「陛下、今の話は本当ですか!」
「事実だ。私も知らなかった程の…」
「何という事だ!」
エスクードは未だに、微かではあるものの存在している。
マズール王城王室。椅子に座って半分茫然としているマズール王と、床に片膝をつきながら話に耳を傾けるケーネの姿が其処にはあった。
「陛下は、この後どうなさるおつもりでしょうか」
「どうする、か…。どうもこうもないであろう。騎士団は全てマズールに帰還させる。他国に勘付かれるのも時間の問題だな」
「…勘付かれれば―――」
「どの国もエスクードを獲りに来るだろうな。あそこは天然資源の山だ」
「しかしそれでは…」
マズール王の方針は、当然の処置とも言える物だった。事実、エスクードが未だに存在しているのなら、現在エスクードにいる騎士団は不法侵入している事になる。それも規模の大きな領地侵害。一つの国として、それはあるまじき行為。現状が他国に知られた時、騎士団をエスクードに置いたままにすれば言い訳すら出来ずに責められる。
それだけはあってはならなかった。
一度騎士団を退かせ、エスクードに再度宣戦を布告し、攻め入る。こんな状況は滅多にないものであるから、定石とは言えないかもしれないが、いうなれば今行使する事が出来る中で最良の策であった。
「では、騎士団を帰還させ、早々にエスクードに攻め入らなければ―――」
「無理だ」
即座に返された答えに、ケーネは目を丸めて抗議した。
「何故ですか!エスクードは今でも瀕死の状態…直ぐに攻め入れば…!」
「瀕死…? いや、あの末裔がそんなやわな筈がない。何かしらの策は打ってくる。なにしろあちらにはベルマールがいるのだ。末裔の力の底も知れぬ」
「しかしッ!その程度なら量で押し切れば―――」
「お前は知らぬわけではあるまい。形上、『虐殺』と名打たれた―――我が国がヴァンガードに加入した後に起こした第三次レザール戦争を。圧倒的な物量差…連合の力を借りてとどめを差しに行ったあの戦で、エスクードがどれほどの抵抗を見せたか…。あの場にいた者にしか解るまい。いや、エスクードの民と剣を交えた事のある者にしか解るまい。たかが小国、されど…あれの防衛力は紛う事なく大陸の頂点だった。末裔が事実を伝え、今一度エスクードの民が反骨の意志を閃かせ、ひと所に集まれば―――」
ケーネは当時の事を思い出す。騎士団員の一員として先陣を切った第三次レザール戦争の事を。
一言で言えば…強大だった。
戦神。
力の権化たる先代エスクード王シャル・デルニエ・エスクード。初めて見た時に率直に思ったのは、『敵わない』という諦念にも似た感情だった。エスクード王剣―――今思えばその王剣も偽物だったのが―――を片手に戦場を駆け回るその男は、武力の頂点に位置していると確信出来る程の人間に見えた。
事実、彼は戦に於いては負けておらず、マズール王に殺されたのは、彼が突然『降伏を進言してきたから』であった。
時間稼ぎ。
戦に参加しなかった国民を逃がすための。数日もの間、休まずに、当時の宰相ベルマールと戦い続けたエスクード王は敵側から見ても尊敬に値する程の人物だった。
王だけにあらず、レザール戦争に出陣してきたエスクード人は皆が皆、強大な武力を誇っていた。小国との戦とは思えないほどの犠牲を生んで勝ち取った勝利。元の数が膨大だった為、それも一般見識から見れば小さな傷。それでもやはり、実際のところ犠牲は大きかった。
「アレはな、力に特化した民なのだ。エスクードの民は力の権化。我らマズールの民に、欲深く、それ故商業に長けた力があるように…エスクードの民は純粋な『力』に特化した民族なのだ。根本的に、体に通っている『血』が違う。歴史的に見ても、小国であるエスクードはあらゆる時代に搾取される側として存在した。それでも現在まで存在し続けているのはどの時代においても国を守ってきたからだ。遥か原初、我らが一つから生まれた時にはなかった民の差異も、そうやって時代を重ねる毎に枝分かれしていった。現存している事に、エスクードの血族の証明が為されている。領土を広げようとしなかったのもエスクードの民の気質かもしれん。奴らは自らその武力を使って支配領域を広めようとはしなかったが、自分たちに牙を向ける者に対しては全く容赦しなかった。唯一、奴らに『魔』の適性がないのは幸いだ。神はその辺を考慮しているらしい」
