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しいていうならお前の横を歩いてるのが魔王  作者: たぴ岡
なじむぞ……! by子狸
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新たなる力

一一二、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん(出張中


 子狸が活動限界に達したところで

 この日の特訓は終了した


 その翌朝……

 子狸が行き倒れを拾ってきた


 子狸さんの証言によれば

 馬小屋で力尽きていたらしい


 太めの男性である

 年の頃は二十代の半ばといったところか


 というか……



一一三、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん


 まあ……うん



一一四、王都在住のとるにたらない不定形生物さん(出張中


 そうね……


 よくよく人間は不思議な生きものである

 弱っているものを見て好機とはとらえず

 救おうとするのは、教育によるものだ


 それが正しいことなのか間違っていることなのか

 善悪を問うことに意味はない

 

 数十億年もの歴史で築かれてきた弱肉強食のルールを

 ほんの数百万年前に現れた生物が覆そうとしている

 これは驚くべきことだ


 ストライダー


 つまり勇者さんが目を覚ましたとき

 となりのベッドに巨漢が横たわっていて

 わきの椅子に腰かけた子狸が

 ふっくらとしたお腹を布団越しに撫でていた


勇者「…………」


 彼女はコメントを控えた


 人間たちは綺麗好きな生きものだ


 お風呂に入りに行ったのだろう

 寝ぼけまなこの羽のひとと一緒に

 無言で部屋をあとにした


 魔法――とりわけ水魔法が発達するにつれて

 人類は衛生管理を強く意識するようになった


 お風呂から戻ってきた勇者さんが

 子狸のとなりに立って言葉少なに尋ねる


勇者「……彼は?」


 勇者さんは希少な剣術使いだ

 剣士の気配は極めて微小で

 そうと意識しなければ接近に気付けない


 ただし閉鎖された環境では話がべつだ

 とつぜん声を掛けられても子狸は驚かなかった


子狸「お嬢」


勇者「なに」


子狸「おはよう」


勇者「おはよう」


子狸「じつは……」


 いったん朝の挨拶を交わしてから

 子狸はためらうように言葉を切った


子狸「…………」


 なにか深刻な事情でもあるのだろうか……?

 そんな筈はないのだが……


 組んだ前足を見つめていた子狸が

 意を決して顔を上げた


 勇者さんを見上げる眼差しに

 並々ならぬ決意が宿っていた


子狸「お嬢」


勇者「なに」


 勇者さんは、話しているとき相手の目をしっかりと見る

 ふたりの視線が絡み合った

 先に目を逸らしたのは子狸だった


 前足に、もう片方の前足を叩きつけて「くそっ」と小さく悪態をついた

 うなだれて言う

 

子狸「ごめん。雰囲気だった……」


勇者「…………」


 質問に答えないばかりか

 とくに意味のない煩悶だった


 焦れた羽のひとが子狸の肩にとまる

 耳元で囁くように告げた


妖精「捨ててこい」


子狸「なんだって……?」


妖精「不必要なものを拾うな。お前の親父もそうだった……。つまらない義侠心で、余計なものを背負うのはやめろ。捨ててしまえ、そんなもの」


 勇者さんに遠慮して過激な発言を慎んでいた妖精さんが

 本性を剥き出しにしはじめた


子狸「リンっ……!」


 子狸の前足は

 ふわりと舞った羽のひとに掠りもしない


妖精「怒ったのか……? だが、お前がやっていることは、そういうことなんだ。わたしたちをないがしろにしすぎだ、ばかものめ」


 勇者さんの肩にとまって、そっぽを向く彼女に

 子狸は言い返せなかった


 羽のひとは賭けに出ている

 ここで態度を軟化してしまえば

 子狸はいつまでも同じことを繰り返すだろう


妖精「口当たりの良いことを言っていればお前は満足かもしれないけどさ。わたしはちっとも嬉しくないんだ」


子狸「おれが間違ってるって言うのか……?」


 ふたりの対立は、この世でもっとも根深い問題をはらんでいる


 飼えないのだ


 子狸が何を言おうとも

 何を言おうともだ……!


