第十話:旅情
画面上の涼が語る、悠太の真実に、樹の胸に、ある疑念が沸き起こっていた。
『もしかして、他にも何か隠していたことがあるのではないか。』
樹が思い当たるのは、修学旅行のことだった。
「…それで、お前は今年も不参加か。」
「うん。…ごめんね、樹。」
仕方ない、と言って樹は諦めた顔をする。
折角の修学旅行なのに、本人曰く、『授業扱いの大切な用事』のために必ず欠席するのだ。
5日間だけだというのに。
悠太の一件があってから、涼と樹は、以前のようにともに過ごしていた。
そして。
「そろそろ来ると思うよ。」
涼が見やった方角から、これまた本人曰く、『バッチリキめている』龍一が現れる。
「よ! 涼、ムッツリ、おはようさん!」
元気よく二人の肩を叩いて、
「さ、今日も楽しい学校だぜ!」
「痛いよ龍一。」
「涼、そんな元気のないこと言ってんなよ。」
「…お前が元気すぎるだけだろうが。」
三人は連れ立って、ぎゅうぎゅう詰めの電車に乗り込んだ。
「あふ…おはよ。」
「いつきくん、きさらぎくん、龍ちゃん、おはよー!」
いつものように、地下鉄で忍と悠太と合流する。
寝起きが悪い忍は、低血圧なのか、朝はいつも異常に機嫌が悪い。
そんな忍に対して、悠太は朝から元気いっぱいだ。
いつものように、樹を目ざとく見つけて、『とてとて』と走り、鳩尾に飛び込む。
そんな悠太を見ながら、忍は、
「毎日毎日、よく飽きないよね…ってゆうか、何であのムッツリがいいのかな…」
親友の無邪気な笑顔を見ながら、そう思った。
「おはようございまーす。」
「おはようございまーす。」
朝陽ヶ丘高校の校門の前で、生徒会役員と執行役員が立って、朝の挨拶運動をしている。
生徒会関係者である涼たち5人は、他の役員や委員に混ざって、挨拶運動をしていた。
左側の門には忍、悠太、龍一。
右側の門には涼、樹、樹の横になるように真琴がいる。
『何も無ければいいのだが…』
樹の願望は、あっさりと裏切られた。
「おはよう…遅刻しちゃった。」
真っ黒なスーツに身を固めたのは、真奈美。
「おはようございます、石川先生。」
「おはよ! 真奈美たん!」
「…どこで覚えたの、その言葉…。」
忍が、龍一の方を見やって、深く溜め息をつく。
「お姉さん先生おはよう〜」
忍の不機嫌さとは対照的に、悠太はぴょんぴょん跳ねている。
「…相変わらずだな、色々な意味で…。」
「相変わらずね、樹。」
真琴がふふ、と微笑む。
「…あんなことがあったというのに、誰もいつもと同じ顔をしている。」
「良いことなのだろうが。」
「…俺が割りきれていないだけかな。」
樹の端正な顔に、苦笑を浮かぶ。
「樹。…言いたくないけど。」
真琴が樹の方を見ながら言う。
「ちょっと…じゃなくて、相当老け込んでるよ。」
樹の表情が凍った。
自覚はしていた。
しかし、彼女に指摘されるというのは…。
「…き、樹。」
「樹。」
自分を呼ぶ声に、樹は我に帰る。
「何ボーっとしてるの、樹。」
樹の眼前に、『ぷんぷん』顔をした涼がいる。
「朝の活動に集中してないのは、悪いことだよね。」
にっこり微笑ながら、涼が呟く。
「龍一と一緒に、後で反省文提出してね。」
「…。」
「そうそう。」
樹の耳元に顔を近付けながら
「河本には、言い繕っておいたから。」
そう言い残して、職員室に用事があるからと、涼は樹を置きざりにして校舎の方へ歩きだす。
我に返った樹は、しょんぼりしながら歩く龍一の背中を目指して走り出した。
コンコン。
「失礼します。」
どうぞ、という声に、涼は部屋に入る。
涼が尋ねた会議室には、真奈美が沈痛な面持ちで座っていた。
まるで気にしていない風を装い、涼は真奈美の正面に座る。
「それで、昨日の件ですが。」
涼はいきなり本題を切り出す。
「…寺島先生は、このままよ。」
あからさまに不機嫌な口調で、真奈美が言い捨てる。
「証拠もないし。」
そんなことが外部に漏れたら大変なことになる。
幸い、この件を知っているのは、涼と真奈美だけである。
「如月君、分かっていると思うけど。」
