ケーネは謁見の間を出る際にベルマールに言われた言葉を忠実に実行に移した。ベルマールの部屋の扉の鍵は開いていて、すんなりと中に入る。
扉を開けた瞬間に目に入る机の上の分厚い本。半開きのまま置かれていた。丁度、そこに話に聞いた突風帯ハリネについて書かれていたので、読み始めた。
そして、読み進めて行くにつれ、ある真実に行き着く。
自分の手に意志とは関係なく力が入るのが解った。
「…ハリネとは……エスクード各地を転々とする突風帯ではなく―――」
エスクード王国北部にのみ、それも冬にのみ吹く突風である。ブリザードを伴って吹く事が多いため、冬に育つ作物の類は被害を受けやすい。
「毎年猛威を奮うため、近年、畏怖を含めてつけられた名である…」
例の村は旧エスクード南部に位置している。旧エスクードの東に位置するマズールからから村へ行くのに際し、ハリネという突風が邪魔をすることなどまずない。
ケーネはその事実に気付いた時、手に持っていた本を投げ捨て、部屋から即座に出た。
何故態々でまかせを伝えてまで騎士団の出発を遅らせた。理由は一つ、それはあの青年の為。身を挺してまで村を守ろうとしたのだ。村への追撃の事を考えないわけがない。それを先んじて読んだベルマールの策。
それでも疑念は残る。なら何故、そうなることを読み切っていながら、数日という短い期間だけ遅らせた。
それは数日あれば、その侵攻を完全に停止させるだけの策があったから。
いや、青年が村を出る事は必然ではなかった筈。何故それで数日という短い期間を遅らせた。
まさかベルマールは青年がキールへ向かうことすら読み切っていたのか…圧巻の一言に尽きる。
しかし、策と言っても今日まで彼らが顔を合わせた事などない―――
いや、そう言えば昨日、ベルマールは夜分遅くに外出し、そこで青年を見かけたという。その時に何か打ち合わせをしたのか。そんな短い時間で。
ともかく…何故気付かなかった。短絡的に見れば、信じたくはなくてもベルマールは青年の味方である可能性が高い。それもそうか、彼らは旧エスクードにおいて王子と王の宰相と言う立場関係。接触は幼少時から多々あったろう。
そして今、あの青年―――ユーリとその連れの娘、ベルマール、そして王は謁見の間に四人だけ。単純に見れば一対三。
何があってもおかしくはない。何故もっと早く危惧しなかった。
「陛下…!」
謁見の間を目指して走り出すケーネ。額から溢れだす冷や汗が止まらなかった。
◆◆◆
「今更気付いたのか……遅いな」
「貴様ッ!」
マズール王は玉座から立ち上がってユーリに吠えた。そして隣にいるベルマールにも言う。
「ベルマール!奴を殺せ!」
「残念ですね、陛下。私には命令の遵守という制約は設けられておりません」
「私に逆らうのか!」
「あぁ、そういう言い方をすれば『もしかしたら』貴方の命令を実行に移していたかもしれませんね」
「なに!?」
そう言ってベルマールは上半身の服を脱ぎ、マズール王に左胸の肌を見せた。
「呪印が―――!」
「えぇ、もう貴方の犬ではなくなりました。残念です」
と言いつつも、ベルマールは悲しむ所か、笑みを崩さなかった。
「くっ!ならば貴様ごとっ…!」
すると、マズール王は玉座の下に隠していた剣を取り出し、鞘から抜き放った。
「陛下、私めに武力で勝とうなどと御思いですか? これでも私はかの戦神と謳われた男の宰相をしていた男ですよ」
鋭い眼光。にやけていたベルマールは既にそこにはおらず、代わりにエスクード王の宰相をしていた頃のベルマールが姿を現していた。
