「見えた」
『やはり事が起こっているのは王城か』
「らしいな、急いでくれ、ゼクシオン」
エスクード王国王都セリオン上空、ユーリとゼクシオンは王城が視界に入る位置まで遂に飛翔してきていた。
城門付近から少しの煙が上がっており、すぐに其処が戦闘場所であることに気付いた。
その頃、エンピオネは未だにキュイスと対峙しており、同時に、分が悪くなってきた事を確信したところだった。
「魔力量が違い過ぎるか…」
「そろそろ限界ですか?ヴェールの女帝よ」
近接戦を織り交ぜても、キュイスにはかすりもせず、逆に手剣で反撃を受けかねない。
単純な魔術戦を挑めば必ず押し返される。
つまりは手詰まり状態だった。
勝利への兆しなどあるわけもなく、ただ時間を稼ぐ事しか―――
その間に王城内に侵入していった二人が何をしでかすか。
焦燥が徐々に大きくなる。
するとキュイスがふと微笑を浮かべた。
「焦りが目に見えてますよ。ほら、『其処からでは私を迎撃出来ない』」
はっと我に返る。
キュイスがじりじりと後退していた。
距離を―――開けていた。
勘付いた時にはキュイスが宙空に文字を描いていた。
これまで詠唱呪文を描かず、言霊のみで強大な魔術を放ってきていたキュイスがここに来て呪文を空中に刻もうとしている。
さらに強大な魔術を発動させるために。
呪文を描く事によって意識をその魔術に集中させ、さらに魔力を描いた呪文に込めて安定化、そこから飽和状態に持ち込み、詠唱を発せば起動。
言霊のみ、つまり自分の体内で予め魔力を魔術に変換し、詠唱でもって起動させる手法は速度面では優れている。
なにより魔術起動の時まで魔術の質がバレる心配がない。
しかし、情報の大部分を視覚に頼っている人間が、自分の体内という目に見えない場所で繊細な魔術を生成する事は困難を極める。
その点、呪文を目に見える何処かに刻む事は速度では劣るものの、魔術の安定性を求めるならば遥かに優秀な手法だった。
ゆえに、生成に安定性と繊細さを要求される上位の魔術は後者の手法の方が威力を発揮しやすい。
キュイスが距離を取った意味がそこにあった。
エンピオネの頭脳が最善の策を編み出すべくして目まぐるしく運動する。
走った方が早いか、魔術を打った方が早いか。
しかしエンピオネの頭脳が弾き出した結果は無残な物だった。
(どちらでも…間に合わない…ッ)
射程圏外だったのだ。
エンピオネは迎撃を諦めると、後ろを振り向いて部下であるヴェール騎士達に怒号を飛ばした。
「―――逃げろッ!」
咄嗟の怒号に、果たして何人が反応できただろうか。
「願うは破壊、土神よ、我が問いに応えよ」
無情にも、キュイスの詠唱がその場に響いた。
キュイスが願ったのは単純な概念。
破壊、崩壊。
地面が揺れた。
轟音を上げて揺れる地面はややもすると裂け始め、ついには其処の見えない溝を生み出した。
何人かが逃げ遅れ、その溝に落ちて行く。
悲鳴を上げながら。
エンピオネの表情が悲痛に歪んだ。
咄嗟に伸ばした手は虚しく空を切り、彼らの上げる悲鳴だけが耳を劈く。
溝はそのままより広く、深くなっていく。
その溝に飛び込んでいきたい衝動に駆られた。
◆◆◆
「落ちるなよ」
◆◆◆
溝の手前で跪くエンピオネのすぐそばを、蒼空から高速で飛翔してきた何かが通過した。
聞き覚えのある声と共に。
白い竜だった。
竜はギリギリの広さの溝の中へ速度を保ってまま飛翔して行く。
その背中に見えた人間の後ろ姿。
「ユー…リ?」
◆◆◆
「間に合え…」
溝が思った以上に深かった事が功を奏した。
真っ暗な暗闇の中をひたすらに落ちて行く数人のヴェール騎士を発見し、ゼクシオンが器用にその落下点に移動する。
ユーリが彼らを一人一人抱きとめ、ゼクシオンの背に乗せた。
全員救いあげた所でゼクシオンは再び上空へゆっくりと飛翔する。
地上まで高度があがり、遂に真正面から彼女と相対した。
