武器屋の疑問
カランと、美しいベルの音が響いた。店内の隅にいた女性は音に顔をあげて、笑みを浮かべて立ち上がる。
「いらっしゃいませ。」
「こ、こんにちは。」
入ってきたのは若い男だった。整ってはいるが、何処か田舎臭い顔立ちをしている。男の装備している防具も彼の体格と微妙に合っていなかった。しかも傷が一つもないということは、まだ冒険者になって間もないのだろう。
下手をすると冒険者に必須の戦闘資格も持っていないかもしれない。
「あの、戦闘資格の提示をお願いします。」
「あ、はい。」
「ありがとうございます。」
男は多少もたつきつつもしっかり銀色に光る長方形のカードを提示してくれた。そこには彼と同じ顔の小さな写真が名前と共に載っており、正真正銘彼の物であることが示されていた。
この見た目からは想像出来ないほど軽いそれを持っていれば、ほとんどの国で帯剣が許される。逆にそれが無ければ、人を殺せる凶器を売れるはずがない。
彼女はほっとしてそれを男に返すと、彼女の所定の位置であるカウンターについた。男は武器屋というものに緊張していて下手に話しかけない方が良いと判断したからだ。
カウンターのそばに置いてある椅子に座り、頬杖を突かないように気をつけながら男をなんとなしに眺める。
新米冒険者が彼女の店にやってくるのは結構珍しいことである。それはこの店が王都の商業区の隅にあるからだであるし、もっと人が通る路地にルファード商店があるからだ。
ルファード商会と言ったら武器だけでなく防具、薬、それだけでなく一般市民向けの洋服なども扱っている有名なグループだ。会長はこの国の貴族の身内らしくコネもスポンサーも多いという。
戦いに慣れ、自分にあった武器を使おうと考えるベテランならともかく、彼のような人は大量生産と安価購入が売りのそちらで買う方が多い。
「こ、こんなにかかるのか…。」
案の定、愕然とした声が聞こえた。苦笑しつつ、言い訳をさせて貰う。
「すみません。うちの商品は全て私が作ってますから…。」
「え、君が!?」
「はい。」
「へー…俺より若いのに、凄いなぁ。」
感心したようにしげしげと見つめられて、彼女の苦笑は照れたような困ったようなそれに変わった。
凄いと言われても、彼女にとっては物心つくころからやっていたことだ。確かに経営業は未だ慣れず大変だが。
男はひとしきり驚いた後、真剣に武器を選び始めた。剣を見ているようにも思えたがが、槍、弓など様々な武器を眺めている。
「武器を使うのは初めてなんですか?」
「あ、いや。刀なら使ったことあるんだけど、都会の人達はみんな剣だろ?」
確かに一番売れ行きが良いのは剣だ。片手剣は盾も持ちながら扱えるため、戦いに慣れていない人間に向いている。
しかし、周りが使っているからって合わない武器を使うなんて。店主である少女は呆れた顔をした。
「自分に合った武器を使うのが一番に決まっているでしょう。刀もありますよ。」
刀は極東にある桜国から流れてきた武器で、使える人間はごく僅かだ。需要が少ないからあまり作らないのだが、かといって作らない理由は無い。一人一人にあった武器を、が彼女のスローガンである。
刀がある、と聞いて男は目に見えて顔を明るくさせた。
「じゃあ、そうするよ!」
彼は緊張も解けた様子で、意気揚々と自分の武器を選びはじめた。もちろん刀の前で。
年上だろう彼だが、なんだか少年に見えてしまう。
男が一つの刀を手に取った時だった。カランとドアベルが高らかに鳴った。彼女はその音を聞いて嬉しくなる。どうやら今日は良い日らしい。こんな短時間に二人もお客さんが来るなんて。
しかし、緩んだ顔はすぐに苦々しい物にうってかわった。
「……ゼル」
今日二人目の客も、若い男である。違うのは、この男は間違っても冒険者などではないということ。
「こんにちは。クリスさん」
「帰れ。」
クリスは額に青筋を浮かべると、素早くカウンターから出て憎い営業妨害男に詰め寄った。迷惑男はきょとんとした顔をしている。その無駄に整った顔をぶん殴ってやりたい衝動をクリスは必死にとどめて、小声で怒鳴った。
「今日は帰って!」
「そんな! 今来たばっかりなのに!?」
「今だからこそよ! 夕方になら来ても良いから!」
力ずくて追いやろうとするが、まったく動かない。この男、もやしのような体の何処にこんな力があるのだ。
「すいませーん…。」
躊躇いがちに声をかけられた。クリスはもやし男を追い出すのは諦め、営業スマイルをとりつける。
「おや、新しい人ですね。」
クリスが受け付けようとした瞬間、さすが営業妨害男、ゼルが若い男に話しかけた。
「こ、こんにちは。」
「こんにちは。僕はゼルと申します。貴方は?」
「……俺はルードレート=フェネリアン。ルディって呼んでくれ。」
なんだか自己紹介が始まっている。おかしな空気だとクリスは思ったが、お客様が楽しそうなので止められない。
「ルディさんは今日初めて来られたんですよね?」
「ああ。あんたは常連っぽいな。」
「ええ。大体週に三度ほどは来てますね。」
「そんなに買うのか!?」
「いえ。見に来るだけです。」
ゼルの言葉に、ルディは返す言葉を失った。ややあって、クリスの方に顔を向ける。その目は同情の色で染まっていた。クリスはため息をつくのを堪えるのが精一杯で、営業スマイルなどとうに消し去っている。
そんな二人の様子をまったく気にせず、ゼルはルディの持つ武器に目をやった。
「刀をお使いになるんですか?」
そして、ゼルはひょいとルディから細い刀身の武器を奪った。クリスの顔が険しくなる。その様子に気づかないルディは軽い調子で「あんたの言うとおり、良い刀だな」などと言っている。
クリスはゼルがグローブをはめていることに気づき、ほっと胸をなで下ろした。
ルディは身軽になったところで背負っていた布袋を下ろした。中から財布らしきがま口を取り出す。
