第十三話:転変(前編)
県立朝日ヶ丘高校の校門に、救急車が到着した。
樹と龍一によって、普段着に戻った如月涼が、担架に乗せられて運ばれていく。
「水無月君、神無月君。」
樹と龍一が振り返ると、担任でもあり、学年主任でもある石川真奈美が、険しい顔をしている。
「二人とも、早く支度して。」
学校の車で病院まで行くから、と言って、真奈美は駆け出す。
真奈美の頭に、以前黒コートの男から言われた言葉が甦る。
『あのお方に、何かあったら、唯では済みせんよ?』
こんな時に、と思いながらも、真奈美は男の言葉に囚われていた。
龍一が、無言でパソコンの画面を再び再生させる。
『』
何か、画面上の涼が、言ったようだった。
『僕が倒れたとき。』
『あの時は、みんな、僕が難病だとは思っていなかった。』
『でも。』
『僕は薄々気付いていた。』
『僕の命の光は、闇に呑まれそうだということを…』
最後に辿り着いた国立病院に、漸く涼は入院することになった。
市立病院、県立病院、私立病院…。
何故か、全ての病院に、如月涼の受け入れを拒まれたからだ。
涼は、左腕から点滴、口には酸素吸入のマスクがつけられている。
学園祭で、華やかなウエディングドレスを纏った、華麗な姿の面影は、どこにもなかった。
変わり果てた涼の姿を見ながら、龍一は一人ごちた。
『俺…どうしたらいいんだろう…。』
神無月家は、病気とは無縁の一家。
龍一は、病院には、彼が大好きだった曽祖父が大往生する間際に二、三度行っただけである。
祖父も祖母も。
離れて暮らしている両親も、妹も、健康そのもの。
それなのに。
血の繋がりより濃い、如月涼の異変に、思考が混乱して、碌に役に立たなかった。
龍一が呆然としていたその頃。
樹は、如月家の質素な門扉を潜っていた。
如月家の生活状態は、決して芳しくない。
父親を早くに亡くした涼は、経済の面で相当苦労していた。
進路を決める際も、名門私立学校への推薦を辞退して、学費が安い公立校を選んだ位である。
ピンポーン。
樹が、ドアのチャイムを鳴らすと、荒々しい声が聞こえてきた。
少しして、明らかに不機嫌な顔をした、中年の女性が、玄関先に現れた。
「わざわざ来なくても良いのに。」
樹を見て、放った第一声が、樹の感に障った。
しかし、急を要する事態である。
真奈美からは、既に必要な連絡は行き届いていた筈だった。。
「ご存知の通り、如月君が、意識不明の重態です。」
「担任の石川先生から…」
樹が言いかけたとき、女性の金切り声が、樹の頭に鳴り響いた。
「倒れたなんて、あの水商売向けの女の狂言でしょ」
樹は、耳を疑った。
自分の息子、それも一人息子が生死の境を彷徨っているというのに。
樹は、怒りを通り越して、呆れた。
「あんな餓鬼、どうにかなってしまえばいい。」
「私一人だったら余裕で食べていけるのに、あんな厄介な…」
そうまくし立てる涼の母親に、樹は純粋な嫌悪感を抱いた。
「陽子おばさん。」
樹が努めて、努めて平静を装いつつ、話しかける。
「ともかく、保険と書類のことがありますので、お忙しいとは思いますが、病院までご足労願いますか。」
しかし、樹の態度が涼の母親、陽子の勘に触ったらしい。
『ふざけたこと抜かすんじゃないわよ!』
樹は、陽子の呪詛に、耳を塞いだ。
こんな親の下で、涼はよく生きている。
樹は、『早く家から出たい』とぼやく涼のことだけが気がかりだった。
『水無月君…水無月君。』
声の主が真奈美だと認識するまで、少しかかった。
「すみません。」
「みんな、朝のHRを始める。」
そう言って、樹は涼の事を説明する。
「如月は、まだ意識が戻っていない。」
「当分の間は、俺が涼の代理として様々な活動をする。」
みんなよろしく、と頭を下げる。
真奈美が後を続ける。
「そういうことだから。」
