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王の帰還
K.record 9 「酷心」
 次の日の朝。
 ユーリはいつものようにリリアーヌの会心の一撃で目ざめ、眠気眼を擦りながらテントを出た。
既にイシュメルとアガサは起きていて、朝食の準備をしている最中だった。

「おはよう、ユーリ」
「あぁ…おはよう」

 地面に腰をおろしながら、意識が覚醒するのを待つ。

「あたしは馬達の面倒を見てくるよ」
「うん、いってらっしゃい」

 アガサが率先して言う。彼女自身が言っていたように、アガサは馬の扱いが誰よりもうまかった。同時に、馬に対して抱いている親愛の情のようなものが彼女にはあって、昨日の夜からよく馬の面倒を見ていた。
 朝食を軽く済ませ、すぐに出立の準備に取り掛かる。

「ユーリ、今日にはミロワール運河に着けるかな? 私ミロワール運河に行った事がないから楽しみだなぁ」
「気が早いな、リリィは。今日中には着けないよ。数日中には運河が見えるところまで行けるだろうからそれまで我慢しなきゃな」
「そっか…」

 残念そうな表情を浮かべるリリアーヌだったが、ふと気付いたように直ぐに笑顔を張り付けた。

「うん!我慢する!」
「…良い子だ」
「また子ども扱い!怒るよ!」
「ははっ、冗談だよ」

 その様子を見ていたユーリは、リリアーヌが離れてから表情を暗くする。彼女の笑顔。ぎこちない笑顔。茫然と佇んでいたユーリに、イシュメルが駆け寄ってきて話しかける。

「どうかしたの? ユーリ」
「…いや、なんでもない」

 苦笑で答えるユーリ。イシュメルが何か言いたげな顔をしたが、アガサが丁度馬達を引き連れてきたので、何も言わずにすぐに出立した。

◆◆◆

 半日ほど、馬の上で談笑しながら過ごす時間があって、その談笑はミロワール運河の周辺に一帯に生息する巨大な森林に差し掛かるにあたって終わりを告げた。
 《ジュラール森林》。
 ミロワール運河の左右に文字通り並行して存在する森。この森を抜ければ前方には巨大な運河が見えるだろう。余りに深い森であるため、街などの集落地は今のところ確認されていない。とはいっても、ヴェール皇国から南部の国へ行く、または南部からヴェール皇国に行くにはどうあっても通らなければならない森であるので、運が良ければ、または『悪ければ』人に出会う事がだろう。
 四人がジュラール森林に突入してからさらに数時間。森は昼であっても光がまばらにしか差し込まないほどに深いので、夕方にもなればもはや周辺は夜と同等の暗さだった。

「……」

 そんな時、イシュメルがゆっくりとユーリとリリアーヌの乗る馬に自分の馬を寄せて、声をかけた。

「ユーリ、ジュラール森林にしか生息しない可愛らしい動物を知っているかい?」
「なんだって?」
「《クウ》だよ、クウ。小さくて、毛がふさふさで、目がくりくりしていて、頼りない四本足で森をゆっくりと闊歩する―――それの気配をさっき道端で感じたから…ちょっと見に行ってみないかい?」

 ユーリは初め、煩わしそうに顔をしかめていたが、イシュメルの言葉と表情に何かが含んである事に気付いた途端、対応を変えた。ユーリはリリアーヌに言う。

「あぁ、クウか。何度か見た事があるな。久々に眺めに行くのも悪くない。リリィ、俺達は少し寄り道をしてくるから、アガサの馬に乗っていろ」
「私も見たい!クウ!」
「知っているか? クウってのはああ見えて噛まれると痛いんだぞ。リリィなんかおいしそうだから真っ先に狙われるだろうな」
「えっ!」

 心底悲しそうな表情をしながら、ユーリはリリアーヌにいった。リリアーヌは急に悩み始め、葛藤の末、結局アガサの馬に乗って二人の帰りを待つことにした。

「じゃ、行ってくるよ。ちょっと道具が必要になるかもしれないから少し荷物を持って行くよ」

 そういってイシュメルがアガサの馬の横腹に備え付けて置いた細長い袋を取る。その瞬間に、アガサもイシュメルがこれから何をしようとしているのかに気付いて、神妙な顔つきで言葉を並べた。