クリスはお客様からお金様を受け取ると、それは刀の値段より高い貨幣だった。慌ててカウンターの下へ行く。
カウンターの下には小銭と帳簿が入っている金庫が置いてある。ポケットから細い鎖のついた鍵を取り出して、鍵穴に差し込んだ。ちょうどその時、ルディの焦った声が聞こえた。
「っちょ、あんたそれ…!!」
ばっとクリスが顔を上げた。慌てて布袋から包帯を出すルディが見えた。ゼルはルディにかぶってよく見えない。しかし、クリスは何が起こったのか正確に理解した。
「あんたまたやったわね!」
怒鳴らずにはいられない。声に驚いたルディの手が止まり、それを良いことにクリスは失礼ながら包帯を奪わせてもらった。
ゼルは、何も持っていない方の手を見ている。やがて顔を上げるとにっこり笑った。
「またやっちゃいました!」
グローブを外した手からは、血があふれ出ていた。
「はい、終わり。」
「ありがとうございます。」
クリスが素っ気なく言うと、ゼルは包帯を巻いた手を胸において礼をした。なんとなくイラッときてしまい、その頭をひっぱたく。
「あんた反省してないわね?」
クリスはにっこりと笑みを浮かべた。その額には綺麗に青筋が浮かんでいる。
「いやー、すみません」
眉を下げて謝っているが、否定しない。クリスは収まらない怒りのままゼルに詰め寄る。
「そもそも何で怪我するの!」
「刃は人を切るためにありますから」
ゼルはもう一度はたかれた。
「じゃあ、何でグローブ外した訳?」
クリスは眉間の皺をもみほぐしながら聞いた。
どんな触れ方をしたってグローブを付けていればあのような事態にはならなかった。だからこそ彼女も安心してゼルから目を離せたのだ。
「美しい物を直に触りたいと思うのは当然でしょう!」
「………そお。」
目がきらきらしている。何だか真面目に言い返すのもアホらしくなってしまったクリスは立ち上がった。テーブルの救急箱を棚に戻す。
病気にかかりにくい彼女は、救急箱など滅多に出さない。実際初めて使ったとき、彼女は何処に置いたか忘れてしまっていた。しかし今なら、目をつぶってでも救急箱を開いて止血の応急措置が出来る気がする。
応急措置をしても、傷の痕が消えても、怪我をしたという事実は変わらないが。
「あの人、また来てくれるかなぁ…。」
不意の呟きに、ゼルは首をかしげて彼女を見た。
「ルディさんに惚れたんですか?」
三度目はチョップだった。
「新しいお客だったのよ!? しかも、新米さんみたいだったいし…。あの人が常連になってくれたら、他の新米さんも連れてきてくれるかもしれないじゃない。」
「常連さんならいるじゃないですか。」
「馬鹿なの? 常連が数人いたって一度に買う数はたかがしれてるわ。……トラブル持ってくる奴もいるし」
「え、そんな人いるんで……すみませんごめんなさい冗談ですジョークです」
とうとう腰に差している短剣に手を添えたクリスに、ゼルは両手をあげて降参の意を表した。
「だから、実はうちの店ヤバイのよ」
「……赤字、ですか」
ふざけられなくなった事情に、ゼルが笑みを消した顔で問う。
クリスはゆっくり首を振った。横に。ゼルはそれを見てほっとしたが、クリスは苦い顔をしている。
「でも、ギリギリなの。」
切実な事情を知って、ゼルは沈黙した。その沈黙がやけに重く、クリスは自分の込み入った事情を話したことを後悔した。
だが、ややあってゼルは笑った。いつもと同じように。
「なら、僕を雇ってくれませんか?」
「………はぁ!?」
思わず素っ頓狂な声が上げてしまったがそれは仕方ない。だって、訳が分からない。
ぽかんとする彼女を置いてゼルはどんどんヒートアップする。
「一ヶ月くらいだったら日を空けずに来れます。……いや、一生ここで働いたって構いません!」
「…色々ツッコミたいけど、人を雇える余裕は無いわ。」
「じゃあお金はいりません。ボランティアさせてもらいます。」
「…何が出来るわけ?」
まともに取り扱いたくない、と思うもののクリスは切実な状況にいる。訝しげな顔のまま問うと、意味不明男はあごに手をかけて考え込んで言った。
「力仕事とか…あと、売り子さん?」
クリスはうなった。確かに、それをしてもらえるだけで自分は大分楽になる。
そもそも彼女が赤字ギリギリになってしまっているのは、店を開ける時間が極端に短いことも要因の一つである。
この店はクリス一人で切り盛りしている。うつのも売るのも彼女だ。商品を切らすわけにはいかないから月に一度は一日中うつことにしている。体を壊すので週一の休みは必須だし、夜遅くまでは営業できない。本人は非常に不本意だが彼女も女である。警備隊などやってこない路地裏で、夜更けに店を開ける訳にもいかない。
だが、相手は何を隠そう営業妨害男。
武器に触れれば必ず怪我をし、そのためグローブ着用を条件に入店を許可した。しかし、思い出したように触れては怪我を重ねていった。
そんな男を働かせては、むしろ赤字になってしまう気がする。
「僕が信用出来ませんか?」
「当たり前でしょ。そのうち手、無くなるわよ。」
「そんなのまた生えてくるじゃないですか」
「………」
首をかしげて笑うゼルに四発目をお見舞いしようと腰に手をかけ、はっと思いついた。
「これ!」
「え?」
「これよ! あんたずっとこれ持ってなさい。それで三日持ったら考えても良いわ。」
鞘に収まった短剣を抜いてゼルに見せる。その刀身は白く輝いていて、この店の中でもかなりの上等品であることが伺えた。
ゼルは目を細めて短剣を見やる。そしてついに受け取った。彼女はちょっとびくびくしながらそれを見守る。
何でも無いように彼は短剣をくるくる回した。びくっとクリスが肩をふるわせるのを目の端で見て、今度は高く放り投げてみる。
「ちょっ!」
危なげなくキャッチすると、一気に彼女から力が抜けた。完全に遊んでいるゼルは、吹き出しそうになるのを堪えながらクリスに聞く。
「これは貴方が作った物ではありませんね?」
