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歴史の系譜
K.record 49 「視線」
「少し、出かけてくる」

ユーリはイシュメルに言い放った。
開戦まで幾日もない状況の中で、国王が急遽一時的にでも王都を離れるのは士気の関係上あまりかんばしい事ではない。

「何か用事でも?」
「あぁ、とても…重要な用事だ」

とはいえ、何時になく真剣な表情で言葉を告げたユーリに対し、イシュメルは断固としてそれを拒否する事が出来なかった。

「すぐに戻る」
「…出来るだけ早く帰る事を期待しているよ」

開戦まで二日という刻限ぎりぎりの情勢の中、ユーリは一人馬を駆って王都セリオンから離れて行った。

◆◆◆

「ベルマール様、少しお話が―――」

丁度ユーリが内密に王都を離れた頃、ケーネはベルマールの部屋を訪れていた。
ベルマールは快く彼を部屋に招き入れ、思い詰まった表情のケーネに対し微笑を浮かべて見せる。

「何でしょうか、そんなに思い詰まった顔をして」
「今回の戦について…諸々不安を曝け出してしまおうかと。頂点に君臨するユーリ様の下で私は間接的にでも王宮騎士団を束ねる身、あまり兵士たちに不安要素を与えたくないのでベルマール様くらいにしか話せないのです」
「ふむ…」

当然といえば当然。
将の不安は下々へ伝染する。
それをケーネは良く知っていた。
だからといって慣れないエスクードの地で大任を任され、さらには二日後に戦が迫っている物だから正直な所不安で仕方がない。

「今勝算云々を語る程私は愚かではありません。が、正直今のエスクードの兵力でマズールとヴァンガードの連合軍に立ち向かえる気がしないのです」
「正面衝突を強いられれば…さすがにエスクード人でも敵わないでしょうね、今回の数力差では…」

ベルマールも表情を引き締めてケーネの言葉に逐一答えて行く。
その眼光は鋭い。

「やはり今回の戦は分が悪いですね。大局での交戦が非常に重要になってくるとは思うのですが…その全ての可能性を秘めているユーリ様に本当に護衛隊をつけなくてもよろしいのでしょうか」
「…」

ベルマールは少し間を置いて考えるような素振りを見せた。

「私の予想では…護衛隊を付けるのは陛下にとっては逆効果でしょう」
「しかし今のままでは余りに防御が手薄すぎます!」
「今回の戦は正攻法では勝てません。当然のように防御を固めればハーレン伯は動きの鈍った本陣を何としてでも攻めてくるでしょうから。それよりもむしろ出来るだけ陛下の荷を減らし、大局を様々な面から観察するだけの猶予を与えて差し上げなければならないと、私はそう思います。貴方にとっては肝の冷える戦となるでしょうが…陛下自身が言う様に私もこれで正しいと考えています」
「…」

ケーネは何度もベルマールの言葉を頭の中で反芻させた。
そしてようやく得心がいったように表情から不安を消し去った。

「解りました、私も覚悟を決めましょう」
「ふふ、よろしい。辛い戦いになるかと思いますが貴方も貴方の守るべき者の為に力の限り生き抜いてください」
「御意」

それぞれの場所で、戦への準備が整っていく。

◆◆◆

王宮騎士団ロード、その第十分隊の宿舎に熊男の異名を持つ男が姿を現したのはその日の昼過ぎ。
見慣れぬ訪問者に兵士たちはどよめきを隠しきれず、次いでその異変を察知してか第十分隊の大将が自ら熊男の元に姿を現した。

「唐突に他の隊の宿舎に顔を出さないで頂けますか、熊男」
「堅い事言うなよ、氷人形」

アルフレアはフェリシアの顔を見るや否や少し嬉しそうな表情を灯して初手の口頭による攻撃をいなした。
フェリシアの方は気だるげにがっくりと肩を落とし、何の用かと眼で問いかける。

