肝据彼女が動じない
異種要素は一瞬です
彼氏の大助が突然自宅に押しかけて来た。
いつもより少しばかり身なりが整えられているように見える彼は、大事な話があると言って真剣な顔を向けてくる。
常日頃はへんにゃりと気の抜けるような笑顔か、いかにも情けない困り顔を浮かべている大助だが、こうして真面目に表情を引き締めれば、実は普通にイケメン枠に入る男であったのだと再認識させられる。
そのまま外で立ち話というわけにもいかないので中に招き入れつつ考えてみれば、今日は私達が出会ってちょうど2年目に当たる日だという事実に思い至った。
すわプロポーズか、と期待に胸を膨らませながらリビングに通せば、彼は常のようにソファに腰を下ろさず、そこから少し前方に配置されたテーブルの下座に正座する。
私も一応空気を読んで、そのテーブルの向かい側、彼と向かい合う位置で同じように正座してみた。
それから、少しの間の後、大助はごくりと喉を1度鳴らしてから緊張の面持ちで口を開く。
「あの、さっきも言ったけど、そよちゃんに聞いて欲しい、だ、大事な話があるんだ」
彼の言い回しに少々期待値が下がった。
聞いて欲しい、とは果たしてプロポーズをしようとする男が使う言葉だろうか。
まぁ、テンパっているのだと考えれば、日本語が怪しくなってしまうこともあるかもしれない。
とにかく聞いてみないことには始まらないので、首を縦に振ってやる。
「う、うん。あの、その、僕、あの、実は……」
瞬間、あ、やっぱプロポーズじゃねぇわコレと思った。
大助の表情はどちらかといえば、悪いことをして謝りたいが、どう話を切り出せば良いのか分からないという状況のソレに近い。
ただし、別れ話ではないだろう。
そういう方向の告白ならば、彼の性格的にもっと悲壮感を漂わせているはずだからだ。
「ぼ、僕っ、実ひゃ、よっ、ようきゃっ、僕、妖怪なんだっ!」
「………………………………はん?」
私の彼氏が真顔でとんでもないこと言い出した件。
「あっ、あのっ、冗談とかじゃなくて、ほ、本当に妖怪でっ」
「あぁ、うん。……で?」
「え?」
「だから……それで? 妖怪で、何? 続きは?」
「つ、つづっ……き……え?」
あぁ、これは想定外の返しをされたことで軽くパニックに陥っているなと思ったので、面倒臭いが順序立てて意図を説明してやることにする。
「えーと、少なくとも大助が本当に本気で自分のこと妖怪だって言ってることは分かってる。
アンタその手の冗談を言えるタイプじゃないし。
で、まぁ、精神病の可能性は今は置いといて、とりあえず本当に大助が妖怪だったと仮定してさ。
私にそれを告げることで……あー、アンタのこと妖怪だって認識させた上で、何か言いたいこととかあるんじゃないのかって聞いてるの」
途端、大助はポカンと呆けたような間抜け面で固まった。
言葉の意味を理解するのに時間がかかっているのだろう。
彼はいつだって要領が悪いのだ。
急かすと処理途中の思考がまた初期状態に戻ってしまうかもしれないので、終わるまで根気強く待ってやるのが良い。
「あ、あの……そよちゃん」
お、動き出した動き出した。
はいはい、何ですかっと。
「病気とか、仮定とか、ところどころ気になる単語はあるけど、あの、疑わないでくれて、ありがとう。
それで、あの、僕、あの、妖怪だけど、えっと、しょ、そよちゃん」
「うん」
「ぼぼ僕を、その、お、そよちゃんの、おおお婿さんにしてくださいお願いしますッ!!!!」
両拳を握り全身を真っ赤に染め小刻みに震わせながら、大助は強く閉じた瞼の端から涙を滲ませつつ叫んだ。
対して、私は無表情に深く息を吸い込み、ゆっくりと手を膝から離して、噤んでいた口を開く。
「やっぱプロポーズだったんじゃねーかよチクショウ油断したぁーーッ!」
「ひええええええっ!?」
両手でテーブルを力強く叩けば、驚いた大助が正座のままピョイと飛び上がった。
緊張状態のところに急に刺激を与えられたら、そりゃあまぁ反射的にビクつくのも当然か。
脅えた顔もカワイイZe☆なんつって。
「ごごごごごゴメンっ、やっぱり妖怪が婿入りとかダメだった!?」
「いや、別に大丈夫だけど。ていうか、そもそも婿でいいわけ?
普通、妖怪が相手の場合って、こっちが嫁に行くもんじゃないの?
