遺産相続
遺言状が発見されなかったことが、この一件の始まりの出来事だった。
よくある話だ。富の乏しい時代の社会には……。庶民には肉すら買えない、痩せこけたわびしい社会では……。
とある昼下がり。醜く言い争う男女。
そこにある一体の『健康な男性の死体』から見て、息子とその嫁、娘とその夫、またその娘……つまり『死体』から見て、孫にあたる女児。
「お前は俺の妹であり、決して俺の姉では無く、よって、俺よりも年下であるため、当然相続権は俺よりも下である」
「だまりなさい兄さん。前提として私は三人家族であり、従って食べさせなければいけない人間が夫婦二人だけの兄さんよりも一人多く、すなわち多くの量相続をする必要がある。更に私の家には、『父』、わかりやすく言えばこの『死体』が生前可愛がっていた娘が存在している為、『死体』すなわち『父』の感情を鑑みれば、私こそ兄さんよりも多くの相続をする権利があると主張する」
「その点について異議があるざます。『義父の死体』が生前語る所によれば、俺は健康だから死なないけれども、もし死んだとするならばぜひ息子が世話になっている嫁、つまり私に恩返しをしたい、と日頃から仰っていたざます。また娘については、生前からお嫌いになっていたご様子だったざます」
「その発言には根も葉もない。その根拠は、生前の『義父』の言っていたことなど今更証明のしようがないという点にある。私は、それを『義父』お得意のお世辞という名の虚言だと推測する。その根拠は、僕も生前の『義父』に同じことを言われた事があり、その際には息子を嫌っていると言っていたからだ」
「ばぶーばぶー」
白熱した論戦の渦中、『死体』の死因などという今となってはどうでもいい問題については、遂に一言の論も交わされることがなかった。
『死体』は既に死んだ状態で朝起きてきた息子によって発見され、正月ということで家に集まってきていた家族全員に、家中を震わす大声でもってその事実が報道された。ただそれだけだった。
あくまでこの一大ニュースの最大の論点は、『死体となった男』の、『遺産』の相続問題に尽きる。無論もっとも多くの相続権を持つのは『死体』の配偶者であるはずだが、とある事情から『死体』は独身であったために、その問題を考慮する必要は無かった。
それからも論は盛大に交わされたが結局収まりはつかず、民主的な方法論によって最終的な決断を『死体』の父にあたる老人に託すことにした。『死体』の父にあたる老人は痴呆症ではあるものの、一時期は政治家にもなった信用に足る人物である。
悪化した事態について一通りの説明を受けた『死体』の父は、聞き取った言葉の理解にしばらくの時間をかけた後、遂に事態の帰結を見る一言を発した。
「全員で分けなさい」
数時間に及ぶ白熱した論戦に疲れすっかり空腹した家族は、この一言で事件を終結させることにした。あまりにも拍子抜けする結果である。読者に謝罪申し上げる。
彼らはさっそく、正月のこのめでたい席にご馳走を用意し、揃って会食をするという計画を立案した。
相続した『肉』が新鮮であるうちに調理し、それを『肉』の父にあたる人物の決定に従って家族全員に均等に配分するという作戦が発動すると、一家は家族らしく抜群の連携を見せ、瞬く間に食卓には熱気立つ大皿と一家の笑顔が並ぶ運びとなった。先程までの険悪な空気はどこへやら、一家揃いも揃って、心底幸せそうな笑顔である。
以下、その食膳の内容を記す。
・肉団子のスープ
・四肢ケバブ
・尻肉のステーキ
・血合いと臓腑の腸詰め
・揚げ軟骨
・脳みそのトマトソース煮込み
・ペニスの刺し身
こうしたメニューが相続された『遺産』を使って拵えられ、【父』であった『死体』は食用に適さぬ部分を除いて食卓に上り、最愛の家族の舌を喜ばせた。食料に乏しい時代において、『肉』は貴重である。
一家は、正月の一日にふさわしいディナーを空腹が満腹と化すまで食べることが出来た。
食後のトランプゲームに楽しく全員で興じる姿たるや!!
――――――これぞまさしく、家族の真の団欒の風景であろう。
それは元々は『父』であった『死体』の伴侶を食して以来の、極楽浄土であった。
しかし悲しいかな、一家は全員翌日の朝日を見ることなく、死体となってしまった。
その理由を、ここまで読んでくれた読者にのみ教授しよう。食卓に上った『肉』の死因が、わびしい世を憂いて自ら猛毒を摂取したのに他ならなかったからである。
おわり