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25。 カエデの魔法
カエデ『……………。どうしてですか……?』

「…オレはあいつのために…何もしてやる事ができませんでした…。それなのにあいつは……あの日から毎晩、夢の中に出てきてオレに微笑みかけてくれるんです…。ただひたすら泣いているオレに『がんばって』って微笑みかけてくれるんです……。」

 悲痛な想いでタカシを眺めるカエデ。

「…ナナコは…オレと出会って…幸せだったんでしょうか…?」

カエデ『…………。』

 カエデが再び写真に目を落とす。



カエデ『…そんな事も分からないんですか…?私は、タカシさんとユカちゃんを見れば、手に取るように分かりますよ…。』



 カエデがタカシに微笑みかけ、ナナコの写真を手渡す。


“…私は、あなたと出逢えた事が一番の幸せです…。”


 写真を手に取った瞬間、確かに聞こえたナナコの声。タカシの頬を大粒の涙がこぼれ落ちた。



「ナナコ…オレは、君と出会えた事を誇りに思う…。こんな頼りないオレに黙って付いてきてくれてありがとう…。なあ、ナナコ…オレはお前にいっぱい思い出を、つくってやれたか…?足りないよな…?人生のアルバムの半分も埋められていない…。何十年後になるかは分からないけど……また…一緒に暮らそう…。そして…また…色んな思い出を一緒に作ろう…。


なかなかちゃんと言ってやれなかったけど……ずっと…ずっと…
……愛してます……。」


カエデ『…タカシさん…。』


 隣の部屋で遊んでいたユカがタカシの元へ駆け寄ってきた。

「パパ…どうしたの…?」

 タカシは涙を拭いユカをぎゅっと抱きしめる。


「…んー?夕飯の買い出しするの忘れてたなって思ってさ。」

「だめだなあ、パパ。ユカがしっかりしないとね。」

「ハハ。ありがとな。…ってそもそもユカがいなくなっちゃうからだろうが。」

「………だって…。」


「……だって、何だ…?」



「…ママが…帰ってくると思ったんだもん…。」



 驚いたようにカエデがユカに目を向ける。

「…やっぱり…そうか…。」

カエデ『…どうゆう事ですか?』


「…去年の、ちょうど今日なんです…。ナナコが亡くなったのは…。」


カエデ『…え………。』


「そんな日に、妻と瓜二つのあなたと出会った…。これは…ただの偶然なんでしょうか…?」

 カエデは返答に困っている。


「いえ…必然な…偶然です…。」


ヒツゼンナ…グウゼン…。


 その時の私はまだ、その言葉の意味を理解できなかった。

−−−−−

−−−




−金曜日、休み時間−


−−
−−−

カエデ『いつ…出発されるんですか…?』

「金曜の午前中には出ようと思っています。」

カエデ『……そう…です…か…。見送りには行けません…。学校があるので……。』

 カエデの表情が暗くなる。私の中のしぶとい天の邪鬼が私の本心を隠す。

「……お気持ちだけで充分ですよ…。」


−−−
−−



 カエデは頬杖をつきながら外を眺めている。

カエデ(もうすぐ出発の時間かな……。)

まりあ『どうしたのよ?カエデ。何か考え事?』

カエデ『ちょっとね……。』

まりあ『ふーん。
それよりさ、聞いてよ。
私この前、ヂブリの“チビとデブのハゲ隠し”のDVDが欲しくて、買おうかどうか悩んでたの。でも買っても観ないだろうなとは思ったんだけど結局買ったんだ。だけどやっぱり観なくてさ、大人しく鬼束ちひろの歌唱力が落ちた件について考えていればよかったよ。ゴォーイノォーゴォーイノォーどぉーかえぇー。』


「everyhomeいい歌だよね。」

カエデ『何が言いたいのよ?』

まりあ『だから、結局、買っても買わなくてもどっちにしても後悔したのよ。でもさ、どうせ後悔するなら我慢してイライラするよりは、買って満足して後悔する方がいいって私は思ったのよね。』


