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星空の向こうから
作:子鉄


桜は小学三年生。
タクシー運転手の父親清一と二人で暮らしている。
母親は2年前、病気で他界した。

今では立派に主婦業を勤め、朝夜なく忙しく働く父親を支えている。
桜には生れつきアレルギーがあり、その体は肉や動物の脂を受け付けない。
その為、食卓に並ぶのはいつも野菜や白身魚が多く、疲れて帰る父清一には物足りないであろう食材達であったが、娘が心を込めて作る食事は彼の気持ちと体を満足させた。
桜が一番得意にしたのがカレイの煮付けで、亡くなった母親の静香に初めて教わった料理である。
何度食べても飽きない、自分の心に染み付いた味、愛娘が作ってくれるおふくろの味だ。
            


――


「あれ?桜・・・・・・」              

清一がタクシーを走らせていると、愛娘桜が帰宅中のようであった。

「おーいっ」                    

窓を開け、体を乗り出そうとした時、遠くから何人かの子供たちが走ってきた。

「やーい、アホの桜」
「今日も給食残して怒られてたな」
「母無し子やーい」                
「いっつも同じセーター着るなっ」

二言三言、品なく笑いながら自分が言いたいことだけをぶちまけると、悪ガキ達は順番に桜の頭をこづきながら走り去っていった。

「あのガキ共っ」

遠くからクラクションを鳴らそうと拳を握った。
しかし、ふと娘を見て思い止まった。
娘は一粒流れた涙を袖で拭くと、強い目で前を見てまた歩きだしたのだ。

あんなに小さいのに、こんなにも強くなろうとする我が子を見て、全身に電流が走った。
小さいんだから泣けばいいのに、女の子なんだから守られなければいけないのに。
清一はいつも元気で朗らかな娘の笑顔を思い出し、自分の無知と無力を知る。



――


「お父ちゃん、お疲れさまでした。今日はお給料日だから、お肉を焼いたの。たまにはいいよね」        

夜、自分を出迎えてくれた桜は何事もなかったように、元気に玄関まで走ってきた。
子供ながらに気を使ったのであろう、焼いてくれた牛肉をテーブルに置くと、自らの前にはさんまの塩焼きを置いた。

一匹のさんまを手順よく、きれいに食べる娘はその日あった出来事を笑いながら話した。

「桜・・・・・・辛いことないか?」

「うん?なんも」

「そうか、今度の非番の日、緑が丘の遊園地行こうな」                     
「本当?やったー」

そう言い橋を置くと、小走りに冷蔵庫に駆け寄り、瓶ビールを一本取り出した。

「お客さん、今夜はサービスしちゃいます」

桜は渡したグラスに並々とビールを注ぐと、ニコニコしながら父がおいしそうにそれを飲み干すのを見ていた。

「あのな、何かあったら言ってな?」

「ん?なーんも」

「そっか」

グラスを置き、ほほ笑みながら頷くと晴一はハンガーのコートを手に取った。

「ちょっとタバコ買ってくるよ」

「うん、早くしないと野球始まっちゃうよ」


うれしそうに見送ってくれる娘にギュッと親指を立てると玄関の戸を開いた。





――ピンポン

「はーい」

自宅から五分程の所にある一軒の民家の呼び鈴を鳴らすと、清一は大きく息を吸い込んだ。     
自分のところとは比べ物にならない立派な家である。

「どちら様ですか?」

裕福な家から出てきた主婦は、清一が女房に一度も与えてやれなかった、一目で高そうだと分かる服装をしていた。            

「こんばんは、お宅の子と同じクラスの桜の父親です」

「あー、二丁目の八島さん?タクシーの」

「そうです、タクシーの」 

「呼んでないと思うけど何かしら?」

何事もないようなその主婦の態度に少々拍子抜けしたが、自分の重い口を無理矢理開いた。     

「お、お宅の子が、桜をいじめてるんです。止めさせてほしいんです」             

清一は地面とでも話すように下を見ながら言った。

「はっ、何を言うかと思えば。うちの子がそんな事するわけないでしょう、バカバカしい」     

「私は自分で見たから言ってるんです」

「お宅の子もそう言ってるの?」

「桜は何も言いません。今日も笑顔で私を出迎えてくれました」                

「じゃあ何で・・・・・・」

「俺は、俺は見たんだっ。お宅の子がうちの子にひどい事を言って叩くのを」           

「はあっ、らちがあかないわね」

主婦はため息を一つつくと自分の子を居間から呼び寄せた。                   

「今このおじさんの話聞いてたわね?そんな事したの?」                    

「してないよ」

先程自分の子をいじめたその少年は、悪びれる様子もなく、また、手にしているゲーム機から目を逸らすこともなく答えた。

「ね?分かったら帰ってちょうだい」

人と話すのにゲームから目も逸らさないその子供を見て何も思わないのか、「してない」の一言で全てが済むと思ってるのか、その母親は事も無げに言い放った。
        
「でも見たんだ、その子がうちの子を叩くのを。汚く罵るのを」                 

「近所に迷惑なんでもう帰ってちょうだい。タクシー呼ぶときはお宅に電話してあげるから、さあ」 

「い、今はタクシーの話しなんかしてないっ。なにより、なにより大事な娘の話をしてるんだ、ふざけるなっ」

酒のせいか、普段は温厚な清一は興奮しながら下駄箱の上を叩いた。

「なっ、なんですか、あなたは。警察呼びますよ」

「警察でもなんでも呼べ、軍隊だろうがヤクザ者だろうが、あ、ああ、何でも来い。娘は俺が守るっ、おい、今度やってみろ、お前もお前の子供もただじゃすまさないからなっ」

まるで飼い犬にでも噛まれたかのように、驚きと怒りで目を大きく見開いた母親は、一時も目の前の男から目を逸らすことなく電話の受話器を取った。

「警察ですかっ、一丁目の山下です、わけのわからない男が騒いでますのですぐ来てください」   




――
二時間後、すっかり暗くなった寒空の中、事情を考慮されたことと、身元を引き受ける者がいないことから、清一は一人取り調べ室を解放された。

「お父ちゃん」

寒い中、サンダル履きで駆け出してきた我が子は懸命に白い息を吐きながら自らのもとに駆け寄ってきた。

「どうしたのさ、こんな遅くまで」

「ん、ちょっと道に迷っちゃってさ」

「えー、運転手さんが道に迷ってちゃ世話ないね、ふふふ」

「ふふっ、そうだな」

笑いながら娘の肩に手を置くと、晴一の目はすっかり優しいそれに戻っていた。

「久しぶりに肩車してやろうか?」

「えー、いらない」

「何だよ、前は喜んだのに」

「もう子供じゃないし、スカートだし」

「かっ、すっかりレディーてか」

「うん、桜はレディー」

「かー、母ちゃんが聞いたら喜ぶな」

「聞いてるよ」

「聞いてるよな」

二人が無意識に夜空を見上げると、冷たい空気を浴びた星はいつもにも増してキラキラ輝いていた。

「桜、いつもありがと」

「え?なーに急に」

「ん?いや、ありがとな」  

「うん、ありがと」



母静子が亡くなった二年前の冬、自分の母親はどこに行ったと娘から問われた清一は空を指差し、星になって自分達を見守ってくれてると説明した。
その時のオリオン座が、今年も同じ位置で同じ形で二人をやさしく見つめていた。     冬が去り春が来てまた新しい星が夜空を照らしても、いつまでも消えることのない思いがそこにあることを二人は知っている。    


見えますか?













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