「『気をつけて』な」
「僕はへまなんてしないさ」

 満面の笑みで答えたイシュメルは、ユーリと共に横道にそれていった。

◆◆◆

「なかなか演技がうまいじゃないか、ユーリ」
「お前もな。あんなに解りづらい合図を出すなよ」
「ごめんごめん、突然の事だったからあんまり頭が回らなくてさ」

 アガサ達の姿が見えなくなった瞬間に、二人は大きく息を吐いて話し始めた。

「で、『正体』はなんだ?」
「たぶん山賊か何かだろうさ」
「それにしても良く気付いたな。俺でも気付かなかったのに」
「僕は感覚器が鋭いエルフだし、生まれた時から森で過ごしていたんだ…君よりは周辺の機微に聡い。少なくとも森の中ではね」

 そう言いながらイシュメルはアガサの馬から取り外して持ってきた細長い袋を開け、中から『弓』を取り出した。その弓を見てユーリが感慨深げに言う。

「懐かしいな、まだその弓を使っていたのか」
「当然さ。使い慣れた物こそがいざという時一番頼りになる。樹齢千歳にもなったルーレ樹木で造られたこの弓は頑丈だからずっと使っているよ。もう体の一部みたいな物さ」

 ユーリの言葉には他にも意味が隠されていたが、イシュメルは解ってか解らずか、そのもう一つの意味を受け流し、袋から数本の弓矢を取り出した。すると、即座に弓を構え、明後日の方向にさっそく弓矢を放った。

「うぐっ」

 ユーリでも、イシュメルでもない野太い声が突然茂みから聞こえて、ユーリは感嘆の声を上げる。あてのない方向に放ったと思われたイシュメルの弓矢は、山賊と思われる大男の腹部に突き刺さっていた。

「腕の方も相変わらずだな」
「相手が相手だったしね。さて…」

 イシュメルが馬から降りる。地面で呻いている大男に近づいて行って、その胸倉を掴んで起き上がらせた。細い腕に似合わぬ力だった。

「君達は何を狙っているのかな?」

 大男が突如、その太い腕をしならせて、苦し紛れにイシュメルの顔を殴った。

「おい!イシュメル!」

 不意の反撃に驚いて、ユーリが馬から飛び降りてイシュメルに駆け寄る。殴られた拍子にイシュメルが頭に巻いていた布が解けて、肩で揃えられた薄い色の金髪と、長くとんがった耳が露わになっていた。それでもイシュメルは掴んだ胸倉を離さなかった。

「痛いなぁ」
「ぐっ…貴様…エルフか…穢らわしいッ」
「僕の正体なんかどうでもいい。君達の目的を早く答えた方が身のためだよ」

 イシュメルが片手に握っていた弓矢を山賊の顔の前に漂わせた。
 と、次の瞬間。いくつかの茂みがガサガサと音を上げ、中から数人の山賊が姿を現した。誰もかれもがその手に短剣を握っており、その短剣は確実にユーリとイシュメルを狙っていた。

「もういい」

 イシュメルが掴んでいた大男を放り投げる。

「ユーリ―――」

 ユーリに『開戦』を告げようと振り向いた時、イシュメルの言葉は途切れた。
 その眼に映ったユーリの顔が、ひどく恐ろしく見えたから。表情のない、冷たい顔。そんな中で右眼だけが金色に輝いている。
 其処には見慣れた親友の表情などなかった。
 イシュメルの異変を全く意に介さないユーリは徐に左掌からエスクード王剣を引き抜き、飛びかかってきた山賊の胴体を横薙ぎにし、真っ二つに斬り裂いた。飛び散る血と臓物。
 人を容易く切り捨てて尚、ユーリの表情に変化が訪れる事はなかった。返り血がユーリの美麗な顔を血化粧で染め上げる。
 一方のイシュメルも山賊の攻撃に勘付いて即座に対応する。弓矢の矢じり部分で、襲いかかってきた山賊の足を一突きした。少しの時間差を置いて、さらに後方からもう一人の山賊が襲いかかる。イシュメルは一人目に突き刺した弓矢から手を離し、短剣による攻撃を交わした。山賊の方も態勢を立て直してイシュメルに向かい合う。

「女性じゃないか…何故こんなことを…違う人生があるだろうに…」

 イシュメルが山賊の顔を見て苦しそうに声を上げた。女盗賊はイシュメルの言葉を聞き流す。

「あっ―――」

 意志の籠っていない短い声。女盗賊の眼が突然ぐるんと上を向き、その短い声の後にどさりと膝から地面に倒れこんだ。女盗賊の後ろから姿を表すユーリ。
 ユーリの持つエスクード王剣が、後ろから女盗賊の脳天を貫いていた。突然の出来事にイシュメルは声が出なかった。覗きこんだユーリの顔には、やはり表情の変化が見て取れなかった。