長々と、誰に話しかけるでもなく言葉を並べるマズール王。傍らのケーネはそれを静かに聞いた。
「だが…」
マズール王は続ける。
「我らとて、その気質と能力故に、一度手に入れたものを手放す程愚かではない。今はまだ様子を見ることしかできんが…いずれ再度、相まみえよう、末裔よ」
その言葉を聞いて、ケーネはゆっくりと立ち上がり、一度頭を垂れて王室を出ていった。
◆◆◆
荷を纏め、宿を出たユーリ達はキールの関所を目指した。ユーリもベルマールも、これ以上キールに留まる必要はなかった。歩きながらイシュメルがユーリに言う。
「ユーリ、これから僕たちはどこに行くんだい?」
「ベルマールさんはエスクードに帰る。俺たちはエスクードの北の国境線《ミロワール運河》を越えて《ヴェール皇国》に向かう」
「あぁ、ヴェールかー。あの国は豊かで美しい国だと父上に聞いているよ」
エスクードは東をマズール王国に、北をヴェール皇国に囲まれている。そのエスクードとヴェール皇国の国境線として存在しているのがミロワール運河と呼ばれる巨大運河だった。イシュメルは能天気にあれやこれやとヴェールについて語り始めたが、すぐにそれをベルマールに遮られた。丁度遠くにキールの関所が見えた時だった。
「では陛下、私めはこれにて別の道を行きます」
「あぁ、気をつけて」
会話は皆が思っていたよりも短く、呆気なかった。ベルマールはそそくさと脇道に進路を変える。アガサが堪らず口を開いた。
「なんだい、そんなに呆気なくていいのかい?」
「これが今生の別れってわけでもないんだ。それに…時間もない。特にベルマールさんの案件に関してはな」
「ふーん、ま、あんたらが良いってんならあたしは構わないけどさ」
「気が利くんだな、アガサは」
「べ、別にそんなんじゃない!」
ユーリがくすりと笑い、アガサがムキになってそれを否定する。イシュメルが微笑ましそうにその様子を見ていた。そんなやり取りをしているうちに、ベルマールの後ろ姿が小さくなっていく。
「ベルマールさーん、父上によろしく伝えておいてくださいね!」
イシュメルが大きな声を出した。ベルマールはそれに答えるように、一度だけ振り向いて、微笑を返した。ユーリ達はその後ろ姿が見えなくなるまでその場でベルマールを見送り、また歩を進めた。
「ミロワール運河までは結構距離がある。馬を買ってすぐに発とう」
「了解だよ、ユーリ」
「アガサ、君は馬に乗れるか?」
「舐めるんじゃないよ、あたしは両親の行商で一緒に馬を売っていたんだから。生まれた時から馬と一緒にいたのさ。誰よりも馬を操れる自信がある」
「そうか、なら問題ないな」
そこで、ユーリの傍らを歩いていたリリアーヌにイシュメルが話しかけた。
「リリアーヌは誰の馬に乗りたい?」
リリアーヌは突然の問いかけに少し驚いたが、すぐに答えた。
「ユーリ!」
「ということだよ、ユーリ?」
イシュメルがにやにやしながらユーリに言う。その笑みを煩わしそうに遮りながらも、ユーリは微笑をたたえながらリリアーヌに言った。
「落ちるなよ、リリィ」
「ユーリこそねっ!」
「よく言うよ」
リリアーヌが満面の笑みで答える。ユーリがリリアーヌの頭をなでているのを見て、イシュメルとアガサも安心したように顔を見合わせた。
◆◆◆
馬三頭。値は張ったが、ユーリはなんなく資金を出した。アガサは、ユーリがいとも容易く馬三頭分の銀貨十五枚を懐から出したのを見て眼を丸めたが、イシュメルが耳元で何かを囁くと納得したように頷いた。
馬を引いて関所を抜ける。マズール王が検問でも敷いているかと思ったが、徹底された不干渉が貫かれた。マズール王の慎重さが現れているのだろう。未だユーリの扱いに困っている節もその対応から推測できた。手を出したら最後、何が起こるかすら解らないのだ。藪をつついて蛇を出すよりも、その藪を無視して通り過ぎる事を選んだらしい。
その後、馬に乗って幾許か進むと、清々しい程に平らな平原が四人の眼の前に広がった。
「長い旅になりそうだね」
「全く、なんでこんな事になってるんだか…」
「文句を垂れてはいけないよ、アガサ」
