第442戦闘団 アメリカ軍日本人部隊
皆は大東亜戦争(第二次世界大戦)中アメリカに移民した日本人による戦闘部隊が有ったのを知っているかな?
中には知っている人達もいるかも知れないけど、知らない人達の為にアメリカで日本人移民が如何に【アメリカ】の為に戦ったかを知って欲しいんだよ
まずは、この日本人戦闘部隊のあらましから
>第442連隊戦闘団(だい442れんたいせんとうだん 英: The 442nd Regimental Combat Team)は、第二次世界大戦中のアメリカ陸軍が有した連隊規模の部隊である。
士官などを除くほとんどの隊員が日系アメリカ人により構成されていた。
ヨーロッパ戦線に投入され、枢軸国相手に勇戦敢闘した。
その激闘ぶりはのべ死傷率31.4%(のべ死傷者数9,486人)という数字が示している。アメリカ合衆国史上もっとも多くの勲章を受けた部隊としても知られる。
第二次世界大戦中、約33,000人の日系二世がアメリカ軍に従軍し、そのほとんどは本団、第100歩兵大隊、アメリカ陸軍情報部の3部隊のいずれかに配属された。
(wikiより抜粋)
何と33000人もの日系人がアメリカの為に戦争に参加しているんだよ
そのうち9486人もの日系人が亡くなったり怪我をしたりしている
では、彼らはどの様な事を大東亜戦争中にしていたのだろうか?
>1944年1月から2月にかけて、ドイツ軍の防衛線「グスタフ・ライン」の攻防において激戦を繰り広げた。
5月には、ローマ南方の防衛線「カエサル・ライン」の突破にも活躍している。
ローマへの進撃の途上で激戦地モンテ・カッシーノでの戦闘にも従事し、多大な犠牲を払った。
部隊はベネヴェントで減少した兵力の補充を受け、ローマを目指したが、軍上層部の意向によりローマを目前にして停止命令が出され、後続の白人部隊が1944年7月4日に入城してローマ解放の栄誉を手にした。
結局、部隊はローマに入ることを許可されず、ローマを迂回しての北方への進撃を命じられた。
(wikiより抜粋)
う~む・・・白人兵士の『弾除け』にされるのを危惧して前線投入を遅らせたと言う話も有るが、実際にはこの様に白人兵士に手柄を横取りされている様だな?
何だかんた言っても、人種差別的な扱いは受けていたと言う事だ
実際に戦って勝利しローマを開放したのは日系人部隊なのに、後続の白人部隊に手柄を横取りされ、あまつさえローマ入城を禁止されている
綺麗事を言った所でこの有様だった様だ
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>1944年9月に部隊はフランスへ移動し、第36師団に編入された。10月にはフランス東部アルザス地方の山岳地帯で戦闘を行う。
10月15日以降、ブリュイエールの街を攻略するため、周囲の高地に陣取るドイツ軍と激戦を繰り広げた。
一帯は、山岳・森林地帯であるため戦車が使えず、歩兵の力のみが頼りであった。
20日には町を攻略したものの、第36師団長J・ダールキスト少将の命令により、引き続き町東方の攻略を継続した。なお戦後のブリュイエールでは、部隊の活躍を記念して通りに「第442連隊通り」という名称がつけられた。
なお、ブリュイエールでは1994年10月15日には442連隊の退役兵たちが招かれて解放50周年記念式典が執り行われている。
(wikiより抜粋)
この様に、開放された地元の人達に感謝されて、通りの名前にまでなっているんだぞ?
いかにアメリカに対してキチンと義務を果たしているか分かる話だよな?
