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新たな螺旋
K.record 69 「始術」
エスクードの西南西、ミロワール運河の最下流に面している『ユッグ共和連合国群』。
通称ユッグ共和国。
上を小国『リネン王国』、下を『エレオノーラ公国』に挟まれた共和国群である。
ユッグとは、小国と呼ばれるリネン王国よりもさらに小さな規模の国々が集まり、共同で運営が為されている共和国で、およそ争いという争いが起こらない平和な地域だった。
エスクード王国と貿易的に結ばれていたとはいえ、レザール戦争開戦に際し、エスクードから数少ない物資を搾取される事を恐れたユッグ共和国軍は即座に貿易関連を凍結、前エスクード王もそれを認め、関係は断絶されていた。
明確な頂点は存在していない。国民の代表として十名が選ばれ、その十名で国が回されている。
先日、復興したエスクード王国から貿易の申し出があった所だった。
周辺各国の活発化を理念とする、と明言したエスクード王国の申し出は、断るには余りにもったいない、思ってもみない提案だった。
大陸の左端にあるユッグ共和国は、内陸部の国々と貿易するに際し、エスクードやマズールを経由するしかなく、ここ数年戦の激化していたその両国と関係を絶ったが故に、ユッグの物流は悪くなる一方だった。
ミロワール運河下流から船を出し、海に出、バオル大陸下部を迂回して奥地の国々と貿易をする事も出来たが、それではあまりに時間が掛かり過ぎ、同時にコストも馬鹿にならなかった。
とはいえ、それしか方法がなかったゆえに、ユッグ共和国は造船業が盛んであり、ミロワール運河で見かける船はどれもがどれもユッグ産という現状にもなっていた。

貿易を円滑化してくれるエスクード王国の復興を我が国の事のように喜びつつ、活気を取り戻し始めたユッグ共和国の船発着所から、その日一隻の小さな船が、見当違いの方向へ泳いで行ったのを誰が気にする事もなかった。

◆◆◆

「殿下、ヒューお爺様が肉体活性の概念の原形となるものを作る事に成功したようです」

仮眠を取っていたイシュメルは、その言葉が最初夢の中の戯言なのではと錯覚せざるを得なかった。
ここ数日糸口すらつかめなかった魔術の断片を、敬愛する老エルフが発見したと言う。
イシュメルは従者の言葉を三度頭の中で反芻した後、飛び起きて身支度も整えないまま廊下へ飛び出していた。
向かうは地下。

◆◆◆

「見つけたって!?」
「これはこれはイシュメル王子、何もそんな急いで降りてこなくともよいでしょうに」

ヒューは優しげな笑みを浮かべながらイシュメルに告げる。

「あくまで原形、でしかありませんが…確かに肉体活性と呼ぶにふさわしい概念を包する魔術式は見つけましたよ」
「さすがヒュー御爺さんだ。僕がなんとなくしか描いてなかった魔術をもう式にしてしまうなんて…」

イシュメルは興奮しつつ、ぼさぼさの頭を撫でながらヒューに問いかける。

「早速その式を僕に見せては頂けませんか?」
「もちろんですよ」

ヒューは机に置いてあった巨大な紙を手に取り、広げてイシュメルに見せた。

「これは……」

膨大で細かい幾何学模様と文字列。
イシュメルは目に映った魔術式を数瞬の内に理解し、同時にある答えに行き着いた。

「……この式は…ユーリの体に刻めない」

押し殺したように出た言葉は、皆が望んでいた言葉ではなかった。
ヒューはイシュメルの言葉がさも当り前のように一度微笑んで頷いた。

「でしょうね。これはあくまでも原形です。ユーリ陛下の望む魔術の初歩の初歩。生み出した私でさえ、この魔術を使う事は忌避されてしかるべきだと思います」
「…強い催眠作用によって痛覚を消し、同時に肉体の可動域を解放…肉体運動の電気信号を魔術による電流で増幅、加速、その肉体運動によって生じた肉体の亀裂を同時進行で細胞活性型の治癒魔術で修復…この繰り返し……」

