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王の帰還
K.record 3 「荒野」
 エルフとは、人間とは一線を画す人型として古代より存在した。彼らの歴史を知る術は今でもない。
 それは人間とエルフの間にはかつてより断絶があったからだ。
 少なくとも人間という種族が存在し始めた時点で同様に世界のどこかには存在していたのだろう。
 記憶に新しいかの《グラン聖戦》はエルフの素性の確証を得るには絶好の機会であったが、場所が場所、争っている最中に彼らを分析する余裕などなかった。グラン聖戦で明らか―――というより実証を基に確実な情報が得られたとすれば、それは彼らの魔術的素質の高さについて、である。
 右手に剣を、左手に盾を持ち、近接戦を繰り広げたのは主に人間。
 右手に杖を、左手に魔術書を持ち、遠距離戦を繰り広げたのはエルフ。
 大仰というか―――(あからさま)だった。神は余程、種族間に明確な差を作り出したかったらしい。エルフの生まれ持つ魔力の絶対量は人間の数倍。逆に人間ほど身体能力に恵まれていない印象を受けた。いくら絶対量が凄まじいと言っても、エルフも生物だ、魔力が枯渇しないということは有り得ない。
 当時、物量で攻め入ったヴァンガード連合に押し切られ、接近戦を余儀なくされた時のエルフは貧弱そのものだった。しかし、もちろんこれは普遍論ではない。鍛錬や才能によって多くの魔力を得る人間はいるし、同じように、高度な身体能力を持つエルフもいる。あくまで両種族間に明確な差を見出そうとするとそうなるわけであって、必ずしもこの情報があらゆる場に於いて適応される訳ではない。その点は承知してもらいたい。
 エルフはその魔力――代替して言い換えれば、生命的燃料の量――故に、長命な種族だ。老いを知らぬ容姿という点においても、美しい個体が多いのが実状である。だからこそ、人間から妬みの対象にされたり、弾圧の対象にされたりもする。
 人の感情は時に強烈な精神の揺さぶりを起こし、他者を傷つけもする。
 真に厄介なものだ。
 いつか両種族が和解の道を通ることを切に願う。

『エルフの生態』著:カリギュラ・ミレー 天歴3310年

◆◆◆

 村を出て数日。
 徒歩での移動は思っていた以上に辛い。軋む足腰。荷物は食料が減ったことで徐々に軽くはなったが、蓄積する疲労を考慮するとあまり意味はなかった。
 なによりユーリは危惧していた。リリアーヌの事を。
 ユーリはその境遇上、身体的強度が並外れている。そのユーリでさえ、連日の徒歩による移動で、若干の痛みを足腰に感じ始めていた。エルフである事を兼ねても、年端もいかぬという実状を兼ねても、リリアーヌにとっては予想以上に辛い行程な筈だ。

「リリィ、疲れてないか。大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ」

 何度訊ねても、彼女は大丈夫、とただ言い続けた。まさか、大丈夫な筈などないのに―――ユーリはリリアーヌの精神力に感嘆しつつも、彼女が頑なに弱音を吐かない理由を知っていた。それでも、彼女の為に長い休息を取る事は出来ない。その遅れが、村人たちを殺してしまうかもしれないから。もどかしさだけがユーリの胸に募って行った。 

「ユーリこそ大丈夫?」

 額から細かい汗を流しながらも、彼女が笑みを浮かべてユーリに言う。

「あぁ、俺は大丈夫だよ。このくらい大した事ないさ」

 レザール戦争の時に比べると、という言葉が続けて出そうになったのをユーリは理性でなんとか押し留めた。『戦乱の記憶』をリリアーヌに思い出させてはいけないと理性が叫んでいた。しかし、言葉で出さなくともその記憶は『景色』に映ってしまう。
 ユーリとリリアーヌが今居る場所は、エスクードの旧市街――旧エスクード東端の街――《旧エスクード領ファスレア》。建物は崩れ落ち、焼け爛れている。過去、緑の映える美しい街だったファスレアは荒れ果てた荒野と、黒ずんだ瓦礫の街にすり替わっていた。
 景色は無音で二人に語り掛ける。
 無言でいるのが辛くなったのか、リリアーヌが率先してユーリに話しかける。

