セリオン、ヴェルツ、レイティール、アグロ、ラーキス、レナード、カイウス、ウェルファー、ファスレア、イルドゥーン、ムスペル―――
街は全て滅んだ。
どれ一つ生前の形をしている街はない。
屋根は落ち、窓は抉られ、扉は粉々に、内装は焼け落ち―――人は殺された。
誰一人居なかった。
巨大な国門には無数の白骨が祭り上げられ、竜の紋章は血で汚れ、足の一つは酷く削られていた。
風が吹きすさぶと白骨が揺れてカラカラと音を奏でる。
まるで門が嘆くように。
街からは声が聞こえない。
叫び声ですら愛おしくなる程に生気が失せた街。
巨人に踏まれ、竜の炎に焼かれたように黒ずんだ街。
あぁ、そうだ、この瓦礫に隠れた事もあったな。
あぁ、そうだ、此処で十人殺したな。
あぁ、そうだ―――
◆◆◆
瓦礫の山を越える。
馬は嫌そうに進むのを躊躇ったが、今更それを許す程大らかではいられない。
見せつけられる惨状の数々。
「流石に此処までは復興の兆しは足を運んでいないか」
「時間が足りな過ぎるね…」
ユーリは唯一エスクード紋章が胸に刻まれている服を着込み、馬を駆っていた。
王が着る服とは思えぬほど簡素ではあるが、紋章が刻まれているだけ良い。
何もないよりは…飾りがある方が良いだろう。
そう思い、エスクードの領地に足を踏み入れた時に着替えた。
イシュメルはエルフが好んで着る丈の長い服を着ていて、リリアーヌも同様の伝統衣装に身を包んでいた。
アガサも故郷の衣装に着替えている。
メイレンはサベジの蠍の刺繍が入っている黒装束で、ケーネは薄い鎧甲冑を着ていた。
そう、王都セリオンは近い。
緊張とも取れる心持で、ユーリは手綱を握る手に力を込めた。
王都セリオンの正門が見えたのはそれから半時間後の事だった。
◆◆◆
二人の門兵が見える。
ひとまず安心する。
そうか、門兵を置くだけの余裕はあるのか。
徐々に門に近づく六人。
その存在に気付いた門兵の一人が一歩前に躍り出てその顔が見える位置まで駆け寄ってきた。
「申し訳ないが所属を―――」
門兵は絶句した。
復興して間もないセリオンの街に出入りするのは資材を集めに行くエスクード人か諜報活動に出ていくサベジの面々のみ。
行商はともかく、旅人ですら訪れないこの街に見慣れない人間が近づく事はほとんどなかった。
だからこそ緊張と共に身分を明かさせようとしたのが…
ユーリの銀髪と紅眼、その服に刻まれたエスクード紋章を見て、瞬間的に彼の『身分』を察知した。
身震いする門兵。
眼の前の人物が確かに本物であることを何度も確かめると、唐突に叫んだ。
「陛下ッ!!!」
「今、戻った。王城まで案内しろ」
厳格な声。
有無を言わさぬ強烈な覇気。
門兵は目に嬉し涙を浮かべながら背筋を伸ばし、鋭い返事を返した。
「はっ!仰せのままに!」
エスクード王の凱旋が、其処に始まった。
◆◆◆
門からセリオンに入ってからは悲鳴にも似た歓声の嵐だった。
「陛下っ!」
「陛下だ!」
「陛下がお戻りになられたぞ!!皆を呼べ!!」
日に焼けた男たちが口々に活気に満ちた声でユーリを呼ぶ。
女たちも作業を止め、ユーリの姿を見て歓喜する。
卒倒する者すらいた。
老人たちの普段はおぼつかない足取りはいつになく軽く、一目でもユーリを近くで見ようと背伸びまでしていた。
一方のユーリはその歓声に応えるように柔らかな微笑を送ったり、覇気の籠った鋭い視線で前を見たり。
エルフ達も駆け寄ってきて、イシュメルを見るや否や大勢の中で跪いて見せた。
「イシュメル殿下、帰りをお待ちしておりました」
「ご無事で何よりです」
「有り難う、君達も…生きていてくれて良かった」
柔和な笑みを返し、すぐに視線をリリアーヌに向ける。
「リリアーヌだよ」
「リ、リリアーヌ姫殿下!!」
「あぁ!リリアーヌ姫殿下が無事にお戻りになった!!」
最初は高貴に振る舞っていたものの、リリアーヌの姿を見るとエルフ達は狂喜乱舞した。
それもそのはずで、かれこれ数年の間、リリアーヌはエルフ達から遠ざかって生きてきたのだ。
レザール戦争に巻き込まれ、半数のエルフはリリアーヌは死んだものだと思っていた程だった。
ベルマールがエルフの森を訪れ、リリアーヌが生きている事を知らせたのだが、民たちは半信半疑だった。
「ほら、リリアーヌ、何か言っておやり」
イシュメルが促す。
潤んだ目でエルフ達が言葉を待っていた。