クリスは放り投げられては元に戻る短剣にはらはらしつつ頷いた。
「や、やっぱり分かるのね。それは父さんがうってくれた剣よ。」
「え、じゃあ大事な物じゃないですか。」
「大事な物よ。だから壊したり失くしたりしたらあんたで剣の試し切りさせてもらうから。」
「うわぁ…。気をつけます。」
ゼルは剣で遊ぶのを止めて彼女に返した。そして立ち上がる。
「それでは、仮採用も決まったことでお暇させていただきますね。」
今日はもう遅く、彼女はすでに店を閉めていた。いつもより早めに閉めたのは主にゼルの所為なのだが。帰ろうと立ち上がり裏口に向かっていく彼の背中に、クリスは不安げに問うた。
「ねぇ、お金いらないって…貴方大丈夫なの?」
「……大丈夫です。」
不自然すぎる間があったが、彼は振り返ってにっこり笑った。うさんくさすぎると思ったが、言わないなら強く聞くまい。この取引は彼女にとって有利すぎる条件なのだから。
クリスは重ねて問いそうになる口を、あえてにやりとゆがめた。
「ま、貴方おぼっちゃまみたいだしね。たまには働いた方が良いわよ。」
いつもの意趣返しも込めてからかってみると、ゼルは思いの外過剰に反応した。
自分の足に引っかかって転んだのだ。
なんか倒れた、と思ったらばっと上体を起こし、驚愕に染めた顔をこちらに向ける。
「そういう風に思われてたんですか!?」
「思うのが普通よ。」
初めは普通に冒険者だと思い、しかし簡素すぎる服装に首をかしげ、その後はこの国に仕える役人なのだと思っていた。
「週に二回は来るし、その時間帯もまちまちだし。」
「だ、だからってお坊ちゃまは…。」
にやにやしながら、珍しく平常心を無くしている彼を観察する。
確かにほの暗い仕事である可能性だって無くはない。その可能性は捨てきれなかったが、彼女はあえてそれも切った。
「身綺麗過ぎるのよ。貴方は。」
「かもしれませんけど。僕は……。」
ゼルは立ち上がって珍しく憮然とした声をあげた。
とうとうこの不審人物の正体が掴めるのかとクリスは期待したが、いつまでたっても続きはやってこなかった。呆れのため息をつき、クリスはゼルの背中を押す。
「はいはい。お坊ちゃんはとっとと帰りましょうねー」
別に、言いたくなければ言わなければいいのだ。このご時世、言いにくいこと何かいくらでもある。実は魔物が化けてましたー、とか言われたらさすがに困るが、それだけはない。
ここは腐っても王都。魔物が入れないような結界や城壁くらいある。
押した背中はややあって笑みをこぼす。その声ともつかない音に導かれるように顔を上げると、目を細めてほほえむ美形がいた。
「ありがとうございます。クリストファさん。」
「………さっさと帰れ!」
思わず見惚れてしまった自分に悪態をつきつつ、男の名を付けられた少女はボランティア予定男を蹴り飛ばした。
「………嘘…。」
ゼルは客を見送ってから、声をした方を見る。
帰る女性客はチラチラとゼルを振り返っていたのだが、彼はまったく構うことなくさっさと店長の元に向かう。
クリスが見ている物に気づくと、ゼルは苦い笑みを浮かべた。
「…もしかして、赤字になっちゃいました?」
聞いてみるが、クリスはただ惚けた顔を帳簿に向けている。彼に気づいてすらいない様子だ。反応をしばらく待った後、カウンターを通り抜けてクリスの背後に回った。
帳簿を覗くつもりだったのだが、思いの外彼女が近い距離で見ているためそれが出来ない。仕方ないのでしばらく見守る。と、なんとなく言い訳してみるが帳簿なんか覗くより、彼女を見ている方がよっぽど面白い。
不意にゼルは笑みを浮かべた。彼女の頭に合わせるようにかがんで、顔を小さな耳に寄せた。
「赤字、ですか?」
「ぬぁあ!!」
クリスは大きく肩を震わせ、自分に何があったのか気づくと顔を真っ赤にさせて耳を押さえた。
「あ、あんた…!」
もう声にもならない。ゼルは手を口に押さえていてカウンターに突っ伏している。何をしているのかと思ったらその肩が小刻みに震えていた。
何をしているか気づき、彼女の顔は怒りと恥ずかしさでさらに赤くなっていく。
「何すんにょよ!」
「ハッ! か、噛んじゃった……ふ、っく…ハハハッ!」
「…この馬鹿っ!」
とうとう声を出して笑いはじめたゼルにクリスが出来たことは、帳簿でゲシゲシ殴ることくらいだった。
しばらくして笑いを納めたゼルは、誠心誠意を込めて謝罪した。
「いやあ、すみませんでした。」
「これからアンタのことは変態馬鹿と呼ばせて貰うわ。」
にべもなく告げられた言葉に、ゼルは苦笑しか返せない。まあ否定できないので甘んじて受け入れようと思う。
「で、赤字になっちゃいましたか?」
「……いいえ。」
本題に戻ると、彼女は複雑そうな顔をした。嬉しいんだけど、凄い不本意。顔がそれを語っていた。
ため息をついてからクリスは帳簿を開いてゼルに見せる。
「予想を大幅に超えた黒字よ。」
「わあ、おめでとうございます!」
「…あんたのおかげよ。」
「そうですか?」
自覚が無いゼルは首をかしげた。
クリスは何とも言えない気持ちが胸に広がるのを感じた。腑に落ちない、とでも言えばいいのか。
ゼルが店に立つことによって、今まで来ていた女性客の顔つきが変わった。女性は美形が好きだが、冒険者の女性は普段目にしている男が大概むさい熊男なので、特にそれが顕著だ。
冒険者にも色々いるのでそれほど反応しなかった人もいたが、どの人物も一度はゼルの顔に見とれていた。中身は変態馬鹿なのに。
クリスはああ、と胸のもやもやの理由に気づいた。顔が良くても中身はこれだ。みんな騙されている。
「あの、何か嫌そうな顔してません?」
「…結局、あんたをこれからも使うことになりそうだと思って。」
「やった。本採用ですね!」
「ええ。それに今日で三日目だしね…。」
クリスはゼルに貸している短剣を見た。これまで、ゼルは一度も怪我をしていない。父親の剣は自分の物よりずっと出来が良くよっぽどこちらの方が斬れ味は良いのだが。