気圧され。圧倒的な力量差が雰囲気としてマズール王に伝わる。気圧されたマズール王は苦し紛れと言わんばかりに玉座から飛び降り、縄で縛られているユーリ目がけて走りだした。その様子を見てベルマールがまた笑う。
「陛下、その青年もまた、戦神の一人息子です。さらには貴方の良く知るレザール戦争をエスクード側、それも最もしつこく狙われた王族として生き抜いた圧倒的強者です。お気を付けを―――」
その言葉を聞いているのかいないのか、マズール王はお構いなしと言わんばかりに速度を緩めずにユーリに向かって行った。剣の間合いに入るかと言うところで、ユーリが少し身動きをする。
次の瞬間、縄で縛られていた筈のユーリは、その拘束を何らかの手段で立ち切り、両手が自由の状態でマズール王と相対した。
歩を緩めるマズール王。
これ以上踏み込んではいけないと、本能が叫んでいた。
「なんだ、来ないのか」
つまらなそうに呟くユーリ。その後ろ手には華美な装飾が施された剣が握られていた。
柄に刻まれているエスクード紋章―――竜が翼を大きく広げている紋章―――
「エスクード王剣…」
マズール王は体中から冷や汗が迸るのを感じた。
エスクード王剣。権力を主張する唯一の剣。王冠と同じような物だった。本来なら前エスクード王が持っていた物。
「何故それが此処にある…確かにあの時…奪い取った筈…」
「あぁ、我が父はマズールがヴァンガード連合に加入したのを知った時、負けを悟っていた。だから第三次レザール戦争に踏み切るにあたって、王印をベルマールさんに、王剣を俺に渡しておいたのさ。お前が奪ったエスクードの貴重品は全てが全て、偽物さ。…やけに簡単に折れなかったか? 刃の閃きは鈍くなかったか? 装飾は拙くなかったか? ……それでも気付かなかったのか…『愚鈍な奴め』」
最後に盛大な皮肉を付け加える。
その言葉を受けたマズール王の怒りは頂点に達していた。
「何故お前はそれ程に私の前に立ちはだかる! 忌々しいエスクード王よ!」
マズール王が叫んだ瞬間、ユーリの体がゆらりと動き、次の瞬間にはマズール王の眼前まで間合いを縮めていた。
ここにきて、マズール王と間近で相対して、これまで比較的穏やかだったユーリの心が沸々と燃え上がり始めていた。
錆びた筈の復讐心が雄叫びをあげる。
「…殺しはしない。正直な所、今すぐ八つ裂きにしてやりたいと思わないでもない。だが、その行動が後々俺に災厄をもたらすだろうとも思う。故に―――我が父の謀略がお前に勝った印に…そのマズール王剣だけは折らせてもらう」
マズール王は背筋の悪寒を感じて、なけなしの戦闘本能のままに咄嗟に剣を構えた。それを待ちわびていたかのように、ユーリも同じように剣を構える。
「しかと見届けよ。エスクード王剣の切れ味と…その閃きを!」
横一閃。中段に構えていたユーリの王剣が、マズール王の目では捉えきれないほどの速度で宙に閃いた。
そして次の瞬間には、金属同士がぶつかる甲高い音すら鳴らずに、王の持つマズール王剣が刃半ばから切り飛ばされていた。
剣と剣同士の衝突。なのにも関わらず、音すら鳴らずに切り落とされたマズール王剣。切れ味の違い、そして剣を使う者の違いは明らかだった。
吹きとんだマズール王剣の刃が、マズール王国の玉座に突き刺さる。
「よくもこんなナマクラで父を切れたもんだな。さぞ苦痛だったろうに」
吐き捨てるようにユーリが言い、エスクード王剣を左掌の中に押し戻した。掌からは光が舞い散り、ユーリの右眼は金色に輝く。
「陛下!」
不意に謁見の間の扉が勢いよく開き、その向こうからケーネの声が響き渡った。
「遅かったですね、ケーネさん」
「ベルマール様!一体これはどういう事ですか!!」
