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 67 波立ち始める
 これだけ多くの人がいる京で,待ち合わせもしないで会えた偶然に驚いていると,秀全(しゅうぜん)は苦笑いをした。

「人垣の出来てる所を見てけば判るさ。諦めた楽師も多いから音も少なくなってきたからな。それよりも見物人が多くて苦労したよ」

 やれやれとハルンツとリリスの向かいに座る。確かに,足元がうっすらと砂埃を被っている。その軽装で,近郊からの物見遊山の客に見える。
 裾をポンと払い,ハルンツの茶碗に手を伸ばす。

「クマリは商いでよく来てるんだけど,これだけ人が多いと歩くのも大変だね。棒振りの蕎麦屋も細工飴屋も見世物小屋も増えてるし,さっきは『深淵(しんえん)の御触れ事』も見かけたぞ」
「『深淵(しんえん)の御触れ事』? 」
「知らないのか? そうだな。お前の里,すんごい田舎だもんな。つまりさ,もうすぐ凶事がくるとか言って,ただの水を聖水って偽って売りつけるゴロツキの奴さ。吉兆の触れ事って文句にした方が売れそうだけどなぁ……。ま,色んな輩が集まってきてるよ。色んな噂も」

 秀全(しゅうぜん)の言葉は半分しかハルンツには理解できない。とにかく,クマリの京で見るモノ聞こえるモノ,全てが初めてなモノばかりだ。

「さっきの人垣で小耳に挟んだけど結構な噂になってるみたいだぞ。李薗(りえん)の皇子が連れてきた楽師達は大層な腕前だってね。あと,エリドゥの噂もあるんだけど,とりあえず旦那様からのお願いからいこうかな」

 勝手にハルンツの茶を飲みながら,秀全(しゅうぜん)はハルンツ達に出された餡子餅に手を伸ばす。大きな口で一口に頬張り,餡子の控えめかつ口解けのよいさっぱりとした甘さを堪能した。もこもこと賛美の言葉を餅でいっぱいの口から語ると,新しい茶碗を持ってきた先の娘が苦笑しながら「新しい小皿,持ってきますわ」と奥へ行った。これだけの食べっぷりで褒められれば,誰もが嬉しいだろう。
 思わずハルンツが口元を綻ばすと,秀全(しゅうぜん)と目が合う。その奥に安心の色を見て,脳裏に何時かの夜明けがよみがえる。
 初めての術比べを前に,「大丈夫」と励ましてくれたのは秀全(しゅうぜん)だった。この人は,いつも人を気遣っている。
 ボクは,いつも,甘えてばかりだ。
 こんな風に,さりげなく相手の心を和ませられるように,なれたらいいのに。
 秀全(しゅうぜん)は口の中を茶で流し込むと,リリスに向き合う。
 

「衣装の提供をしたのが劉浩芳(りゅうこうほう)の店『三和屋』って宣伝したいんだよ。もちろん,今は事だから,全て円満解決したらって事で。どうだろう。宣伝していいかな」

 事とは,エリドゥ王国との戦の気配だろう。それが解決したらって事だが,思わずハルンツも顔を上げる。

 「……構わないけど。なんで?」
「儲かるからさ。決まってるだろ」

 戸惑っている二人を前に,秀全は胸を張った。

 「奏者候補となれば,その姿を一目見ようと大勢がお前達の演奏を聴きにくるだろ。その姿も見るわけよ。となれば「あの着物を着れば,私もあんな綺麗になるかしら」とか「ウチの人にも,あんな帯したらあの兄さんみたいに男前になるかしら」って,思うもんさ。そこで,衣装提供は三和屋と判れば,同じ品を欲しがる客が押し寄せる……と」
「そんな訳ないでしょ」
「いんや。旦那様はもう,似たような色の帯やら反物をかき集めてるよ。絶対読みは当たるって」