ゼルはクリスの視線を追い、それが何に向かっているか気づくと不思議な提案をした。
「クリスさん、本採用記念にナイフうってくださいよ。」
「はぁ?」
「僕もこんな風に、自分の為だけにうたれた物がほしいんです!」
そう言って父のうった、クリスにとって金庫の次に大切な物を指さす。
気持ちは分からなくもないが、どうも理解不能だ。顔が訝しげになってしまうのも仕方がない。
「買えば良いじゃない。……まさか、今更お金が無いとか言うんじゃ」
「それはないです。」
やけにきっぱりと言われた。クリスも言ってみただけで知っている。着ている物が毎回上等品なのだ。呆れたことに、無駄に馬鹿高い花束を持ってやってきた事もある。
けれど、ゼルが剣を買ったことは一度もなかった。彼の体質のことを知っているので腹を立てつも納得はしていた。あれでは買ったとしても持って帰る頃には彼の腕が無くなる。
「じゃあ何で」
「貴方から貰わないと手に入らないんです。…推測ですが。」
「……。よく分からないけど、私から贈ればあんたは怪我しないってこと?」
意味の分からないことを言っている自覚はあったが、ゼルはいつもの笑みのまま頷いた。
クリスは頭を捻りつつ、意味不明男の言葉を一生懸命咀嚼する。
そして、あることに気づいた。
「じゃああんたが怪我するのって私の剣の所為なわけ?」
ゼルは返答しなかった。逆にそれが答えと言っていい。
恐るべき新事実に、クリスは呆然となってしまった。その様子を見たゼルが慌てる。
「貴方の剣が悪いんじゃありませんよ? 僕の体質が悪いんです。」
「……当たり前よ。あんたが全面的に悪い!」
びしりとクリスは指さして怒鳴った。しかし、口でそう言いつつも気にならない訳じゃない。
一体何が原因なのだ。
何を考えているか丸わかりのクリスに、ゼルは困ったように聞いてみた。
「じゃあ、あの。心構えを変えてくれませんか?」
「心構え?」
「貴方は刃をうつとき、いつもどんなことを考えてますか?」
「別に普通…。」
「具体的には?」
真剣に問うゼルに、首を捻りつつこちらもしっかり考える。
「んー…、やっぱり、傷つけることかしらね。」
「それです。そう考えるのを止めてください。」
「って言われても…。」
彼女が扱う商品はは人、魔物を傷つける凶器である。使う人間によってそのまがまがしさは変わってくるが、結局人を傷つけるために使われる。
「じゃあ、僕が傷つかないようにと祈って作ってください。」
「……分かったわ。」
傷つかないように、と傷つける物を作る。矛盾していると思ったが、彼女は頷いた。
結局ゼルには給料を一銭も払っていない。無償で働いている男の為にこのくらいの気まぐれは起こしてやろうと思う。
目に見えて顔を明るくさせるゼルに苦笑しつつ、クリスは鉄や竈が置いてある鍛冶場に向かった。
ゼルがクリスの店で働き始めて早一週間が経った。路地裏の店は前よりも繁盛していて、クリスは田舎の両親に仕送りが出来そうだと心底喜んだ。
そんな時だった。熊のような大男が店に現れた。
男が誰だか分かると、武器の手入れをしていたクリスは顔をほころばせた。
「いらっしゃい。グレイさん。」
「おう。」
大男はクリスの店の常連客だ。最近の冒険者はこの人を目指すと言っても過言では無いほど高名な人で、そんな人がよくもまあこんな新参者の店に来てくれるものだと常々思っている。
にやりと笑って挨拶を返したグレイは、商品には目もくれずまっすぐカウンターの方に向かった。正確には、カウンターで帳簿にメモをしているゼルの元に。
「テメェ、何してんだこのやろう。」
「こんにちは。お久しぶりですねぇ。」
この二人は、古参の常連客だ。もちろん何度か顔も合わせており、それだけでなく店の外でも顔を合わせるらしい。クリスはよく知らないが。
ゼルがいつも通りの笑みを浮かべると、グレイの額に親指の半分くらいの太さもある血管が浮かんだ。今にもつかみかかりそうなグレイの様子を、彼女は一瞥しただけで元の作業に戻った。
二人はいつもああである。気が合わないなら仲裁するだけ無駄で、喧嘩するほどなんとかという言葉もある。
「何してんだって聞いてんだ。」
「見て分かるでしょう。」
ゼルは間近に迫った熊男の顔を手で押しのけ、帳簿に赤い印を入れていく。そして新しく、鉄鉱石代と書き足した。
「…脅してねぇよな?」
「してませんよー」
帳簿をしまい、カウンター越しに男と向き合う。熊なだけあって、自分よりも上に顔がある。それを無感動に眺めながらゼルは言葉を重ねた。
「鉄鉱石、売ってくれるんでしょう?」
熊は顔を苦くゆがめたが、やがて「ああ」と頷いた。
「いつも有り難うございます。」
クリスが駆け寄ってきた。グレイとゼルの言い合いが終わったからだろう。本当はもっと激しくなると思ったのだが、案外あっさり終わった。
クリスはグレイから重たい布袋を受け取ろうとする。だがそれは受け取る前にゼルに奪われた。クリスが何か言おうとする前に、彼はさっさと去ってしまった。
「ったく、我が物顔で…。」
「まぁまぁ。今はうちの店員なんだし。」
飛び火が来る前に適当にフォローを入れておく。
「嬢ちゃん、何もされてないよな? 何があってもあいつだけは信用しちゃいけねぇからな?」
「え、えぇ…。」
グレイに肩を掴まれ、勢いのまま頷く。グレイは一体ゼルにどんな目に合わされたのだというのだ。そして過保護だと思わなくもない。彼とは店主と客。それだけの関係のはずだ。しかし、彼の妹と年齢が近いこともあって、ことあるごとに心配される。
クリスだって満更でもない。家族は全員田舎に残しており、20を超える身だとしても寂しいものは寂しいのだ。
照れと呆れで苦笑していると、ふと思い出したようにグレイが言った。
「そういえば、そろそろ勇者選抜が行われるらしいぜ。」
「本当!?」