ケーネの視界に入ったのは、拘束が解かれたユーリの前で折れたマズール王剣片手に跪くマズール王。
そして玉座の隣で妖しげな微笑を浮かべるベルマール。
ケーネの危惧していた事が、現実となった証拠でもあった。
「大丈夫、陛下を殺しはしませんよ。ねぇ、ユーリ」
「あぁ、そっちから向かってこなければな」
ユーリはリリアーヌの縄を解きながら軽い口調で答える。
「大丈夫だったか、リリィ」
「うん!」
とは言いつつも、リリアーヌも多少は怯えていたようで、拘束を解かれるや否や、ユーリの服の裾を掴んだ。ユーリはそれに答えるようにリリアーヌの頭をなでる。
予想はしていたものの、いまいち状況を掴み切れないケーネはベルマールに問いただした。
「ベルマール様!これは謀反です!何故ですか!貴方には反逆不可の制約がかけられて―――」
ベルマールは着直していた服をうんざりした様子でもう一度下ろす。それでケーネは合点がいった。
「呪印が…ない…」
それでも、反逆の理由に関しては何も解らない。対して、ベルマールが先に口を開いた。
「貴方も良く知る様に、私は旧エスクード王…いや、前エスクード王の宰相です。私がマズール王の宰相として一生を過ごすと思いますか? 私の前で無残に殺された愛する友の願いを無視し、この場に留まると御思いですか?」
ベルマールが鋭い視線と、咎めるような声色で告げる。ケーネは、その言葉で万事に納得できてしまう自分が嫌になった。
「それでも…」
ケーネが何かを言おうとするが、それをベルマールが遮る。
「私としては、貴方の方にこそ問いたい。御自分の想いを曲げてまで仕える価値が、このマズール王、そしてマズール王国に御有りだと思いますか?」
「…」
ケーネは言葉を紡げない。
ユーリと会話した時の、価値観の揺らぎが心に襲いかかった。
ケーネの言葉を待つベルマール。
「それでも…今は…」
それ以上は言えなかった。
ユーリがその間にリリアーヌを連れて謁見の間を出ようとする。しかし、ケーネはそれを良しとはしなかった。
「通さん」
「ならば…押し通る。ベルマールさん、リリィを―――」
リリアーヌは即座に嫌な顔をユーリに向けるが、ユーリの臨戦態勢とも言える冷徹なまでの無表情を見て、何も言わずに引き下がった。
「さぁ、おいで、リリちゃん」
満面の笑みでリリアーヌを迎え入れるベルマール。大きく両手を広げてしゃがみ込んだ。
「…変人。気色悪い」
「相変わらず釣れないですねぇ…まぁ生きていたのだから文句は言わないでおきましょう」
リリアーヌはベルマールと一定の距離を置いて立ち竦んだ。
一方のユーリとケーネは臨戦態勢に入る。ユーリはまた左掌からエスクード王剣を抜き放ち、ケーネは腰の剣を抜き放った。両者正眼に構えてじりじりと間合いを詰める。先に動いたのはケーネだった。
「斬るッ!」
騎士団長の座に居座っているだけあって、動きに無駄はなく、かつ、素早かった。
それでもユーリの方に素早さでは分があって、剣で受け止める所か、軽々と斬撃を避けきって見せる。ケーネは初撃が空を切った事で、フォロースルーに重心を持って行かれ、若干の隙が生じた。それを見逃さず、ユーリは直ぐに防御の手薄なケーネの脇腹目がけて王剣を横に振った。だが、ケーネの方も即座に構え直し、ユーリの斬撃を受け止める。
今度は金属音が鳴った。
「良い剣だ」
ただ一言。
その一言から、少し前に話した時とは纏っている雰囲気も柔らかい表情も、何もかもが変わっているという事に気付く。
ケーネはそこで改めて確信する。
目の前のエスクード王家の末裔が、レザール戦争を生き抜いた強者である事を。同時に、その心に巣食った闇の深さを。