 うちで


 ペットは


 飼えない――!



一一五、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん(出張中


 子狸さんは理解していなかったのだ……!


 子狸さんがペットを飼いたいと言うたびに

 おれたちがどんな思いで見つめていたかを


 おれたちの子狸さんは

 やはり理解していなかったのである……!


 まぶたを閉ざした子狸が、ゆっくりと深呼吸した


子狸「命だろ」

 

 ベッドの上で眠る巨漢の頬を愛おしげに撫でる


子狸「赤ん坊は良くて、傷ついて弱った人はだめなのか? そうじゃないはずだ……成人男性と子猫にどれだけの差があるっていうんだ?」


勇者「だいぶ違うと思うわ」


 さしもの勇者さんも同意できなかった


 しかし子狸はかぶりを振る


子狸「違わない。そんなものは見た目の問題だ。この世には、もっと大事なことがあるんだ」


 博愛主義も度を過ぎると破綻する

 この世に確かなものなど何もないかのようだった

 

 不確かなものに価値を見出そうとするならば

 いつかきっと問われる


 社会を。秩序を築き上げてきた

 おびただしい犠牲と代償を支払って

 積み上げてきた血と肉の砦だ。憎悪の河だ

 その果てに

 人は何を手にしたのか


 羽のひとは、かつての激情に支配されつつあった

 ちいさな身体がわなわなと震えている


勇者「リン……?」


 勇者さんの声も耳に入らない様子だった


妖精「ッ……!」


 狂おしいほどの目で

 丸くふくらんだ布団を睨んだ

 完全な八つ当たりである


 殺気をぶつけられて

 布団が跳ね上がった


 漏れ聞こえたのは盾魔法のスペルだ


 巨漢が舞った

 幾つもの小さな力場を足場に

 天井すれすれまで飛び上がる


 一瞬で組み上げられた攻性魔法の構成は

 しかしこの場で披露されることはなかった

 

 空中でとんぼをきって着地する

 体躯に反した身のこなしだった

 

 反射的に飛び退いた子狸が

 とっさに勇者さんをかばった

 全身に鳥肌が立っている


 特装騎士を前にしても正面きって戦いを挑んだ子狸が

 背筋を走るものを止められなかった


 ひと目でわかったのだろう

 それは生まれてはじめての戦慄だった


 着地の衝撃を完全に殺して立ち上がった男は

 完成された戦士だった

 あるいはお屋形さまを上回るかもしれない……


 鋭い眼差しで室内を睥睨していた太っちょが

 にっこりと笑って揉み手を作った


男「やや! これはこれはアレイシアンさま……ご無沙汰しております」

 

勇者「……ええ」


 知り合いであるらしい

 らしいというか……まあ……

 勇者さんは珍しく歯切れが悪い


勇者「久しぶりね。ええと……」


 一転して卑屈な態度をとる太っちょに

 対応を計りかねているようだ


 直角に腰を折り曲げていた男が

 顔面を両手で覆って天井を仰いだ

 これほどの悲劇が他にあるものかと嘆いている


男「お忘れですか!? アトンです。しがない商人ですが、アリア卿にはごひいきにして頂いております」


 お前のような商人がいてたまるか

 しかし勇者さんはおごそかに頷いた


勇者「そうね。思い出したわ、アトン」


妖精「お知り合いなんですか……?」


 羽のひとは機嫌を直してくれたようだ

 子狸のおびえように満足したのだろう


 勇者さんは頷いた


勇者「ええ。貴族が領地を離れることはあまりないから、懇意にしている行商人は多いの。彼はその一人ね」


 しかし子狸は納得できない様子だった


子狸「商人……?」


商人「はっはっは!」


 太っちょは丸いお腹を揺すって笑った


商人「いや、お恥ずかしい。私どものような渡り鳥は、魔物に襲われることが日常茶飯事なのです」


 街から街へと旅を続ける行商人たちは

 自らを評して渡り鳥に例えることが多い


 優雅に一礼した太っちょが

 一分の隙もない営業スマイルで子狸に歩み寄る


商人「アトンと申します。姓はありません。失礼ですが、お名前をお伺いしても……?」



一一六、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん


 しがない商人ねぇ……

 まあ、本人がそう言うならべつにいいけど……



一一七、火口付近在住のとるにたらない不定形生物さん


 なんでこの太っちょは身分を偽装してるんだ?