イシュメルの言葉を聞き、エルフ王、リオル、トリスタン、そのほかのエルフ達も息を飲んだ。
そして理解する。

「ユーリの命が…消える」

間違いなく。

「細胞活性型の治癒魔術魔術でなければまだ良い。いや、駄目だ。これでは余りに―――」

◆◆◆

非人道的すぎる。

◆◆◆

「陛下の肉体の寿命は一瞬にして縮まるでしょう。この魔術を使い、肉体を動かすだけで寿命が凄まじい勢いで減って行く。ユーリ陛下の『半人半竜』としての肉体強度、再生力を考慮した上でさえ、何回使えるか…。もちろん、ただの人間が使えばおそらく一度でその生は儚くも尽きるでしょうね。拳を繰り出せば肩が千切れ、足を出せば膝が飛び、腰を捻れば胴が飛ぶ。至極原理的に、至極合理的に生み出した結果が、この魔術式です」

ヒューは顔を曇らせた。

「既存の魔術をあらゆる手段を用いて複合、融合させ、生み出してもおそらく結果は『コレ』と同じ事になるでしょう。私はそれを王子に知らせなければならないと判断しました」

イシュメルは大きく項垂れた。

「人間が上位の生物に近づこうとすれば、必ず弊害が起こるものなのか…」

呟く。

「いいえ、魔術はそういう類の物です。弊害を加えるならば、神は初めから魔術という代物を生み出さなかったでしょう。あくまで自論ですが…」
「考える余地はある、ということですか」
「余地がなければ、王子は初めからこんな事をしようとは思わなかったのではありませんか?」
「…その通りですね」

イシュメルはヒューに諭され、考える事をやめようとさえ思っていた自分を叱咤した。

「それに、やはりユーリ陛下にも協力を仰がなければならないようですね。陛下に頼まれたもう一つの魔術を完成させるにしても、陛下のこれまでの経験を形にしてもらわなければなりません」
「僕から言ってみます。結果として原点に戻ることになってしまいましたが…」
「私は考える事を生業としているしがない老エルフです。幾度でも王子と共に考えましょう」

ヒューがそういって優しげに笑った。

「イシュメル、お前はいつも諦めなかったではないか。そう、諦めなかった。屁理屈を捏ねてまで難題に真っ向から挑んだお前がここで諦めるわけが無いと私は思っているよ」
「リオル兄さん…」
「正直な所、僕は全く何が何だか解らないけど、イシュメルの諦めの悪さは解っているつもりさ」
「トリス兄さんは少しは考えてください」
「僕にばっかりいつも反抗的な態度……悲しくなってきた」

トリスタンがおどけてみせると、皆が笑った。

「イシュメル、我が子、何時の間にやら私の知り得ぬ事まで知る様になったお前を私は誇りに思うよ。それを突き詰めるべきだと、私は思う」
「まだまだ父上には敵いません」

イシュメルは励まされながら、再び決意を固めるのだった。

◆◆◆

魔術博士とも呼ばれているヒューが既存の式、文字列ではユーリの求める魔術が完成しないと証明した後、イシュメルはユーリを地下へ呼び、魔術開発に従事している皆の前で例の竜術に関して述べるよう促した。

「説明か…どうしたものかなぁ」
「別に何でもいいんだ。感覚を言葉にするのは難しいだろうけど…そこをなんとかしてほしいな」
「…んー、少し待ってくれないか」

ユーリは顎に手を当て、一人黙考し始めた。

「強く、速く、いつもそう念じて魔力を体に収束させているな。魔力自体、術者の念に作用する力があると言われたから、俺はそれを信じ切って念じているだけだな…」
「魔力…か」

イシュメルも同じような格好で思考を巡らせた。

「この際可能性があるものを片っ端から試してみようか…魔力…魔力…」
「おい、大丈夫か?これ」
「何かしらの可能性に行く着いたのでしょう。殿下は一度集中してしまうと周りの声が聞こえなくなりますからね」

