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新たな螺旋
K.record 89 「解策」
 イシュメルはフーリンとの対峙を制した。魔力は限界に近く、重い倦怠感を身体と精神に感じながらも、その場に立ち続けた。今すぐにその場に座り込んで目を閉じたい。そんな欲望に苛まれながらも、決してその欲望通りに行動する事はなかった。
 理由は一つ。懸念すべき事項がまだ残っていたからだった。その懸念すべき存在が数分後、イシュメルの前に姿を現した。

「あぁ……なんてことだ」

 空中から姿を表し、イシュメルの姿を見て、彼はそう呟いた。
 ルシフェルだった。身体には無数の傷跡があるが、致命傷はない。部下達をしんがりにしてこの場まで飛んできたのだろう。
 ルシフェルはイシュメルただ一人が立っているという現状を見て、全てを悟った。
 フーリンは戦いに敗れ、そして死んだのだと。
 次に、鋭い視線をイシュメルに向ける。

「貴様だけは殺す。なんとしてでも僕が―――」

 イシュメルは動じない。明確な憎悪の対象として敵意を向けられるのは心象の悪くなる物だったが、今更その程度の憎悪に物おじする程覚悟が薄い訳ではないのだ。
 ルシフェルはその場で腰に佩いていた鞘から剣を抜き去り、イシュメルに食ってかかろうとしていた。
 しかし―――

「殿下ッ!ご無事ですか!」

 ケーネが姿を現した。恐らく前線での戦いを制し、急いでイシュメルの救援に向かってきたのだろう。大人数で救援に向かえば仮にイシュメルが先頭中だった場合邪魔になるとケーネは理解していたので、ケーネ単独での救援だった。
 その様子を見て、ルシフェルの表情がみるみるうちに曇る。その場で悪態をつき、こう吐き捨てた。

「くそッ!!」

 ルシフェルとて馬鹿ではない。ケーネがこの場に辿りついたという事は、つまりルシフェルが残してきた部下達、そしてフーリンの部下達がエスクード王宮騎士団に抑え込まれたという合図。それくらい理解していた。眼の前の仇を打ちたいが、打とうとすれば背から刺されるだろう。葛藤の挙句、ルシフェルは賢明な判断を下した。
 翼をはためかせ、体の向きを変える。
 退却だった。
 フーリンを制する程の力を持つ相手方の元首。仁王立ちする様はハッタリか、それとも本当に余裕があるのか。判断が出来ない。その上援軍は見込めず、退路の確保すら危うい状況。選択出来る策は一つだけだった。

 そうしてルシフェルが高速飛翔で去った後、遂にイシュメルはその場に座り込んだ。

「殿下!」

 ケーネが直ぐに駆けよってきて倒れこみそうになるイシュメルを支える。

「ははは、僕のハッタリも中々だったろう? ユーリ程巧くはないけどね」

 イシュメルは満身創痍だった。ルシフェルの飛来を予期し、あえて立ち続けた。それはブラフ、ハッタリ。弱弱しく笑いながら、ケーネに支えられ王城へと歩いて行く。

「戦況は?」
「優勢です。ほぼ敵軍は壊滅、敵の侵入ルートが明確になってしまえば、ロードをその場所に集結させればあとは数の暴力で押し切れます。彼らとしては、その前に勝負を決したかったのでしょうが。犠牲は予想よりも多く出てしまいましたが、それでも、今回の戦は我々の勝利です」
「そう、良かった。僕も頑張った甲斐があったよ」

 イシュメルが浮かべたのはいつもの柔らかい微笑だった。

 その後、ケーネの報告通り、敵軍のほとんどをエスクード王宮騎士団が壊滅させ、生き残った者たちはルシフェルと共に退却し、エスクードは再び安全圏内に身を置くこととなった。

◆◆◆

 それから数日後、ユーリ王の帰還と共に、今回のユッグ共和国の大侵攻戦の全容が明らかとなった。

◆◆◆

 ユーリが帰還したのはエスクード防衛戦終結の数日後。魔力の大半を使い切り、一人で立ちあがれないまでになっていたイシュメルも既に回復しており―――その魔力の回復速度はエルフの性質の為だったが―――大手を振ってユーリを迎え入れる事になった。
 深夜、セリオンの住人達が寝静まった頃、エスクード王城の上空に壮大な羽音がなった。
 戦後処理に追われる文官達が眠気眼を擦りながら、かいてもかいても減らない書類にうんざりしていた時分、その羽音は盛大に王城に響いていた。
 それが最近では見慣れ聞き慣れたあの白竜の羽音であると誰もが疑わなかった。その羽音が響いて直ぐに、イシュメル、アガサ、高級文官達、王宮騎士団の大将達がいそいそと身支度をして何も言わずに王城最上階の会議室に集まってきた。
 間を置かずして、全員が揃った会議室に一人の男が入ってくる。