 という事は,衣装を提供したあの時に考えていたかもしれない。
 浩芳(こうほう)の先読みに,改めて感服。商売に繋げるその根性は凄い。でも,とハルンツは思う。

「奏者候補になれるかも判らないのになぁ」

 思わずハルンツが呟くとリリスが頬を抓りあげる。

「なるの。奏者候補には絶対なるの! そんな事いう口はこうよっ」
「しゅ,しゅいませんっ」

 平謝りを繰り返すハルンツを見て秀全はひとしきり笑い,頷く。

「自信もて。旦那様の読みが外れた事はないんだから。けどまぁ……とりあえず,マダールさんだな」

 秀全は二個目の餡子餅に手を伸ばしつつ,すっかり往来の中の彫刻になっているマダールに視線を向ける。
 唯でさえ人通りの多い所なのに,マダールに見蕩れて歩みを止めたり,中には一旦通り過ぎてから,戻ってきてうっとりと眺める輩までいる始末だ。
 陽に当たり黄金色に輝く髪,日に焼けて赤銅色を思わせる肌,物憂げに伏せられた長いまつげの奥の緑の瞳,この世の向こうを見ているかのような視線,さらに漂う儚げな悲しげな雰囲気。
 見る者に作り物かと不安に思わせる美しさがある。その証拠に,マダールが時々溜息をつく度に,往来から安堵の声が漏れる。
 「いっそ,マダールの前に賽銭箱でも置こうかしら」とリリスがうな垂れた。
 確かに,この見物人の多さと関心の多さなら「物憂げな美少女見せます」で一儲けできそうだ。

 「失恋病ってとこか」
「重症よ。もう……時間がないのに」

 そう,この病は時間が癒すものだが,肝心の時間がない。

「さっき通りで聴いた演奏は滞りなくって感じだったけど,これじゃあ心配だよな」
 
 餡子餅を口に入れ,指先についた餡子をしっかりと舐めた秀全(しゅうぜん)は,その手で側に置いていた包みをリリスに渡す。結び目を解き蓋をずらすと,楽器の弦に使う絹の糸が陽の光を反射した。

「旦那様からの差し入れ。例の人からのもある。少しはマダールに効くといいな」
「げ……例の人からの? 」

 思わず「玄徳(げんとく)さん」と言いそうになり,ハルンツは口を閉ざす。こんな往来でその名を軽々しく言う事は危険だ。
 リリスは,そっと箱を受け取り頷いた。おそらく玄徳(げんとく)からの手紙。これほどマダールに効くものはないだろう。その字や香りに触れる事が辛くても,その苦痛がマダールを現実に引き戻すキッカケになる事は間違いない。

 「それよりハル,お前の方が重症じゃないのか」

 突然,話は振られた。思わず自分の後を振り返ると,その頭に秀全(しゅうぜん)の拳骨が落ちてきた。

 「ハルだ。お前のことだ。あいかわらずボケてんなぁ」

 涙目で睨むと,秀全が特大の溜息をついた。

「お前さぁ,いい音出してるのに切れ味悪いんだよ。演奏慣れしてないのは判るけどさ,こう……もう少し装飾的な技術で華やかに出来ないかな。不規則な転調に追いついてないしさ。余裕がないから,演奏がビクビクしてんだよ。音が綺麗なだけに,すんごく勿体無いぞ」

 いきなり,ハルンツへの演奏批評の場となってしまった。しかも,言われる言葉がハルンツ自身気になっているのに出来ない事ばかり。
 その的確かつ遠慮のない指摘に,文句を言おうと開きかけた口も閉じる。秀全の言う事はもっともだ。これは,事実。そう自覚するほど,肩は下がり目線は地面を掘っていく。

 「はっきり言って,リリスさんとマダールさんに追いついてない……あ,言いすぎた?」
「いいわよ。この際,きっちり言ってちょうだい。よかったわ,あなた話が判るじゃないの」
「あんま,気が合いたくないけどなぁ。おい」