リリアーヌは多少困った様子でもぞもぞしていたが、頼りなく一言発する。
「えっと…ただいま?」
エルフ達はその言葉を聞くと、何名かは嬉しさの余り気絶し、何名かは落ち着かない体をもてあますように走りまわった。
そんなこんなで大勢の観衆を引き連れつつ、遂にユーリ達はエスクード王城前に到着する。
城は過去の威厳を取り戻していた。
控えめな光沢を所々に貼り付けている銀色の壁。
角の目立つ建築様式。
刺々しさよりも類まれな強靭さを彷彿とさせるその様相はエスクード人の特徴を絶妙に捉えているように思えた。
敷地は広大で、ヴェール皇城、マズール王城にも引けを取らない。
幾何学的に組まれた幾層にも及ぶ城の階層。
最も人の目に映る上部の階層の外壁には紅の天幕が吊るされており、その天幕の中心には黄金糸で刺繍された竜のシンボルが輝いていた。
かつてのエスクード王城の別名―――
『月天城』。
天に聳える月の輝きにも劣らないエスクードの城が、その日息を吹き返した。
◆◆◆
「やっと…帰ってきたよ…父さん」
ユーリは少しだけ表情を和らげて誰にも聞こえないくらいの声で呟いた。
一歩、そしてまた一歩と城門に近づく。
これまでの苦労をその一歩ごとに思い返すように、ゆっくりと。
不意に城門の裏から人影が現れて、ユーリはついに完全に緊張を解きほぐし、声を投げかけた。
「ベルマールさん…」
「待っていましたよ、ユーリ」
この時ばかりはベルマールも敬語を使わなかった。
身分など取っ払ってしまった方が素直に接する事が出来ると、そう思ったから。
すると、そのベルマールのさらに後ろからヨキとハイゼルが姿を現し、跪いた。
「陛下…」
ただ一言、それだけ言って頭を垂れる。
「待たせたな」
ユーリは短くも重い言葉でそれに応え、ついに王城の敷地に足を踏み入れたのだった。
◆◆◆
「感慨に耽っていたいとは思うんだが…そうもいかない状況になった」
「マズールの陥落ですね?」
「あぁ、早々に対策を立てなければならない。現状を知らせてくれ」
エスクード王城内を闊歩するユーリ。
リリアーヌ、イシュメル、アガサの三人とは別れ、ベルマールに王室まで案内させている所だった。
飾り気の少ない王城の廊下で先に切り出す。
「セリオンに集まったエスクード人はおよそ70万人程、セリオン北部『ファスレア』に20万、南部『カイウス』には10万、点々としているエスクード人を含めて総勢100万人弱と言ったところでしょうか」
「うち戦に参加できる者は何人だ」
「無理な徴兵を行わなければ15万程でしょうね。命令の強弱によっては30万まではなんとか…」
「…ならこれからは15万で考えろ。戦意の無い者には徴兵を強いるな」
「御意」
話していると、ベルマールが足を止めた。
眼の前には扉。
ユーリは取っ手を回した。
瞬間、視界に映る簡素な部屋。
執務用の机と、玉座に似た椅子、天幕付きのベッド、そして前王の所持品のいくつかが置かれていた。
簡素とは言ってもさすがに王室だけあって絨毯やカーテン、壁紙等は豪華さが目立った。
ユーリはそれを少し気に食わないと思ったが、それを察してか即座にベルマールが口を開いた。
「王が質素な生活をしていては臣下の気が引けます。なにより王より贅沢な生活は出来ないと言って極貧生活を送る事になりましょう。ご容赦ください」
「解った」
簡単に答えを返し、椅子に座るユーリ。
一息ついてひとりごちた。
為すべき事は多い。
なによりそれらを処理するだけの時間が正直な所あまりない。
王都への帰還を果たしたはいいが、前途多難であった。
それが少し滑稽に思えて、ユーリは笑う。
「忙しくなりそうだな」
「詮のない事です、御容赦ください」
「ベルマールさん、俺の部屋では敬語を使わなくていいよ」
「…そう仰るなら…と言いたい所ですがさすがにぼろが出てからでは遅いので若干ながら言葉を柔らかくして受け答えしましょう」
ユーリはやれやれと手を上げた。
ベルマールは微笑を浮かべる。
ある程度予想はしていたユーリではあったが、こう即座に対応の変化を求められると困ったものだと小さく呟いた。
「それで、イシュメル達の部屋の配置は決まったかい?」
「えぇ、右隣にリリちゃん、その奥にケーネさん、左隣にイシュメル殿下、その奥にアガサさん、でどうでしょう?」
「うん、それでいい。早々に手配してくれ」
「解りました」
「はぁ…さすがに疲れるな、執務ってのは…」