「分かっています。口外はしません。」
悠太が傷つくから、と言い添えて。
「それでは、失礼します。」
ホームルームが始まってしまうから、と言って、涼は会議室を後にしようとする。
と、その時、涼の体が揺らめいた。
「如月君?」
真奈美が涼のそばに駆け寄る。
「大丈夫です。ただの立ち眩みです。」
心配かけてすみません、と言い、涼は会議室から去る。
真奈美は、今朝方の出来事を思い返し、気が重くなった。
「はい、みんなおはよう。」
教室に真奈美の声が響く。
「今日のホームルームは、修学旅行の班割りです。」
その後を引き継いで、涼が喋る。
「みんな、今年も僕はみんなと一緒に行けないから、修学旅行のことは樹と。」
龍一のほうをちらっと見て。
「やや頼りないけど、龍一に任せます。」
「石川先生と、二人の言うことに従って、楽しい修学旅行を過ごしてきてください。」
委員長の涼に指名された二人が、挨拶する。
「涼ほど完璧にできないけど、精一杯努力します。」
「みんな、特に女子! 俺の萌え滾る熱い○○…」
ごすっ。
涼の鉄拳が、龍一の鳩尾に綺麗に滑り込む。
「委員長ー、暴力反対ー。」
龍一が息も絶え絶えに言うと、クラス中から、
「龍、オマエが悪い。」
「龍、お約束だな。」
「龍ちゃんセクハラ〜。」
「龍ちゃんのKY〜。」
次々と発せられる言葉に、龍一は、
「みんな、俺の繊細でピュアなガラスのハートを、どうして理解ってくれないんだ!」
ばきっ。
今度は樹の鉄拳が、これまた綺麗に龍一の鳩尾に綺麗に滑り込む。
「…毎度毎度、懲りない奴だ…。」
真琴に言われた『老け顔』で、樹は深く溜め息をついた。
「…それで、樹と龍一は違う班なんだ。」
ふーん、という顔で、忍は購買で買い込んできた食事に手をつける。
忍と悠太を交えて、三人は昼ご飯を食べていた。
五人の仲の良さは、校内では有名である。
クラスが違っても、五人はほぼいつも一緒にいるから、誰も違和感を感じない。
「ホント、涼がいねぇと締まらねぇんだ、これが。」
龍一が手当たり次第に食物をやっつけながら、そう呟く。
「…仕方が無いだろう。」
マイペースで胃に優しい食べ方をしている樹が、食事の手を休めて言う。
「涼が修学旅行に来ないのは、小学校のときからだ。」
「そもそも、遠足ですら一緒に来たことがあるか怪しい。」
「…んだな。」
溜め息を吐いた龍一も、樹に同意する。
「…僕は自分のクラスと。」
「悠太のことがあるから何もできないけど、メール相談なら受け付けてるよ。」
忍が珍しく笑う。
その笑顔に下心を認めた樹と龍一は、
『忍、無論、友人として無償で相談に乗ってくれるんだよな?』
声を揃えて同じ台詞をぶつける。
忍は悪魔も篭絡する笑顔で、
「もちろん、友人としての最低限の保障で。」
『…』
樹と龍一は、問題の当事者二人を見ながら、また白髪の増えそうな溜め息をついた。
気難しい顔をした三人をよそに、涼と悠太は、そこだけお花畑が咲いたような、ほんわかとした空気を醸し出している。
「はい、りょうきゅん、あーん。」
「あーん。」
悠太の手作りの、たこさんウィンナーが、涼の口に入れられる。
「じゃ、僕もお返し。」
「ゆーた、あーん。」
「あぁーーーん。」
大きく開かれた悠太の口に、涼お手製のオムレツが入れられる。
もぐもぐもぐ。
もぐもぐもぐ。
「おいしい!」
涼が満面の笑顔で、悠太の料理を褒める。
「りょうきゅんのもおいしいよ〜v」
悠太の顔も、ぽかぽか笑顔である。
涼と悠太は、すりすりしながら、『あーん』を繰り返している。
「能天気っつーか、何だかなぁ…」
呆れた顔で、龍一が呟いた時。
『3年A組、如月涼君、至急職員室まで来てください。』
「呼び出されたから、僕、先に行くね。」
樹後片付けよろしく、と言って、涼は席を後にする。
立ち去っていく涼を見ながら、忍は一言。
「樹って、涼の家政夫だよね。」
樹は何も言い返すことができなかった。
修学旅行当日。
A組とB組は、同じバスで東京へと向かう。
「…」
朝に弱い忍は、不機嫌そうな顔で、悠太と一緒に集合場所にいた。