「勝負をしないか?」
「勝負?」
「あぁ、どちらの方が速く王に与えられた仕事をこなす事が出来るか、という勝負だ」
「まぁ…別にいいですが…勝利の報酬は?」
「何、負けた方が一つだけ言う事を聞くってのが簡単で良いだろうよ」
「…いいでしょう」

フェリシアは思いのほか早々にアルフレアの話に乗り出した。
周りの兵士たちが少しざわつく。

「では、私が勝ったならば貴方のその鬱陶しい髭を全て剃り落として頂きます」
「がっはっは!手厳しいな!…ならば俺が勝った暁には―――そうだな、食事に付き合ってもらうとしよう」

頬を掻きながら少し照れくさそうにアルフレアが言った。
フェリシアは意外そうに眼を丸めながらも、それを了承する。

「公然と口説かないで頂けます?」
「別に口説いちゃいないさ。ともかく、それで決まりだな」
「えぇ、楽しみにしていますよ」
「こっちこそ」

どちらも充実した微笑を浮かべて同時に互いに背を向けた。

◆◆◆

戦まで残り一日。
ユーリが少し疲れを見せながら王城に帰還し、幾時間も待たずして即座に出陣式がとり行われた。
エスクード王城の周りには民達が集まり、続々と城から出陣していく兵士たちを鼓舞する。
中ほどでユーリが姿を現し、一層声援が大きくなった。
ユーリはそこで一度馬を止め、静かに、しかし力強く民に声を掛けた。
一言―――

『行ってくる』

と。
物珍しい銀毛の馬を駆りながら、王は進む。
決戦の地、レザール鉱山へ。

◆◆◆

ハーレン伯の最初の書状に対して五分の皮肉を交えながら否定の意を示し、次いで互いに徹底抗戦の意を示し、レザール鉱山がその地に定められる。
開戦の日時は当初ハーレン伯が突きつけてきた要求の刻限と同じで、当日に王城から出陣したのでは間にあいはしない。
一日前とは言えども、余裕はそれほどなかった。

「この調子で進軍して行っても開戦ぎりぎりか…」
「君が悪いんだよ、帰ってくるのが遅いんだから」
「悪かったな。だが間に合わない訳ではないだろう?」
「国の名に泥を塗るわけにはいかないだろうと言ってベルマールさん達が早急に準備をしておいてくれたんだよ」
「悪い事をしたな」
「全くだね」

馬上で少し硬い皮肉をイシュメルと言い合いながら、ユーリは徐々に意識を集中させていった。
駆け足で走りぬけてきた今までに対し、現実味が薄れている感覚はある。
この行軍もその出来ごとの一つに入るのだが、現実は現実で絶え間なく、一定の速度でユーリに迫ってくる。
切り替えなければならない。
事実と幻想の違いを正確に見極めなければならない。

「ユーリ」
「なんだ?」
「リリアーヌは…本当に置いてきて良かったのかい?」
「…」

リリアーヌは王城にて待機させた。
当然の処置。
わざわざリリアーヌを危険な場所へ連れて行くわけにもいかない。
自分の狂気に対し、唯一の特効薬となり得る彼女と離れると言う事は或る意味恐ろしい事ではあった。

「大丈夫だ。俺はもう…大丈夫」
「そうかい」

イシュメルは柔らかな微笑で短く言った。
今度はユーリが先に話しかける。

「イシュメル、お前はアガサの事を第一に考え、護れよ」
「解ったよ」

自分の事は放っておけとは言えなかった。
それはイシュメルの生き方を否定する事にもなるし、彼自身が答えを出せずにいる二択の答えにもなりかねないから。
イシュメルが自分の事をどれだけ想っているかなんて、容易に感じ取る事が出来た。
だからこその、残酷な答え。