兄夫婦がいるし、私はそっちの籍に入って全然問題ないけど?」
「あああ何かもうすでに結婚前提で話が進んでるんだけど僕の彼女男前すぎか格好良すぎて涙出てきた」
「そういうのいいから」
「あ、はい。すみません」
ワケの分からないことを呟きながら蹲り嗚咽を漏らしていた大助は、私の言葉を耳に入れた瞬間、素早く正座体勢に戻った。
よくよく調教された良い彼氏である。
「で、ちょっと色々質問したいんだけど」
「う、うん。あの、どうぞ」
そう言えば、大助は分かりやすく身体を硬くして、額から汗を垂らした。
その姿はさながら裁きを待つ罪人のようだ。
「そんな緊張しなくていいって。
今から適当に聞きたいこと言ってくから、答えられそうなのだけ答えたらいいよ。
ほら、これから一緒に生きていく上でさ、ある程度お互いの常識をすり合わせておかないとってだけだから」
「い、一緒に、う、うん。はい」
こちらの言葉で何ごとか妄想でもしたのか、ポッと頬を赤らめモジモジし出す彼氏。
女子か。
「そんで、えーと……まず大助は何の妖怪なのか、妖怪の務めや本能としての行いに人間が犯罪と定めるものはあるか、その人間の姿は仮の姿でもっと別の本性があるのか、だとすれば人間に化けるのに何らかのエネルギーが必要になるのか、普通の人間の食事だけでそのエネルギーの補給になるのか、人間の三大欲求と呼ばれる症状は存在するのか、結婚するに当たって人間としての戸籍はどうなっているのか、以前に聞いていたデザイン系の仕事に就職しているという話にウソはないのか、結婚して妖怪の世界に連れていかれることはあるのか、大助の親御さんへのこちらからの挨拶はどこでどのように行われるものか、そも親が存在するのか、妖怪との間でも子どもはできるのか、できるとしてどういった生態で生まれてくるのか、妊娠時に人間の医師にかかることはできるのか、寿命はどうなっているのか、その人間の姿の大助は老いることができるのか、直に交わることで人間としての私の存在に変化が生じたりす……」
「わああ! 待って覚えきれない待ってぇ!」
つらつらと疑問を並べている途中で、大助が慌てた様子で遮ってきた。
覚えきれないのなら仕方ない。
かといって、いちいち質問ごとに話し合いをして時間を取られるのも面倒だと思ったので、ひとつ提案してみる。
「……一覧にして紙に書き出そうか?」
「お、お願いします。
あとあの、先達に聞かないと分からないこともありそうなので、返答は後日でも良いでしょうか」
「いいけど、何で敬語になってんの?」
「いや、あの、何か、そよちゃんがすごくしっかりしてて、僕とのことすごく具体的に考えてくれるんだなって思って、なのに、僕は今日まで妖怪って教えて、嫌われたらどうしようって、そんなことばっかり考えて、悩んでて、それであの、何ていうか、情けなくなっちゃって……」
ボソボソ呟くように心情を吐露しつつ、俯いて両手で自らの顔を覆う大助。
まったくコイツはすぐ自己嫌悪に陥りやがって、そんなこと考える暇もないくらいメチャクチャにしてやろうか性的な意味で。
いや、しないけど。
「えー、今更。大助が情けないのは元からじゃん」
「そよちゃんヒドイぃっ」
「事実だし」
「うっ、きっ、君はそんな情けない男が相手でいいのかっ!?
こっ、後悔するぞっ! 知らないぞっ!
幸せになれないかもしれないんだぞっ!」
大助はムキになって指差しながら吠えてくる。
しかし、またバカなことを言い出したもんだ。
多分、勢いで自分が何をくっちゃべってるか分からなくなっているのだろう。
仕方のないヤツめ。
「おう、いいとも。
不器用で要領が悪くてドジでノロマで気が弱くてナヨナヨしくて空気読めなくてセンス悪くて、だけど何にでも一生懸命で素直で誠実で、何か放っておけないっていうか、そういう守ってやりたくなる大助だからいいんだよ。
あと、たまに鬱陶しい時もあるけど素直に甘えてくるトコとか、常に全身から好きオーラ出しまくってるトコとか、そりゃ絆されるし?