 なんか意味あんのか?



一一八、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん


 まさかとは思うが

 こんな質の低い演技で

 おれたちの子狸さんの目をあざむくつもりじゃあるまいな……



一一九、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん


 それはさすがに無理があるだろ

 ろくに変装もしてないし

 子供騙しとは、まさにこのことよ



一二0、王都在住のとるにたらない不定形生物さん(出張中


 もちろん子狸さんは自称商人の正体を一瞬で看破した


子狸「ノロ・バウマフって言います。商人さんって凄いんですね」


商人「はっはっは。恐縮ですな、ノロさま」


子狸「そんな、呼び捨てでいいですよ」


商人「では、ノロさんと。私のことは好きに呼んで下さって結構です」


子狸「トンちゃん」


 好きに呼んでいいと言われたのでそうした

 

 トンちゃんは苦笑いを浮かべている

 少しくらい嫌がったほうが子供は喜ぶと知っているからだ


商人「可愛らしい呼び名ですな。これは参った」


 じつによく笑う男である


 その後、トンちゃんは羽のひとを絶賛した

 いかに妖精が愛らしい存在であるかを力説する行商人に

 羽のひとは困惑した視線を勇者さんに送っている

 

 勇者さんはあさっての方向に視線をさまよわせていた


商人「いや、素晴らしい。じつに可憐だ。道端に咲く一輪の花といったところでしょうか」


 そう言って美辞麗句を締めくくったトンちゃんに

 羽のひとは胡乱な瞳を向けている

 彼女は端的に言った


妖精「よく言われます。人生を見つめ直したほうがいいのでは?」


 消極的にこれまで歩んできた道のりを全否定された太っちょは

 だが、たくましかった

 姿勢を正すと、お腹まわりのぜい肉が悩ましげに揺れる


商人「リンカーさま、私はお嬢さまに大恩があるのです。あなたとは、きっと仲良くなれる」


 お嬢さまというのは勇者さんのことだろう


 勇者さんは話の輪から外れて、ベッドの端に腰かけていた

 鞘から取り出した細長い刀身を、せっせと手入れしている

 錆びないよう定期的に布でふくようにしているのだ


 窓から差し込んだ朝日のきらめきが

 他人事のように室内のほこりを照らしている


 陽の光が騎士剣の表面をすべり

 勇者さんの足元に影を落とした


 この剣が人間と魔物の合作であることを彼女は知っているのだろうか

 知っている筈だ

 勇者一行が港町で獲得した点数を

 鬼のひとたちは代償として徴収した

 じつに20ポイントもの得点だ

 ぼったくりである


 しかし、それはおれたちの早合点だったらしい


 子狸がトンちゃんと一緒に運んできた荷物の中に

 きれいに梱包された大きな箱があった


 トンちゃんは言った


商人「ノロさん、あれは君のものです」


子狸「……言われてみればそんな気もするな」


商人「私は、なにも偶然こちらに立ち寄ったわけではありません。アリア卿の依頼を受けて参上しました」


勇者「お父さまの」


 顔を上げてつぶやいた勇者さんに

 トンちゃんは微苦笑を浮かべた

 わずかな苦悩がさっと表情に差した


 しかし彼はおとなだった

 何気ない仕草で表情を隠すと

 大きな箱を両腕に抱えて持ってくる


 梱包を解きながら言った


商人「勇者に剣を。そして……」


 中から取り出したのは、新品の調理器具一式だった


商人「勇者の魔法使いに、生きる力を」


 知らず、子狸の前足がふるえた

 手渡された小さなフライパンの感触を確かめるように

 二度、三度と揺すった


子狸「軽い。これなら」


勇者「…………」


 勇者さんはコメントを控えた



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