悠太は、忍の家から出発である。
悠太の家族はもういなく、親戚も遠方に住んでいるため、悠太は施設からの一時帰宅の場所に、忍の家を選んだのだった。
「しのぶきゅん、僕たちが一番乗りだよ〜。」
「…そうみたいだね…」
悠太のエネルギーに気圧され気味の忍は、朝なのにもう疲労感を覚えていた。
「…ねぇ、悠太。」
「なに、しのぶきゅん。」
「何でそんなに朝早起きで元気な訳?」
悠太の顔から、微笑が消えた。
微笑みの消えた悠太の顔を見た忍は、一気に目が覚めた気持ちになった。
「朝になると。」
「朝になると、僕は逃げ出せる。汚い大人の手から逃げ出せる。」
「夜の闇に紛れて、僕を汚すものから、逃げられるから。」
嬉しくて。
寂しそうにそう言った悠太に、忍は掛ける言葉を知らなかった。
「…おかしいわね…」
怪訝そうな顔で、真奈美が呟く。
「一番早く来てそうな子が、まだ来ていないなんて…。」
そう言って、真奈美は樹のほうを見やる。
「申し訳ありません、先生。」
「神無月から朝連絡がありまして、今日は先に行ってほしいとのことでしたので…」
申し訳ありません、と、樹は真奈美に詫びる。
「水無月君のせいじゃないよ。」
と、その時、後方の生徒たちがざわめきだす。
「みんなー、静かにし…」
「…!」
ざわめきの方角を見やった真奈美と樹は絶句する。
そこには、銀色に染め上がった髪の龍一の姿があった。
「いやーわりぃわりぃ。」
巨大なスーツケースに、何故持ってきているのか分からないギターを携えて、龍一が堂々と現れた。
「神無月龍一、ただいま参上であります!」
人気アニメのポーズで、元気よくビシッと決めた龍一。
毒気にあてられた顔で、真奈美が龍一を凝視している。
樹は半ば無意識的に龍一の髪を携帯に収め、送信した。
『No Way We goes Love So Long ago…』
洋楽のラブソングが鳴り響く。
『さすが水無月君、センスいいよねー。』
『年下の女には勿体無いよね…。』
『だよねー。奪おうかなー。』
そんな声が囁かれていることにも気づかずに、樹は電話に出る。
『もしもし。』
『メールみたけど…あれ、何?』
電話の向こう側の相手の声が殺気立っていることは、予想できた。
『とりあえず、龍一に替わって。』
樹は、無言で、自分の携帯電話を差し出す。
龍一を、嫌な予感と、想像できる展開が支配する。
こわごわ樹から携帯を受け取った龍一が、先ほどの元気さからは想像できない声で、もしもし、と呟く。
『こらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
携帯電話から聞こえてきた涼の声は、周囲に聞こえるほど大きかった。
「いやー、しかし、東京のメイド喫茶ってのは、あれか。」
いろいろすげーな、と同じ班の人間にそう言う。
「龍、オマエの髪型とギターの方がよっぽどすげーよ。」
「如月マジギレだったじゃねぇか。」
「過去最高更新じゃね?」
「うっせーな…朝のことを思い出すと、俺のピュアで繊細なハートが大暴落だぜ…」
結局、一緒に来ることは許されたものの、涼の即決と真奈美の承認による、過酷な処罰を思い返して、龍一は苦い顔になった。
「やー、アキバ堪能したぜ。メイドさんにコスプレってすげーなー。」
次は渋谷行こーぜ、と、龍一たちは山手線の方へと歩き出す。
そんな龍一たちの横を、黒塗りのリムジンが数台、通り過ぎた。
が、間抜けにも、最後尾のリムジンが、信号に引っかかってしまったらしい。
龍一は何気なくそのリムジンの中を覗こうとした。
リムジンのガラスは、濃いスモークが張られていて、中はよく見えなかったが。
龍一は息を呑んだ。
「龍ー早く行こうぜー。」
「あ、ああ、俺の熱い魂をぶっけてやっぜ!」
そういって、龍一は先頭を切って歩き出す。
しかし、龍一の顔に、疑問の表情が浮かんだ。
『まさか…な…。』
龍一は、自分の疑念を封印して、自分の髪を凝視する人混みの中へ消えていった。
樹、悠太、忍の班は、大勢で浅草に来ていた。
地下鉄を上がり、古い商店街を抜けると、雷門が見えてくる。