……幸せにしてやりたくなる」
「わああん! そよちゃんのバカバカ! イケメン!」
最後の一言を心もち低めに囁いてやりながら、左手を取って薬指に唇を当て微笑んでみれば、大助は全身を一気に真っ赤に染めて私から距離を取り、部屋の角に蹲った。
羞恥で小刻みに悶え震える物体が愛しくてしょうがない私は、もしかしたら少しばかりサドっ気があるのかもしれない。
「でさ、結局大助ってどういう妖怪なの?」
小さくなってうーうー唸っている彼氏の頭をしばらく撫でて落ち着かせてやったところで、ひときわ気になっていたことを尋ねてみる。
すると、大助は蹲った状態のまま腕を伸ばして傍で膝をついていた私の腰に抱き付いてきた。
こやつめ、ハハハ。
ここで腕を剥がして投げ飛ばしたりしちゃうとまたヒドイって泣き出すんだろうなぁ。
質問に答えて欲しいから今はしないけど。
「……あの、僕、あの、全然こう、有名なタイプとかじゃないし、あの、笑わないで聞いて欲しいっていうか」
「有名無名関係なく妖怪って微妙な名前と性質のヤツばっかりだし、どんなだって気にしないけど」
「う、うん。えと、ぼ、僕は、妖怪ちょいたし男っていって」
「ようかいちょいたしおとこ」
「た、例えば歯磨き粉とか、最後の最後まで使いきろうとする人のもうすぐ無くなるチューブに中身をちょい足ししてアレ思ったよりまだ入ってたせいで出しすぎたって悔しがらせるみたいな、その、ごく最近に生まれた妖怪だよ」
「しょっぱ!」
「言わないでっ!」
何というセコイ妖怪だ。
しかし、慎重派ドケチ族の私に限って出しすぎたことはまずないにせよ、絶対もう残り少ないはずなのに重さから言っても数日で尽きるはずなのに、やたらいつまでも中身が出続けるという不可思議な現象が起こる謎がやっと解けた。
大助と付き合っているせいだったのか、超グッジョブ。
めっちゃ節約になったわ、特に化粧品とか高いし助かる。
本人には言わないけど。
「それで、妖怪の時の見た目は?」
「んと、ジャンルで言うと異形頭になるのかな……。
身体はこのままで、ハンドクリーム系のチューブの頭に変わるの」
「ふーん。異形頭なんて言っちゃって、意外と大助ってオタク趣味だよね」
「そっち!?」
いやはや、打てば響く彼氏かな。
「そんじゃ、ちょっと元の姿に戻ってみせてよ」
「ちょっとって内容じゃなくないかな!? 結構な勇気がいるよ!?
えっ、こ、怖がらない!? そよちゃん僕のこと嫌いにならない!?
思ってたのと違うって、別れよって言い出したりしない!?」
「ないない。だからほら、早く」
「うっ、じゃ、じゃあ……」
途端、大助の頭部が周囲の空間ごとグニャリと歪み……一呼吸置いて現れた巨大なチューブ頭の先端部分が私の顎にがっつりヒットした。
「っざけんな! 痛ぇんじゃコラぁ!」
「いやーーッ本体回さないでぇフタ取れちゃうのぉぉぉッ!」
というか、首に繋がっているのはフタ部分だから、チューブ部分がこのまま外れるのだとしたら、むしろコイツの本体はフタってことになるのでは?
などとくだらない考察をしている間に、本気で身の危険を感じたのか大助はすぐにまた人間の姿に戻ってしまった。
残念、まだ色々試したいことや観察してみたいことがあったのに。
「……うぅ、ヒドイ目にあった」
とか何とか呟きながら、未だに人にしがみついてるアンタも大概だからな。
「そういえばさ」
「え、はい」
「その妖怪ちょいたし男さんが何をとち狂って私みたいな人間の前に姿を現そうと思ったの」
「えっ、あ、その……ち、ちょい足し活動中に、あの、そよちゃんが、チューブをハサミで切ってまで完全に全部中身を使いきってるのを知って、こう、胸がキュンってなって、どんな人なんだろうって気になって、その時からもうほとんど好きになっちゃってたんだけど、勇気を出して人のフリして話しかけてみたら、そよちゃんってばすごく優しくて格好良くて、それでどんどん本気になっちゃったっていうか、やっ、も、もうっ言わせないでっ、恥ずかしいっ」
「ちょっと何を言っているのかよく分からないです」
で、恥ずかしいなどと主張しつつ、人の腿に顔を埋めてくるとかお前ソレ単に役得狙ってただけちゃうんかと。
しかし、大助の意味不明すぎる感性は妖怪だからなのか、それとも大助自身が特別変なだけなのか……。
もしくは両方か。救えないな、大助。
あと、微妙に興奮して顔を擦り付けてきてるのウザいんだけど、肘鉄くらわせていいかな?
と、思ったら動きが止まった。
「そ、そよちゃん、今、物騒なこと考えなかった?」
「普段空気読めないくせに妙なところで鋭い」
「ひぃっ! や、優しくしてよぅっ」
「よしよし、じゃあ優しい彼女は頭を狙うのは止めておいてあげよう」
「ソレ僕の知ってる優しいと違うッ!」
などとまぁ、バカバカしくもじゃれ合いながら色んな意味で衝撃の1日は過ぎていった。
それからも、特に2人の関係が大きく変わることもなく、つつがなく日々は過ぎ、季節は巡っていく。
そんな中で、どうにかこうにか妖怪関係のアレやコレやを調整しつつ、約1年の時を経て、私達は無事結婚するに至ったのだった。
大助が大安吉日にこだわらなければもう数ヶ月は早く式が挙げられたんだけど……改めて考えてみれば、今時を生きる人間よりも、古より蔓延る妖怪たちの方が案外縁起を気にするものなのかもしれないな、と思った。
ま、兎にも角にも、めでたしめでたし、ってやつですわ。
お粗末様でした。
その後の小話↓
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