「奇跡の子」part10
二二一、墓地在住の今をときめく骸骨さん(出張中
某所……
人気のない廃屋で
一人の少女を
不気味な人影が取り囲んでいた
小さな廃屋だ
小屋と言ったほうがしっくり来るかもしれない
雨の中を走ってきたのだろう
肩で息をしている少女は、ずぶ濡れの大きな外套を羽織っている
フードの奥で、前髪を伝った水滴が頬を濡らした
人影の一人が進み出て、片腕を差し出した
彼らもまた大きな外套を羽織っている
腕を伸ばした拍子に、袖から白い骨格が覗いて見えた
彼らは魔軍元帥に仕える特殊部隊の隊員たちである
隊員が言った
隊員A「終わりだ。投降しろ」
壁際に追いつめられた少女は
胸元に古ぼけた書物を抱えている
決して渡すまいと抱きしめる両腕に力がこもる
彼女は、かぶりを振って言った
少女「……どうして気付かなかったんだ」
自らの浅慮を悔んでいるようだった
口を衝いて出るのは悔恨だ
少女「外法騎士の技は、退魔性の働きと似ている。もっと早く気付くべきだった……」
包囲の輪を縮めてくる隊員たちを、彼女は強く非難した
少女「魔性と退魔性の融合っ……! あなたたちは知っているのか!? 魔軍元帥は、勇者を……アレイシアンさんを使って何をしようとしているんだ!」
隊員たちは、肩を揺すってあざ笑った
隊員A「勇者は最後の生贄だ。……魔界から渡ってきた魔物を、人間たちが叩く。何かに似ているとは思わないか?」
少女が、はっと息をのんだ
少女「! 秘術……?」
隊員Aは肯定も否定もしなかった
他の隊員たちに命を下す
隊員A「連行しろ」
隊員たちが無言で迫る
ひとりひとりが特装騎士に勝るとも劣らない優秀な兵士だ
少女に逃げ場はない
抵抗は無駄だった
少女から取り上げた古書に
隊員Aが視線を落とす
愛おしそうに表紙を指でなぞって諳んじた
隊員A「『全てを得るものは全てを失う』……それでいい」
一人の隊員が、彼に歩み寄って任務の終了を告げた
隊員B「副隊長」
隊員A「ああ。原典を持ち出されたときはひやりとしたが……もう全てが終わった。これで、われわれの勝ちは揺るがない」
雨は降り止まない……
二二二、海底洞窟在住のとるにたらない不定形生物さん
何してるんですか、あなたたち
二二三、湖畔在住の今をときめくしかばねさん(出張中
うるさい。放っておいてくれ
……骨っち、貸しにしておくからね
二二四、墓地在住の今をときめく骸骨さん(出張中
はい
二二五、空中庭園在住のとるにたらない不定形生物さん(出張中
策士、策に溺れるとはこのことだな
まさしく因果応報よ
二二六、湖畔在住の今をときめくしかばねさん(出張中
いつか、ぎゃふんと言わせてやる……
二二七、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん(出張中
見えるひとたちが領主の館を襲撃したのは
勇者一行を足止めするためだった
戦局の鍵を握る重要なイベントアイテムを
おそらく魔都から持ち出した謎の少女をとらえるために
この街で網を張っていたのだ
勇者一行がいかなるルートを辿ろうとも
国境付近の街であれば確実に接触できる
箱姫がそう考えたように
魔物たちもまた同じことを考えていた
勇者さんは知るよしもない
魔王軍は着々と終局に向けて手を打っている
人間たちが用意した聖木が偽物であることなど
魔物たちはとうに承知していた
人知れず大局が終焉を迎えた頃
領主の館では……
見えるひとから聖木を手渡された骨のひとが
つまらなそうに鼻を鳴らした
骸骨「くだらん。お前にくれてやる。好きにしろ」
そう言って、手元の聖木を子狸に投げて渡した
絶賛ステルス中の魔ひよこが
シリアスぶっている骨に歩み寄ってきて
くちばしの先でつついている
自律運動するカルシウムの化身に興味しんしんの様子だった
二二八、墓地在住の今をときめく骸骨さん(出張中
ちょっ……近いよ。近い
リアクションに困るから本気でやめて
どうしちゃったの、このひと……
あ、やめて、くわえないで
おーい!