仲見世に立ち寄り、主に悠太の食欲を満たしながら、ぞろぞろと修学旅行の学生の集団は歩いていた。
「みんな、これから、花やしきにいこうか、台場へ行こうか決めたいと思うのだが。」
樹が穏やかな笑顔で、恋人つなぎをしてくる悠太を宥めながら言う。
「花やしきー!」
「台場ー!」
「ここはアキバ…」
様々な意見が飛び交う。
「悠太、忍、お前たちはどちらがいいんだ?」
「ボクはいつききゅんが一緒ならどこでもv」
悠太が顔を赤らめながら即答する。
「僕は…お台場。」
忍はそう言う。
「今日、『SNAK』の撮影会があるらしいから。」
そう付け加える。
「決まりだな。」
SNAKという単語が決め手になったらしい。
樹たちは、水上バスの方へと歩き出した。
樹たちが水上バスの乗り場に着いたとき、外国人と思われる一団が、ぞろぞろと降りてきた。
悠太が顔を輝かせながら呟く。
「赤、青、黄色、銀、金…」
絵の具みたい、と悠太はにこにこしながら呟く。
外国人の一団と、樹たちが擦れ違う。
樹は、青い髪の外国人と思われる人間と擦れ違ったとき、はっとその方向を振り向いた。
「すまない、俺は少し調子が悪いようだ。」
樹は無意識に呟く。
我に返り、忍のほうをちらっと見やる。
忍も樹の意図を了解したようだ。
「…じゃ、そこのヘタレはおいといて、僕たちだけで先にお台場へ行こう。」
忍がサラッと言って、樹の変わりに引率を受け持つ。
忍が一瞬目くばせをする。
樹は、忍に感謝しつつ、悠太を振り切りながら外国人の一団の後を追った。
「思ったとおりだ…。」
仲見世へ行くと見せかけて、巧妙に路地をすり抜けながら、一団は幾つかの班に分かれながら去っていく。
樹は他の班には目もくれず、青い髪の男の後を追っていた。
自分の目に間違いが無ければ。
正装をしていた。
サングラスをかけていた。
髪型も違った。
でも。
あの男は、如月涼に間違いない。
「見失った…か…?」
細い袋小路を抜け、樹は完全に男の影を見失った。
諦めてその場を立ち去ろうとした時。
樹の目に、青い髪の男が、車に乗り込もうとしているのが目に入った。
駆けた。
無我夢中で駆けた。
時間にしたら10秒の距離が、樹にとっては縮まることもないような距離に感じた。
間一髪。
車は荒々しく男を乗せ、走り去ってしまった。
「涼…」
樹は荒い息を整えながら、呟いた。
刹那。
今まで感じたこともない気配とともに、樹の背中に、金属の感触が押し当てられた。
「中々の身のこなし、高い知性…貴様、何者だ。」
背後から響く男の声は、穏やかだったが、樹にとっては寒気しか感じなかった。
「…あんたには関係のないことだ。」
樹は続ける。
「あの青い髪の男は、俺の友人だ。」
「14年共に過ごした、掛け替えのない友人だ。」
「あの男のためなら俺は死ねる…。」
そこまで一息に言い切って、ゆっくりと後ろを振り返る。
そこには、初夏に近いのにロングコートを着た、樹より背が高い男の姿がそこにあった。
「…そういうことか。」
男は全てを察したようだった。
「おい。」
男が合図を出すと、黒塗りの高級車が颯爽と現れた。
「彼を、彼の目的の場所まで案内しろ。」
男は意外なことを言った。
更に。
「彼は一般の国民だ。そして。」
男は運転手に何やら囁いた。
「どうか、お乗り下さい。」
男は丁寧な口調だったが、有無を言わせぬ絶対さが感じられた。
樹を乗せた車が立ち去って暫し。
男の部下と思われる人物が近づいてきた。
男は頭を振り、
「彼は、『あのお方』の、私的友人であり、ご学友だ。」
「手など下してみろ…あのお方の怒りが爆発することは目に見えている。」
そういって、彼方を見つめながら。
「閣下…貴方はよい方を友人に持たれた…」
そう、呟いた。
『…ということ。』
『僕の部下が迷惑をかけて、申し訳ないと思っている。』
画面上の涼の視線が、自分にだけ向けられているようで、樹は複雑な思いがした。
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