「文句じゃない。それでも…少し楽しみだな」
照れくさそうに言うアガサ。ユーリはその間にリリアーヌを引っ張り上げて馬に乗せていた。
「ん、少し重くなったか?」
リリアーヌの脇に手を入れ、彼女を持ち上げながらユーリが呟いた。即座にリリアーヌが口を開く。
「ユーリ!そういう事は女の人に言っちゃ駄目なんだよ!これだからユーリは!」
「お前はまだ子供、だろ?」
「そうやってユーリはまた子供扱いする!」
「だって子供じゃないか」
話慣れたやり取りが、リリアーヌにとってはいつも以上に嬉しかった。その様子にユーリも気がついて、ふと笑みをこぼす。
「ほら、そこ、イチャイチャしてないでさっさと行くよ」
アガサが悪戯気な笑みで指摘する。リリアーヌは馬の上からアガサに文句を垂れ始めた。
「アガサこそ、兄様といちゃいちゃしてる癖に…」
「な、なんだって!? 口の減らない王女様だねぇ」
「だってその通りでしょ!」
手の指を鳴らしながら、アガサが喧嘩腰気味に言い返した。リリアーヌも負けじと舌を出して応戦する。
「フフフ、良い度胸だリリアーヌ、こうしてくれる!」
「え? あっ、痛い痛い! アガサやめてー!」
アガサが握りこぶしを二つ作って、リリアーヌの頭を挟む。ぐりぐりと耳の上を押しこんだ。そのやり取りを見ていたユーリとイシュメルは苦笑しながら顔を見合わせて、馬の手綱を握った。
「ほら、いくぞ。ちゃんと掴まってるんだぞ、リリィ」
「アガサ、大人げないよ。些細な喧嘩は後にして、そろそろ行こう」
「うるさい、女の戦いに口を出すと碌な事にならんぞ、イシュメル」
三頭の馬が、ゆっくりと歩を進め始めた。
◆◆◆
キールから北西へ。
◆◆◆
正午過ぎに出発した四人は、さしたる障害にも出会わず、無事に夜を迎えた。マズールが商業大国であるだけに、キールからそう遠くない道では大勢の行商人とすれ違った。夜まで馬を走らせれば、それなりの距離は進めるもので、野宿の準備をする頃には周りに人影はいなくなっていた。馬を綱で地面に刺した杭に繋ぐ。キールで買い取った馬達はどれも温厚な性格だったので、逃げ出す素振りもなかった。
「ところで…」
イシュメルが荷物を漁りながらユーリに言う。
「テントとか持ってこなかったの、ユーリ?」
「…」
「君はいつも僕を馬鹿だとか阿呆だとか言うけど、僕から言わせてもらえば君も相当だよ」
「五月蠅い」
イシュメルの問いにそっぽを向きながら答えるユーリ。今更ながら、備えを忘れていた自分がひどく憎らしかった。荷物から折りたたまれたテントを探し当てたイシュメルが続ける。
「まぁ、幼少の頃から野性児だった君にとやかく言っても仕方ないか」
いつになく誇らしげな顔でテントを広げるイシュメル。ユーリは何も言い返さなかった。少し離れた所でアガサの驚きの声が上がる。
「うまい!うまいぞ!リリアーヌ!」
「でしょ!いっつもユーリの食事は私が作ってたんだから!」
のけ反るほどに胸を張ってリリアーヌが言っていた。
「リリアーヌに苦労をかけてたみたいだね?」
「…五月蠅い」
その様子を見て、イシュメルが笑いながら言った。
キールで買い込んだ食材を使ってリリアーヌが作り上げた料理はいつもながらどれも絶品だった。シャムの実の甘煮、羊肉と天根草の合わせ焼き、形の良い鶏の卵焼きの中にはマズールの特産品であるキールチーズが入っていて、とろけるような味わいだった。イシュメルも眼を丸めながら頬張る程に。対するユーリはそれがさも当り前であるかのように平然として食事を進めた。
テントはイシュメルが持っていた物と、アガサが持っていた物の二つで、男と女に分かれて入る事になった。
「ユーリ、リリアーヌと一緒じゃなくていいの?」
「これまでずっと一緒だったんだ。それに…これから旅を共にするんだし…あの二人を一緒にした方がいいんじゃないかと思ってな」
「リリアーヌが一緒にいては話せない事もあるし、かな?」
早々にテントに入っていったアガサとリリアーヌをよそめに、イシュメルとユーリは焚いた焚火の前で座って話していた。
「お前は聡すぎるのが難点でもあるな」
「褒め言葉として受け取っておくよ。で、僕に相談したい事でも?」
「…」