「言っても切りがありませんよ、ユーリ」
「それもそうだな」
椅子に盛大にもたれ掛かって愚痴をこぼした。
「それともう一つ、明らかにしておきたい事柄があるのですが」
「ん?」
「リリちゃんの待遇についてです」
「あぁ…」
「さすがに何もなしでは下の者が困惑します。何かしら明確な条件を決めておかなければ」
「ならエルフ王の実子『リリアーヌ姫殿下』でいいじゃないか。客人でも何でもその水準の身分があればどうとでもなるだろう?」
少し笑いながらユーリが即座に答えた。
「まぁ…ある程度は時間を稼げるでしょう。しかし長期的にはそれでは物足りませんね」
「ならどうしろと?」
「妃候補、などどうでしょう」
ユーリは多大な衝撃を受けて椅子から転げ落ちそうになった。
見てる方が恥ずかしくなるまでの慌てぶりを隠しもせず、肝心な時に回らぬ口を必死で動かして弁解した。
「い、いやさすがにそれはっ!リリィはまだ十三だぞ!?成人すらしていないじゃないか!」
「あくまで候補、です」
ベルマールは不敵な笑みを浮かべつつ心底嬉しそうな眼でユーリを観察していた。
「そ、それは今の肩書が通用しなくなってから考えよう!!」
「仕方ありませんねぇ…フッフ」
「その含み笑いが怖いな」
「何も含む所なんてありませんよぉ」
「―――」
頭を抱えるユーリ。
焦燥を隠しきれないままベルマールを部屋の外に追い出した。
一人になってまた一段と先程の言葉が強く脳裏に浮かんできて、不意に城から抜け出したい気分になった。
◆◆◆
その後、ほとんど時を置かずにユーリは臣下たちとの顔合わせに向かった。
ベルマールに選ばせただけあって、どの面子も優秀ではあったが、さすがに数だけは少なかった。
謁見の間で階上の玉座から階下でぴしりと並ぶ面々を見る。
基本的には若い。
他国と比べればその若さは際立つ事だろう。
うち数人はいかにもと言った風の初老の人物で、強い決意の眼差しをずっとユーリに向けていた。
経験不足は否めない。
その点を数少ない老練さを持つ臣下に補わせているのが現状だった。
順々に視線を運んでいると、見た事のある顔がいて、咄嗟に声を投げかけた。
「…オルグ爺さん?」
「お久しぶりです、陛下」
呼びかけられた老人は嬉しそうな表情を宿して頭を垂れた。
何を隠そう、彼はユーリが潜伏していたあの『村』にいた老人だったのだ。
ある程度執務が片付いたら街へ下って安否を確かめようと思っていただけに、早々に彼の存命に気付く事が出来たのはユーリにとっても幸いだった。
「生きていたか!良かった!」
若干ながら体裁を崩し、ユーリは喜んだ。
続けて問いかける。
「村の皆は王都へ無事辿りついたか?」
「えぇ、陛下のお心添えのおかげで皆無事にセリオンに辿りつく事が出来ました。本当に感謝しております」
なら何も言うまい。
飾るだけの言葉はこの際いらなかった。
懸念の消失に伴ってユーリの体はまた一つ軽くなる。
「オルグ伯は昔前王と共に戦場を駆け回った猛者です。その経験の豊富さ、老練たる武芸の数々、若者に対する先見眼の高さゆえに兵達の師範として任命しました」
横からベルマールが口添えする。
オルグは謙遜しつつもその役職に対する意気の高さを示した。
「私でよければいくらでもお力添えいたしましょう。若者を鍛えるのは意外に楽しい物でしてね」
その言葉を聞くや否や、横にいた上級兵士たちが苦笑する。
「若くないんだから程ほどにな」
成る程、随分と厳しくしごいているようだ。
そんな確信を得つつ、またユーリは視線を滑らせた。
すると今度はヨキを見つける。
「ヨキ、エスクードでの生活には慣れたか?」
「はい!エスクードへ招いて頂いた事を感謝しております!」
「そうか、しっかりと精進しろよ」
「必ずやッ!」
相変わらず威勢がいいな、そう付け加えてユーリは笑った。
その後も時折声をかけつつ、ユーリはようやく臣下たちとの顔合わせを終えた。
玉座から降り、謁見の間を抜ける。
順風満帆とは行かないまでも、当初の予想を遥かに超える充実さを感じ取ることが出来て、とりあえずの所は満足だった。
その日の執務を終え、ユーリはようやく堅苦しい王衣を脱ぎ捨てる。
待ちくたびれたかのようにリリアーヌの部屋へ向かい、彼女と共に午後をゆっくりと過ごした。
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