「あぁ、ギルドで聞いたから間違い無いと思うぜ?」
「そう…、もうそんな時期だったのね。」
クリスははやる気持ちを抑えきれずにはにかんだ。待ちに待った大行事が始まる。
「頑張れよ。今度こそ、夢叶えられるといいな。」
「ええ…!」
彼の言うとおり、これは良い機会である。クリスが物心ついた時から持っていた夢を、叶える最大の好機。
「グレイさんは、やっぱり参加しないの?」
「ああ。得しそうもねぇし、それだったら魔穴ん中潜ってる方が楽しいしな。」
彼ならそう言うと思ったので、クリスは特に驚かなかった。
きっと他の常連客もそんな感じだろう。なぜだかクリスの店には、そういう人間が集まりやすい。
文句など言えないし、ひいきにして貰っているだけありがたく思うべきなのだが、どうにももどかしい。もしグレイが参加して勇者となれば、これ以上の宣伝は無いに違いない。
ふと、数日前にやってきた若い冒険者を思い出す。確か名前はルディ、と言っていた。あの人はもしかしたら、この為に王都までやってきた人だったのかもしれない。
だとしたら頑張ってほしい。あの人はあの後、一度も店にやってこなかったが刀は買っていった。
彼の人がどれほどの実力なのかは知らないが、もし出場していたら応援しに行ってみようか。
「じゃ、俺はそろそろ帰るな。」
グレイにはいつも、安く鉄鉱石を売って貰っている。少ない客に馬鹿高い税金の中自分が生活出来ているのは、周りの人に助けて貰っているからに過ぎないとクリスは思う。
わざとなのかは分からないが、グレイがドアをくぐり見えなくなった頃ゼルが帰ってきた。
「で、どんな行事なんですか?」
クリスは呆れた。この男は聞き耳を立てていたらしい。そして、
「……知らないのね。」
田舎にいたクリスでさえ知っているというのに。
訝しく思ったが、やっぱり流しておくことにした。どうせ困った顔で笑ったまま何も言わないに決まっている。
「魔王討伐がずっと昔から掲げられてるのは知ってるわよね。」
「それはさすがに。」
「まぁそうよね。で、この国…というかこの王都では、一年に一回冒険者の人達を募って勇者選抜ってイベントをするの。」
その内容は、どちらかというと武道大会に似ている。一定のランク以上の戦闘資格を持った冒険者だけが出場することが可能で、トーナメント式に戦うのだ。
それに優勝した人間は勇者となり、国王直々に魔王の討伐を言い渡される。勇者となった人間は、特別な権利を持つことになる。具体的に言うと、聖女の加護を受けた武器やら防具やらがもらえたり、自分のランク以上のことが許される。
このイベントは三年に一度しか行われない、王都最大のイベントだ。集まる冒険者達にその選抜を見に来る観光客、当然出店なども建ち並び、商人達はこぞって自分の商品をさらけ出す。
つまり、稼ぎ時なのである。
「あんたと言う客(女)寄せパンダがいる今、一日十人のお客さんだって夢じゃないわ!」
「いつになく燃えてますねぇ。」
ほのぼのとゼルは微笑ましそうにしている。何だか居心地が悪くなって、クリスは誤魔化すように話題を変えた。
「で! 勇者選抜が終わったら、貴方辞めていいわよ。」
「突然の解雇宣言!」
「だってその頃には一ヶ月経つわよ。私、あのときの言葉しっかり覚えてるんだからね?」
「うぅ…。記憶力良いですね…。」
「自慢できるくらいには良いわね。」
ふん、と鼻を鳴らして腕を組む彼女は本気で解雇する気満々だ。
かといって、ゼルとて強くせがむことは出来なかった。彼女が決めれば自分は無理強い出来ないし、何より一ヶ月以上帰らないのはさすがにまずい。
不満そうな顔をしていたが、結局ゼルは了解の意を唱えるのだった。
勇者選抜が近くなると、クリスとゼルは大忙しになった。
クリスの予想通り、表街に移動して客を呼んでいたゼルは多くの女性客を連れてきた。一般人を連れてきた時は呆れたが。一般客向けの小刀も作っていて本当に良かった。
他にも、こだわりの持った冒険者が何人か裏町にやってきた。ただ、裏町にも武器屋はあるわけでそちらに客を取られてしまうことも多かった。しかしそれを差し引いても大分多くの人がやってきた。
そして、当日。
「今日は午前で終わりなんですか?」
「ええ。どうせ今日の午後はみんな城の方に行っているし、どうせだったら応援しに行こうと思って。ルディさんも出るって書いてあったしね。」
金庫の鍵と一緒にまとめられている、店の鍵を取り出した。金色の鍵は所々はげており、哀愁を感じさせる。
「……やっぱり惚れたんですか?」
「だから何でそうなるのよ。」
クリスは振り向いてゼルの顔を見た。やっぱりいつも通りの笑みを浮かべるゼルに呆れながら、一括りにしている髪をほどく。
「だってほら、今だって女性らしい格好してるじゃないですか。」
「あのねぇ。私だってスカートくらい履くわよ。」
「お化粧はしてませんけど。」
「うるさいわね。あんな暑い場所で化粧なんて出来るわけないでしょうが。」
二人は並んで路地裏を歩いて行く。
クリスはいつも以上によく分からないゼルを横目で見ながらため息をついた。何が困るって結局彼はいつもと同じ様子なのだ。怒るとか悲しむとかしていたら、クリスだってこんな素っ気ない態度は取らなかった。期待を織り交ぜた勘ぐりくらいはした。
「えー、女性なんだからお化粧してみましょうよー」
「はいはい。いつかね。」
「いつかっていつですかー」
結局呆れるくらいいつも通りの雰囲気で二人は歩いて行く。人の多い表街を歩くときなどは手を繋いでいたのに、そこに甘い雰囲気はまったく無かった。不思議な物だとクリスは首をかしげたが、こんな関係の方が自分達には合っている気がした。
「ルディさん凄かったわねぇ…。」
「惚れたん」
「もう良いわよ。しつこいわいい加減。」
もう何度目になるかも分からない台詞に思わず被せてクリスは言った。
ゼルは腰を押さえながら楽しそうに笑う。何故チョップしたのに笑っているのだろうか。