「間に合ってよかった」
「ユーリ…!」
改めて互いの存在を確信する二人。
ユーリは救い上げたヴェール騎士を地上に下ろし、感慨に浸る間もなく反転してキュイスを見た。
キュイスの方は突然の来訪者に驚きを隠せないようで、言葉を発する事もなく、ただ相手の出方を窺うだけだった。
「また顔を合わせたな、キュイス・ホーリーウッド」
「ユーリ・ロード・エスクード…まさか貴方が生きて此処まで戻ってくるとは…いや…その竜―――」
キュイスは納得がいったといわんばかりに苦笑を浮かべた。
「ハルメント様と対峙したというのに生きているとは…いやはや驚きですね」
「してやられたがな」
「ふふ、随分頭にきているようで」
キュイスはくすくすと含み笑いを漏らした。
対するユーリも怒りを前面に出す事はなく、至って冷静な表情を保ったままだった。
「マズールと一戦、ヴァンガードと一戦、そして此処でもまた一戦か…」
「戦とはそういうものでしょう。終わりなど見えた物ではありません」
「その点に関しては賛同する」
「どうです?犠牲も多くなってきました。ここらで降伏して頂けませんかね?」
「舐めているのか」
「貴方は王として優秀かもしれない。しかし貴方が王として動く戦はこれが初めてだ。いかに優秀であれど、前例を持たぬ故に引き際を知らない。そのまま進めば先にあるのが奈落であるとも知らずに、猛進し続ける事すらありうるかもしれない」
「そうであったとしても、引き際を決めるのはお前じゃない」
キュイスはそこで一度髪を掻きあげてため息をついた。
「まぁ、そうでしょうね。やはり言葉だけでは解決できませんか…」
キュイスの纏っていた空気が不意に凍りついた。
「ユーリ、解っているとは思うがかなりの使い手じゃぞ」
エンピオネが忠告する。
ユーリの眼つきも鋭くなり、周りの面々はこれから戦いが始まる事を予想した。
が―――
キュイスが起こした行動は意外な物だった。
急に表情が緩んだかと思うと、即座にユーリ達に背を向けて走り去ったのだ。
逃亡とも呼べる行動だった。
問題はキュイスの向かった先…
「王城か!ヴェール兵!そいつに構うな!」
溝の向こう側へ。
キュイスとヴェール兵の力量の違いは明らかで、彼らが手を出してもキュイスは止まらないだろうと確信を得ていたユーリは無理に止めるな、と忠告を出した。
無駄な血を流す必要もない。
彼らがキュイスを足止めできるのならば、もちろん頼みたかったが、友好国という名目だけで彼らに血を流させるのは些か気が引けた。
「ゼクシオン!お前は此処でエンピ姉と共にヴァンガードの追加戦力を迎え撃て!俺は王城の中に行く!」
『無理はするなよ』
「無理なんかもうとっくにしてるよ」
そう告げてユーリはゼクシオンの背から降り、キュイスの後を追った。
(どこまでも賢い奴だッ)
いかにキュイスが上位の魔術師であるといっても、ユーリとゼクシオン、そしてエンピオネを含んだ戦力には敵わない。
無謀な戦いを捨て、すぐに別の策に移る。
計算高く、賢い選択だった。
恐らく王城内で人質でも取るのだろう。
ユーリの脳裏にリリアーヌの顔がちらついた。
キュイスが取るであろう行動におおよその目星をつけながら、王城周辺を守るヴェール兵を横目に、ユーリは猛烈な速度で城門を潜りぬけた。
◆◆◆
ラグが王城に足を踏み入れた時には既にヨハンとマーレの姿はなく、心臓が大きく跳ね上がった。
ラグは無我夢中でリリアーヌの部屋へと駆ける。
バタン。
力の限りで扉を開けた。
瞬間、視界の右端で閃光が走り、左端からは槍が飛んできた。
ラグは頭を引っこめることでその二つを避ける。
「ラグ?…守衛長官の任に就いているラグ・オッツですか?」
槍を繰り出した張本人―――エマが驚いた表情で尻もちをつくラグに問いかける。
ラグの視界に映るのはエマ、エルフの侍女二人、そしてリリアーヌの無事な姿だった。
「よ、よかった…此処には来ていませんか…」
