「ユーリ、気になる事があるんだけど聞いていい?」
地下通路を抜け、地上に出た時、リリアーヌがユーリに訊ねた。
「なんだ?」
「エスクードは領地を取り戻したでしょ?…その場合『レザール鉱山』はエスクードとマズール、どっちの物になるのかな」
「…そうだな、父さんが捕虜になった時に使った王印は全て偽物なんだからレザール鉱山の所有権証書も効力を持たない事になってるはずだ。エスクードとマズール、両国の王印が証書の有効性を生み出すわけだからな。とはいっても…現状を俯瞰的に見るなら未だにマズールの物だろう。マズールはレザール鉱山から手を引いていないし、エスクードもレザール鉱山を取り戻そうとはしていない」
それはつまりユーリ自身がレザール鉱山に大した興味を持っていない事を示唆していた。
再びリリアーヌの脳裏に疑問が浮かぶ。
「レザール鉱山に大きな価値はないの?」
「時と場合による…としか言えないかな」
「ならどうしてユーリのお父さんはレザール鉱山の為に戦争まで起こしたのかな」
「…」
ユーリは一度言葉を切って考え込んだ。
顎に手を置き、思案気な表情で呻く。
「うーん…そればかりは俺とて確信を持てるわけじゃないが…『合理性』と『意地』故に譲れなかったんじゃないかな」
「解りやすく言うと?」
「少しは自分で考えろよ、リリィ」
「だって解らないんだもん!」
声を張り上げるリリアーヌに参ったユーリは仕方なく自論を話した。
「レザール鉱山はエスクードとマズールの国境線上に位置している。これは解るな?」
「うん」
「天然資源の産地が国を股にかけている場合、その産地がより深く踏み込んでいる側の国に所有権が移る。これは大陸においての暗黙の了解なんだ。千年以上前からの…な」
「でも正式な決まりはないんでしょ?」
「その通り。だから其処に純正の合理性が割り込む余地は本来ない。厳然たる真理がないからだ。とはいえ、その暗黙の了解が天然資源を巡る争いにあたって最も信じるに足る合理性である事も事実で、しかしマズールはレザール鉱山においてそれを無視した」
「それは悪い事なの?」
「いいや、俺はそうは思わない。決まりがないんだ。しらばっくれても咎められる理由にはならない」
「うーん…ややこしいなぁ…」
リリアーヌは頭を抱えた。
実際の所、レザール鉱山をめぐる戦争において片方に味方するような合理的で有効な真実は存在しない、とユーリは考える。
「だが父さんはそれをよしとしなかった。だから喧嘩を買ったんだよ。それがたぶん父さんの意地。まさかヴァンガードによってエスクードが滅ぼされるとは思わなかったろうさ。別に俺は父さんを非難している訳じゃない。俺でもそうしただろうから。そして俺がマズールの王だったとしても―――きっと同じ事をしただろう」
「どうして?」
「マズールにはマズールの事情があるからだ。エスクードの事情と、マズールの事情は相容れなかった。両者の間に斥力が誕生し、戦争が起きた。両国の王はどちらも優秀だった―――主観ではあるが―――…だからこそレザール戦争は起きたのかもしれないな。話が逸れたが…欲しかった答えは得られたか?リリィ」
「…うん!難しいってことは解った!」
「それだけか…」
「え?」
笑顔で答えるリリアーヌを前にユーリはがくりと項垂れた。
「リリアーヌには少し早い話だったかもしれないね」
横からイシュメルが首を突っ込んできて言う。
「あたしにも何が何だか…」
アガサはリリアーヌとは対照的に深刻な顔で告げた。
「まぁ…過去を振りかえるのもこれくらいでいいだろう。今を考えるだけでも精一杯なんだから」
「そうだね」
ユーリ達はサベジの名無しに預けていた馬を受け取り、再びその背に跨った。
その時はまだ知らなかった。
ユーリ達の予測する『事態の急変』、転じては『世界の脈動』が驚異的な速度で彼らの後から迫ってきていた事に。
そして―――
今にも後ろから彼らの肩を叩こうとしている事に。
◆◆◆
ユーリ達がサベジとの交渉を丁度終えた頃、ヴェール皇国に世界の脈動を告げる一報が伝わっていた。
マズールに潜伏していた間者からカージュへ伝わり、カージュからエンピオネへその報告が伝わる。
エンピオネはカージュから知らせを聞いた時、余りの衝撃の大きさに読んでいた本をぽろりと落とした。
目は見開かれ、美しい肌からは汗がにじみ出る。
「マズール王が…死んだ…じゃと?」
「死体が随分と『削られて』いたので死を確認するまでに時間が掛かったようです。意図的に時間稼ぎをされた気がしますね。問題は時間を稼ぐ理由が何であったのか―――」
「…」
何か…嫌な予感がする。
エンピオネは漠然とそう感じていた。
マズールがヴァンガードに加入してからマズールをよく思わない国は増えた。
だが、そのうちのどの国も王を殺すと言う過激な手段に出るとは思えない。
良くてちっぽけな経済制裁程度だ。
「主犯はマズールの周辺国家でしょうか?」
カージュも自分でそう思いつつエンピオネに訊ねた。
「違う、とは言い切れないが可能性は薄いはずじゃ。周辺国家では大国マズールに手をだせまい」
「…でしょうね」
嫌な予感は増幅していく。
「…マズールが崩壊して利を得る者……」
口ずさんだ瞬間、エンピオネは勘付いた。
エスクード滅亡に間接的なアプローチをした者。
『マズールがヴァンガードに加入してから―――』
エンピオネは椅子を揺らして立ち上がった。
そして呟く。
その名を―――