カエデ(…我慢して後悔、満足して後悔……。)


まりあ『後悔の意味も変わってくると思うし。』


 決心したカエデは席を立つ。


カエデ『ごめん。私ちょっと行かなきゃいけないとこがある。』


まりあ『え?着いていこっか?』

カエデ『ううん、大丈夫。ありがとう。』

まりあ『…分かったよ。先生の方は任せて。ね、シイナ?』

 シイナはどこか上の空であさっての方向を向いている。

まりあ『ねえ?』

 シイナはどこか上の空であさっての方向を向いている。

まりあ『おい。』

シイナ『え?あ、うん。そうだね。やっぱりまだ坂井泉水が亡くなったなんて信じられないよ。最後まで謎めいた人だったな…。オレが一番好きなのは、やっぱり“さわやかな君の気持ち”かなあ。ご冥福お祈り申し上げます。』


一同『ご冥福お祈り申し上げます。』


まりあ『ほら!もたもたしてると次の授業始まっちゃうよ!』
カエデ『そ、そだね。じゃあすぐにヘリ呼んで……。』



“だめだなあ、パパ。ユカがしっかりしないとね。”



カエデ『やっぱり…(今日だけは)自分の足で行かなきゃね…。』

 教室を飛び出すカエデ。


まりあ(がんばれ…。カエデ。)


 シイナは思いつめた表情でまりあを眺めている。

シイナ(……何だかなあ…。)