臨戦態勢に移行する事で剥き出しになったユーリの纏う雰囲気とは―――
洗練された冷たい殺意の波動。
金色の右眼と深紅の左眼がその異質さを助長させる。殺すか殺されるかの状況に一体どれほど長い間身をおけば、こんな眼になるのか。そんな状況で何故、これ程に無表情でいられるのか。そう考えた時、背筋がゾっとした。
殺意の波動に気圧されて、ケーネは一歩後ずさる。たった一度の斬り合いであったのに、ケーネの息が上がっていた。
やらねばやられる。そう思った瞬間に、ケーネは魔術の詠唱を唱えていた。
「炎術―――無限の業火、その身を以て、刃に閃け…」
ケーネの剣が突然渦巻く真っ赤な炎に包まれる。刀身が燃え盛る業火を身に纏い始めた。バチバチ、と炎の燃え盛る音が謁見の間に響く。
それでも、ユーリの表情に変化はなかった。
ケーネは炎を纏う剣を構え直す。
今度はユーリから仕掛けた。直線的にケーネに突っ込むユーリ。カウンターの的。されど、その速さは異常にして神速という言葉に尽き、ケーネが剣を振り下ろすより速く、懐に潜り込んでいた。
「速っ……」
幾秒もすれば、彼の剣が自分の体を貫くだろうと思った。幾度か経験はしていても、それは恐怖を促すものだった。
死を覚悟して、咄嗟に目を瞑る。
―――が、衝撃はいくら待っても訪れなかった。
炎のバチバチッと弾け散る音だけが幾許かの時間、謁見の間に響く。ゆっくりと開けた目の先に、相変わらず無表情のユーリの顔があった。
「悪くはない。ただ、刺されるその時まで眼は瞑るな。諦念は敗北を呼び込んでも、勝利を呼び込みはしない。それと……」
姿勢の低い状態で、ケーネの首元に剣を突きつけていたユーリが態勢を起こす。すると、素手でケーネの燃え盛る剣に触れた。
「何を…」
突然の行動に唖然とするケーネ。うねる炎の渦が、ユーリの手を燃やしてしまうと思った。が、炎がユーリの手を燃やす事はなく、まるで手懐けられたかのように、その勢いを弱め、遂には消え去ってしまった。
「何故…」
その問いに答えるでもなく、ユーリは言葉を紡ぐ。
「俺に並の魔術は通用しない。もう少し精進すれば、剣術に関しても魔術に関しても上位に食い込む良い騎士になるだろう。大国の騎士団長を務める事が出来る程の指揮能力もあるしな」
言いたい事はそれだけだったようで、ユーリは王剣を掌に戻すと、踵を返した。
がくりと膝から崩れ落ちるケーネ。慈悲をかけられたようなものだ。
どちらにしろ―――完敗だった。謁見の間から出て行く三人を引きとめる事など出来なかった。
去り際にベルマールが悲しげな表情で言う。
「ケーネさん。事の詳細は『陛下』にお聞きなさい。そして…それを聞いた上で、貴方がどう行動するかは貴方の自由です。私はあるべき場所に戻ります。マズール王を陛下と呼ぶのもこれで最後でしょう。貴方も、私に敬称を施す必要は以後、ありません。それと、この際ですから貴方が昔、私に問いかけた質問に答えましょう。もう隠す必要もないので…。貴方は私に『何故貴方はそうも顔や体が衰えないのですか』と言いましたね。あの時ははぐらかしましたが…今はっきりと答えましょう。…何故なら私は『長命のエルフと、人間の混血児だから』です。―――それでは…いずれ、また会える事を祈っています」
ベルマールは最後に一言付け加えようとして、それを理性で押し留めた。
それは…いずれ時がくれば言える言葉。
―――私が決める事ではないのだ。
茫然自失のまま虚空を見つめるマズール王と、跪くケーネ騎士団長を謁見の間に残し、三人はその場を去った。
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