「何も…殺す事は―――」

 イシュメルは無益に殺す事を嫌っていた。もちろん、自分や自分の大切な者に危害を加える者に容赦するつもりはない。しかし、殺さずにいられるのなら殺したくはない。初手の弓矢による攻撃も、だからこそ脳天ではなく腹部を狙った。矢じりによる刺突も、首元を狙わなかった。致命傷ではある。その点に言い訳するつもりはないが、即死は免れるし、治療を施せば死ぬこともない。
イシュメルは事が収まった後、自分に襲いかかってきた山賊たちに最低限の治療を施すつもりだった。
 だが―――
 ユーリのやり方はどう見ても相手を確実に殺す事を前提にしている物だった。半分泣きそうな顔で倒れた女盗賊を抱きかかえる。

「まして…こんな若い女性を…」
「…」

 ユーリは口を開かない。山賊たちによる攻撃は止んだらしく、周辺に人の気配はなかった。
 そのままの状態が数秒続いて、ようやくユーリが口を開く。

「…お前は甘いな。いや、優しすぎるな…イシュメル」
「君が残酷すぎるのではないのかい」

 イシュメルはユーリが突き進んできた修羅の道を知っている。突き進んでしまった修羅の道を。詳細をその眼で見たわけではないが、レザール戦争を生き抜き、此処に居る事が半ばその証明となっていた。
 だからこそ、そんなことを言うつもりはなかったが、目の前の女盗賊を見て、そう言わずには居られなかった。
 ユーリがエスクード王剣にこびり付いた血を振り払う。ぱたぱたと、地面に赤い斑点が出来た。ゆっくりとエスクード王剣を左掌にしまいながら、歩を進めるユーリ。
 イシュメルはユーリの姿が見えなくなった後、女盗賊の亡きがらを地面に優しく横たえ、ユーリの後を追った。

◆◆◆

 何気ない微笑を浮かべながら二人がアガサ達の元へ戻った後、一行はこれまでと同じように森を突き進んだ。

◆◆◆

 それから大事もなく、馬で走って三日ほど。皆の耳にかすかな水の音が入った。リリアーヌが真っ先に声を上げる。

「運河!ミロワール運河だよね!」
「どうやらそのようだな」

 ユーリの返答でリリアーヌが歓喜する。

「早くっ、早く行こ!」
「落ち着けよ、リリィ。運河は逃げたりしないから」

 アガサとイシュメルが顔を合わせて笑みを浮かべる。ユーリがその様子に気づいて言葉を並べた。

「仕方ない、急いでいくか」

 三頭の馬はこれまでにないほど速く、その足を動かした。
 弾ける水の音が徐々に大きくなり、ついにはその相貌を表す。澄んだ水が、行列を為して目の前を闊歩していた。森を抜けたところは丘になっていて、そこから見下ろすミロワール運河は光を反射していてやけに美しかった。
 リリアーヌは心底歓喜しているようで、言葉を紡ぐ事はなく、ただただその運河を見下ろしていた。

「知識と実物ではこんなにも違う物なのかね」
「全くだね、これは良い物を見たよ」

 アガサが感嘆の声を上げ、イシュメルが賛同の意を示す。ユーリも穏やかな視線をミロワール運河に投げかけた。
 運河の幅は国境線と謳われるだけあって狭くはなく、とりあえず丘を下って運河の橋渡し役を捜すことにした。
 幾ばくか馬を進めると、小屋が一行の眼に入る。ユーリが率先して小屋の戸を叩いた。中からたくましい体つきの男が姿を表す。

「ん? なんだ、あんたら」
「運河を渡りたい。橋渡しをしてくれないか」

 あぁ、と短い声を挙げて、男は頭を掻いた。少し煩わしそうに続けて言葉を紡ぐ。

「あんたら国境線を越えるのは初めてだろう。ミロワールはヴェールとその南部国との交通の要所でもあるんだ。橋ぐらいあるさ。ずっと向こうの方にな。ま、此処に辿りついちまったんだから仕方ない。少し待ってな。船を出してやろう」
「助かる。賃金は?」
「馬も連れて行くなら銅貨十枚だ」
「わかった、出そう」

 それから間もなく、水夫が船を出航させる準備を整え、声をかけた。

「ほら、乗った乗った。波が緩やかな所まで下るから少し回り道をするぞ」
「あぁ、任せる」

 四人は船に乗り、運河を見渡した。リリアーヌは終始その顔に歓喜の表情を張り付けて過ごした。
 何人かの水夫による航行は手慣れているだけあって穏やかだった。
 ユーリがけだるげに船を操舵する水夫に声をかける。