もはや客を超え友人と化している自分達の関係だが、クリスはいつまで経ってもゼルの考えが読めない。
首を捻ってみるが、諦めてお茶を啜った。
驚くことに、ルディは優勝してしまった。やたら華美な服を身にまとった国王に、勇者の称号を授かった。これで彼が自分から辞めるか死んでしまうかしない限り、彼は勇者である。
その勇者は、クリスがうった刀を使用して優勝した。今までの勇者はルファード商会の剣を使用していたし、これは一種のニュースだ。きっと明日から忙しくなるだろう。お茶を飲み干してクリスはほくそ笑んだ。
その笑みを見て、苦笑しながらゼルが言った。
「やっぱり僕、働きますよ?」
笑みの消えたクリスは、ゼルを見つめる。ゼルは苦笑していたが、その言葉は別にふざけて言っている訳ではなさそうだった。
だからこそ、彼女は言った。
「いらないわ。」
「そうですか。」
あっさりと納得されると拍子抜けしてしまうが、これは前から決まっていたことだ。
「僕はいつでもバイトに来ますから。」
「そうね。次に働いて貰う時にはバイト代払えそうだわ。」
ゼルの心情は分からないが、クリスは冗談のつもりでそう言った。笑ってそう言う彼女に、ゼルは軽く苦笑して立ち上がる。
「では、今日は帰ります。お邪魔しました。」
彼女はゼルを玄関口まで見送った。礼儀として表街まで見送るべきだ思うが、本人に断られればそうするしかない。
ゼルが見えなくなり、彼女は扉の鍵を閉めた。不意にあくびが漏れる。
ここの所の疲れが溜まってしまっているようだ。明日から忙しくなるのだろうし、今日はもう寝てしまおう。一度のびをしてから彼女は寝室がある二階に向かった。
「……あー、もう!」
溜まったいらだちと怒りが爆発し、クリスは誰もいない店内で叫んだ。
「何なのよ…。どうしてこんなアホらしいこと出来るのよ。そんな暇があるならもっと人の為になることしなさいよ!!」
悲痛な叫びがこだまする。それがやけにむなしくて、クリスは潤む目を強引に拭った。
クリスは、インテリアにはこだわる方だ。最近は花柄にはまっており、ベランダにはプランターすら置いてある。
棚やテーブルを置く位置も毎度熟考して決めている。竜脈や風水に詳しい人間の講義も聞いたことがある。
店もそうだ。
売り上げが一番良い人気の剣は、目立つ所に置いてある。もちろん並べ方にも気をつかっているし、品質を出来るだけ保つ為に時々磨いている。
そんな、大切な店は、今、ぼろぼろになっていた。
床に散らばった短剣。粉々になった砥石。倒れている長剣。放られた鞘。
そしてクリスもぼろぼろだった。
クリスの予想通り、店には大勢の冒険者がやってきた。新人さんももちろん来て揚々と刀を買っていった。
ゼル目当ての客は彼が居ないことに軽く憤慨していた。浮ついた女性客は来なくなったが、やはりそれを上回って男性客が来てくれた。
クリスは浮かれていた。あの調子なら彼女の夢は叶っていたのだ。もう少しだった。
だから忘れてしまっていたのだ。自分達の益の為なら、どんなことでもする人間のことを。
二週間ほど経ったある日のことだった。クリスが客をさばいていると、見た目からすでにチンピラだと紹介しているような男達が現れた。そいつらは下卑た笑いを浮かべて商品を倒したり、客に絡んだりした。
当然、客足は引いていく。信じられないほど子供じみた嫌がらせだった。
誰に雇われてそんなことをしているか、予想はついていた。
歯を食いしばっても悔し涙が頬を伝った。あいつらは、いつもそうだ。
彼女の気持ちとは裏腹に、からんと綺麗な音が高らかに鳴った。
相手は分かっている。どかどかと汚らしい足音が聞こえていたから。
涙を拭いて、入ってきた奴らを睨みつけた。
「おいおい。誰もいねえのかよー」
「勇者サマに使って貰っておいてなぁ?」
「……帰って。今日はもう閉店してるわ」
クリスは出来るだけ冷静な声を出した。
男達は、自分達よりもずっと小さな女性を見下し、嘲笑する。
「あんたもさ。いい加減諦めれば?」
「そうそう。結構美人だし、嫁のもらい手くらいあんだろ?」
「え、何お前こういうのがタイプなの?」
「まー色気はねぇけどな。顔はタイプかも」
一番背の高い男にあごを掴まれた。無理矢理仰向かされて、クリスの顔が歪む。
「…へー、こんな時でも睨めんのか」
クリスと目を合わせて、男はにやりと笑った。クリスの全身がざわり、と鳥肌立つ。
「止めて、離して」
「気丈だねぇ。そういう女ってさ」
不意に男はクリスから目を離した。はっとしてクリスが振り向こうとするが、その前に両腕を拘束される。背後に回った男が、クリスの動きを完全に封じ込めた。
片手で両手を掴まれ、腰に腕が回っている。いらだちと怒りと気持ち悪さが度を超えて、吐き気がしてきた。
「無理矢理自分の物にしたくなるんだよな」
男の顔が近づいてくる。あごを掴んでいない手が、クリスの服に伸びた。ブラウスのボタンに手がかかり、外される。
「離せ、離せ離せ止めろ! やめ、ろ…!」
「さすがに冷静にゃなれねぇか。へっ、もっと泣けよ」
「おっめえ鬼畜だなあ。ど? 良い体してる?」
「んー、胸はねぇなあ。肌が白いのが良い感じだな」
「止めろ! 触るな!」
鎖骨から腹までまさぐられ、とうとう下着に手がかかった。
その時だった。
「何をなさってるんですか?」
場違いな声だった。その男は、やっぱりいつも通りに少し笑みを含んだ声でそう言った。
クリスはふと、初めて会ったときの事を思い出した。
クリスが店を開いて間もない頃だった。いつ入ってきたのか、若い端正な顔立ちの男が私を見下ろしていた。力仕事に疲れ、客もいないからと床に寝っ転がっているのを見て、先ほどの台詞を言ったのだ。
なんだかんだ言って、初めての常連客はこいつだった気がする。
クリスは口元に笑みを浮かべてから、首をかしげた。今、何が起こっているんだっけ?