「戦が終わったら俺が紅茶でも入れてやるさ」
「楽しみにしているよ」

其処からは出来るだけ戦の話題に触れないようにしつつ、ゆっくりと精神を統一させていった。

◆◆◆

「キュイス、何か手は打ったのか?」
「私ではなくハルメント様が…というのが正確ですがね」
「相変わらず手回しの速い爺さんだな」
「ふっふ、ですねぇ」

ヴァンガード連合の軍力を使わないと公言したハーレンの影響力で、キュイスとヨハン、そしてマーレはマズール王城から動けずにいた。

「僕達は暇になるね」
「当分は、ですが。ハルメント様の策が実った時には大仕事が回ってくるでしょう。貴方の力もまた必要になってくる筈です」
「余り僕を酷使しないでもらいたいんだけどなぁ」
「そうもいってられません。今回は思いのほか分が悪いのですから…」

マーレが栗色の巻き毛をくるくると人差し指にからめながら愚痴をこぼす。

「まぁいい、僕は与えられた仕事をこなそう」
「良い心掛けです」
「ふん」

三人は時を待つ。
混乱の時を―――

◆◆◆

「ガルデア、いるか」
「はっ、此処に」

ハーレン伯は側近の名を呼んだ。
ガルデアと呼ばれた男はきびきびとした動作でハーレン伯の前に跪く。
新生マズール騎士団の団長である彼は短く整えられた茶髪といかにもというような無愛想な表情を宿していた。
年齢は三十台といった所か。
前マズール騎士団長ケーネとは違い、彼よりも幾分厳格そうな男だった。
猛者の佇まいと言った風で体からもの言わぬ闘気のような物を発しながら跪くガルデアはハーレン伯の言葉を待った。

「そろそろ城を出たい。準備は整っているか?」
「勿論です、陛下。全騎士団を城門に待機させております。お声さえあればいつでも…」
「解った…ならば―――行こう」
「御意」

ハーレン伯は玉座から腰を上げた。
その腰は戦へ出向くというのに少し軽そうで、しかし挙動には若干の緊張が見られた。
足が一瞬震えていた。

「戦か…まさか私が軍事にまで手を染める事になるとは思わなかったよ」

狡猾で冷徹な商売人という前評判はその姿や言動からは確認する事が出来ない。
少し頼りなさげな田舎国の王という幻想が、一瞬彼の背中に見えた気がした。
その事に一抹の不安を覚えつつ、ガルデアも歩を進めた。

マズール騎士団の出陣式はエスクード王宮騎士団のそれよりも一層派手だった。
元より声援を送る民の数が違う。
新国王の名声がもたらした形容しがたい高揚感がマズール人達の心をくすぐっていた。
ハーレン伯は馬上から民達をぐるりと一周見まわす。
誰もかれもが生気に満ち溢れた顔をしていて、今自分の置かれている状況を忘れてしまいそうなほどの奇妙な高揚感に囚われてしまいそうだった。
しかしその感激は即座に、予想だにしない存在によって掻き消される。
溢れんばかりに集まった民達の中、不意に見覚えのある顔を見てしまった。
真っ白な髪の毛、同様の長い髭、しわの多い顔にそぐわぬ鋭い視線の持ち主―――

『ハルメント・ワーレ・クァンタム』

大きく眼を見開いてぼそりと口ずさんだその名を自分でもう一度確認する。

(何故…こんな所に―――)

その白髪の老人と眼を合わせた瞬間、ハーレンの体に戦慄が走った。
まるで全てを見透かされているかのような、全ては彼の掌の上とでもいわんばかりの強烈な上層からの視線。
百戦錬磨の心理術をもってしても逆に劣等感を抱いてしまいかねない程の。
手足の震えを抑えているうちに、老人は民達に紛れて消えて行った。
出陣の儀に際し、抱え込んだのは強大な不安感。
なんと頼りない旅立ちだろうか。

(いや…今は…考えないようにしよう)

自分に暗示をかけるように、何度も何度もそう心の中で呟いた。


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