龍一を見て。
「かなり不安だけど、神無月君、君も水無月君を支えてあげてね。」
「了解!」
龍一が元気よく了承する。
「真奈美ちゃんが俺の嫁になってくれたら…」
ごすっ。
樹は、毎日こんな情景が続くのかと思うと、少し気が重くなった。
「…そういうことで、自分が生徒会長代理ということになった。」
何時も涼が座る、生徒会長の席に座った樹がそう告げる。
涼不在の生徒会の体制は、樹を会長代行に、真琴が副会長、龍一が書記、そして一年の梢冬椰が新しく会計に座った。
忍を会計に据えるという案も出たのだが、受験生ということもあり、忍は辞退したのだった。
「いつ…水無月先輩。」
真琴が樹のほうを見やり。
「如月先輩は、相当重態なのですか?」
先輩の功績以前に、生徒会としてお見舞いをしたらどうですか、と助言する。
樹は真琴を優しく見つめながら、
「りょ…如月は、まだ意識が戻っていない。」
「自分と神無月が、交代で様子を見ることにしたいと思う。」
見舞いは如月の意識が戻ってからだ、と、嘆息しながら告げる。
と、末席に座っていた一年の梢が、無言で挙手をした。
「どうした、冬椰。」
龍一が筆を走らせながら問う。
「僕も…如月先輩の様子を見に行きます。」
水無月先輩も神無月先輩も受験生なのだから、と理由を述べる。
「わかった。」
樹が承認する。
「涼のことは神無月と梢。」
「生徒会のことはま…河本を中心に。」
最終的な判断は自分がするから、気負わずにやって欲しいと付け加え。
「これで、臨時生徒会を終える。」
「みんな、急なことで申し訳なく思う。」
一礼して、生徒会室から人の気配がいなくなった後。
樹は、夕闇に消えゆく紅い夕陽のような瞳をした、涼のことに暫し思いを馳せた。
「…またあなたたち?」
不機嫌な陽子の声に、龍一はムッとする。
「あのくたばりかけなら、まだ寝たまま。」
「あのまま心臓が止まってしまえばいいのに。」
私は来月まで来ないから、と言い捨てて、陽子は樹と龍一を置いて帰ってしまった。
「…テメェが逝けよ…」
龍一がぼそっと呟く。
樹も、無言で龍一に同意する。
如月涼は、最上階の特別個室で、まだ眠ったままだった。
昨日面会した梢からは、『まだ意識が戻っていません』というメールがきている。
樹と龍一は、そっと涼の側に腰を下ろす。
涼の綺麗な寝顔を見ながら、龍一がぼそっと、
「このまま起きないんじゃないだろうな…」
そう、呟く。
「莫迦を言うな」
「過労か何かか…起きない事はない。」
半分は、自分に言い聞かせるように、樹が嗜めたとき。
がちゃん。
病室のドアが開けられ、一人の男が入ってきた。
樹にとっても、龍一にとっても、見覚えがある顔。
黒コートの男だった。
「先だっては自己紹介もせず、申し訳ありませんでした。」
男が柔和な表情で、寒気がするほど暖かい声で挨拶をする。
「私、内閣参謀室総室長の如月瑞樹と申します。」
「お二方のことは、閣下より伺っております。」
「ちょっと待ってください。」
樹が、瑞樹の言葉を遮る。
「如月…ということは。」
「はい。」
「私は、閣下の遠縁のものです。」
樹も龍一も、何も言えなかった。
瑞樹と涼は、全く似ていない。
顔の形も、髪の色も、瞳の色も。
「…あんた、胡散臭ぇよ。」
龍一が不機嫌を隠さずに言う。
「ごもっともです。」
瑞樹が、龍一の疑念をあっさりと肯定する。
「ですが。」
瑞樹が言葉を続けようとした時。
眩い光が、部屋を包んだ。
三人が目を開けると。
一瞬、漆黒のロングヘアーの女性の姿が、確かに見えた。
やがて、光が収まる。
光が収まると、そこには、意識を取り戻したらしい涼が、悲しそうな瞳をして立っていた。
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