その疑問を最後に意識を手放したクリスを、ゼルが無表情で眺めた。
男達は突然の乱入者に驚いている。
わめきだした男達をちらりと見た。どうして、どうやってと聞かれたので仕方なく答えてやる。
「人間の振りをするのは得意なんですよ。今代聖女の力は弱いようですしね。隠れて入るのって、僕らには意外と簡単なんですよ?」
ゼルはすらすらと説明してやった。男達はまったくもって訳が分からないという顔をする。
彼はそれみて鼻でせせら笑った。もちろんわざとやっている。分かる必要は無い。彼はただ、己の思うがままに動くだけだ。
「ところで、その方をどうするんですか?」
ゼルはクリスを指さした。目があったと思ったらすぐに気を失ってしまった彼女は、あられのない姿をしている。なめらかな白い肌がさらけ出されていて、何をされたのかも分かってしまった。
「テメェには関係ねぇだろ…?」
「それとも何だ。こいつ、あんたのか?」
自分の物かと問われて、彼は首を捻った。
「ある意味、一生手に入らない人だと思います」
真面目に答えてやる必要も無いのだが、冥土の土産を渡すくらいしてやれと言われたこと思い出した。なので適当に思いついた答えを返しながらつかつかと歩き出す。
ゼルと距離を置くように、男達が後じさる。同時にクリスも引きずられてしまった。ゼルは無意識に手を伸ばしたが、それを阻むように男の一人が前に出る。
「近寄んなよ。この女がどうなっても良いのか?」
音のない声で何かを呟いてから、ゼルは嗤った。
「僕もなめられたものですね?」
クリスの夢は、一年に一つの店だけが選ばれる最高店になることだった。そして、ルファード商会に泡をふかせたかった。
田舎で家族と暮らしていた彼女が、何故上京してきたのか。答えは、父の為、自分の為である。
彼女の父親は凄腕の鍛冶屋で元々はルファード商会で働いていた。王都で有名だった父の腕をルファード商会が買って、個人的に契約を結んだのだ。
しかし、その契約は酷い物だった。
彼はひたすら刃をうつように言われた。大量生産を俺一人に任せるようなものだったと母に嘆いていたのを覚えている。その上、給料はどんどん引かれていったらしい。上司の人柄も好きになれず、辛い日々を送ったという。
長期休みを断られ、とうとう堪忍袋の緒が切れた彼は、ズレ鬘の上司に破った契約書をぶちまけた。
そのまま王都を出て行き、辺境の村へと下った。いきなり現れた彼を優しく受け入れてくれた村人達に感動し、母と出会い恋に落ちた。そして、あの村で一生を遂げる決意をした。
つまり、これは復讐なのである。
「……あれ…?」
目を開くと、クリスの視界に見慣れた天井が現れた。体を起こし、薄暗い部屋の中で首をかしげる。窓の外を見ると日暮れ時だった。
「起きたか!」
扉が開き、現れたのはグレイさんだった。女性の寝室にノックも無しに現れた彼に、クリスは顔をひきつらせた。
それに気づいたグレイは慌てて弁解する。
「悪い…。まだ寝てると思ったんだ。」
それは何の言い訳にもならないのだが。思わず目が半目になる。寝ている女性の寝室に勝手に入るほど恐ろしいことは無いのだけれど。クリスはそう呆れたが、そのおかげで気を失う前のことを思い出した。
手を拘束され、体を触られた。気持ち悪かった。
それに比べれば、内心兄のように思っているグレイに入ってこられても全然気にならない。それどころか心の底からほっとした。
ほほえみを浮かべて、ベッドの脇に立ったグレイを見る。
「グレイさんが助けてくれたんですね。」
「…違うぞ。」
「え?」
「俺じゃない。俺は全然知らなかったんだ。久しぶりに王都に来たら、嬢ちゃんの店が大変なことになってるって聞いて慌ててやってきたんだ。そしたら、嬢ちゃんは倒れてるって言われてな。」
「誰に…?」
クリスは問いかけたが答えは分かっていた。あの声は、あの姿は、気のせいなどではなかったのだ。
彼女の答えを裏付けるように、端整な顔立ちの長身の優男が部屋の中に入ってきた。
「もう大丈夫ですか?」
「え、えぇ…。」
にっこりと笑って問いかけられ、クリスは戸惑いつつ頷いた。気持ち悪さがピークを越えて倒れただけなので、体調は特に問題無い。
「ゼル、あんた」
「グレイさん、女性の寝室に居座るのはどうかと思いますが。」
クリスが事の詳細を聞こうとしたとき、ゼルは紳士的な態度でグレイにそう言った。「てめぇにだけは言われたくねぇ」と言いつつもグレイは足を部屋の出口に向ける。
「あ、わ、私も起きるわ。」
「無理しないでくださいよ。」
クリスはベッドから出て、自分のブラウスのボタンが全て締まっているのに気づいた。誰がやったかなどとわかりきっている。恥ずかしいので出来るだけ考えないようにした。
階段を下りようとすると、ゼルが手を取って一緒に歩いてくれた。頼んでなどいないし、妙に過保護なその態度が気恥ずかしいが、同時に何だか嬉しい気もしたので黙って享受した。
「ま、もう嫌がらせされることはありませんよ。僕がとっちめときましたから!」
食事が出来る広いテーブルに三人つくと、ゼルが胸を張ってそう言った。
「何があったのよ。私が倒れたあと…。」
「いやだからあ、僕がとっちめました! 反省したそうで、もう嫌がらせはしないって言ってました。」
「……そう。ありがとう。」
一体どんな力を使ったのだろう。金か、権力か。どちらにせよ助けて貰ったことには変わりないので、一応礼だけは言っておく。
不思議なのはグレイが何も言わないことだ。嘘をつくなとかぐらい言っても良さそうなのに。
そのグレイだが、クリスの視線が自分に来ているのに気づくと口の端を持ち上げるようにして笑った。