 切れのいい軽口の応酬が,突然途切れる。

 「なぁ,通りの向かいの飯屋の軒先の二人組,ずっとこっち見てる」

 唐突な言葉に,顔を上げる。その言葉の意味が判らず,二人の顔を交互に見ると,「変らずにいろ」と秀全(しゅうぜん)が口を開けずに小声で囁いた。
 リリスが茶碗を口元に運びながら笑顔で囁く。

 「巡礼者の格好してるけど,ヤケに小奇麗よね。ハルちゃん,あいつらの周りに変な精霊とかいないか見てちょうだい」

 リリスの言葉に,薄布の向こうへ目を凝らす。
 邪魔だった薄布のお陰で,視線を悟られずにすむのは,有難い。急な緊迫感に喉の渇きを覚えながら,そっと頭を動かさず様子を伺う。
 風の精霊がひらり,と通りを舞っていく。その光景はいつものものだ。だが,その舞う勢いに違和感を感じた。
 こんなに穏やかな通りなのに,外套を頭から被った彼らの頭上をくるくると回っては離れる事を繰り返している。

 「風が,お酒飲んで酔っ払ってるみたいだ」

 そう呟くと,リリスが秀全に目配せをした。

「美味かったよ。勘定,ここに置いとくから」
「楽師さんたちは俺のオゴリだ。またいい音聞かせてくんな」

 秀全(しゅうぜん)は何もなかった顔をして,奥からの声を受けながら,素早く懐から小銭を茶碗の横に置いて立ち上がる。見れば四人分を払っていくようだ。
 慌てて懐に手を伸ばすと,無言で秀全(しゅうぜん)に手首を引っ張られる。という事は,オゴリなんだろうか。

「毎度ぉー」
「贔屓にしておくんなさいましー」
 
 景気のよい声を背中で受け,秀全(しゅうぜん)はハルンツの腕を取るようにして歩き出した。
 リリスも片手で器用に楽器を背中に背負い,片手でマダールを引っ張って追いかける。そして,見物していた男性達の溜息が残される。

 「来た来た。ついてきてるよ」

 リリスの嫌そうな声に,秀全(しゅうぜん)は舌打ちする。

 「まいったなぁ……こんなに早く動くなんて。噂は本当か」
「噂って,あの,何が起こったの? まだ正体がばれた訳じゃないし,落ち着いていこうよ」

 正気に戻ったマダールが,リリスから二馬線を受け取り背中にくくる。ハルンツも秀全(しゅうぜん)に片腕を掴まれたまま,三線を素早く背中にくくりつける。

「あいつら,多分エリドゥの呪術師よ」

 人の流れに逆らうように大通りへと歩いていく。走り出したい気持ちを抑えているのだろう。秀全(しゅうぜん)の手が,きつくハルンツの腕を掴んだままだ。

「なんでエリドゥって判るんだよ。深淵(しんえん)の神官かもしれないぞ」
「風笛を使うのは,エリドゥ王国側の呪術師だけよ。深淵(しんえん)の流れを汲む主流は自らの声で呪術を行うけど,王国側は小道具使うの。酒に酔ったみたいなのは,笛の音で陶酔させて操ってるだけなのよ」

 さすが,神殿で稚児をやっていただけはある。その知識に,賛美を送ろうと振り返ると睨んでくる。

「共生者かどうか,カマかけてくるかもしれないわよ。絶対に喋らず興奮せず,ね。早乙女祭みたいになっちゃだめ。もう……何があったか知らないけどねぇ」

 リリスの言葉に,鼓動が一瞬止まりかける。
 コムに会ったあの日,悲しみの感情で水の精霊を惑わせてしまった。あの霧雨が精霊の涙だと,リリスは気付いていた。

「取り合えず,大通りに出るぞ。人目があれば手は出してこないだろうし」

 秀全(しゅうぜん)はそう囁き,人波の逆らい歩いていく。





 



 
 文中の『深淵のお触れ事』は,江戸時代の『鹿島の触れ事』を借用しました。違っていたらすみません。
  


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