言って、二人の間に無理やり割って入る

 勇者さんとトンちゃんが話し込んでいると

 どこからともなくやって来て邪魔をするのだ

 浅はかなポンポコである


 基本的に年長者を立てる子狸の

 とうとつな不躾な行動に

 勇者さんは不審なものを感じている


勇者「どうしたの?」


子狸「お嬢は、もっとおれに相談するべきだと思うんだ。これまで、ずっと一緒にいたわけだし」


 トンちゃんはにこにこと笑っている

 二人から一歩、距離を置いて子狸をヨイショした


商人「だから、ノロさんの魔物たちとの接し方は理に叶っている。理想的である、と言っても良いでしょうね」


勇者「そうなの?」


商人「ええ。彼と接しているとき、魔物たちはストレスを感じていない。バウマフ家というのは、つまり魔物たちに認められた人間なのでしょう」


子狸「トンちゃん……」


 子狸は落胆していた

 トンちゃんが真相に近いことを言い当てたからではない

 器の違いを思い知らされたからだ


子狸「おれは……ぜんぜん子供だ。気の利いたトークは出来ないし、小洒落たお店も知らない……」


 トンちゃんは笑った


商人「はっはっは。そんなお店、私も知りませんよ。見てのとおり、この風体ですからね」


 お腹を揺すって笑うトンちゃんは

 とても愛嬌に満ちあふれている

 本当に幸せそうに笑うのだ

 豊かな人間性がにじんで見えるかのようだ


子狸「トンちゃん……」


商人「さあ、背筋を伸ばして! スマイル、スマイル!」


子狸「こ、こうかな?」


商人「こうです!」


子狸「こう?」


商人「そう! いい笑顔です! はっはっは」


 子狸は、トンちゃんに傾倒しつつあった


妖精「…………」


 羽のひとは憮然としている


 勇者さんは、トンちゃんに全幅の信頼を置いている

 ここに来て不穏な言動が目立つ子狸と

 信頼関係を築き上げつつあることに安堵していた


 トンちゃんは、子狸を子供扱いしない

 本人がそれを望まないからだ


商人「ともに笑いましょう! 笑顔は人生を豊かにします。笑顔のない人生なんてつまらない。さあ、アレイシアンさまも。スマイル!」


勇者「遠慮しておくわ」


 そう言いつつも、勇者さんはどこか嬉しそうだった


 いつしか勇者一行はトンちゃんを中心にまとまりつつある

 勇者さんはトンちゃんに意見を求め

 子狸はトンちゃんに魔法の手ほどきをしてもらうこともあった


 軽い模擬戦だ

 ポンポコ弾を盾魔法で打ちはらったトンちゃんがレクチャーする


商人「焦らないで。ノロさん、魔法の本当におそろしい点は、遅効性にあります」


 そう言って、トンちゃんは十個の蛍火を生成して見せた


商人「焦る必要はない。魔法は後出しできる。敵の選択肢を削いで……」


 ゆっくりと回り込んでくる蛍火から

 子狸は大きく距離をとる


商人「敵の動きをイメージする。さりげなく、静かにスペルを挿し込む。読み終わった本を、棚に戻すように」


 子狸が蛍火に気を取られた一瞬で

 トンちゃんは圧縮弾の生成と投射を済ませていた


 おそろしく静かな詠唱だ

 そして淀みのないイメージ……


 巫女さんとは種類が異なれど

 この男もまた異才だ


 子狸では、トンちゃんの本気を引き出すことも叶わない

 どれほどの実力差があるのか

 一生を費やしても臨めないだろう領域にトンちゃんは住んでいた


 持って生まれたものが違いすぎる

 感覚的に高度な技術を伝えようとするから

 子狸にはちんぷんかんぷんだった


子狸「トンちゃんの言っていることが、さっぱりわからない……」


 トンちゃんは苦笑していた


商人「う~ん……私は良い教師にはなれそうにないですねぇ。はっはっは」


 それでも得られるものはあるはずだ


 目の前に立ちふさがる巨峰に挑み続ける子狸を

 勇者さんは微笑ましく見守る


 羽のひとは無言だった


妖精「…………」


 かくして……

 子狸は、トンちゃんへの嫉妬を捨て去ることは出来なかったものの

 歳の離れた弟ポジションを獲得していく……


 ――この日は、朝から霧雨が降っていた

 水かさが増した支流群を離れた勇者一行が

 湿原に足を踏み入れた頃、小雨は驟雨へ

 昼ごろには、叩きつけるような雨になっていた


 林の中

 傘の道の下を、黒雲号と豆芝さんが駆けていく

 雨に濡れることを嫌った妖精さんは

 勇者さんの肩の上で羽を休めていた


 一行は誰ひとりとして口を開こうとしない


 巨獣の雄叫びが湿った大気を枯らしていくようだ

 まだ年若い枝葉たちが、おのれの未熟を恥じ入るようにふるえた

 