「俺、しばらく毎日ここに来るようにするわ。」
「え、でも…。」
「心配も遠慮もいらねえって。嬢ちゃんの剣にはいっつも助けて貰ってんだ。このくれぇ当たり前だろ。」
「…ありがとうございます。」
「僕もしばらく来られそうです。」
忘れて溜まるかと口を出したゼルを、クリスは半目で見返した。
「この二週間一回も来なかった奴は信用なんないわ。」
「ええ!? そんなのグレイさんだって同じじゃないですか!」
「たまにしか働かないてめえと一緒にすんな。」
やっぱり全然働いてないのか。そう思いながらグレイに同調する。
「その通りね。一週間に二回は来ると思って、待ってたのに。」
「…待ってたんですか?」
ゼルの笑みが固まる。グレイは眉を思い切り寄せたが口を閉じた。クリスはそんな二人に首をかしげつつ「そうよ」と答える。
「お客さんにもそう言ったからね、だから怒られたわよぉ?もちろん女の人にね。怖かったんだから。」
「…それはすみません。」
「……ハハハッ!」
クリスはあら、と首をかしげる。これでは自分は待っていなかったような言い方だ。だがまあ伝わっているだろう。多分。
「さて、じゃあ俺らは帰るな。怖いかもしれねぇけど、こいつが来ないって言ってる以上ホントに来ねぇから。」
「大丈夫よ。」
強がりでなく、本気でそう思っている。こんなことでずっと怖がるようでは、一人暮らしはやっていけない。
笑ってそう答えたクリスに、ゼルもほほえんで立ち上がった。
「じゃあ、おやすみなさい。クリストファさん。」
「……何で! あんたは! そうなのよ!」
「……そういう趣味なのか?」
蹴られた背中をさするゼルに、グレイが訝しげな視線を送る。
「んー、あの方限定なら否定しかねます。」
「テメェの変な趣味に嬢ちゃんを巻き込んでじゃねぇ。」
「ハハハ」
ゼルは笑うだけで答えなかった。別に被虐趣味があるわけではない。クリスの反応がいちいち面白くてついやってしまうのだ。
「てめぇホントに意味分かんねぇよ。ずっと魔穴の最深部で立ちふさがってんの見たときは、天変地異でも起こるのかと思ったぜ。」
「僕だって真面目にお仕事出来るんですよ。」
彼はバイトの為にしばらく魔族稼業を休んでいた。そうしたらついに魔王に怒られてしまったのだ。
怒られたところでまったく気にしないのだが、仕事をしない堕落な魔族にだけはなりたくないと思っている。
ということで二週間ずっと魔界の入り口であり魔穴の最深部にいた。何をするのかというと、やってきた冒険者を返り討ちにするだけの簡単な仕事である。
「かと思ったら、毎日来るだあ?」
「来れそうなので。」
ゼルが肩をすくめると、グレイはふと真剣な顔をした。
「…嬢ちゃんをどうするつもりなんだ?」
「どうもしませんよ。魔王様に彼女のことを知られているという訳でもありませんし。」
「報告するつもりは。」
「ありませんよ。しても構いませんがね。」
途端に剣呑な雰囲気になったグレイを嗤って、続きを告げる。
「彼女は誰にも手出しさせませんよ。僕が最も興味深いと思っている人ですから。」
「……そーかい。」
グレイは複雑な感情を覚えつつ、苦い笑みを浮かべた。
「ねえ、今日の新聞見た!?」
「見てないです。」
クリスは淡々と答えたゼルに少しムッとし、目の前に新聞を突き出す。
「見てここ!」
「カルガモの子供が生まれまし、すみません!」
「会長の不正契約が国にばれて、賠償金を払うことになったのよ!」
一人一人に対する金額はそうでもないが、総額がすさまじいことになっている。
これでは嫌がらせ雇っている暇など無いだろう。もしかしたら父にも支払われているかもしれない。
クリスがうきうきしていると、彼女に添うようにカランと鐘が鳴った。
「いらっしゃいませ!」
「こ、こんにちは。」
全体的に銀色の、センスの良い防具をつけた若い男だった。こんな高そうな鎧には見覚えが無く、しかし少しどもる答え方に、既視感を覚えた。
「ルディさん」
「あ、名前覚えててくれたんだ。」
「そりゃあ覚えますよ。勇者様ですもの。」
よく見ると、着けている防具には国の紋章が書かれていた。これは王族と聖女以外には、勇者しか使用が許されない。
新たな勇者は、クリスにとってゼルを超える客寄せパンダだ。今日は一体どんな用事なのか。
幸い今は他に客もなく、どんな申し出でも答えられる。
「どうしました?」
「…刀をね。」
「はい。あ、折れてしまったなら新しくした方が…。」
そこでクリスも気づいてしまった。
勇者は聖女の加護を受けた防具と、武器を持っている。つまり、新しい物もいらないし古い物もいらないのだ。
「売りづらくてずっと持ってたんだけど、使い手のない刀が可哀相って言われちゃって…。」
気まずいのだろう。目をそらしながら刀を差しだしてそう言った。
クリスは心の中で嘆息する。パンダが去ってしまった。
「分かりました。日にちが経ってしまっているので、買値の半額になります」
「うん。じゃあ、売るな?」
「はい。」
クリスは刀を受け取り、カウンターへと走った。
「じゃあ、頑張ってくれよ。」
「ありがどうございます。」
もう二度と来ることはない勇者を見送る。
聖女の加護が施された剣なら、自分のうった刀が負けてしまってもしょうがない。正直悔しいが、そういう霊的な力についてはまったく詳しくないのだ。
なんとなくそういうのが詳しそうな男の方を向くと、何故か彼は嗤っていた。
「今代聖女なんかが創った武器で魔王討伐とは、面白い冗談ですねぇ。クリスさんの武器使うなら分かりますが。」
「いや…、それはなんていうか、身内贔屓って奴じゃないかしら。」
自分の力にまったく気づいていない彼女は、そう言って笑った。