二二九、王都在住のとるにたらない不定形生物さん(出張中
投げて寄越された聖木を
子狸は迷わず掲げ持った
子狸「パル」
浮かび上がったのは、無数の画像だ
これは……
巫女さんの爆破術だ
あらゆる角度から大広間を映し出している画像群……
おそらく子狸の感覚が及ぶ範囲なのだろう
子狸「ドミニオン」
妖精「えっ」
羽のひとが驚きの声を上げた
抱え持っていた魔どんぐりが、子狸の詠唱に呼応してふるえた
……果実の一斉励起か?
たまに妙な魔法を使うな、このポンポコ
土魔法は植物に干渉する魔法ではない
しかし魔改造の実だけは例外だ
では、たとえば幹から切り落とされた枝葉にはどう影響するのか
そのあたりがあいまいな魔法なのである
だから子狸は、魔どんぐりの力を借りたのだろう
前足の中で聖木が朽ちていく……
飛んできた羽のひとが
その場にいる人間たちを代表して言った
妖精「ノロくん、なにを……正気ですか!?」
役目を終えた聖木が再起動したことは一度たりとてない
それでも縋りたくなるのが人情だ
子狸は、画像群を散らしながら言う
子狸「これでいいんだ。聖剣は武器じゃない」
宝剣のレプリカは、武器としての聖剣を抽出したものだ
唯一無二の鍵としては機能しない
しかし宝剣の本質は、むしろ鍵にある
本質を見失った、いびつな聖剣を、子狸は憐れんだ
そして本質を備えた完全な秘鍵を持つ少女を見る
子狸は、どこか寂しげに繰り返した
子狸「これでいいんだ……」
人間と魔物に注目されて、勇者さんが言う
勇者「……最初から、そのつもりだったの?」
子狸は、ずっと聖木の奪還にこだわっていた
最初から破壊するつもりだったのかと問われている
つまり魔物の味方をするのかと
子狸は微笑した
子狸「カッとなってやった」
アドリブだった
勇者「…………」
その場の思いつきだったと打ち明けられて
勇者さんは返す言葉がない
追いついてきた箱姫が
押し黙っている勇者さんの表情を不安そうにうかがう
箱姫「シア……?」
空白を埋めるように
マヌさんが見えるひとに問うた
奇跡「あなたたちは、どうして人間たちと仲良くできないの?」
子狸と同じことを言っている
ところが子狸は不意を打たれたような顔をしていた
言っておくが、ずっとお前が叫んできたことである
二三0、管理人だよ
これ……か?
骨のひと、どうなの!?
きちんと答えてあげて! きちんとね
二三一、墓地在住の今をときめく骸骨さん(出張中
なんでおれだよ
というか、空のひと……
急に大人しくなったな
どうした?
二三二、魔都在住の特筆すべき点もないライオンさん(出張中
子狸さんが、おれたちに命令する日が来るなんて思わなかった……
二三三、管理人だよ
驚かせてごめんな
じつは管理人なんだ
二三四、かまくら在住のとるにたらない不定形生物さん(出張中
沈黙が落ちた
人間と魔物が一堂に会しているにも拘わらず
いまこの場では暴力ではなく
言葉だけが力を持つかのようだ
大魔法を連発して消耗し尽くした影使いに
護衛さんが仕方なさそうに肩を貸している
影使いは礼を言うのも忘れて、奇跡的な光景に見入った
持ち場に戻ってきた側近さんを、タマさんがよくやったと言うように背中を叩いた
乱暴な所作にふらついた側近さんが見上げると
タマさんは正面を見据えたまましっかりと頷いた
騎士たちは、敵勢力を前にして決して警戒をゆるめない
しかし喚声を吐き尽くした喉は枯れはて、あとは言葉を待つばかりになっている
戦闘を継続できるだけの余力は、すでにないだろう
魔物たちは動かなかった
勝利を目前にして撤退するのは御法度である
しかし戦場のルールは常に変わる
いまこの瞬間、魔物たちは一枚のカードを切ったのだと
いったいどれだけの人間が理解しているだろうか?