 林を抜けると、躍動する巨体に息をのんだ

 ロコ――と小さくつぶやいたのは誰であったか


 すでに戦いははじまっていた

 中隊規模の騎士団が、戦歌という刃もて巨人と相対する

 彼らが身にまとう白銀の武装は、王国騎士団の制式装備だ

 

 雄叫びを上げていた鱗のひとが、不意にぴたりと押し黙った

 好機とばかりに殺到してくる光槍を、巨腕のひと振りで叩き砕くと

 騎士たちを無視して大きく跳躍した


 着地の衝撃で地面が揺れた

 黒雲号を降りたトンちゃんが、ゆっくりと歩いていく


 絶望感があった

 悲壮ですらあった

 これまでの楽しかった時間が泥の中に沈んでいくかのようだ

 

 鱗のひとは、あきらかにトンちゃんを敵視していた

 とくべつな敵だと、その目が物語っていた

 その口角が徐々に吊り上がっていく


 子狸が悲鳴を上げた


子狸「だめだっ、トンちゃん……!」


 遠ざかっていく背中に追い縋ろうとする子狸を

 茂みから飛び出してきた特装騎士たちが取り押さえた

 鍛え上げられた二対の腕が、容赦なく子狸を地面に押しつける


 トンちゃんは振り返らなかった


 駆け寄った特装騎士たちが、トンちゃんの肩にマントを羽織らせる

 手慣れた動作で身につけていく肩当て、手甲、胸当て、胴巻き、足甲、その全てが白銀だ

 関節部の覆いをなくした特装騎士の装備だった


 その名を、鱗のひとが呼んだ

 待ち望んだ恋人に囁くような声だった


トカゲ「アトン……」


 抑え切れないとばかりに逸る足を

 トンちゃんが指差した


商人「“2cm”」


 ぬかるみに足を取られた鱗のひとが前倒しに転倒した

 いや、そうではない……

 これは“異能”だ


 鼻先まで迫ってきたトンちゃんを

 鱗のひとが堪らないという目で睨んだ


 トンちゃんが応えた


商人「望みどおり、来てやったぞ」


トカゲ「アトンっ……エウロ!」


 それが王国最強と謳われる騎士の名だ

 


 登場人物紹介


・トンちゃん


 王国騎士団が誇る最強の騎士さん。お名前は「アトン・エウロ」。

「エウロ」は中隊長に贈られる称号名である。「アトン」は「ひまわり」のこと。

 アリア家の推薦を受けて騎士団に入隊し、わずか十年ほどで中隊長に昇格した人物である。

 特装騎士から試験期間を経て中隊長に抜擢された異色の経歴を持つ。


 並外れた身体能力と魔法技能、そして史上まれに見る物体干渉の異能をあわせ持っている。「2cm」と呼ばれる異能だ。

 任意の物体を生物、非生物問わず「2cm」動かすことができる。「2cm」というのは絶対のルールのようで、本人がどんなに願っても変更できないようだ。

 魔物たちの研究によれば、トンちゃんの「2cm」は、かなり異能の本質に近いものであるらしい。

「定線」と呼ばれる独特の計算式が働いていて、対象の硬度や質量を無視した働きをする。

 つまり、一方の定線が他方の定線を圧倒した場合、わたぼこりが岩石にめり込むといった現象が起きる。

 ただし定線が上下する条件は非常に複雑かつ多角的なもので、実質的にはコントロールできない。

 この「定線」に関して、魔物たちはそうとわからないだけで、あるいは異能全般に適用される法則ではないかと見ている。


 物体干渉の異能自体が希少で、中でも目に見えるほどの効果を持つものはごく珍しい。

 史上最高峰の適応者と言っても良いだろう。

 そんな彼について、三大国家の名だたる騎士たちは「痩せれば史上最強の値はもう少し更新される。残念だ」とコメントしている。


(作者より)

バニラ様より素敵なイラストを頂きました。

「燃える峡谷」にてご覧になれます。おや、良く見ると手形のようなものが……。おっと、これ以上は言えないな……。

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