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>1944年10月24日、第34師団141連隊第1大隊、通称「テキサス大隊」がドイツ軍に包囲されるという事件が起こった。
彼らは救出困難とされ、「失われた大隊」と呼ばれ始めていた。
10月25日には、第442連隊戦闘団にルーズベルト大統領自身からの救出命令が下り、部隊は出動した。
休養が十分でないままの第442連隊戦闘団は、ボージュの森で待ち受けていたドイツ軍と激しい戦闘を繰り広げることとなる。
10月30日、ついにテキサス大隊を救出することに成功した。
しかし、テキサス大隊の211名を救出するために、第442連隊戦闘団の216人が戦死し、600人以上が手足を失う等の重傷を負った。
救出直後、442部隊とテキサス大隊は抱き合って喜んだが、大隊のバーンズ少佐が軽い気持ちで※【「ジャップ部隊なのか」と言ったため、第442部隊の少尉が「俺たちはアメリカ陸軍442部隊だ。言い直せ!」と激怒して掴みかかり、少佐は謝罪して敬礼したという逸話が残されている】
この戦闘は、後にアメリカ陸軍の十大戦闘に数えられるようになった。
また、テキサス大隊救出作戦後、第一次世界大戦休戦記念日(11月11日)にダールキスト少将が戦闘団を閲兵した際、K中隊に18名、I中隊には8名しかいないのを見とがめ、少将が「部隊全員を整列させろといったはずだ」と不機嫌に言ったのに対し、連隊長代理のミラー中佐が「目の前に並ぶ兵が全員です。残りは戦死か入院です。」と答えたという話が残っている。
その報告を聞いたダールキスト少将はショックの余りスピーチさえ出来なかったという。
これは第36師団編入時には約2,800名いた兵員が1,400名ほどに減少していたためである。
再編成を行った第442連隊戦闘団はイタリアに移動し、そこで終戦を迎えている。
隷下の第522野戦砲兵大隊は、フランス戦後はドイツ国内へ侵攻し、ドイツ軍との戦闘のすえにミュンヘン近郊のダッハウ強制収容所の解放を行った。
しかし日系人部隊が強制収容所を解放した事実は1992年まで公にされることはなかった。
(wikiより抜粋)
祖国がアメリカと交戦状態に有るにも関わらず、白人部隊を多大な犠牲を払って救出したにも関わらず、ろくに敬意も払われず軽口をきかれる・・・
明らかな人種差別を受けながらも、命懸けで白人部隊を救った日系人部隊は、正に武士道精神の表れだろうな?
ちなみに『ジヤップ』はもちろん差別用語だが、今でも無意識に使う外国人は多いのが現実だ!!
特に隣の国や在日韓○人に多い
もっとも隣の国や在日韓○人は差別用語として使っているけどな?
証拠なら韓国情報系の掲示版見れば良く分かるぞ!
それはさておき、強制収容所を日系人部隊が開放した事すら50年後まで隠されて居たのだから、人種差別が未だに無くならないアメリカの現実が理解出来ると思う
さて、そんな日系人部隊の成り立ちを見てみよう
>1943年1月28日、日系人による連隊規模の部隊が編制されることが発表され、※『強制収容所内』などにおいて志願兵の募集が始められた。
部隊名は第442連隊であるが、歩兵連隊である第442連隊を中核に砲兵大隊、工兵中隊を加えた独立戦闘可能な連隊戦闘団として編成されることとなった。
ハワイからは以前から大学勝利奉仕団で活躍していた者を含む2,600人、アメリカ本土の強制収容所からは800人の日系志願兵が入隊した。
本土の強制収容所からの入隊者が少ないのは、各強制収容所内における親日派・親米派の対立や境遇が影響していたが、ハワイでは事情が異なり、募集定員1,500人の6倍以上が志願したため、定員が1,000人増やされた。
なお、徴兵年齢(18-39才の男性)の日系人人口は、ハワイで23,000人強、本土では25,000人程度で大差はなかった。
(wikiより抜粋)
※の部分の日系人『強制収容所』に関しては別項で詳しく触れているけれども、少しだけこの章でも触れておこう
>アメリカ国内の日系人社会の動向を、黄色人種に対する人種差別的感情を背景に※(実際に同じく敵国であったドイツ系やイタリア系アメリカ人については、大がかりな強制収容は行われなかった)不安視していたことなどから、1942年2月以降に、アメリカ西海岸に居住していた日系人と日本人移民約12万人は、ほとんどの財産を没収された上で全米に散らばる強制収容所に強制収容された
(wikiより抜粋)
とまぁ酷い扱いを受けて
居たんだよ
確かに敵性国家の移民だから警戒するのは理解出来るけど、だったら白人系の移民も強制収容所に入れるべきでは無かったのか?
明らかに『人種差別』であった事は否定のしようもない
これだけの差別を受けながらも、日系人移民はアメリカの為に勇敢に戦った
その一つの理由が別項でも触れている『東条英機』氏の手紙の存在が有る
>日米開戦の直後、在米の日本語学校の校長を通じて、アメリカ国籍を持つ日系2世に対して、「米国で生まれた日系二世の人達は、アメリカ人として祖国アメリカのために戦うべきである。なぜなら、君主の為、祖国の為に闘うは、其即ち武士道なり…」というメッセージを送り、「日本人としてアメリカと戦え」という命令を送られると予想していた日系人達を驚かせた
(wikiより抜粋)
当時の日本人の考え方や『東条英機』氏の人となりが良く分かるエピソードだとおじちゃんは思う
こんな優れた人物が、デタラメな『東京裁判』で極悪人にされてしまっている
これこそが『歴史修正主義』と言わずして何と言うんだろうな?