「申し訳ありません。ついぞ地震が起こったもので…てっきり曲者が忍びこんできたのかと…」
「いえ、そんなことはどうでもいいのです。今すぐ王城から逃げてください。エマ様の言うとおり、曲者が城内に忍び込みました。私では力及ばず…止める事さえ…」
ラグは体勢を立て直そうとしたところで体の異変をようやく認知した。
左腕がなかった。
あぁ、そういえば、と、その程度の感慨を得たが、それのみだった。
しかしエマは顔を真っ青にして今にも倒れそうな表情をしていた。
「ラグ!腕が!」
「いいのです。落ち着いてください。奴らが来る前に、早く王城を―――」
「誰か来るよ!」
二人のやり取りをリリアーヌが大声で遮った。
ただならぬ状況なのは解る。
そしてラグとエマが何を話していたかも聞こえた。
ゆえに、今自分の聴覚が感知した二人分の足音が不吉な物だろうと推測も出来た。
するとラグが咄嗟に片腕で体を支えて体勢を立て直し、エルフの侍女は魔術の詠唱を始め、エマは再び槍を手にした。
ラグは扉の真ん前に立ち塞がる。
(なんとしても―――護り抜く)
左腕の付け根から大量の血液を垂らしながらも、ラグはしっかりとした足つきで立っていた。
彼らの耳でも足音が感知できるようになったところで、その足音が止まる。
かなり近くにいる、そんな事実だけが脳裏をよぎった。
そして―――今度はゆっくりと扉が開いた。
皆の心臓が脈打つ。
「何者だっ!」
ラグが生気を振り絞って威圧するかのように大声を上げた。
扉の向こうから返ってきた声、言葉は、皆が予想していたものとはまるで違うものだった。
「あっ…ぼ、僕たちはエスクード王国民です!王城が襲撃されたという声がセリオン中に広まっていて…様子を見に来たのです…」
ラグがエマの方を振り向く。
その表情に険しさはなく、心底困ったような風だった。
「名を名乗れ、私はエスクード王城守衛長官のラグ・オッツだ」
「は、はい。僕の名前はクレア・ウルネアと申します。もう一人はエクアード・ウルネアです」
「ウルネア…?」
「はい、『ウルネア孤児院』の孤児です」
ラグは聞き覚えのある名に反応して言った。
「ともかく廊下にいるのは危険だ、解った、入ると良い」
ラグはクレア達に敵意がないと判断すると、すぐに部屋へ招き入れた。
◆◆◆
あまり悠長に話をしている時間はないものの、クレア達が早口でまくしたてるのでラグ達も聞かない訳にはいかなかった。
「僕たちはユーリ国王陛下に何度かお会いしているのです。お忍びで孤児院にいらっしゃった時に…その…僕達にだけ話があると言って―――」
「余り悠長に話をしている暇はないが…それが君たちが此処にいる事と関係があるのか?」
「仰るとおりです。陛下には王城に何かあった場合すぐに此処へかけつけるようにと仰せつかっておりました。僕たちが王城周辺の地理に詳しいから…城から外への抜け道も見取り図で確認しています。どうか僕達についてきてください」
皆が顔を見合わせた。
唐突もない話だが、王ならそれくらいの保険はしておくだろうという憶測染みた考えもあった。
クレアは色素の薄い黄緑色の髪の毛を少し揺らして、じっとラグを見ている。
エクアードという少年は異様に長い黒の前髪で目元が見えなかったが、この現状に対して狼狽していないという事だけはよく解った。
微動だにしないでラグ達の反応を見ているようだった。
対するラグは、血を流し過ぎて意識が少し朦朧として来ていたが、しっかりとクレアの提案と現状を天秤にかけ、少し考えてから結論を出した。
「解った。君たちの言葉を信じよう。いいか、何としてでもこの方たちを逃がしてくれ」
「承知しています。任せてください!」
クレアが快活な声を上げる。
紙一重の逃亡劇が幕を開けた。
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