「ヴァンガード協定連合…!」
カージュも得心が行ったように目を見開く。
「奴らじゃ!カージュ!急いでエスクードに伝令を送れ!!」
「御意!」
エンピオネは衝動に駆られた。
一刻も早くユーリにこの事を伝えなければ。
ヴァンガードが動き出した。
マズールを完全に手中に収めた今、隣国エスクードに再度攻め入るかもしれない。
攻め入るとまではいかないまでも、何らかの動きを示してくる可能性は大きい。
エンピオネは今すぐにでも自分の足でユーリ達を追いたかった。
ようやく国家再建の目処が立ったのに。
どうあってもヴァンガードに先手を取られてはいけないのだ。
未だに完全に復活した訳ではないエスクードが後手に回れば損害が大きくなる。
それこそ再度滅ぼされる程に傷つくかもしれない。
「一刻も早く…」
ナレリアに間者を送るべきか。
ユーリがナレリアにいる確証などない。
だが何もしないよりは…
「エンピオネ様、面会を申し込む者がいます!」
家臣の一人が皇室の外からそんな言葉を投げかけた。
「こんな時に…何者じゃ!」
苛立たしげに声を荒げて扉越しにそう返した。
一国を争う時に面会など―――
「はっ!ケーネ・ヴァスカンドと名乗るマズール人で御座います!」
世界が脈打った。
◆◆◆
エンピオネがケーネ・ヴァスカンドとの面会を許可したのはまだユーリがヴェール皇国に居た時、その話を聞いた事があったからだった。
『面白い人材だ。若く、多方面の才覚に溢れ、何より人柄が良い。俺が知る中で彼は五本指に入る根っからの善人、聖人だ。数々の戦に加担していながら、その狂気に飲まれず、答えの出ない矛盾の源泉と常に戦っている。彼の矜持は一目置くに足る』
エンピオネは謁見の間ではなく客室に彼を呼び、そして相対した。
扉を開けると、既にそこにはケーネがおり、真っ直ぐな目でエンピオネを見据えていた。
「お初にお目にかかります、エンピオネ陛下」
エンピオネはケーネと相対して、成る程、と心の中で唸った。
好成年と呼ぶにふさわしい相貌に声色。
そして強烈な意志を秘めた鋭い目。
「掛けてくれ。事は性急に動かしたいが正確さを失っては困る。今はゆっくりと話す事にしよう」
エンピオネはケーネに腰かける事を進めると、自らの早々に椅子に座った。
「妾から先に訊ねても良いか」
「お心のままに」
「うむ。ケーネ、と言ったか。いや…やめよう。妾はお主の事をユーリから聞いている。全くの初対面とは思えぬ故、無礼を許せ」
ケーネはその言葉を聞いて少し目を丸めた。
まさかあの青年が自分の噂をしているなど思わなかったから。
「端的に聞く。…何故此処に居る?」
ケーネの職はマズール騎士団長。
マズールの軍事力の最高権力者。
マズール王が死んだ時にこそ彼のような役職の者が必要なのに。
現時点でマズールから遠く離れたヴェールに居る故、もしかしたらマズール王が死去した事も知らないのかもしれない。
「私はマズールから離反しました」
ケーネも端的に答えた。
灰色の短髪は微動だにしない。
自分の物言いに圧倒的な自信をもっているからこそ、身動き一つしなかったのだろう。
エンピオネは合点がいったように頷いた。
「マズール王死去の事実は知っているか?」
「えぇ…私が言えた義理ではないのですが…残念です。あの方は王としては立派でした。特に商才に関してはマズールでも五本指に入る程でしょう。しかしマズール王は軍事的才覚に関しては平民同然。拙い政策のせいで人々が死ぬ事に…私は我慢が出来なかった。騎士団長にまで上り詰めて尚、私は救えなかった」
ケーネは思い出す。
マズール騎士の一人がユーリがいた村で老婆を切ってしまった事を。
それを事前に止められなかった自分を。
もっと厳しく言い聞かせていれば。
指導していれば。
ケーネはその点に関して自分を許さない。
他人から見れば些細だ。
だがケーネはそうは思わない。
戯れの殺戮を良しとはしない。
数々の戦に参加してきた自分が言えた義理ではない。
それも解っている。
だから戦う。
その矛盾と。
「私は国を一度捨てた裏切りものです。なんと言われようと構いません」
「主人に対する理想が高いな」
「私はもしかしたら完璧主義者なのかもしれませんね。ですが、私は私の矜持の為に全力を尽くさずにはいられないのです」
「…成る程…成る程。ユーリが気にいるのも無理はないな」
「…?」
「何でもない。それで、ケーネはどうするつもりだ。これから。ヴェールに来たと言う事は考えているのだろう?」
「『ユーリ様』を追います」
エンピオネは目を丸めた。
「その言い草だと…」
「えぇ、今度は彼に仕えようと思っています。恐縮ながら、彼が私を気にいったように、私も彼に興味がある。そして彼が私の望む力を持つなら…喜んで仕える所存ですよ」
世界の脈動の中で、エスクードもまたより一層強く脈動した。
「あくまで推測の域を出ませんが…マズール王を殺したのはヴァンガード協定連合の首脳陣でしょう。彼らはかねがねマズールの発言力を抑えつけようとしていましたから」
「そこまで解っているなら話は早い。ユーリに伝えるべき事は承知しているな?」
「えぇ」
「よし!馬をやろう!ユーリの行き先についても早々に議論しておくぞ」
「御意のままに」
波紋は広がる。
不穏な空気をその身に纏いながら。
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