そして戦後、彼ら日系人がどんな扱いを受けたか見てみよう
>442連隊が強制収容所の被収容者を含む日系アメリカ人のみによって構成され、ヨーロッパ戦線で大戦時のアメリカ陸軍部隊として最高の殊勲を上げたことに対して、1946年にトルーマン大統領は、「諸君は敵のみならず偏見とも戦い勝利した。(You fought not only the enemy, you fought prejudice-and you won.)」と讃えている。
しかし勇戦もむなしく、戦後も日系人への人種差別に基づく偏見はなかなか変わらなかった。
部隊の解散後、アメリカの故郷へ復員した兵士たちも、白人住民から※「ジャップを許すな」「ジャップおことわり」といった敵視・蔑視に晒され、仕事につくこともできず財産や家も失われたままの状態に置かれた。
やがて1960年代になると、アメリカ国内における人権意識、公民権運動の高まりの中で、日系人はにわかに「模範的マイノリティー」として賞賛されるようになる。
(wikiより抜粋)
な?こんな酷い扱いを受けていたんだぞ!!
命懸けでアメリカの為に戦い、手柄を横取りされ、功績を認められず、戦後20年も経つまで酷い人種差別にさらされている
彼ら日本人移民が、いかに言われ無き誹謗中傷を受けていたか?
これで分かってもらえたと思う
さて、ここからが問題何だが、中国や韓国が未だにアメリカで日本や日本人バッシング(反日活動)を続けて居るよな?
彼ら中国や韓国系の移民達も、当然昔からアメリカに移住していたから、大東亜戦争中にも彼ら中国や韓国移民が『反日活動』を行っていたし、上記の内容の様に戦後もず〜っと続いていた事が分かるよな?
日本人に対する『人種差別』の原因は、実は中国系や韓国系の移民の『反日活動』も原因の一つ何だよ?
当時成功したから、これからも上手く行くと信じて行っているんだな
それが『従軍慰安婦像』だったり『抗日記念館』だったり『孔子学園』による反日擦り込み教育何だよ
実は中国人や韓国人のアメリカにおける反日活動は今に始まった事ではなく、既に90年位前から行われて来た事なんだよ?
何度も書くけど、本当にこんな国との『友好関係』が必要なのかな?
相手は『友好関係』になるつもりは微塵も無いのは明らか何だよ?
最後に彼ら日系人部隊は2010年に成って、ようやくその功績を認められた
現実の世界はこんな物何だよ?
さて、今回の学校が教えない『アメリカ日系人部隊の活躍』はこれまで!
また読んでくれよな?
どうだったかな?
学校ではあまり触れない、もしくはマッタク教わらないだろうけど、アメリカでは第二次世界大戦中、日本人に対する『人権侵害』が行われていた
本文でも触れた様に、それは『スパイされるのではないか?』『暴動が起きるのではないか?』等の懸念から、敵国に成ってしまった以上仕方が無い部分は有った
しかし、実際の当時の日本人は、アメリカの国益の為に立派に闘った
それは『東条英機』氏の手紙の様に、自分が生まれ育った国に尽くすと言う考え方から何だよ
結局日本に限らず『無国籍』や脳天気に『国境のない世界』などと語る人達は、この国の為に尽くすと言う『愛国心』を否定して、激しく国益を損ねている事に気がついて居ないとおじちゃんは考えて居るんだよ?
いざ事が(戦争や紛争)が起きた時に、愛国心が無ければ国を守る事なんて出来はしないだろう?
平時に何を語ろうがそれは言論の自由だけど、今の様に直接中国や北朝鮮の脅威が迫って来ている段階では、おじちゃんの様な保守派からすれば反論せざるを得ないんだよ?
本当の本当に近隣諸国が日本に対して敵対して居ないのなら、おじちゃんもこんな事書いて無いで、好きな歴史研究やゲームに没頭しているよ
残念ながら今の日本周辺はそうでは無いよな?
尖閣諸島や沖縄問題、竹島何か韓国に不法占拠(侵略)されっぱなしだ!!
もちろん中国や北朝鮮やロシアの核兵器問題が有る
おじちゃんが何故、こんな事を書いているのか?
冷静に考えて見て欲しいぞ?