ユーリは少しの間黙っていたが、リリアーヌ達のテントが離れている事を再度確認して言葉を紡ぎ始めた。
「あまり戦に関わる事をリリィに思い出させたくなくてな」
「…辛かったかい?」
イシュメルが直ぐに神妙な顔つきで尋ねる。
「どうだろう。辛いと思う余裕すら…なかったのかもしれない。リリィはもっと酷かった。今あれだけ笑っていられるのが奇跡的な程に…」
「…」
場の空気が暗くなるのを感じて、ユーリは直ぐに次の話題を持ち込んだ。
「これからヴェールに向かうにあたって、お前に習っておきたい事がある」
「…何?」
「…魔術だ」
イシュメルは合点がいったように頷いた。しかし、すぐに表情を暗くして答える。
「ユーリにはその『右眼』があるけど…エスクード人には元々魔術の適性がないから…苦労するよ?」
苦労する。
その言葉が、そのままの意味でつかわれていない事はユーリにもすぐに理解できた。適性がない。故に、限界がある。高望みは出来ないという意味が、イシュメルの言葉には詰まっていた。イシュメルが話を続ける。
「当時に比べれば、随分とその眼は体に馴染んだ様だね。常時金色だったあの頃が懐かしいよ。僕からすれば、あの時の君はいつ爆発するか解らない巨大な爆弾みたいに見えていたなぁ」
「エルフのお前からすればそう見えてもおかしくない状態であった事は認める」
「随分控えめな言い回しだね?」
「話が逸れてるぞ」
「ごめんごめん」
イシュメルは苦笑しながら言葉を切った。少し考えるような仕草を見せ、また口を開く。
「今は『どこまで』出来る?」
その問いを受けて、ユーリはゆっくりと左手を差し出した。一度眼を瞑り、少しの間をあけてから開く。イシュメルの見慣れた金色の右眼が、其処にはあった。同時にユーリの左掌が輝く。イシュメルはユーリの掌に手を乗せて、ゆっくりと何かを引き抜いた。
「一番最初に覚えた魔術だったね。相変わらず術式は皆無、何故魔術として発動しているのか不思議な程だ…右眼の魔力がその逸脱した魔術を可能にしているのかな。僕でも原理が解らない程だ。左掌を出入り口として、別の空間に物を収納しているのかな…んー、やっぱりまだまだ解らないなぁ」
「俺が連想しているのは至極簡単な事。俺自身がエスクード王剣の鞘になるという概念のみ」
「前もそう言われた記憶があるよ。うん、解った。後は?」
「上半身を覆うぐらいの防護陣を作る」
「後は?」
「他人の魔術を力づくで消す」
「…はぁ」
イシュメルは大きなため息を吐いた。
「それは魔術じゃないって前も言ったろう? 術じゃないじゃないか」
「と言われてもなぁ…」
「まぁいいや。防護陣を作って見せてよ」
そう言われて、ユーリは右手を宙に漂わせた。少し右手に力を入れる。
次の瞬間、空間に円形の幾何学模様が浮かび上がった。その金色の魔法陣を見て、イシュメルはまた一層ため息を大きくした。
「これも魔術式がめちゃくちゃだ。所々魔法陣が歪んでいるじゃないか。所々打ち消し合っている式もあるし…」
「今のところ、これが限界だな」
「うーん…防護陣を形成している魔力量が異常だからどうにか発動しているものの、相手の術者が上位魔術師に位置する者だったら突破されてもおかしくないよ。一見纏っている魔力は凄まじく見えるけど…実の所はとても脆い。僕なら一発で抜けるかな」
「上位魔術師と出会わなかったのが幸いって事か」
「正直なところ、その通りだね。単純な魔術なら時間をかければ習得できる。一日では無理だけど…僕ならいつでも付き合うよ」
そう言いながら、イシュメルは立ってテントに歩いて行った。
「明日寝坊するとリリアーヌとアガサに怒られてしまう。もう寝よう、ユーリ。続きは明日また」
「そうだな。今日は寝るか」
ユーリもそれに続いて立ち上がる。不意に見上げた空が、淀んでいるように見えた。テントの扉に手をかけたイシュメルが、いつになく暗い表情でユーリに言った。
「僕も一つ、君に質問していいかな」
「…なんだ?」
◆◆◆
「君は其処にいるのかい?」
◆◆◆
「…」
ユーリは押し黙ったままで、言葉を紡ぐ事はなかった。
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