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-恐怖夜話-
作:水樹裕



4-自動販売機


 その日は二月にしても、特別に寒い日だった。

 午前二時。

 気味の悪いほどの青白い満月が、田圃たんぼの中、真っ直ぐ続く広い農道に、煌々とした光を投げかけていた。 

 車の代行業を初めて半年。
 夜の車の運転にも大分慣れたなと思いつつ、田口勝たぐちまさるは快調に車を走らせていた。

 遠方の客を家まで送り届けた帰り道。
 田舎の一本道には対向車も無く、月の光が黒々とした山陰を浮かび上がらせている。

 薄気味悪い夜だな。狐か狸にでも化かされそうだ……。

 勝は心のなかで一人ごちると胸ポケットをまさぐり、片手で器用に煙草を一本取り出して口にくわえた。
 いつもの勘で、手元を見ることもなくシガーライターに手を伸ばし、ポンと押し込む。

 助手席にチラリと視線を走らせると、今日の相棒の坂崎守さかざきまもるが、カーラジオから聞こえる音楽を子守歌にして、気持ちよさそうにいびきをかいて眠っていた。

 不況の余波で、この代行業も随分と売り上げが落ち込んだ。数年前に施行された代行業の許可登録制度も、それに拍車を掛けていた。
 乗客を乗せるタクシー業には普通免許の他に二種免許が必要だが、その必要がない代行業は、急なリストラで路頭に迷うところだった勝には救いの主だった。

 女房とまだ幼い二人の子供を抱えた一家の大黒柱。
 三十歳と言う年齢を考えれば、もっと堅実な仕事を見付けた方がいいのだが、妙にこの仕事が性に合っていた。

 昼勤の普通のサラーリーマンから夜勤の代行業への転職は、確かに最初は辛かったが、慣れればどうと言うことはなかった。何よりも、対人関係のストレスがサラリーマン時代とは比べ物にならないくらいに減ったのだ。

 たまに、たちの悪い酔っぱらいに当たって手こずる事はあっても、営業で胃薬を飲みながら接待浸けの毎日を送っていた事を思えば、何でもなかった。

 カチッ。

 シガーライターの鳴る音にはっと我に返る。

 危ない危ない。
 いくら空いた道でも、油断は禁物。

 夜道を飛ばして走る代行業者が起こす事故は、大きくなりがちで、悲惨な死亡事故も少なく無かった。勝は、背筋をぐっと伸ばして、前方に意識を集中した。

 しばらく行くと前方数十メートルほど先、道路の左端にポツンとジュースの自動販売機が立っているのが見えた。

 そう言えば、喉が渇いたな……。

 急に、何か飲みたい衝動に駆られた勝は、バックミラーで追従車がいないのを確認して、自動販売機の前にすっと車を止めた。

「おい、坂崎。自販機があるけど、何か飲むか?」

 一応、声を掛けてみたが、熟睡してしまったのか、坂崎は相変わらず高いびきで眠っていた。

 まあ、いいか。

 勝は、ズボンのポケットに小銭が入ってるのを確認して、車の外に出た。

 ヒヤリ――。

 暖かい車内から出た途端に、ぞくぞくっと寒さが背筋を這い上がってくる。

「うわっ、こりゃ寒っ……」

 呟いた息が、白い。
 路肩の土には霜柱が立っていて、歩くたびに『ざくっざくっ』と音が上がった。

 こりゃあやっぱり、ホットコーヒーにするかな。

 そんなことを考えながら、自動販売機の前に立って百円玉を投入口に入れようとしたその時、

 こつ、こつ、こつ――。

 靴音が、聞こえた。

「え……?」

 一瞬、聞き違いかと思って、勝は耳を澄ました。

 こつ、こつ、こつ。

 やはり、靴音だ。
 昔、サラリーマン時代に良く聞いた音。
 革靴。それも、女性のハイヒールがアスファルトを歩く時に発する独特の靴音。

 勝は、ぐるりと周りを見渡した。
 ちらり、と、視線の端に何かが引っ掛かった。前方だ。

 車のヘットライトに照らされた前方から、女が歩いて来る。
 ぼんやりとして良く見えないが、OL風のスーツを着たハイヒールを履いた女のシルエットだけが、浮かび上がった。