キーンコーンカーン。


ガラッ。

「はーい呼ばれて飛び出てズバババーン。席についてー。授業始めまーす。あれ?今日欠席はいないはずよね?そこは?」

まりあ『小林武史の魅力について探りたいと思います。』

「答えになってないよ。」


−−−−−

−−−



 タカシは手荷物をタクシーのトランクに詰めている。

「ん?ユカ、どうした?」

「…お姉ちゃん…。」

「…え…?」

 タカシが顔を向けるとユカの視線の先にこちらに向かって走ってくるカエデの姿が見えた。


「…カエデさん!!」

 たどり着いたカエデは息を切らしながら口を開く。

カエデ『はぁ…はぁ…。やっぱり…背に腹はかえられません……。』

 タカシがタクシーの運転手に声をかける。

「すみません。少しだけお時間を頂いていいですか?」


−−−−−

−−−




「学校の方は…?」

カエデ『抜けてきちゃいました。』

 ハハと笑うカエデと悩ましい表情を浮かべるタカシ。

「…本当に申し訳ありません。最後の最後まであなたを巻き込んでしまって…。」

カエデ『…いえ。巻き込まれる決意をしたのは自分自身です。それに、むしろ、私はあなた方に御礼を言わなければなりません。』

「御礼を……?私たちにですか……?」

カエデ『…はい。以前の私はあなた方が思っているような人間ではありませんでした…。』



心を開いて

作詞 坂井泉水
作曲 織田哲郎

私はあなたが想ってる様な人ではないかもしれない
でも不思議なんだけど
あなたの声を聞いてると

とても優しい
気持ちになるのよ

このままずっと忘れたくない
現実が想い出に変わっても
言葉はないけど
きっとあなたも同じ気持ちでいるよね



 タカシは真剣な面持ちでカエデの話を聞く。

カエデ『…以前の私なら、あの時…ユカちゃんをそのまま交番に預けて、間違っても深入りしようなんて事は考えなかったでしょう…。』

タカシ『…………。』



カエデ『…私に…踏み込む勇気をくれたのは…私の心に変化をもたらしたのは、1人の魔法使いなんです…。』



「…魔法使い…?」


 突然、何かを思い出したようにカエデがきょろきょろと辺りを見渡す。

カエデ『あれ?そう言えばユカちゃんは…?』


 カエデが目を留めたのは少し離れた電柱だった。その影に隠れるように立ち尽くすユカを見つける。

カエデ『……あの子、頑なに泣く事を我慢していますよね…。』


 カエデのその言葉を聞き、タカシの脳裏に一年前のあの場面が浮かんでくる。


−−−−−

−−−



「ほら!ユカ。あんまり走ると危ないぞ。」

「そうよ、ユカ。」

「大丈夫だよっ!ママ!パパ!」


 その途端、ユカは道路の段差に足を取られ転倒する。

「きゃっ。」

「ユカ!!」

 泣き出すユカに駆け寄るタカシとナナコ。

「もうー、ほら泣かない。」

「ほら。痛くない痛くない。大丈夫だよー。」

 2人がなだめるもののユカは泣き止む気配を見せない。



「ユカがそんなに泣き虫さんだとママどこかにいなくなっちゃうかもよ?」



 見かねたナナコが何気なく口にした“その言葉”。しかし、これから先、皮肉にも“その言葉”がユカにとって忘れられない言葉になってしまう…。



 ユカは驚いた表情でナナコに目を向ける。


「ママ、どこかにいなくなっちゃってもいいの?」


 ユカは小さな手で必死に涙を拭い、首を何度も何度も横に振る。

「大丈夫だよ、ユカ。ママはどこにも行ったりしないから。だってユカの事がほんとにほんとに大好きなんだから。パパもユカの事が大好きなんだよ。」

 そう言うとタカシがユカの頭を撫で、抱きあげる。

「でも、もうちょっと強くならなきゃなー?」

「うん…。」

「よーし、じゃあパパの肩車をしながらお家へ帰ろうか。」

「うん…。」

「あっ、そうだ。」

「…どうした?」

「私スーパーに寄っていくから、2人は先に帰っていて。」

「わかったよ。じゃあオレとユカは先に帰ってるな。」

「うん。」

 そう言うとナナコは2人と別れスーパーに向け歩き出す。

「あ、ナナコ。」

 足を止めナナコが振り返る。
「え?」



「気をつけろよ。」



 タカシは何か妙な胸騒ぎを覚えた。

 いつになく真剣なタカシの眼差しにナナコは笑みを浮かべる。

「ふふ。ありがとう。」



 それがタカシとユカの見た、ナナコの最後の元気な姿だった。


−自宅−


 それは、タカシがナナコの帰りを待ちながらユカに絵本を読んであげている時だった。

 トゥルルルルル…トゥルルルルル…

「あ、電話だ。ユカちょっと待っててな。」

「うん。」

 タカシが受話器に手をのばす。よろけてしまい体勢を崩し電話の横に置かれた花瓶に腕をぶつけてしまう。


…あっ……。


 スローモーションのようにゆっくりと落ちていく花瓶。一瞬、時が止まったかのように感じた。しかし次の瞬間、室内に響く花瓶の割れる音と共にタカシは現実に引き戻される。

ガシャンッ!


「……………。」


 いきなりの大きな音に驚き、ユカも泣き出してしまう。


「……………。」

 タカシの頭の中も真っ白になっていた。


“嫌な予感がする”


 室内に鳴り響く電話の呼び出し音。恐る恐るタカシは受話器を取った。


「…は、はい…もしもし……。」

「もしもし、こちら○○病院ですが、遠藤さんのお宅でお間違いないですか?」

「……え…は、はい…。」

「落ち着いて聞いて下さい。遠藤ナナコさんが車に跳ねられ、当病院に搬送されました。危険な状態です。すぐにお越しください。」

“……え?……”


 全身の力が抜けていく。受話器を床に落とし、何だかめまいがした。

……ナナコ……。


 ユカを連れ病院に到着した時には既にナナコは息を引き取っており、タカシやユカが必死に声をかけるも何も反応をすることは無かった。まだ若干温もりの残る、傷だらけの愛する人をタカシは涙を流しながら強く強く抱きしめる。
 その時、1人の看護士が何かを持って現れた。涙で滲んだ目に映ったものはボロボロのスーパーの袋。タカシは看護士からそれを受け取る。