「随分迷惑な時間に帰ってくるものだね? わざと?」
「顔を見るや否やそれか? イシュメルよ」

 笑い声が、まず会議室に響いた。そして―――

「御帰り、ユーリ」
「あぁ、ただいま、イシュメル」

 まずは、二人が無事に顔を見せる事が出来た事を祝福しよう。そう皆が思った。
 ユーリはエスクードを出発した時の旅服のまま、会議室の中央にある専用の椅子に座り、一息ついた。
 その間、イシュメルは会議室のガラス張りの天井に顔を向け、そこから顔を覗かせている白竜に言葉を紡いだ。

「ユーリを守ってくれて有り難う、ゼクシオン」
『イシュメル、お前も無事で何よりだ。ユーリのお守もそれなりに大変でな。イシュメルがいなければ手に負えないと言う事が解ったぞ』
「お前ら当の本人を前にしてよくそれだけ堂々と皮肉を叩けるな」
「まぁ、わざとだけど」
『わざとだな』
「はぁ…またこれか」

 ユーリが頬杖をついてふてくされながら言う。

「まぁいい、とにかく、今回もご苦労だった、皆の衆。エスクードを守ってくれた事を有難く思う。さて、実の所余り時間もないんだ。俺はまたリネン王国へ飛ばなければならないもんでな」

 ユーリがそう話を切り出し、戦後会議、情報統合が始まった。

◆◆◆

「まず結果から言おう。西国会議にはユッグによる陰謀が張り巡らされていた。会議に出席していたユッグ共和国の第二首相《ロンガ公》は操り人形、本命はその護衛として会議に参加していた第一首相ヤシャ。ロンガ公はしくじり、ヤシャに始末された。そのヤシャは今リネン王国の牢獄に幽閉しているが拷問した所で何も喋らないだろう。処遇は考えている最中だ。ユッグを除けば《リネン王国》、《エレオノーラ公国》共に経済円滑化に前向き、特にエレオノーラはエスクードと同様至急援助が必要な状態だ」
「西国会議の成果はあったという事ですね」

 文官である黒髪のダリオが言葉を紡ぐ。

「そうだ」
「それで、襲撃の方は?」
「リネンとエレオノーラの兵士数人が犠牲になった。翼人による襲撃と、人間による襲撃。だが各国元首は無事だ。今は屈指の防御力を誇るリネン王国の王城で西国会議の続きをしている。エレオノーラへの襲撃もあったが、俺とゼクシオンが飛んで撃退した。やはり枯渇寸前のエレオノーラにはほとんど戦力が送り込まれていなかったからな」
「ゼクシオンの存在はバレたかな」
「ユッグにはバレてない。リネン王国元首ハームフル女王とエレオノーラ公国元首ラウラ女大公には俺の独断で見せた。…信用させるためには必要だったからな。俺個人として、彼女たちは信用に足ると判断したのもある」
「ユーリが良いと思うなら僕たちはケチのつけようがないさ」
「助かる。それで、今俺は一度リネンに戻り、エレオノーラが安全になったという事をラウラ大公に伝え、そのままエスクードへ戻ってきたところなんだ。俺も戻って西国会議の続き、さらには今後のユッグへの対策を三国間で決めなければならない。まぁ、それはこの際置いておこう。俺はエスクード防衛戦の詳細が聞きたい」

 ユーリが話を切り替え、今度はイシュメルに訊ねた。
 イシュメルも真剣な目つきでそれ答える。

「被害は軽微、とは言えない。兵士を五百人弱も失った。明後日に正式に葬ってやる所だよ。防衛は成功したけど、正直な所不安材料が多く残った。今君の言った翼人の出現、獣と人の姿を使い分ける獣人の出現、そして―――《神族》の出現」