魔物たちが地上で活動するためには魔力を要する
彼らが人類と敵対するのは、より多くの魔力を徴収するためである
せっかくの魔法使いを再起不能に陥らせるのは本意ではない
だが、そんなことはわざわざ口にする必要のないことだ
骨のひとが言う
魔剣をおさめると、惜しむように火の粉が散った
骸骨「失敗したからだ」
奇跡「……しっぱい?」
骸骨「そうだ。打ちのめされて、一度は挫折した。そして気付いた……」
舞い散る火の粉が、骨のひとを照らしている
夕焼けのようだった
骸骨「…………」
ぽっかりと空いた眼窩が、マヌさんを見下ろしている
骸骨「三つの門、四つの試練、六つの鍵。……お前が“鍵”なのかもしれん」
……おれたちは決定的な思い違いをしているというのか?
奇跡「……?」
マヌさんはさっぱりわけがわからないといった様子である
そりゃそうだよ
子狸「……?」
おれたちの子狸さんも同様だ
お前には最初から期待してない
というか、お前がきちんと答えてって言うから
骨のひとは誠意を示したんだ
その挙句がこれだよ
二三五、墓地在住の今をときめく骸骨さん(出張中
べつにいいです
ここまで来たら、どうせ隠す意味もあんまりないし
二三六、山腹巣穴在住のとるにたらない不定形生物さん(出張中
でも勇者さんはきちんと理解してくれた
勇者「……王種?」
すごいな。ほぼ正解だ
たぶん、ずっと疑問に思っていたのだろう
魔都に通じるゲートが三つなのはどうしてなのか
魔王を守護する都市級は四人いる。なぜ四人でなければならないのか
それらは最初から定められていたことなのだ
王種は人間たちの味方ではない
人間たちが魔物に打ち勝てるだけの力を願ったように
魔物たちは宝剣へと至る筋書きを欲した
しかし精霊たちは王種の庇護下にある
そして光の精霊は人間たちの味方をしている
だから魔物たちは、人類の代表者が魔都へと行き着くことを望んだ
骸骨「…………」
へそを曲げていた骨のひとが、少し機嫌を良くした
骸骨「時間は残り少ないぞ、勇者よ。われわれの王は、あまねく精霊に認められる存在になるだろう」
魔王は人間に近しい存在である
すなわち豊穣属性にも通じるということだ
妖精「……!」
はっとした羽のひとが、きょとんとしている子狸を見る
ナイスフォローだ
骨のひとは、ますます上機嫌になった
骸骨「そう……。バウマフ家の人間がそうであるようにだ」
勇者「…………」
勇者さんは答えなかった
最後に、骨のひとは振り返って子狸に言った
骸骨「魔軍元帥から言伝を預かっている」
子狸「まぐんげんすい」
危うい
骸骨「しっかりと勉強しろ。話はそれからだ」
敵軍の総大将から偏差値を心配されていた
子狸「ふっ、その油断が命取りになるぜ」
勉強しなさい
注釈
・原典
ここで言う「原典」とは、魔物たちが書き記したとされる古文書『ハイリスク・ハイリターン』の原本であると思われる。
23章からなる反省文であり、王国歴53年に旧魔都の跡地から写本が出土されている。
その後、各地で写本が幾つか発見されている。
公式に原本が発見されたという報告はなされておらず、じつは最初に発見された写本が原本である(写本という体裁をとっていたに過ぎない)。
つまり原典は実在しない。
表紙に古代言語で「全てを得るものは全てを失う」と書かれているらしいが、これを人間たちは「多くを得るか、大きく損なうか」という意味で解釈した。
一方で、表紙の一文はタイトルではなく、最初の一文であるという説もある(当時、書物の表紙に題名を入れるのは普遍的な決まりではなかった)。
しかし真相は異なる。
この魔物たちの反省文は、こきゅーとすのひな形である。
表紙の一文は注意書きであり、意訳すると「希望を捨てよ」と書いてある。
つまり反省文を提出しておきながら、魔物たちはまったく反省していなかった。