「聞いていいか?」
「あぁ、構わないぞ」
「あんた達はいつも運河を渡る行商達と話をしているんだろう?」
「まぁ行商に限った事じゃぁないがな」
「なら、それなりの情報は入ってくるな?」
「嫌でもな。行商ってのはえてしてお喋りが好きだから」
「なら聞こう。最近のヴェールの様子について―――」
「銅貨三枚」

 何気なく言う水夫を見てユーリはうんざりしたように項垂れたが、すぐに懐から銅貨を三枚取り出して水夫に投げて渡した。水夫は嬉々としてその銀貨を片手で掴み、口を開く。

「最近の行商達によれば、ヴェールでは今権力争いが勃発しているらしい」
「万人の言う所の…平和で美しい国でか?」
「みてくれなんて関係ないものさ。だが確かにヴェールは平和だ。今回のは異例と言ってもいい。ヴェール皇国の現女皇―――エンピオネ・ヴェールとその夫、リングス・ヴェールの争いさ」

 その話を聞いたユーリは驚いたように目を丸めた。

「痴話喧嘩にしては壮大だな」

 皮肉をこめて言う。水夫も頷きながら話を続けた。

「元々、あの二人は順序を経て結婚した訳じゃぁないんだ」
「…政略結婚か」
「そうだ。リングスの母国、ヴェール皇国の北に位置するルシウル王国との政略結婚。だがリングスの方は大して気にしていなかったらしい。俺は見た事がないが、エンピオネはヴェール皇国の相貌に相応しく、実に美しいと聞くからな。政治的つながりも持てるし、絶世の美女も手に入れられる。一石二鳥って奴だ」
「リングスってのはもしかして頭が悪いのか?」
「知識はあるさ。王族としての英才教育の賜物。だが知能という点に関してはお前さんの言う通りかもな」
「その辺は詳しいんだな」

 そこで水夫は項垂れて言葉を述べた。

「なんたって俺は生粋のルシウル人だからな。実家もルシウル王国にある。この仕事は出稼ぎみたいなもんさ」
「察するよ」
「ハッハ、銅貨一枚くらいの情報にはなったか?」

 自虐的な苦笑を浮かべながらそう言う水夫に、ユーリは同様に苦笑しながら銅貨を一枚投げ渡した。

「ともあれ、エンピオネにとっては煩わしい政略でしかなかった。先王に猛反対したそうな。だが先王はルシウルの申し出を断れなかった」
「何故?」
「現ルシウル王がそうさせまいと色々な策略を施してきたのさ。密偵を送り込んでヴェール皇国民に大ぼらを吹きこんだり、断った場合ヴェールに攻め入るなどと脅迫状を送りこんだり…」
「ヴェール程の国なら迎え撃つ事も可能だろう」
「先王はヴェールを戦で汚したくなかったのさ。苦渋の選択だったろう。どんなに優勢な戦でも犠牲は生まれるからな。結局先王はルシウル王の申し出を飲み、条件をつけて娘を結婚させた。条件ってのはリングスがエンピオネに嫁ぐって事だ。ヴェールにリングスを引きこめばルシウル王の策略はおよそ防げると思ったんだろう」
「当然の処置だな。まぁどちらが嫁ぐにしろ、政治的つながりは生まれてしまうが」
「まぁな。リングスも先王が生きているうちはおとなしかった。だが昨年先王が死んでからは頭角を現し始めてな。エンピオネから玉座を奪い取ろうと躍起になり始めた。だがエンピオネも一筋縄ではいかない。女でありながらそこらの武人に引けを取らないほどの武の実力者だったからだ」
「初耳だな」
「熊を素手で倒したなんて言う武勇伝まである」
「本当に女か?」
「絶世の美女だとよ。おかしな話だ。そこでリングスは使えそうな役人を次々に取り込んでいき、高度な政治戦に持ち込み始めた」
「馬鹿なのにか?」

 水夫はまたも苦笑する。

「馬鹿は馬鹿なりに口が巧いのさ。それで今、駒が揃ったところで総攻撃を開始している所だ。まぁこんなところだな」

 長話で疲れたのか、水夫は操舵を一旦止め、その場に座り込んでため息を吐いた。ユーリは水夫に近づいて優しく肩をたたく。

「有り難う、有益な情報だった」
「銅貨を三枚も貰ったんだ。当然さ。あと十分程で対岸に着くだろう。そろそろ用意しておいてくれ」
「解った」

 そう言ってユーリは操舵室から出ていった。水夫から得た情報を何度も反芻しつつ―――



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