「ここら辺は――昔は綺麗だったのにね…」
「あぁ…本当に綺麗な街だった――」

 それでも口は凄惨な光景を代弁するばかりだった。昔の姿を知っているからこそ、今の姿と比べてしまう。
 幾ばくか歩き続け、旧エスクード領ファスレアを抜ける頃には日が暮れ始めていた。このまま夜になるまで歩き続けて野宿をするより、ファスレアの比較的傷が少ない建物の中で一夜を過ごす方が安全だろう。そう思い、ユーリがリリアーヌに言う。

「今日はどこか安全な建物で一夜を過ごそう。明日頑張れば、どうにかキールには着けそうだ。リリィ、それでいいか?」
「うん」

 リリアーヌは笑顔で答える。疲れはあるだろうに。リリアーヌの健気さはかえってユーリに罪悪感を募らせた。
 廃墟ではあるものの、人の居ない街というのは現実味が薄れていて、不気味さと幻想的な郷愁が相まって不思議な感覚にさせられる。
 それもユーリにとっては一時的な感情であった。
 人々で賑わっていた頃の面影を知っているからこそ、虚しくもなる。
 そんな微妙な感情の遍歴を繰り返している中、比較的痛んでいない建物を見つけたので中へ入ろうとした。そこでユーリは何かに気づいたようにリリアーヌをその場で制止する。

「倒壊する危険がないか、俺が見てくるからリリィはここで待っていてくれないか」
「うん、行ってらっしゃい。気をつけてね、ユーリ」

 一歩、ユーリが一人で廃墟に足を踏み入れる。違和感の正体は余りにも呆気なく――ユーリの眼前に姿を現した。
 床に散乱する灰色の物体―――薄汚れた人骨。
 ユーリはそれを見て何の動揺も抱かなかった。其処に骨が在るのは何もおかしい事じゃないから。当然なのだ。それに、見慣れている。
 ファスレアで何人が死んだと思っている、とユーリは自分に語りかけた。
 感傷も何もなく、ユーリはすぐに引き返し、首を傾げているリリアーヌに声を掛けた。

「天井が少し倒壊しているから…他の家を捜そう」

 さりげなくリリアーヌの手を取って、足早にその廃墟から離れた。そうだ、思い出せ、此処は戦乱の火の粉が降り注いだ街なのだ、と心の中に言葉が生まれる。今こうして歩いている道端に人の残骸がないのが不思議な程に、此処は荒れた土地なのだ。それでも、リリアーヌは気付いてしまっているかもしれないが、せめて、少しでも、過去を思い起こさせる『物』は彼女には見せまいと今まで以上に歩く道に気を配って、ユーリはリリアーヌを連れて歩いた。
 仮初の平穏がある廃墟を捜しに―――

◆◆◆

 ケーネ・ヴァスカンドはマズール騎士団の一個小隊に例の辺境地の土地管理を慎重に行う事を命じた後、ベルマールに呼ばれて彼の自室に向かった。数々の豪奢な部屋が存在するマズール王城の中であるのに、ベルマールの部屋はたいして大きな部屋ではない。宰相という王の右腕でありながら、質素な部屋で生活するベルマールにケーネは多かれ少なかれ好感を抱いていた。もちろん、それはベルマールなりのマズール王国への反逆なのかも知れないが、そんな様子を微塵も見せない彼はやはり優秀だと思う。既にその才覚の数々を見せつけられてもきた。何より、ケーネにとって、ベルマールは身分の違いはあれど――気兼ねなく話が出来る友のような存在だった。身分上、言葉はいつも堅くなってしまうが。相手の話を何の文句もなく聞き、親身に答えてくれる。能力をとっても、人格をとっても、信頼を置くには十分すぎた。
 そんな事を考えている内に、いつの間にかベルマールの部屋の扉まで辿りつく。扉には《王国宰相執務室》と彼の役職を表す言葉が描かれたプレートが掛かっていて、また、そのプレートに書いてあるのが彼自身の名前ではないのが、少し気がかりだった。いや、仕方ないか。彼は旧エスクード王国宰相なのだ。仇敵の王城に自らの名前など書きたくもないのだろう。