一人でブツブツ言い始めたイシュメルを心配したユーリに、ヒューが困った表情をしたまま告げる。

「陛下、有り難う御座いました。また何かあればお呼びいたします」

ヒューに促され、ユーリは執務に戻った。

◆◆◆

イシュメルの試案はその後数時間に渡って止まる事はなかった。
人間文字、エルフ文字、古代エルフ文字、様々な文字が、どのような魔術的作用を持つかを再度確認し、はたまた少し文字をいじってはそれが新たな作用を持つようにはならないかと何度も繰り返し試行した。
その中でも、もともと魔力に直接作用する類の文字、文字列を重点的にオリジナルとして改変し、自分の身をもって試していく。
その膨大な量の試行実験を、イシュメルは他のエルフ達の助言や手伝いを受けながら、一週間をかけて実行した。

◆◆◆

「……これだ。これしか可能性はない…」

髪はぼさぼさ。
頬は若干痩せこけ、目の下のクマは深くなっていた。
自室にこもりっぱなしだったイシュメルは、一人歓喜を押し殺したように呟く。
そんな中、イシュメルの自室の扉が開いて、アガサが姿を現した。
イシュメルの姿を見るや否や、半分諦めかけた表情と声色で一応言葉を紡ぐ。

「イシュメル、少しでいいから飯を食えといったぞ。お前がユーリを心配するのと同じように、あたしはお前が心配なんだ」
「…あ、あぁ、ごめんよ、アガサ。…でも出来たんだ。新しい文字、そしてそれを組み込んだ魔術式が!」

イシュメルは疲れ果てた体を叱咤し、立ち上がってアガサに言った。

「あぁ、そうか。解った。解ったがまず最初に飯を食え。そして身だしなみを整えてからユーリに会いに行くんだ。そのままいけば、ユーリに大笑いされるぞ」
「…そうだね、うん、有り難う、アガサ」

弱弱しい笑みを浮かべながら、イシュメルはアガサの厚意を受け取り、一旦思考することを止めた。

◆◆◆

「遂に発見したんだって? イシュメル」
「そう、遂にね」
「その前に聞かせてくれ」
「何を?」

イシュメルがユーリのもとを訊ねた時、ユーリは椅子に座って執務をこなしている最中だった。
そんな中、ユーリは少し厳しい目つきでイシュメルに疑問を投げかける。

「その魔術式、どうやって作用を確認した?」
「僕自身で」
「……」

ユーリはイシュメルの返答を聞くや否や、真っ先に頭を抱えた。
その状態のまま、ユーリが言葉を紡ぐ。

「いいかイシュメル、お前は俺の魔術を度々注意したな。副作用があるかもしれない、と言って。そう諭すお前が、何故自分の体を使って未知の魔術を試すんだよ…」
「ごめん、でもユーリの気持ちも少し解ったよ。それしかないなら、行使してしまう場合もあるって。なんかいつもと立場が逆だね」
「あぁ、まさか俺がお前にこんなことを言う日が来るとは思わなかった。……まぁいい、せっかくお前が作り上げた魔術をそっちのけにしておくのも忍びないな。さっそく試すとしよう」

ユーリは執務を中断し、イシュメルと共にロードの訓練場へと足を運んだ。
道中イシュメルに説教をするという真逆の立場を少し楽しみながら。

◆◆◆

イシュメルがユーリのための魔術を完成させたと言う吉報は瞬く間に王城中に広まり、多くのギャラリーが訓練場に集まってきていた。

「説明するよ。僕の生み出した魔術は簡単に言えば『魔力操作』。まず、ユーリの話を聞いて引っかかった所があってね。君は魔力を体に収束させている、と言った。よくよく考えれば、それは異端なことなんだ」
「魔力を操作する事自体が異端…そういえばいつかそんな事を言われた気がするな」
「そう、普通は魔力を物質的に捉えて操作する事はできない。それは普通の魔術師は魔力を魔術の源としか考えていないから。魔力はあくまで魔術の贄で、魔術という作用点がなければ意味のないものって。確かに見る事は出来るけど、その実、魔力は自分の意志とは関係なく体内を廻る物くらいにしか考えない。どうして君が魔力を操作できたかといえば、それはたぶん常に『他者の魔力』を身近に感じていたからじゃないかと僕は思う。魔術師が魔力の存在を当たり前だと認知している中、君は魔術を使う身でありながら、他者の魔力を使わざるを得ないという状況下で、否応なく魔力というものを焦点化するしかなかった」
「なるほど」