「……………。」

 中を覗いてみると、ユカがいつも食べている大好きなお菓子と、今朝タカシが何気なく呟いた『電池無いや』の言葉を聞いていたのだろう。乾電池が入っていた。


 突然突きつけられた非情なまでの現実。だが、タカシとユカには声をあげて泣く事しかできなかった。


“もう…帰ってこない……。”

−−−−−

−−−



カエデ『…タカシさん…?』


「ママ、どこかにいなくなっちゃってもいいの?」


カエデ『…え…?』

「泣き虫なユカに…ナナコが最後に残した言葉です。

きっと…ユカは怖かったんでしょう…。自分が泣いてしまう事で妻と瓜二つのあなたも、あの時のナナコのように…自分の前からいなくなってしまうんじゃないかと……。

だから…我慢をしていたんですよ…。」


カエデ『……………。』


 カエデは振り向きユカの元へと歩き出す。


 この子には伝えなければいけない事がある。ナナコさん、あなたの気持ちは私の気持ちと同じですよね?


 カエデはユカをそっと抱きしめた。


カエデ『ごめんね…ユカ…。』

 ユカは目を閉じている。あの日からいなくなってしまったナナコが自分を抱きしめてくれている。やっとママに会えた…。

カエデ『…ユカのせいじゃないんだよ…?だから…

…自分を責めないで……。』


 その途端、ユカの心の中で張りつめていた緊張の糸がぷつりと切れ、声をあげて泣き出した。涙が止まらない。突然ママを亡くした寂しさ、胸を締め付ける不安や苦しみから、やっと…解放されたのだ…。



 ナナコさん、ユカちゃんは人の痛みが分かる、思いやりを持った優しい子に育っていますよ。まぎれもなくあなたとタカシさんが教えてあげた事です。そして、いずれ彼女が、あなたとタカシさんに教えられた事をまた他の誰かに教えていく日がやって来るでしょう。その日を、楽しみにしていて下さいね。



カエデ『ねぇ、ユカちゃん。ユカちゃんに、お姉ちゃんの秘密を教えてあげるね。』

 涙目のユカが目を丸くしてカエデの顔を見る。

カエデ『お姉ちゃんにはね、魔法使いのお友達がいるんだよ。』

 タカシもそっと耳を傾ける。


「嘘だぁ。」

 クスリとユカが笑う。

カエデ『ふふっ。笑った。嘘じゃないよ。だってお姉ちゃんもそのお友達から魔法を教えてもらったんだもん。』

「どんな魔法?」



カエデ『それはね、

人を笑顔にする魔法。』



 ハハと笑いあう2人をタカシが穏やかな表情で眺めている。



 5月下旬。空は晴れ。雲一つ無い青空。これからの2人の未来を応援しているようだった。そして、写真のナナコさんは幸せそうに微笑んでいる。彼女はタカシさん、ユカちゃんのために笑顔を絶やさない。それは、これからも、変わらずにずっと。


「それでは…もう…出発しないと……。」

 タカシとユカがタクシーに乗り込もうとした時だった。

カエデ『タカシさん。』

 タカシが立ち止まり振り返る。

カエデ『私、思うんです。ナナコさんにとって一番の幸せは…。』

 カエデがタカシの目を見据えて言葉を続ける。



カエデ『お2人の…笑顔なんだと思いますよ。』


 タカシがカエデに微笑みかける。

「…大丈夫です。あなたがかけてくれた魔法なら、解ける事はないでしょう。」

 その言葉を最後にタカシは頭を下げタクシーへと乗り込んだ。

 発車するタクシーにカエデは手を振り続ける。

カエデ『…ありがとう…お元気で。』

 カエデの頬をそっと涙が伝った。



−−−−−

−−−





 ちょうどその頃、1人の人物の携帯電話が鳴った。


×××『はい。』


「タカシです。今、タクシーに乗り込みました。」


×××『そうですか。それで…。』


「楓藍、合格です。」


×××『分かりました。ご苦労様です。』


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