「失礼致します」

 ベルマールの自室の扉をノックして声を上げる。
 中から、「どうぞ」と静かな声が聞こえてきて、ケーネは扉をゆっくりと開けた。

「急に呼び出してしまって申し訳ありませんね、ケーネさん」
「いえ、ベルマール様のお呼びとあらば――何時でも迅速に駆けつける所存です」
「ケーネさん、私に『様』等の敬称を態々付ける必要は在りませんよ。私は貴方が憎むべき旧エスクード人なのですから」

 優しげで、少し妖艶な笑みを浮かべるベルマール。その紫の双眸に貫かれると、自分の感情を全て読み取られてしまいそうで、ケーネは咄嗟に視線をベルマールの双眸から外した。

「そうは参りません。ベルマール様は王国宰相です。私より身分が高いのですから、敬称は無くてはならない物ですよ」

 そう言いつつも、実の所、前提としてケーネはベルマールを憎んでなどいなかった。

「貴方も『御堅い』ですね――。いやこの場合は律義とでも言いましょうか。時には羽目を外しても良いと思うのですが――まぁいいでしょう。ともかく、お入りなさい」
「はっ、失礼致します」

 ケーネは一度頭を垂れて、いつも通りのきびきびとした無駄のない動きでベルマールの用意した椅子に腰かけた。

「それで――話と言うのは?」
「えぇ、実はケーネさんに御願いしたいことがありまして…」
「なんでしょうか」
「――っとその前に、最初に質問を一つ。マズール騎士団を例の村へ再派遣させましたか?」
「はい、先ほど二個小隊に明日例の村へ発つようにと――それがどうかしましたか?」
「いえ、実はこの時分にあの村の周辺は特別風が強くなるので少し騎士団の派遣をずらしてはどうかと思いましてね。移動手段の馬が余計に疲弊するでしょう。自然に逆らうのは得策ではありませんし、たかだか辺境の村一つに躍起になることもないので。どうせなら安全に後日進軍してみてはと提案しようと貴方を此処へ呼んだのです。短期間の物ですので数日すれば止むと思いますし、土地管理に支障はないでしょう」
「それは――確かですか?」
「えぇ、何と言っても、私は旧エスクード王国の王国宰相でしたから。母国の情報は大体頭に入っています。ちなみにその風は《ハリネ》という突風帯でして、旧エスクード地方を時分毎に転々とする厄介な風なんですよ。毎年作物類に被害を与えるので好かれる物ではありませんでしたね」
「…陛下はなんと?」
「――私に任せて下さいました」

 王が任せるというのだから、彼の言葉は正しいのだろう。同時に、従うべきなのだろうと思う。ケーネはベルマールの言葉に頷き、直ぐに返事を返す。

「そうですか。ならば、急遽日時変更を伝えてきましょう」
「有り難う御座います。宜しく御願いしますね」

 ベルマールが笑顔でケーネに礼を言う。
 解りました、と小さく頷いてケーネは椅子から立ち上がった。再び一度だけ頭を垂れて、踵を返す。
 ケーネが部屋から出るべく、扉に手を掛けようとした所で―――ベルマールが小さく呟いていた。

「――貴方も過去の楔に縛られるのではなく、今の己の心のままに行動なさい」

 それはとても小さな声だったが、ケーネの耳は確かにその言葉を捉えていた。

「それは私に対しての言葉でしょうか?」

 ベルマールは言葉を濁し、苦笑しながら、いえ独り言です、と返した。

「…では失礼致します」
「御苦労さまです。伝令、頼みましたよ」
「御意のままに――」

 願わくば、彼が己の名誉を取り戻しますように―――


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