イシュメルは一息ついてから話を続ける。

「魔力は魔力自体で人の願いに感応する力がある、というのは定説で、まさにその通りだったよ。魔力自身に干渉する術があったんだ。より干渉しやすいように、魔術で魔力の流れを整えてやれば―――魔術の源である魔力を魔術で操るって或る意味矛盾が生じるけど―――人の思考を魔力が体現する。端的に言えば、『魔力に概念を付与する事が出来る』。そして僕が試した結果、概念の強さは魔力の強さと量に関係し、膨大な魔力を有する君にぴったりの魔術完成した」

イシュメルが地面に指で魔術式を書いて行った。
それが気になるエルフ達が続々と集まってきてその魔術式を眺めるが、皆一様に黙り込んでしまった。
少し経って何人かのエルフが虚しそうに呟く。

「複雑すぎて何が何だか…」

イシュメルは苦笑する。
すると、ヒューが皆の感じていた違和感を言葉に現した。

「これは、もしかすれば、魔術と言う業の始まりの術式なのかもしれませんね」

あぁ、なるほど、と魔術師が一斉に頷く。
魔力を操る。
この言葉に対して抱いていた郷愁のような念が何なのかを、皆が一様に理解した。
それにイシュメルも頷く。

「基本的に副作用はない。―――術者の能力の限界を超える力を発揮しなければという前提のもとにはね。君ならどういう事か解るはずだよ」
「あぁ、自分の体が壊れるのでは意味がないからな」
「うん。今までのユーリの竜術を形にしただけだけど、たぶん竜術よりも作用は大きいと思う。君の願いに魔力が呼応しやすいように、それを補助する魔術だから」

そこで未だに複雑な魔術式に唸っていたトリスタンが声を上げた。

「この魔術式を使えば僕達もその魔術が使えるようになるのかい?」
「いいえ、おそらく満足には使えないでしょうね。僕が完成した魔術式を行使した結果、僕でさえ『十秒』しか魔術は効力を発揮しませんでした。トリス兄さんならおそらく僕と同様の時間なら使用できるでしょう。魔力を使いきる―――つまり命を賭ける―――ならばあと数秒延びるかもしれません。概念を付与する魔力と、魔術に使用する魔力、同時進行で魔力を消費しないといけないので…」
「それ程に魔力を消耗するのか…」
「だからこそ、ユーリの為の魔術。もちろん、刻印式という要素もあってこそだけど…まぁ口で散々説明したけど、ユーリには見せた方が早いかな。―――よし、ユーリ、久々に殴り合いの喧嘩をしよう」
「…え?」

イシュメルがニッコリを笑みを浮かべ、次の瞬間、ユーリの顔面に拳を放ってきた。
イシュメルらしからぬ拳速の拳を。
ユーリは咄嗟にイシュメルの拳を片手で受け止める。
その瞬間ユーリは理解した。
イシュメルの編み出した魔術の威力を。
イシュメルの拳は今までからは想像もつかない重さを含んでいて、ユーリは受け止めた拳を咄嗟に横に逸らした。

「…解った?」
「…あぁ」
「君と比べて圧倒的に肉体が脆弱な僕の限界はこんなものだけど、これを君が使えばきっとそれは恐ろしい威力になる。そうだな、さっきのヒューお爺さんの言葉で閃いた。この魔術は『始術』と名付けよう。ある意味では万能で、ある意味では無能な魔術さ」
「安易だな、イシュメルらしいよ」
「複雑だと君が理解できないだろう?」

些細な皮肉に、皆が笑った。


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