 ゆっくりと、勝の方へ歩いて来る。

「な、何だぁ? こんな真夜中に、こんな人気の無い農道を、何でOLが歩いてるんだ?」

 あまりにも非常識なその光景に、ジュースを買うのも忘れて勝は見入ってしまった。
 徐々に女が近づいてくる。

 ゴクリ――。

 唾を飲み込む音が、シンとした闇夜にやけに大きく響いた。

 こつ、こつ、こつ。

 そのスピードは一定で、遅くも速くもない。
 
 近づいてくる。

 確実に、女は近づいて来ていた。

 白っぽいスーツのスカートの裾が、ひらひらとひらめいていた。

 女の顔の輪郭が浮かび上がる。

 笑っている。

 見えないのに、何故かそう確信した。

 ふわふわと、歩くたびに軽やかに舞い上がる、ウエーブの掛かった長い髪。もう、すぐそこまで来ている。

 ヤバイ――。

 そこで初めて、勝の脳裏にチラチラと危険信号が点滅した。

 慌てて逃げようとした。だが、地面に縫いつけられたように足が動かない。

 こつ、こつ、こつ、こつ、こつ。

 だ、だめだっ!

 勝が、ギュッと目を瞑った瞬間、パパーッ! と、耳をつんざくようなクラクションの音が夜の静寂しじまに鳴り響いた。

「田口さんっ! 早くっ!」

 その叫び声に、勝は一気に呪縛が解けた。
 すぐそこまで来ている女には目もくれずに、一目散に車に駆け込む。

 間髪を入れずそのまま急発進をし、スピードをぐんぐん上げていく。思わずチラリと視線を走らせたバックミラーには、自動販売機の前に佇む白い人影が見えた。

「田口さん! 田口さんっ!」

「え?」

「スピードを落として、もう大丈夫ですよ」

「あ。ああ……」

 坂崎の声に、勝は踏み込んでいたアクセルをゆっくりと戻した。
 もう、バックミラーには、自動販売機は見えない。

 対向車とすれ違い、人家がちらほらと視界に入る。そこで、やっと勝は大きく息を吐いた。

「なあ、坂崎。さっきの、あれ……見たか?」

「……ええ。見ました」

 薄気味悪そうに答える坂崎の表情を、バックミラー越しにチラリと見やる。

「俺には、白いスーツを着た若いOLに見えたんだが、お前は何に見えた?」

「女? 女に見えたんですか!?」

「ああ。髪の毛の色までくっきりと見えたよ……」

「俺には、白っぽい影のようにしか見えなかったんですけど……」

「けど?」

「白いハイヒール。それだけがやけにはっきり見えたんですよ……」

 思い出したように坂崎が『ぶるっ』と、身を震わせた。

「目が覚めたら車が止まって、田口さんはいない。ひょいと横を見たら田口さんがボウッと突っ立って前を見詰めてる。んで、俺もそっちを見てみたら、白いハイヒールだけが闇にチラチラ浮かび上がって近づいてくる。もうこりゃぁヤバイっつんで、クラクションを鳴らしたんですよ」

「そうか……。ありがとう、お陰で助かったよ」

 もう二度と、こんな思いはゴメンだ。もう、このルートを使うのは絶対止めようと勝は固く心に誓った。

「でも、あんな所で何をしてたんすか?」

「えっ? 何って、喉が渇いたから、自販機でジュースでも買おうと思って……」

「……田口さん」

 言い辛そうに口ごもった後、坂崎が口を開いた。

「さっき、田口さんが立っていた所に自販機なんか無かったですよ」

「えっ……?」

「あそこに立っていたのは、お地蔵様です……」



 後に勝は、昔その界隈で、銀行強盗に連れ回された女性行員が惨殺されたのだと言う噂を聞いた。
 だが、その行員があの女だったのかは分からなかった。

 ただ、あれ以来、代行の仕事の時は必ず自前の水筒を用意して、決して自動販売機で飲み物を買う事はなかった。


 
―おわり―



 












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