 イシュメルの言葉にユーリは目を丸くさせて驚いた。
 神族、その言葉をユーリも白翼人との対話で聞いていたからだ。

「本当にいたのか…」
「うん。彼らは確かに強大な力を持っていたけど、僕らの識る神という概念の枠からは外れた存在だったよ。彼らは彼らの文化の中で神なのであって、概念的な神とは異なるモノだった。僕が相対したから間違いない。今回の襲撃には二人のミレシア神族が参加していた。片方を僕が殺し、片方は退却して行った」
「そうか…今回はお前の方に重荷を背負わせてしまったな…」
「今更それを言うのかい?」
「ははっ、それもそうか」

 イシュメルがそんな事を気にするわけがなかった。それはイシュメルが望んだ事なのだから。

「神族を一人葬ったのなら、ユッグもミレシアも容易に手出しは出来なくなってくるだろう。ユッグに再びミレシアからの増援が来ない限り」
「問題はそこだね。ユッグも後がない。戦力が整えばまた攻めてくるだろう。それもエスクードにではなく、手始めにリネンとエレオノーラに―――」
「なんとかして手を打ちたい。エスクードが救援に行っても良いが、やはり物量で後手後手になりかねないからな…どうするべきか」

 そこで兵士育成の最高顧問であるオルグ伯が声を上げた。

「恐れながら申し上げます陛下。今一つ確認致しますが、ミレシア大陸からの使者は《西海グランバニア》を経由してかの大陸よりこちらへ来るのですかな?」
「そうだ、恐らくそうとしか言えないが、ある確かな情報源より、ミレシア大陸がこのバオル大陸の遥か西に位置しているということは解っている」

 ヨハンの情報然り、ユッグ共和国第一首相ヤシャの発言然り、ミレシア大陸が西にあるということは確定情報と断定しても問題はない。

「ならば、私の旧友にミレシアの使者の監視をさせましょう」

 オルグ伯の発言は、ユーリ共々皆を驚かせた。

「つまり?」
「いえ、実は私の旧友が最近エスクードを訪れまして…大変申し上げにくいのですが、その者、西海グランバニアとミロワール運河下流を縄張りとした賊なのです」
「海賊? オルグ爺さんにそんな友人がいたとは思わなかったな」

 ユーリは大きな笑い声を上げた。高名な武人、清廉で高潔な人物だという現在の評判からは些か的外れな発言だった。

「お恥ずかしい事に、私は若い頃、若気の至りとも言いましょうか…そやつと共に海で暴れてまして…実はその頃に前王シャル様と出会ったのです。私はそのまま引き抜かれ、『奴』はそのまま海賊を―――」
「成る程成る程、これは兵士たちからすれば眉唾物の情報だな! いざという時にオルグ伯の鍛錬から逃げ出す口実になる!」
「ですのでこの情報は内密に」

 オルグ伯が悪戯気に好々爺らしく片目を瞑って見せた。

「わかったわかった。それでその旧友は信用できるのか?」
「えぇ、金には正直な男ですので。金さえあれば奴が裏切る事はないでしょう」

 オルグがやれやれと両手を上げる。

「成る程、まぁ、元より危険の伴う事はさせるつもりはない。監視程度なら任せても良いだろう」
「ですので、奴を使えばある程度の情報は得られます。もちろん、ミレシア関連の報告がないのが一番なのでしょうが」
「その通りだな。ともかく、ミレシアの情報源としては及第点だ。よろしい。とすれば後の問題はユッグか。今回はユッグ自体の軍事力はかなり温存していたはずだ。第一首相と第二首相がユッグに戻らなければ、最悪暴走する可能性もある。……邪魔だな」

 ユーリが本音を吐く。ユッグ共和国の立地は非常に面倒な状態だった。バオル大陸と敵対したのは確定。問題はユッグが海に面している事。ミレシアから無尽蔵に戦力が送られてくれば、結果としてユッグが生きながらえる確率が高い。正直な所、残酷ながら、ユッグ共和国は潰してしまいたかった。ユッグの民を取りこむのも難しい。ユッグの民主制は隣国とは相容れないものだ。ユッグだけ形態が違う。民主制に慣れたユッグの民が君主制の隣国に移り住めば、何かしらの争いの種になりかねない。内紛はなんとしても避けなければならない。経済がより廃れてしまう。
 すると、そこでユーリの頭に一つの名案が浮かびあがった。ひとりでに口元が笑みに変わる。

「あった。全てを解決する策が」

 ―――それから、ユーリがにやにやしながらその名案を皆に話し始めた。
 
 彼の名案は見事に成立するのか―――
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